ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

駄菓子屋さんコミュの想い出話し。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
駄菓子屋の想い出話しをフリートークで。

駄菓子屋は好き過ぎて未だに気分良く夢を見た時は、必ずと言っていい程、神社仏閣と駄菓子屋が夢に出て来ます。

近所に駄菓子屋が10軒程有り、タバコ屋兼駄菓子屋というパターンが多かったですよね。
駄菓子屋を挟んで春夏秋冬を感じ、男の子なら虫取りや釣りの前後に必ず駄菓子屋へ行き、チューペット(昔は名前が違った)を買い、ちぅちぅしながら自転車に乗り、池や多摩川へ行ったものです。

銀色のハッカの粒も何故か大好きだったな。
怪獣消しゴムや、スーパーカーブームも駄菓子屋から発祥したようにも当時感じていたし、ヨーヨーの世界チャンピオンも駄菓子屋に来ましたね(^-^)。

子どもの遊びの全てがあったように思います。

また、あれを維持しようとしていた当時の日本人の精神。

そもそも儲からない5円、10円からの世界で、子ども達と側にいたいからとお店を出していたお爺さんお婆さんが大半でした。

しかも自分の時は、悪ガキには厳しく、普通の子には優しいという世間の目と躾とが必ずありました。

小学校高学年になって始めて買ったプラスチックのサングラス。

何気にお気に入りで、何個も買いました。

麩菓子も優良な駄菓子だったんですよね。

黒糖と大豆のお麩。

きな粉を割り箸に付けた物。


駄玩具が宝物でした。
商業主義とは逆の世界。

日本的な世界だったのでしょう。

皆さんフリートークでたっぷり語って行って下さいな(^-^)゛

コメント(9)

ちなみにですね、昭和50年頃に大映という映画会社が『妖怪大戦争』という映画を作りまして、鬼太郎やドロロン閻魔くん等の再放送等が重なり、確かちょっとした『妖怪ブーム』があったんですよ。
その当時、一個50円の妖怪のプラモデル(唐傘お化け・ろくろ首・ひとつ目小僧等)や、妖怪のお菓子(入れ物が妖怪exclamation)、又は皆さんお好きな『妖怪けむり』も山程やりましたよ。一時期、50円の妖怪けむりがありまして、それには怪談話しの本が1冊付いていました。種類もあり、小さな自分は確か3〜4種類は確認しましたが、内容はフランケンシュタインや番町皿屋敷等だったかと記憶しています。

皆さんにお聞きしたいのは、当時20円で売っていた、よくカードを買うような紙袋に入ったカードを引っ張って取り(紙袋に入っている為、中身は見えません。)、紙袋の中には固目の紙に妖怪・お化けの絵が書いてあり、平面ですが組み立てます。それが夜光塗料で描かれていて、暗闇で光ります。

小さい頃に大好きだった物が、田舎に行ってまだ現役であったので(25年程前ですが)、20個くらいまとめて買って喜んでいました。

皆さんご存知ですか

ネット検索しても全く見付からず、何とかして探しているのですが、あのテイストの絵って現在は死滅してしまったんですよね。

情報お待ちしております。

小学生の頃、良く遊んだ公園に一時期、おでん屋の屋台を改造した駄菓子屋が来てました。

来る時に屋台のおでん屋特有の鐘を鳴らしなが来るのでカンカンばばあと呼んでましたが。

普通に駄菓子を売ってましたが、屋台のチャレンジゲームで、ミルクせんべいの上に赤い寒天を乗せて、見本の通りに数字の3とか5と言う数字を、寒天にストローを差して吸い上げて、一個一個穴を開けながら上手く見本通りに出来れば、オマケがもらえると言う物がありました。

1回50円と、当時としては高い値段でチャレンジするわけですが、いくら見本の通りに出来てもばばあに見せると、「はい、ダメ!」と言ってポイっとゴミ袋に捨てられてしまう。

結局いつも何人かチャレンジして上手く出来た人はいない。

あの理不尽さには疑問を持ちましたが、今となっては、世の中そういったもんなんだよと言う現実を教えていたんだと思います。


自分はそれをやった時に、捨てられのわかっていたから全部食べちゃったけど。(笑)

いやいや懐かしい。

駄菓子屋の理不尽さを思い出してしまいましたよあせあせ(飛び散る汗)笑。

昔、自分が一番好きだったのは麩菓子ですね。

麩菓子ときな粉飴(小さなめんこ大のきな粉飴に割り箸が付いていた)、それと田舎で『鼻くそ』と言われた銀のハッカ玉が入ったプラスチックの筒入り菓子(なんて名前だろう...)が定番でした。

お寺の近くに二軒並んである駄菓子屋は、店主にちなんで『爺・婆(ジジババ)』という店(今となっては店名を知る事も出来ず)があり、左側のジジの店は駄菓子屋玩具がズラリ。ブロマイドやシール類も時代を越えてありました。

ババの店は主に駄菓子。

店でお好み焼きを焼いて出してくれたのが子どもながらに感動した(普通のキャベツお好み焼きは50円。玉子入りが確か80円。)思い出です。


どんな田舎にも必ずあった駄菓子屋ですが今思い返すと、日本人の心が詰まっていて、子ども達のなけなしの金を使って、安全な日本産のお菓子やら、おもちゃを与えて大人達の傍らで健全に遊べる場所を提供して貰っていたんですね。

あんこ玉なんて考えたら良く日持ちするもんだと思っていましたが、日持ちするように考えて作られていたんですもんね。

駄菓子屋の思い出は、ライダースナックが脇に捨てられていて、小さな自分は拾ってかじった事もありましたあせあせ(飛び散る汗)

また、妖怪ブームの時に妖怪プラモデルが売られていて、4つセット200円で買って貰った事もありました。

ガチャガチャやコスモスもありましたね。

ガチャガチャの20円で火花だけ出るライターも懐かしい駄玩具です。
>ゆたさん

自分も光る妖怪紙人形?(商品名すら分かりません)
懐かしくてここ何年か探しています。

妖怪けむりはすぐみつかりますが、こっちは全然でてきませんね〜。

でも、この間仕事で東京に行った帰りに中野ブロードウェイのお店でそれっぽい物を発見しました。
ただし時間が無かったのでしっかり確認までは出来ませんでしたが

1綴り1万2〜3千円位だったと思います。
住んでる所が田舎なので、種類は少なかったですが、学校終わりに小銭を貰ってよく買いに行きました。

ビックリマンシールを集めたり、チョコバット買ったりしました。

印象深いのが、小学三年位にJリーグが開幕した流れで、駄菓子屋にも関連商品が並びました。

当たり付きのお菓子で、当たりを集めると当時流行った『ミサンガ』が貰えるやつとか懐かしく感じます。
夏休みは毎朝お母さんかおばあちゃんに100円をもらって
駄菓子屋さんのおばちゃんに全部10円玉にしてもらってから買い物してた。
必ず買うのは麩菓子とヨーグル、たま〜にチョコカステラとか水あめ
おもちゃ系も。覚えてるのはガムの形で引っ張ると指が挟まれるやつと
紙石けん、指でこすると煙のように見えるやつ、名前が出てこない〜。
誰か教えてください冷や汗
駄菓子屋さん、

子どものころ近所にあった古い家のおばあちゃん、ものすごく厳しい人で、挨拶や店内での振る舞いについて、子どもながら緊張しながら買物してた…

そのまた近所にある商店のおばちゃんも厳しく、愛想もないし無いものは無いという人で…

だけど、なんだか今のような愛想笑いの無い人のほうが中身が充実してるというか、また会いたくなる人がいると最近になって思ってる。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

駄菓子屋さん 更新情報

駄菓子屋さんのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング