谷崎ワールドコミュの細雪

●「細雪」の芦屋を歩く　
　今週は谷崎潤一郎の「細雪」（上、中、下、３巻あります）を読みましたので東京を離れて、谷崎潤一郎が関東大震災の後、移り住んだ兵庫県芦屋市を歩いてみました。特に芦屋市は谷崎潤一郎の「細雪」で紹介されており、今日はその中でも芦屋川付近を紹介したいと思います。

　「あんさん、頼むわ。－」鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子（４４）を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛を渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長橋袴姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据えながら、「雪子ちゃん下で何してる」と、幸子はきいた。「悦ちゃんのピアノ見たげてるらしい」なるほど、階下で練習曲の音がしているのは、雪子が先に身支度をしてしまったところで悦子に掴まって、稽古を見てやっているのであろう。」は谷崎潤一郎の「細雪」の書き出しです。このあと雪子のお見合いの話から小説は進展していきます。「細雪」は大阪船場の古いのれんを誇る蒔岡家（まきおか）の四姉妹（鶴子、幸子、雪子、妙子）をめぐる物語で、鶴子と幸子はすでに結婚してしているで、芦屋に住んでいる幸子の家に同居している雪子、妙子が物語の中心になって話が進んでいきます。特に昭和10年代の関西の上流社会の生活のありさま（お見合い等）特に高級住宅街の芦屋を取り上げている風俗小説ではないかと思います。

・「あんさん」とは「ちんぴら(極道さん)」の略で大阪の家庭で一番末の娘を呼ぶ語で、「ごりょんさん」は「御寮人さん(ごりょうにんさん)」の意味で「御寮人」を敬っていう語です。

★左の写真が現在の阪急芦屋川駅です。海側から山側に向かって撮影しています。右側が芦屋川で、橋の上にも駅があります。阪神間は山から海までの距離が短く、川の流れが急で、芦屋川駅から少し下ると「細雪」によく出てきます阪神国道の業平橋があります。阪急芦屋川駅は大正９年７月に開通した阪神急行電鉄神戸本線（梅田－上筒井間）の芦屋川停留所が前身です。阪急電車の正式名称は「阪急電鉄株式会社」。１９０６年に設立された箕面有馬電気鉄道が前身で、神戸線は１９２０年から、京都線は１９２５年（新京阪鉄道）から営業を開始しています。電車の色がマルーンカラーで、この色がなんともいえず阪神間の上品な町並みを現している様で、私個人的にも大好きな色です。

＜重信医院＞
　「・・・今朝から「水戸ちゃん」は来てくれていたが、売れっ児の櫛田医師はいつもの伝で、堅く時間を云って置いたのに、幸子が着いてからもなかなか見えず、電話で方々へ問い合せるやら、二三度も催促するやら、えらく手数を懸けさせるのであった。その間斎藤医師は時々腕時計を見ながらも別段厭な顔もせず、おとなしく待っていてくれて、やっとのことで現れた櫛田医師に引継ぎを終え濁せ帰って行ったが、･･･」と「細雪」の中には良くお医者様が出てきます。特にお腹が悪くなる話が多くて、「そう云えば、昔幸子が貞之助に嫁ぐ時にも、ちっとも楽しそうな様子なんかせず、妹たちに聞かれても、嬉しいことも何ともないと云って、けふもまた衣えらびに日は暮れぬ嫁ぎゆく身のそゞろ悲しき、と云う歌を書いて示したことがあったのを、図らずも思い浮かべていたが、下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた。」は「細雪」の最後の所です。普通の小説では最後に下痢の話で終わる様な事はないと思いますが、「細雪」はどういうわけが、そうなっています（いろいろ議論が有るようですが！）。又この「細雪」にしばしば登場する主治医の「櫛田医院」は、阪急芦屋川駅山側に実在する「重信医院」がモデルになっていると言われています。

★右の写真が「重信医院」です。上記の阪急芦屋川駅の山側の商店街の中に、駅から出たすぐの所にあり、昔ながらの病院の作りで、「細雪」の時代を彷彿とさせます。芦屋市は当時まだ精道村と言い、人口も、昭和６年現在で６千戸、３万人に過ぎませんでした。昭和１５年１１月１０日、紀元二千六百年祝賀の日に合わせて、村からいきなり芦屋市となっています。

＜富田砕花旧宅と芦屋市谷崎潤一郎記念館＞
　関東大震災のあと、初めて関西に来て住んだのは大正１２年の苦楽園（芦屋から少し大阪寄り）です。昭和５年に細君譲渡事件で千代夫人と離婚、昭和６年に丁未子と再婚、しかしながら昭和８年５月別居しています。谷崎潤一郎が初めて芦屋に住んだのは昭和９年３月１４日。当時の兵庫県武庫都精道村打出下宮塚１６、いまの芦屋市宮川町4-12（現・富田砕花旧居）です。阪神芦屋駅から線路の一つ南の道を東へ歩くと宮川の手前に、石をはめ込み瓦を上に置いた土塀の家があります。階下が四間と台所、二階が四間、門のわきに中二階の納戸があります。家賃は７０円。現在だと２５万円ほどだと思います。根津夫人松子の叔父の姓を借りた、水野寓という表札を出しています。家主の義弟にあたる詩人の富田砕花はその西隣に住んでいましたが、旧知の潤一郎がいたのをずっと知らなかったようです。数え４９歳の潤一郎と３２歳の松子は、まだ公然の夫婦ではなかったのですが、潤一郎は９年越しの恋がかなえられて憧れの大阪船場の女人と一緒になることが出来たわけです。松子と根津晴太郎（３００年も続いた大阪屈指の木綿問屋で、松子は根津家の御寮人さん）との離婚届が出されたのは、昭和９年４月２５日で、その後、表札を（森田寓）に変えています（森田は松子の実家の姓で、実家は大阪の藤永田造船所の永田一族、松子は森田安松の４姉妹の次女です）。昭和１０年１月正式の祝言を挙げています。（「谷崎潤一郎「細雪」そして芦屋」からを参照）

★右の写真は谷崎潤一郎記念館です。閲館時間　午前10時～午後5時　観覧料　一般300円

＜倚松庵（いしょうあん）旧谷崎潤一郎邸＞
　谷崎潤一郎はこの「倚松庵」に昭和１１年１１月から昭和１８年１１月まで、関西移住のなかでは一番長く住んでいました。もとの「倚松庵」は現在地より南へ150mの位置にありましたが、住吉川右岸線の道路築造工事のため、この場所に神戸市が平成２年７月に移築したものです。「倚松庵」の名を谷崎が最初に使ったのは、昭和７年春に当時いた夙川の家でした。「松によりかかっている住まい」という意味です。この住吉川畔にも松が多く、その名が使われました。関西に移住して谷崎文学が花開いたのは、上記にも書いていますが根津夫人の松子という女人との出合いだったようです。昭和９年末に松子の妹の重子、信子を引き取り、松子の娘の恵美子と合わせて女４人＋谷崎潤一郎の生活が始まりました。「細雪」が執筆出来たのは船場の女であるこの姉妹の日常を観察できたおかげだと言われています。（「倚松庵」パンフレットより）。

★左の写真が「倚松庵」です。住吉川沿いにあり、風景明媚だったのですが、川の上に新交通が走りだしてから少し風景が変わりました残念です。建物のなかは昔そのままで、なかなか雰囲気が出ています。

●建築年月　昭和４年８月　●移築年月　平成２年７月
●開館時間／午前10時～午後4時　●開館日／土曜日・日曜日（年末年始除く）　●入館料／無　料

＜細雪＞
　「細雪」は「中央公論」の昭和１８年１月号、３月号に掲載され、次の６月号にも掲載予定で校正刷まで出来ていながら、結局掲載はできませんでした（検閲で）。上巻２９章が昭和１９年７月に私家版という形式でまとめられましたが出版できず、その年の１２月、中巻が完結しますがこれも出版出来ませんでした。戦後の昭和２１年、上巻を中央公論社より刊行、昭和２２年、中巻を中央公論社より刊行、下巻は昭和２２年３月から翌年１０月まで、「婦人公論」に連載され、１２月に刊行されました。