ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

YouTube(ユーチューブ)コミュのアンリエット・ルニエ(Henriette Renié)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
アンリエット・ルニエ(Henriette Renié, 1875年 - 1956年)はフランスのハープ奏者・作曲家。敬虔で禁欲的な信仰心のうちに、清貧に甘んじて過ごしたが、女性の社会進出がまだ受け入れられなかった時代にあって、自立し成功した女性芸術家の先駆者となった。独自のハープ指導法を確立した名教師としても知られ、著名な門弟にカルロス・サルセードやマルセル・グランジャニー、ハーポ・マルクス、スーザン・マクドナルドらがいる。

5歳になる前にピアノの手ほどきを受けていたが、5歳のときにアルフォンス・アッセルマンを主役にした演奏会を見かけて、「あの人に先生になってもらうんだ」と言い出す。だが8歳になるまでハープに触ることはできなかった。セバスチャン・エラールの音楽教室でアッセルマンに師事。1885年にパリ音楽院に入学し、10歳のときハープ演奏で次席となる(審査団が首席に選ぼうとしたのに対して、院長が妥当でないとしたためだという)。だが11歳で首席になった。

モデルケースとして異例の措置が取られ、当時14歳以下に履修が許されていなかった和声法と作曲の講義への出席が許可される。テオドール・デュボワやアンブロワーズ・トマ、ジュール・マスネらから作曲するように激励されたが、自作の《アンダンテ・レリジオーソ》を教師たちに見せるまで、6週間もこれを隠し続けていた。ルニエは女性は家にとどまるものとの発想に慣れきっていて、人目を集めることは気乗りがしなかったのである(また昔気質から、監督者なしで一人で出歩くことも決してしなかった)。

12歳で音楽院を修了すると、フランス中で演奏し、パリの随所で弟子をとった。ルニエは早くから教師としての片鱗を示し、兄の友人にハープの手ほどきをしており、音楽院の優等生として評判が立つと、パリの至る所から、自分よりも倍以上の年齢の入門者が集まった。

15歳で最初のリサイタルをパリで開くが、両親がアッセルマンの名をオーケストラの指揮者としてプログラムに印刷することを失念したばかりに、この旧師と不和を起こしてしまう。結局ルニエは、アッセルマンを宥めるために、身銭を切ってプログラムを刷り直したが、その後もアッセルマンとの一触即発の関係は続いた。アッセルマンはルニエに、音楽家志望の学生を回そうとせず、花嫁就業のためにハープの手ほどきを求めるような、身分の高い女性ばかりを送って寄越した。ルニエは、真剣な入門者が来ると、極秘で指導に当たらなければならなかった。時が経つにつれて、アッセルマンはルニエの演奏会に指揮者を紹介することさえ拒み、ルニエの未出版作品の一部を、断りなく自分の授業に流用した。それでもルニエは、アッセルマンに誠意を示し続けた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A8

http://www.youtube.com/watch?v=53Hurs0-etk


http://www.youtube.com/watch?v=LCwhmjEiS5I

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

YouTube(ユーチューブ) 更新情報

YouTube(ユーチューブ)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング