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Tomáš Rosický #10コミュのロサのインタヴュー

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友人からメールで送られてきました。
イギリスの新聞サイトに載ってたそうです。


かつて、『一つ買えばついてくるおまけ』にしか過ぎなかったロシツキー。


トマーシュ・ロシツキーは『一つ買えばもうひとつ貰える
("Buy one, Get One Free")』というディールの内から
名声をつかんだ"Big Brother"(おそらくイギリスの
賞金稼ぎ番組。赤の他人と2ヶ月同居して勝った方が賞金を貰う
http://www.channel4.com/bigbrother/)の勝者である。


このチェコ代表MFは700万ポンドでアーセナルに移籍し、
シーズン最高のいい買い物であったことを証明した。
いまだにきゃしゃな体格のウインガーは、小学生のころ
実の兄、イジーこそがより周囲から求められていたと明かす。

プラハで成長していった少年時代においても、ロシツキーの
フットボーラーとしての将来は全く疑う余地などなかった。
やはりイジーという名の父はかつてスパルタ・プラハで
左バックを務め、一方イジー・ジュニアはチェコスロヴァキア
時代にもっとも注目を集め、各トップ・クラブが彼と契約を
交わそうと追い続けていた。

アーセナルのエースは語る。
「子どもの頃、いつも僕のモチベーションは兄と同じ位
よいプレイヤーになることだった」

「6歳で地元のČKD コムプレソリに入団した。3歳年上の
イジーは既にそこでどのトーナメントにも出場していて、
常にベスト・プレイヤーで得点王だったよ」

「それから数年後、スパルタ・プラハが家を訪れて、
イジーがチームへ入る準備ができているか父に訊ねてきた」

「父は「もちろんどうぞ。しかしイジーが欲しいなら弟の
トマーシュも一緒に連れて行ってくれなくてはだめです』
と答えたんだ」

「こうして8歳のとき、僕はスパルタ・プラハに入団したんだ。
僕は兄貴にくっついてきたプレゼントだったのさ!」

現在26歳のロシツキーによれば、共産主義の崩壊(※ビロード
革命を指すものと思われる)から3年を経た時点でも
施設は整わず、新進フットボール・スターにとって
素晴らしいと呼べるものではなかった。

「トレーニングは砂の上とアスファルトのピッチ。
全く不向きな環境だったね」

「子どもの頃はフットボールと教育を両立させなくては
いけなかった。中等学校最後の試験前日、モスクワで
チャンピオンズ・リーグの試合に出場したのは
まだ憶えているよ。準備万端とはいえないけれど、
ともかく試験をパスしたことはパスしたんだからね!」

2001年にボルシア・ドルトムントへ移籍する前、
ロシツキーはスパルタに3つのタイトルをもたらした後、
父のごとくチェコ年間最優秀選手に選出された。

「いい移籍だったね。ドイツのリーグは強いし、自分にとって
ステップアップの基礎を与えてくれた。僕の移籍金は
ブンデスリーガ史上最高の額だったから、その分プレッシャーと
うまくつきあっていく方法も学ばなければならなかったけどさ」

「もしそういう表現をしていいのなら、だけど、大物スターと
目されることがどういうことなのか理解させてくれたし、
その経験がアーセナルへ移籍したとき助けになったよ」

ロシツキーはガンナーズでの慌ただしいスケジュールの
合間を縫って、クリスマスを家族と一緒に過ごすことを
楽しみにしている。

アーセナル公式マガジンにロシツキーが語ったところによると、
「僕は世界中で最高のリーグにおいて、父の前でプレイする度に
とても誇りを感じるんだ。まるで僕が彼の夢を実現させて
いっているようにさえ感じられるね」



コメント(2)

貴重なインタビュー訳、ありがとうございます。

これまで知らなかった事も多々あって刺激的でした。
スパルタ行きは、兄貴のおまけだったとは…。
やはりどんな選手であれ、その選手一人だけの力では無いという事も
よく分かる素敵な内容でした。

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