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「茶道の心を味わう研究会」mixiコミュの心に残る今月の言葉 第11回

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沢庵=たくわん
沢庵は大根の漬物です。徳川三代将軍家光が品川東海寺に沢庵和尚を訪ね、何か美味しいものをと所望しました。何もない禅寺です、やむなく大根の漬物を出しました。生まれて初めて食べて名称を聞いたので、沢庵和尚は「貯(たくわ)え漬けです」と答えました。「これは旨い、以後沢庵漬けと呼べ」と云ったと伝えられます。370年前に「ちびまるこちゃんふりかけ」のような個人名を品物に付けた元祖、その伝統は工場でロボットに「聖子ちゃん」と名づけているなど物を人間化して大事にする日本の風習となりました。

清泉=せいせん
清泉は字の通りに「清い泉」、また硯の別名でもあります。禅では古来から、「来客があり、出すものがなかったら、せめて一杯の清い水を出す」という意味に使われました。清は清貧の「清」です。物欲から離れた生き方を説いた、夢窓国師の偈頌(げ じゅ)(道を説いた宗旨を含んだ漢詩)の一節です。夢窓国師は甲斐の人、関東にも多くの足跡を残し、京都の天龍寺、相国寺の開山となりました。今年は夢窓国師が正平6年(1351)に亡くなって658年になります。

雲泥の差=うんでいのさ
成功した人やお金持ちと一般庶民では「雲泥の差」があるなどと使われます。後漢時代に呉蒼が隠者矯慎に宛てた手紙に「雲に乗り、泥を行き、棲宿同じからずといえども、西風あるごとに、歎ぜざらんや」と書き、矯慎は雲に乗る生き方、自分は泥を這うほどに生活の仕方は違うが、秋風が吹いたら一緒に話しがしたいと伝えました。今は差別を表現する言葉ですが、かつては生活の仕方の違いを表現したもの、昔は生き方の違いを超えて交遊を楽しんだのです。

コメント(4)

アンさん・・・
茶道具や設備の高級さでは、「雲」には叶いませんし、歴史ある京大阪には後発の首都圏、さらに遠方の地方とは大きな差があります。でも「茶道の心」は一代限りのもの、不変の真髄です。

「ご馳走」とは、高い価値のもの、珍しいものを呈ずることではなく、「馳せ走ってもてなすこと」です。そこに費やされる時間や手間、思いが「ご馳走」です。

どうして古い道具を使うのか・・・その味わいに触れて心を安らげ、茶の一時に癒される一助が古い道具です。その根源を見失うと、道具の競争や豪華な懐石になっていきます。

本源を会得したら、動じることのない、どっしりした意識で茶を実践できます。・・・とはいいながら私も未熟、茶人風情の中に往々に生ずる「陰の誹謗」を意識してしまい、不動の茶に至るのはまだまだこれからです。
先日、「名水点て」というお点前を習いました。前もってそれを習うことがわかっていたので、夫にその話しをしましたら、「名水、ってのは、ブランドの水のことか?」と聞かれて、わたしは、答えることができませんでした。

おいしい水のことだろうとはわかっているのですが、それが「ブランド」かどうかは、別の話しです。先生に伺ったところ、やはり「ご馳走」の話しが出ました。お茶は、おいしい水で点てるのが命ですから、お客様のために走り回って、おいしい水を探す、ということで、けっして「ブランド」の水を買ったりするということではないと言われました。夫にもくれぐれもそう伝えるようにとも言われました。

「清」この文字一つに深い意味があるのですね。私はなかなか物欲から離れることができません。お茶をしていれば、着物もほしいし、お道具もほしいし。きりがありません。いつになったら、そんな境地になれるのでしょう。

雲泥、にはもともとそういう意味があったのですね。知りませんでした。



今回もいろいろ勉強させていただき、ありがとうございました。
なるさん・・・
先生はご馳走の真の意味を会得されてたんですね。

今、砂糖が入っていないサイダーが売れていて、甘々の飲料好きのアメリカに輸出を考えているとか! 本物の清涼飲料ですね。

苗場山の麓の赤湯温泉、温泉宿に引いている湧水は炭酸入り、糖分なしで、山居にして華燭も豪華さも無い寂の宿と夢窓国師の庭園を思い出させる周囲の大自然でした。

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