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日本史 異説!逆説!こぼれ話?コミュの源頼朝と源義経の不仲の理由

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コメント(21)

初めてコメントします。
義経に政治的な考え方ができなかったから、では?
武士に対する賞罰権を握らなければ武士政権が、潰えてしまうのに、義経は勝手に官位を受けた。
しかもそれを悪いと思っていない。
新しく作ろうとしている武士政権を崩壊させる行動だというのに。
そんなところですかね。
一営業部長が、本社の指示に従わず、勝手に商品開発販売、利益分配したら…しかも社長の親族だから許されるんだなんて吹聴したら…
頼朝を支援していたのは近江の園城寺(三井寺)です。鎌倉八幡宮の別当は園城寺から招いていたほどです。しかし園城寺(三井寺)は比叡山と抗争を繰り返していた。弁慶は比叡山の人ですから、もし頼朝が義経や弁慶を重用したら、それこそ園城寺(三井寺)から睨まれて援助打ち切りになってしまう。頼朝は抜け目がないから、弁慶や義経は比叡山の回し者に違いないと思っていたんじゃないでしょうか。いつか反乱を起こして乗っ取る気だな、と。

りょうさんの意見に1票指でOK

義経に政治的思考が出来なかったというか、無かった。
戦争の達人も平治には役に立たないという典型的な人ですよね指でOK
これから武士の政権を作ろという大事な時に、敵から官位を貰ったら、いけんでしょう。それも独断でねがまん顔 頼朝としては、顔をつぶされたと激怒したのは無理ない。身内だから、余計腹がたったでしょう。武士全体に示しを付ける為にも、断固たる処置を取ったのは為政者としては当然の事です。

余談ですが、平清盛が、頼朝を赦したのは人としては優しい行為ですが、平氏の末路を見れば、絶対的失策でした。為政者は禍根を残してはいけないのです指でOK
義経と不仲になることは、頼朝の策略だったと思います。

奥州藤原氏を倒すための。

そもそも、源氏と奥州藤原氏との確執は、後三年の役の時に始まっています。
源義家は、藤原清衡と共闘して奥州を平定しました。
しかし、朝廷からは私闘とみなされ、義家は陸奥守を退官させられています。
藤原氏が、政治的に手を回したと考えられます。

頼朝は、征夷大将軍になることにとてもこだわっていました。
武士の政権を取ることと同等に、奥州の財力を手に入れようとしたのだと思います。

そこへ、義経が奥州藤原氏に庇護されていた。

頼朝としては、義経をスパイとして利用するつもりだったのに、逆に秀衡にとりこまれてしまった。
しかたなく、捨て駒として扱うことになったのではないでしょうか。

義経には、政治的に、とか、源氏の宿願がという考えはなかったと思います。
ただ単に、自分を一人の武士として認めてもらえる場所を探していたのだと。
のんちょさんのご意見に1票 電球

平家を滅亡に追い込んだ立役者の自分が
どうしてこのような仕打ちをされるのか、
義経は最後まで理解出来なかったと思います。

兄は弟の武人としての力量に
嫉妬もしてたんでは?
なまじ認めては、後々クーデターでも起こされないかと
危惧したのでは?

その頼朝の死も、落馬にみせかけた暗殺ではないかとの説も
あるそうです。

いくさ上手な義経を放置しておくと、いずれ自分の立場が危うくなると頼朝が考えたため。
この兄弟に限ったことではありませんが、弟が一家臣と言う認識が無いと悲劇の始まりですねげっそり
はじめまして・・よろしく!うれしい顔

北条父子が原因じゃないでしょうか?
義経の存在が邪魔だったのは彼ら一族でしょうね。
色んな面で力量に欠けた頼朝が、義経の持つ能力に嫉妬したため、最期には、義経を抹殺する所までいった。
頼朝が小心者だからでしょう。

法皇に上手く取り入った義経を放っておいたらえらいことになるでって妻政子や義父の時政にそそのかされたかも。

すぐ下の弟・範頼ものちに殺されてるし。
頼朝の意図が政権奪取にあったのなら、官位とかないわ…示しがつかんと処理して当然では。

当時は直電なんて都合のいいものはないですし、伝言ゲームの仮定でより悪意あるものに変わったり、遠恋の如く不安が募って始末したんでしょうかね。
(トピずれですが)
今日の今夜はヒストリー。
源氏と平家のルーツ。
勉強になりました。
源氏と平家と言う目で後世から見るならば

頼朝は平家と姻戚関係を結び、
平家を滅ぼしたとされる弟を殺し、
最後に姻戚の平家に根絶やしにされてるんですね。

源氏の頭領として、源氏による武家政権を築くと言う意志がどれ程あったのか?
冷徹で切れる男だったというのも、全くの眉唾です。あせあせ
今、ぶっちゃけ寺で義経扱ってますね
頼朝は同じ弟の範頼にも冷たく、兄義平は叔父を討ち取っており、父義朝は祖父為朝他を殺さねばならなくなりました。 当時の源氏は親兄弟間が冷たかった訳ですね。 加えて、頼朝は有力御家人も何人も殺すほど、懐疑心旺盛な人柄だったのでしょう。 義経は叔父為朝や曽祖父義親のように九州で暴れる発想も無く、源氏一族の中では棟梁としての器が低かったのでしょう
あの当時は写真も無いですし、自分の弟と名乗る
武将が現れた!!みたいな
状況ですしね。異母兄弟がいることは知っていても
本人と確かめる方法が…ふらふら奥州からのスパイと最初から疑われていた気が致します。

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