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日本史 異説!逆説!こぼれ話?コミュの二回の元寇で日本の武士はよく闘ったことが「高麗史」などを読めばわかる

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最近の山川出版の日本史教科書では、最初の元寇である「文永の役」で元・高麗連合軍を退却させたのは「暴風雨」ではない記述がなされている。いろいろ調べてみると、「高麗史」でも軍議で退却を決めたと明記されている。

昔は、文永の役も弘安の役も「暴風雨」が吹いて、敵軍を壊滅させたと学んだ気がするのだが、もし「高麗史」の記述通りだとすれば「文永の役」の見方がずいぶん異なったものになってくる。

また弘安の役も、東路軍の出発は五月で台風の来るはずのない時期に動き出している。それがなぜ、台風の来る時期に突入してしまったかという観点も必要だと思う。

事実「高麗史」を読むと、日本軍はよく闘っていることが見て取れる。

しかし、日本の武士はよく闘ったのになぜ当時正当な評価がなされなかったのか。幕府や朝廷は武士に恩賞を与えずに、誰に恩賞を与えたのか。

そのあたりの歴史を調べると面白かったので、3回に分けて自分のブログにまとめました。
興味のある方は、覗いて見てください。

http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/138/
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/139/
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/140/

コメント(44)

国内にかんしてはいくらでも戦いがあったことを記せても、

「外国と戦って勝った日本=強い日本」

を教えることがタブーとなったんだと思います。考えてみたら学生時代、
外国と勝った日本についてならった記憶はひとつもないですね。。。
元は手痛い反撃に遭って、上陸地点からまるで動けていないわけです。
武士たちがが元の侵略を食い止めていたのは明らかなんです。

「やあやあ我こそは・・・」ってやってる内に集団戦で負けたというのは伝説で
実際鎌倉の中期にはそんな古風な戦闘は廃れていて、それを嘆く文章が残っています。

鎌倉時代の武士の戦いは、最初は弓戦です。
当時東方で最強の弓(射程距離と威力)を持った機動性の高い戦闘集団を持つ日本武士団は、
有利に戦闘を進めることが出来ました。

沢山コメントを頂き有難うございます。

まっさんさん、少なくとも「文永の役」は神風は退却と関係がありません。「弘安の役」は絶妙なタイミングで「暴風雨」が多大な影響を与えたことは史実ですが、3ヶ月間も持ちこたえた日本の武士に着目すべきでしょう。

うっきーさんの御指摘の通り、GHQの意図があったと私も考えていますが、ブログでは余計な書き込みをされるのでふれませんでした。いずれは近代史のことも書くつもりですが、本気で書くのは会社をリタイアしてからのつもりです。

蠅皇子@ヤシマ作戦さん、ご指摘の通りだと思います。
コメントの「鎌倉の中期にはそんな古風な戦闘は廃れていて、それを嘆く文章が残っています」というのは興味があります。もしご存知でしたら、誰がどこに書いているかをご教示ください。
>しばやんさん

資料は、書籍を昔読んだのを覚えているので、蔵書のどこにあるのか……段ボールの中で見つけるのは宝探しのようになります。済みません。
確か、当時の武士の日記からの引用だと思います。武士達の戦闘方法の変化を書いた本です。

暴風雨で元軍が壊滅するのは、彼らがまともに上陸できていないためですね。
上陸する度に撃退されるので、洋上待機となってしまうのです。

私の読んだ歴史書では、日本の刀と元の刀では、日本刀の方が軽くて頑丈だったので、白兵戦では圧倒的だったそうです。
蠅皇子@ヤシマ作戦さん

もし見つかったら教えてくださいね。

敵軍がまともに上陸できていないから暴風雨で壊滅することになりましたが、洋上での待機が長すぎるという議論があり、天然痘か何かが東路軍に蔓延していたのではないかという議論もあります。事実「高麗史」金方慶伝には「…軍中、また大疫あり、死者(戦死も含めて)凡そ三千余人。」と書かれています。

船の上ではビタミンの摂取が困難ですから天然痘や脚気などに罹ってかなりの死者が出たことは間違いがないと思います。

しかし、このことも、日本の武士たちが安易に上陸を許さなかったから起こったことで、日本軍が神の力で勝利したと考えるのは、奮闘した武士に対して失礼だと思っています。
ビタミン不足は、大航海時代もありましたね。
(ヨーロッパの話ですが)
わるべさん、その通りです。

ビタミン不足で病人を抱えた軍隊で世界を征服して行ったのですから、多くの国は日本の様には抵抗しなかったのかもしれませんね。
>>9

僕が読んだ本では日本刀は頑丈だが細すぎ、幅太のモンゴルの刀と激突した場合に折れることも多かった。なのでそれ以降の日本刀はやや太くなったとききました…。

どっちが本当なのかな?

>>12

上陸して野菜や果物を摂取してビタミン不足を回復させてから、元気いっぱいで侵略開始したのかな?変な話、草からでもビタミンとれますよね…。
>京極 みやびさん

大和民族は海洋民族ですよ。
神武東征は船で行われました。
しかし、河内の海で弓兵に撃退されて山から迂回します。

実はこの長弓にしても、海洋民族しか持たないものなのです。
騎馬民族の弓はみな短いものです。
日本の大弓に匹敵するのはギリシアの長弓。
彼らも海洋民族でした。

天孫降臨にしても、船で日本にやってきているじゃないですか。

記紀神話は戦後徹底的に否定されましたが、大きな歴史の流れや
文化を知る上では、充分に価値のある歴史書なのです。
(もちろん歴史時代以降は一級資料ですし)
多くのの書き込みありがとうございます。

>京極 みやびさん
コメント頂き有難うございます
斉明天皇についてはよく知らないので、質問には答えられません。
日本書紀の記述については、私も同じ考え方です。

>シーサイド・タカさん
日本刀の事はよくわかりません。ビタミンの件については、ビタミンが発見されたのは20世紀になってからの話です。一部の国で経験的に野菜が必要だと言うことが言われ出したのも18世紀のことです。

このビタミン不足で、多くの病死者が軍隊で出ています。
日清戦争における総死者数13,249人、うち陸軍12,989人、海軍260人ということになっています。そんなに壮絶な戦いがあったのかと思うと、事実は全く異なります。陸軍の死者数のうち戦死者は1、904人、残りの11,345の死因は病死です。しかもそのほとんどが「脚気」によるものとされています。

蠅皇子@ヤシマ作戦さん
海洋民族と騎馬民族の弓の長さの違いの指摘、ありがとうございました。
戦死者の10倍が病死ですか!

確かルイスフロイスの日本史でも秀吉の朝鮮出兵でも、
渡海した兵士の1/3が死んだけど、
戦闘ではなく病気だったと書かれていたような。
確か伊達政宗も母への手紙で、
「多くの兵士が水があわず死んでゆく…」と書いていましたね。
(うろおぼえですが)
最近放送されたある番組で
あるアメリカ人が
「太平洋戦争の時、日本人は中国人を1000万人殺した」
なんて、訳のわからないことを言ってましたね。
根拠等、提示はされませんでしたけど。
> シーサイド・タカさん

鍔競り合いになる前に、スピードと軽さに優れる日本の刀の方が先に敵を斬れたそうです。
しかも元は、海を渡ってきたので軽装の為に、日本刀の方が接近すれば、圧倒的に有利だったみたいです。
また、得意の騎馬戦術も、馬が不慣れな海を渡ったばかりで元気がなく、それも幸いしたそうです。
鎧で防御固めて、スピード速いけど切れ味のある日本刀ふりまわす鎌倉武士と、
軽装で重い刀をふりまわすモンゴル軍が戦った場合、
そりゃ先に切る日本人のが勝ちますわなあ。
 元寇ってなんか来襲してから数日で「神風」がやってきたようなイメージがありますが、実際は日本武士団は数ヶ月にわたって元軍の上陸を阻止し続けたんですよね。
 そんだけ元軍が海上でもたもたしてたら(させてたら)、その間に必ず一回や二回暴風雨がきます。ロシアの冬将軍と同じで偶然でもなんでもないですね。
 そういう状況を作り出した日本武士団をたたえるべきでしょう。
当時の日本の合戦では、すでに一騎打ちは古くなっており(臨んだ強者もいたでしょうが)
まずは弓合戦から戦いは始まります。
その点日本の長弓は、モンゴルの短弓より射程距離が優れています。
ですから、鎌倉武士は接近戦に入る前に、アウトレンジから何度も攻撃が可能だったのです。

一般兵は、アウトレンジから攻撃されるのを極端に嫌い、士気も落ちます。
また日本の大鎧は、弓攻撃を防ぐように出来ています。
モンゴル兵は自軍の弓矢があまり効かず、友軍が接近する前に次々に倒れるのを見ているはずです。
これも一般兵の士気を著しく低下させるものです。

そうしたわけで、白兵戦となる前に、日本は緒戦を有利に進めることが出来たはずです。
数さえ極端な差でなければ。

さらに高麗兵はもちろんのこと、モンゴル兵も、武士のような命知らずの強兵と戦う経験は
そうそうなかったと思われます。
それに当時の日本刀は怖ろしく切れる。

さしもの元も、敵が悪かったとしか言いようがないでしょう。

そもそも元軍の士気は高かったのでしょうか?

蒙古軍(モンゴル)
高麗軍(朝鮮)
江南軍(中国)

とまぜこぜの軍ですが、やる気なかったのかなって。
> 蠅皇子@ヤシマ作戦さん
なるほど、長弓と短弓は知りませんでしたが、確かに馬上から撃つ元は、短弓ですね。
確かに飛距離と破壊力は長弓のほうがありますし、確かに距離を置いても、日本の方が有利だったでしょうね。
モンゴルも中国も朝鮮も結局大陸だから、いわゆる海からの上陸作戦っていうのに不慣れだったんじゃないかな?

逆に日本は島国だから日頃から水際作戦については、かなり戦略研究が進んでいたのかも知れませんね。
文永の役は元にとって様子見程度にすぎません。兵力は約3万で、弘安の役は約14万ですから。

弘安の役の時にはだいぶ沿岸の防衛体制も整えられていたこともあり、元軍が上陸に手をこまねいている間に台風がきたのは事実みたいですが。
モンゴル軍の強さの要因は、

 ? 騎馬民族の特性を生かした機動力。
 ? 馬を生かした情報伝達の素早さ。
 ? 両手を離して馬に乗れる特長を生かして疾走しながら弓を撃てる。
 ? 勇猛果敢な民族性

 なのですが、海を渡って日本に攻め込む時点で、???の強さの要因が消されてしまいますね。
 海を渡る以上は、海に落ちたときのことを考えて軽装になりますが、長弓、刀の絶好の餌食になってしまいます。
 
 また、大帝国を築き上げてきた国の特徴として、支配した国を統合し、自分達の配下にしますが、高麗では、日本に攻め込む基地として、森林をかなり伐採され、多くの王族が殺されただけに、高麗軍と元のつながりは弱かったみたいです。
 大陸を舞台にして、巨大な敵に立ち向かうには、やはりモンゴル軍は歴史上最強の軍団でしょうが、やはり海を渡るのには弱かったみたいです。
 事実、東南アジアの国で、もうひとつベトナムを落せなかったのですが、ベトナムへ攻め込むのに、海からいった……というのです。(地上からは密林が多くて、難しかったそうです)
 やはり水軍は弱かったみたいです、モンゴル軍は。
実際、鎌倉武士は良く戦ったろうし元軍の士気も基本的に低かったんでしょうが、最初の元寇である文永の役に関してはそれなりに苦戦もしたんじゃないでしょうかね。
だからこそ弐度目の弘安の役ではきちんと事前準備もやっていたし、こちらは確かに互角以上の戦いであったと思われます。

神風に関しては、時期からすると文永の役は11月ですので少なくとも台風が来る地は考え辛いですが、弘安の役は時期的にも十分あり得ますし高麗の資料からも暴風雨が元軍に大きな打撃(撤退している時かもですが)を与えたのは事実なのではないでしょうか?
ただ、暴風雨が元軍を退ける直接の要因ではなく、そこはやはり鎌倉武士の奮戦が大きかったとは思います。後は、向こうさんの事情もあるでしょうし。

また、元寇の勝因を神風に求める様になったのは戦後のGHQによる政策などでは無く、明治以降に「日本は神風に守られている神国である」と言う感じで、武士による功績では無く神仏、ひいては天皇の権威を高める為にこの話を利用したという側面の方が強かったんじゃないですかね?
>>うーやんさんへ

実はモンゴルはタイも攻めてますよね。
タイの人にきいたのですが、
川を挟んで対峙してタイ側が奮戦。
ついに敗退させたとか。

やっぱ水が天敵だったのかも?
> シーサイド・タカさん

すいません、ぐぐったらベトナムじゃなく、シャム王国(タイ)でした。

タイは、河口から来た水軍相手に水底に杭を何千本と干潮の時に打ち込み、満潮の時に来た敵をそこに誘い込み足止めして、再び干潮になり、船底が杭に当たり動きを止めて逆襲し、撃退したそうです。
タイも兵は精強でしたからね。
>>うーやんさんへ

タイでしたか!
とはいえベトナムと国境が隣接しているので、
ベトナムの人たちも戦ったろうとは思いますが…。

不思議なのは高麗はモンゴルに対して徹底抗戦し、
11年も山にこもってゲリラ戦をしかけた人たちもいましたよね。
なんか島にこもって義勇軍を結成し、
日本と連携して蒙古撃退を画策した猛者もいるとか。

そんだけ精強だった民族が、
秀吉の朝鮮出兵時には一方的にやられただけって、
かなり不思議な感じがしますよね…。
国民性が数百年の間に激変したのでしょうか?
>シーサイド・タカさん

李王朝の時代、朝鮮の国力はおそらく高麗の時代より劣化しているのではないでしょうか。
山林はすでにはげ山が多かったそうで、雨の少ない寒冷な朝鮮半島で、農地の拡大や伐採を行うと
急激に森林資源を失うのです。
伐採は農地のためだけでなく、寒冷な朝鮮での燃料、陶磁器製作、鉄器製作に莫大な木材が消費されます。
伐採が進むと山の力が失われ、耕作地の土地がやせ、農業が衰退し、生産力が低下します。
つまり国力の低下に直結するのです。

朝鮮は歴代北方から侵入した部族が立てた収奪王朝なので、民に対しても自然に対してもそうした収奪的態度が強いわけです。

日本人はあまり想像しづらいのですが、支那でも欧州でも、そうした侵略者による略奪王朝が多く、民と支配者層の民族が違うということは、ごくありふれたことなのです。

朝鮮では当時国内の統率も乱れており、秀吉側についた人々も多くいたそうです。
これは李王朝の支配体制が、そういった過酷なものであったという裏付けにもなります。
>>35

てことは秀吉出兵が成功したら、半島を支配する異民族が、
明から日本にチェンジしただけってことですか?
(もちろんそんな単純ではないでしょうが、考え方として)
>シーサイド・タカさん

一応李王朝は明に封じられた国ですが、直接支配は李王朝であると思いますよ。
李王朝は、もともと女真族の出自ともされていますが、はっきりしていないようです。
李氏に倒される高麗も、貴族達は元の支配以降、モンゴル人との混血がかなり進んでいきます。

この辺の歴史は韓国が大和民族のように朝鮮民族が脈々と続いていて、民と王朝が同一民族と考えさせたいようですので、資料が錯綜しているようです。
高麗も、もともとは満州とかツングースの系統とされますしね。

朝鮮半島に古代王朝を築いていた韓人は、李氏とは違う民族です。そうした古代人の末裔が、北方から何度も侵干を受けて、やがて混血してゆき、今の朝鮮人となっているのでしょう。

蛇足ですが、済州島は元の時代、モンゴル人の直轄領で、その血脈は半島よりもモンゴル系が強いそうです。
日本が元にもう少しやられていたら、対馬や隠岐島もそうなっていたかも知れませんね。
>>ヤシマさんへ

ハングル語と日本語って文法が似てるそうなんですよね。
なので日本語学校に通う中国人・モンゴル人・韓国人といたら、
ぶっちぎりで韓国人が習得が早いのだとかw

文法が似てるってことは、ルーツがかぶってると考えてよさそうですね。
>シーサイド・タカさん

朝鮮語と日本語の共通性は長年研究されてきました。かつては日本語と朝鮮語は近いということで、日本の王朝は大陸の騎馬民族が打ち立てたのではという説もありました。
しかし、最近の研究では、朝鮮語と日本語では明らかに別言語で、ルーツは遠いであろうというのが言われています。

文法は、ウラル・アルタイル語族という、シルクロードにまたがる諸民族の言語と共通なのですが、それだけでルーツが同じとは言えないのです。文法はありふれたスタイルのひとつに過ぎないのです。
言語の親戚関係は、共通の語彙がどれだけあるかというのが重要になってきます。
琉球語と日本語はそうした考え方では明らかに親戚で、しかもそれほど昔に分かれた言語では無いという計測も可能とされています。(新しくとも奈良時代くらいに日本語と琉球語は分岐しているそうです)

結局日本語はウラル・アルタイル語族には入らないのではないかともいわれています。それだけ日本語が古くから多言語から独立して発達したものだということなのです。

言語学会からは、まだ認められていませんが、インド南部のドラヴィダ語の古語と、日本語の古語が若干ながら共通語彙を持っているという説があります。
実際日本人の祖先の半分といえる縄文人である古モンゴロイドは、インド東岸辺りをルーツにして、現在日本とチベットにしかその遺伝子を残していません。

なお、現代朝鮮語には日本から近代になって輸入された言葉があるので、そうしたものは除外されます。古語でどれだけ共通があるかが重要になります。
それからハングル、とは日本語でいえば、ひらがな、というようなものなので、言語ではありません。

トピずれ失礼しました。

>>言語学会からは、まだ認められていませんが、インド南部のドラヴィダ語の古語と、日本語の古語が若干ながら共通語彙を持っているという説があります。
>>実際日本人の祖先の半分といえる縄文人である古モンゴロイドは、インド東岸辺りをルーツにして、現在日本とチベットにしかその遺伝子を残していません。

ちょっと待った。
そのドラヴィダ語の文法はウラル・アルタイル系と似てるのでしょうか?

僕が一瞬、不可解に思ったのは、
文法がウラル系で語彙は非ウラル系って、そんなことあるのかなって。
>シーサイド・タカさん

ドラヴィダ語の文法は、ウラル・アルタイル語と同系統です。
同じように膠着語にも分類されます。

http://bit.ly/pdBUb7

こちらのクレオールタミル語説を読んでみてください。
タミル語は最も古ドラヴィダ語の系譜を残した言語です。
タミル語を大学で研究していた友人も、日本語と似ていると言っておりました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90#.E3.81.93.E3.82.8C.E3.81.BE.E3.81.A7.E3.81.AB.E5.94.B1.E3.81.88.E3.82.89.E3.82.8C.E3.81.9F.E4.B8.BB.E8.A6.81.E3.81.AA.E5.AD.A6.E8.AA.AC

↑ついでにココも見ましたが、批判は多いみたいですが、非常に興味深い説だなあ…。
つまり日本語は文法的には広範囲で汎用的(?)なウラルアルタイ系だけど、
語義や発音構造はクレオールタミルと酷似ってことですよね?
発音構造が告示ってのが特に気になりますね…。

>>実際日本人の祖先の半分といえる縄文人である古モンゴロイドは、インド東岸辺りをルーツにして、現在日本とチベットにしかその遺伝子を残していません。

↑これもふくめて、日本みたいな極東の島国やチベットみたいな高地、
つまりそのー「僻地」だからこそ残ってしまった特徴を有するわけですよね?

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