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日本史 異説!逆説!こぼれ話?コミュの武将の名前

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もみじ通字の例もみじ
ex.徳川家『家康、家光、家綱、家宣、家継、家重、家治、家斉、家慶』
                              の『家』
ex.北条氏『時政、義時、泰時、経時、時頼、長時、時宗、貞時、師時』
                              の『時』



もみじ偏諱(へんき)授与の例もみじ
主君から家臣へ名前の一字を授与する風習

ex.織田信『長!』→浅井『長!』政
ex.今川義『元!』→松平『元!』康(徳川家康)



もみじ百官名、東百官(あずまひゃっかん)の例もみじ

織田『弾正忠』信長、内田『信濃守』正偏
浅野『内匠頭(たくみのかみ)』長矩、福島『左衛門太夫』正則
高力『左近太夫』高長、高坂『弾正』昌信
柴田『修理亮(しゅりのすけ)』勝家、明智『十兵衛』光秀 etc...

などなど、律令国家からの風習を真似した武将や、『こんな偏諱授与の事例がある。』、『通字にはこんな例がある。』など、『名前に関するトリビア』なんかもあればお願いします!

コメント(36)

柴田勝家の『柴』と
丹羽長秀の『羽』で
羽柴とか?
弁丸さん!

すごい深い話ですねグッド(上向き矢印)
こういうの待ってました笑
真田幸村はそのまま本名だとばかり思ってましたあせあせ(飛び散る汗)

ゲンシンさん

確かにその例もありました!
おもしろいですよねるんるん
一字を授与するのも、先につけるか後につけるか、で法則というか決まりがあったのかな。
そういえば源九郎義経は
父の『義』朝
遠祖の『経』基王
から勝手に組み合わせて名乗ったので
兄の頼朝が内心 不興を覚え 
後に追捕されると即座に名を奪われ
すぐに見つかり捕縛されるように「義顕」にされたらしい
>常駐3号さん
基本的には名前の下の文字を貰って、その貰った文字を上にして名前をつけます。
上下関係を名前の文字の上下で表すのも偏諱の重要な役割なんです。
例えば、水戸黄門として知られる徳川光圀は将軍家の徳川家光の下の文字「光」を名前の頭に戴いて光圀とした、という具合です。
ただし、この法則も厳密なものではなく、一種の慣習であり、特にこの慣習が一般化する前の鎌倉時代などには例外も結構あります。

>ゲンシンさん
織田家中における柴田家と丹羽家では柴田家の方が格上ですので、格下である丹羽の更に下の文字である「羽」を格上野柴田の上の文字「柴」の上に持ってくることは普通は考えられません。
秀吉が柴田秀勝が嫌いであえてそうした可能性もありますが、その場合でもあえてそれを公言すれば新発田への侮辱となりますので、(秀吉の心の中ではどうだか知らないが)公式的には羽柴という苗字は丹羽・柴田両氏とは無関係という事になっていると思います
>ブレイブさま
なるほど、どうもです。
で、部下に与える場合、血縁関係がある場合、官位のように引きつぐ場合、などいろいろなケースがあるので、そういうのがどうなってるのかなってね。

羽柴ですけど、井沢は柴田、丹羽とは無関係で低層職業の芝拾いからの「端芝」だろう、という説を出してますね。
しかし、常識ではありえない順番で「羽柴」という字を採用したのは、やっぱり秀吉がなんらかの理由をつけて、二人の先輩をたてたのでしょうか。
で、ないとわざわざこの発音、この漢字を持ってきたのがうまく説明できない気がします。
>11
オレも同意見です
「二人足して秀吉と同じくらいだぎゃ」
みたいな感じかと
なので羽と柴の順番はたんなる語呂合わせかと
(しばは、よりも、はしばのほうが聞こえがいいかと)
真田信幸と幸村

確か
信幸の幼名が源三郎

幸村の幼名が源二郎。

実は、信幸が次男で、幸村が長男だったら?

私の好きな「もしも」
>夢さん
まぁなんの確証もないたんなる思い込みですけどねあせあせ
でもありえるかなと…
>12 かず@川崎 さん

確かに・・・


もみじ武田氏一門の家臣には『昌』が多い・・・ もみじ

原『昌』俊
真田『昌』幸
高坂『昌』信
内藤『昌』豊
山県『昌』景
土屋『昌』次
荻原『昌』勝
飯富虎『昌』
小山田『昌』辰



こやって並べてみると「なんかあるっ!」って思っちゃいますね。

でもいったいどうしてか??

自分でも調べてみようと思いますけど、知っている方に是非教えてもらいたいですねもみじ
家臣に偏諱を与える際に、将軍から偏諱を受けた「晴」の字をあげるわけにもいかないので、祖父の武田信昌の「昌」の字を与えた。
という話を聞いたことが d(・・)
>19 まっちゃさん

もみじその説が有力ですねもみじ

『信』−武田家の『通字』なので授与できない
『縄』−縄信が病弱であった為に縁起が悪い
『虎』−晴信(信玄)に国外追放の憂き目に合っている
『晴』−室町幕府12代将軍からの授与であり、これも授与は不可

となると

遡ることで信『昌』に行き着く。

書籍には見当たりませんが、ネット上ではその例が散見されました。

>18記の他
もみじ武田家の家臣で『昌』を用いた武将がいましたので紹介しますもみじ

原『昌』胤
相木『昌』朝
真田『昌』輝
小幡『昌』盛
甘利『昌』忠
秋山『昌』詮
逸見『昌』経
馬場『昌』房
高坂『昌』定
高坂『昌』国

武田に仕えた、その「子」も含めるとキリなく出てきましたあせあせ(飛び散る汗)

武田家の求心力が見えてくる事例ですね。
あかんべぇ、というのは、少しでも疑われたらいきなり殺されるのが戦国時代、いかにも平和な今の発想すぎるでしょうか。

光秀の乱さえ起きなければ、猿は猿、あのまま人生を終えていたことでしょう。
という前提で考慮すると、羽柴、というのはそれなりに戦国の世の興味深いテーマの一つではあります。

話題がそれて申し訳ないですが。

で、家臣が名前をもらうというのは、ものすご〜〜〜く重要な意味があるのですよね。当然ですが。
なので、武田家のみならず、他家でもそういう例は多いですね。
つまり、謀反なんか起こしたら、反逆、というのが一生ついて回る、という。
その場では勝っても、あんたの一族は一生「裏切り者」という汚名がつくのだぞ、というね。

このあたりはなかなか面白いところで。
『昌』について

もみじ武田信玄のコミュニティで多くの情報を頂きましたもみじ
さすがですね・・・すごいですあせあせ

かなり詳しい方がいらしゃって、こちらを見るともっとよくわかります。
            ↓        ↓

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=40496204&comment_count=6&comm_id=77578

>21常駐3号さん
他の家の家臣も具体的に調べると面白そうですねもみじ
>23夢さま
あ〜、ごめんなさい・・全然非難とかそういうつもりはありませんよ。
誤解を招いたら申し訳ない。
で、秀吉に関してはタラレバが面白いですよね。
変を誘導というか、危機管理的な意味合いで想定内にあった、というようにも解釈しています。
でないと、直後の行動がどうも適確、迅速、完璧すぎるような気がして。
もちろんそこから、「黒幕説」みたいなのにつながってしまうのですけどネ。
このあたりはスレチになってしまいますか・・

>>22フルカズさま
調べたらおもしろいでしょうね。
この時代は例えば長男次男とか言っても本当にそうなのかはなかなか判断が難しい。
かの信長でさえはっきりしない点が多々あるぐらい。
なので、名前を確認することによって、逆にそういう疑問が出てきたり解決したり。そういう点につなげたりすると面白いと思ってたりもします。
羽柴、の話題も興味津々ですが、「豊臣」という天皇賜姓についてもそういうのはいっぱいあります。

例えば本来は「とよとみ・の・ひでよし」と「の」を入れるべき、という説もあります。
教科書なんかはこちらを採用したほうがより正確なんでしょうが、どうしてそうなってないのか、とかね。
秀吉は家中筆頭の柴田とは度々衝突していますから、家中で孤立しないためにも譜代家臣の丹羽とは特に昵懇にしていました。

信長の死後も丹羽には100万石以上の領地を与えているので、羽柴は「柴田殿よりも丹羽殿の方が器量は上」という丹羽に対しての誠意の表現ではないでしょうか?
でしょうね。
具体的には清洲会議で自分に味方してくれたこと、その後シズガダケでも味方に回ってくれたことへの、直接的なお返しでしょうか。
ただ、秀吉から見ると丹羽家というのは主君のナンバー2であり、とっても頭の上がらない相手、それに領地を与えるということになったわけですから、このあたりの立場の入れ替わりというのはなんともすごいものがありますネ。
>>28ニッタマンさま
でしょうね〜。
与えた方からみると、名誉でもあるし一生わが家に仕えよ、って意味でしょうし、もらう方も、一生家臣としては安泰上位にいられる、という保険でもありますしね。
ちなみに、名前をもらった武将の奥さんとか調べると面白いかもしれませんね。
名前のみでもなく血統縁組をするというのも重要な手段でしょうから。

ちなみに朝廷が下賜した名前を堂々と断ったのが、足利将軍の中にいます。
信長の前に「天魔」と言われたすげぇやつ、なんですよね。
もみじ室町幕府将軍もみじ
足利家の通字は『義』


足利尊氏 『室町幕府開く』
足利義詮 『南朝と戦う』
足利義満 『南北朝統一、日明貿易はじめる、北山文化、金閣寺』
足利義持 『日明貿易中止』
足利義量 『19歳で死亡』
足利義教 『くじ引きで将軍になる、謀殺』
足利義勝 『10歳で死亡』
足利義政 『応仁の乱のきっかけになる、東山文化、銀閣寺』
足利義尚 『25歳で死亡』
足利義稙
足利義澄 『10代将軍義稙に京都を終われる』
足利義晴 『守護の細川氏、三好氏と対立』
足利義輝 『剣豪の将軍、松永久秀に殺される』
足利義栄 『三好三人衆によって擁立される』
足利義昭 『信長の力で入京し、後に信長と対立。最後の将軍』

最初の尊氏以外はみんな義。

>29常駐3号 さん

の「朝廷が下賜した名前を堂々と断った」将軍とは・・・?
誰なんですかー!!?
うわ〜、これは素晴らしいまとめだ。

で、簡単ですけど当時の称光天皇が命名した「義宣」「よしのぶ」を「世をしのぶ」に通じる、と言って改名申し出た、というのが朝廷側の言い分です、つまり現在評価が低いのはそういう解釈もありますネ。
秀吉に先駆けること150年、四国平定、九州統一、関東制圧、南朝殲滅、宗教界統一、と未曾有の天下統一を果たした将軍です。
さて誰でしょう、とひっぱってみる。
武将ではないですけれど、天皇家の通字は『仁(ひと)』
醍醐天皇からずっと
楽しそうなトピなんで思わず飛び付いてカキカキ(笑)

常駐3号さん〉答えはたぶん足利高尊ではありませんか〜?

って書いちゃって良かったのかな…?
>>33 読めません・・

は・ず・れ。
信長の150年前に比叡山攻撃までしてます。
最後の変での死に方まで信長そっくり。
さて、誰・か・な。
3代将軍足利義満の3男

もみじ足利 義教(よしのり)かな?もみじ
ウィキペディアの比叡山、延暦寺との抗争が書かれている中で「しかし、管領の誓紙が差し出されたために4人が出頭したところ、彼らは捕らえられて首をはねられた。これを聞いた延暦寺の山徒は激昂し、抗議のため根本中堂に火をかけ、24人の山徒が焼身自殺した。」とありました。
義教自身が火をつけたようには書いてないですね・・・

             ウィキペディア
             ↓     ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%95%99


です〜、お相手して下さいまして感謝です〜。

ウィキはあまり信用なりませんがそれはともかく、義教と信長はとても似ていると思いませんか。
挙げた以外にも、東大寺切り取り、など信長のほうが意識した行動すらあります。肖像すらそっくりですよネ。

さて、名前に戻して、有名な坂本竜馬の本名はご存知ですか?
あ、武将じゃないか・・

あとはね〜、「宮本村のタケゾウ」のように苗字と言うのは出身地、住居地を指すわけです。
そうでないのが、姓、なわけで、他にも現代に伝わるいろいろ面白いのがありますよね。
そして、下の名前、というのもまさに時代を表します。

今は、海外風の名前が多くて驚きますがね〜。

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