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日本史 異説!逆説!こぼれ話?コミュの歴史上の人物!あの人は今!?

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石田三成のトピックを読んでいて思ったのですが、
歴史上の人物は、今も子孫の方がいらっしゃるんでしょうか?
もちろん、お家断絶な人もいるでしょうが。

私はフィギアスケートの織田信成さんが出てきて、
素直に「うわぁ信長の子孫ってまだ残ってたんだ!」
って驚いた無知な人なので・・・

そこで歴史上の人物のご子孫の方々にはこんな方がいますよ。
みたいなのがあったら教えていただけないでしょうか?

コメント(188)

>ジャムさん


遅くなって、すみません。
三浦一族でいらっしゃるんですね。
僕は20年前に大船に住み、その数年後から藤沢に住んでいるものですから、
鎌倉幕府所以のところは各所を回っております。
三浦一族の支族の方だと、辻堂(大庭)にお住まいの方を知っております。
ご本人は歴史にまったく無頓着でしたよ。
「面倒くさい親戚付き合いは主に親が相手にしているし、私からすれば
友達に比べ、お年玉が集まりやすくて良かった。」と言ってたな。

・・・そういえば、僕も小学校4年くらいからは総額10万円を切ることはなかったな。
高校時代は、初任給よりも全然多かったし。
進学祝いとか考えると、250万円のローンもトントンなのかも。


私の家は分家の方でして、本家とのお付き合いと、分家として小大名をやって
おりましたので、そちらの冠婚葬祭ごとが主な労役(時間・金)です。
本家の方は相当な資産を持っていて財団のような組織もあるため、
年間数億円の出費(収入・資産運用で主に賄う)も問題ないようです。
本当にうらやましい。
関係ないんですけど、うちの母方の実家によくわからない巻物があります。一度見たのですが、虫食いだらけで全部は読めないのですが「千姫」「家康」「秀頼」だのと有名人の名前が色々書いてありました。個人的には興奮してなんじゃこりゃって思ったのですが、あれはなんなんでしょう。ばあちゃんたちもよくわかってませんし、聞くところによるとどこかの大学の偉いさんとかもが調べに来たけど結局わからず・・らしいです。宮崎のド田舎なんで名前がでてくる人たちの子孫とも考えられませんし・・・家紋も違います。なんかの物語とかなのかな。
悪意では無いですが…
家系図を偽造して売る仕事もあったらしいので…

血統という因習から逃れたのか乗ったのか…
秀吉は神の子発言しました

でも…やっぱり…
歴史上の人物に憧れます
子孫の人…
羨ましいです…

>148
「御花」って、私も何度となく利用させてもらったことがある有名な所で、
7000坪の土地に日本庭園(松濤園)や建物(明治期の洋館もあります)、
和食(鰻のせいろ蒸しが有名)などを楽しめるところです。
2回宿泊もしましたが、たいしたものです。 あー、また行きたいな、と。
あれだけの場所って、国内にそうないと思います。
近くにある柳川城も、立派なものです。

柳川蘊蓄ですが、立花氏が治める前は蒲池氏が長年治めていました。
この蒲池氏の一家が、松田聖子(蒲池法子)の実家で、この家は立花宗茂の
正室の菩提寺の住職であり、立花氏の家老格でもありました。家老"格"なのは、
立花氏にとって蒲池氏が決して家臣扱いに出来ない家格だからです。
蒲池氏の歴史はかなり古いようで、出自も良くわかっていないようです。
学習院大で、調べているようですが。
蒲池氏は驚くほど文化人を排出しているので、調べると面白いですよ。
故・坂井泉水もこの地区出身の蒲池姓の人ですが、蒲池一族なのかは不明です。
明治期に名前が出る大木喬任も蒲池一族です。
この一族には著名人が多いので、キリないですね。


>141,142


15年ほど前に、真田家の方から伺ったので、おおかた間違った話じゃないと
思いますし、キチガイという表現が気になるので一筆啓上。


真田信直が沼田藩主になるとき、上野国沼田は正式には松代藩でした。
まず信直はこの松代藩主の座を先代の子(信房だったと思いますが、)と
争うこととなるのですが、結局は松代藩主にはなれませんでした。
このとき、信直が松代藩主になった時の幕府への届け出書は既に用意されていた
ようで、この書類が松代と沼田を合わせた15万石で作成されたようです。

大きな間違いは、この15万石で表記された書類が、沼田藩(実質、5万石程度)の
設立時の届出書として幕府に提出されてしまい、後々の沼田藩真田家の地獄に
繋がっていったようです。
この間違いから起きたその後の不幸を以て、キチガイとするのかどうか。

ですから、元々は信州松代の沼田領を信州沼田と間違えて伝わっていたり、
記憶してしまったこともあり得るんじゃないでしょうか?

僕自身も、住んだことがない土地出身だと思われていることが普通ですしね。



意外と知られてないけど、

今の天皇は、織田信秀の子孫であり、浅井長政の子孫であり、お市の方の子孫であり、大政所の子孫なんですよね。

大政所の長女のともの子である羽柴秀勝が浅井長政の三女のお江の方と結婚し(徳川秀忠と結婚するのは、死別後)、その間に完子という娘を儲けました。
その娘が九条家に嫁ぎ、その子孫の貞明皇后(九条家の出)が大正天皇と結婚し、昭和天皇他3男児を生み、今に至っています。
> 千佳さん

バナちゃん、とはわーい(嬉しい顔)

どうやらお住まいは近いようですから、
一度、行く機会を作ってもらったらいかがですか?

で、「バナちゃん、ご馳走してよ」と甘えてみるのはアリ?
千佳さん

こんにちは。

福岡県出身のわたしの母の実家の本家には、
「ばなちゃん」(笑)のご先祖さまより拝領の刀が家宝として伝わっています!
小さい時から「柳川の殿さま」と聞かされていたお方のご子孫が「ばなちゃん」でびっくりですうれしい顔
柳川藩の歴史などもっとくわしく知りたいのですが、ネットで検索してもgoHawaiiさんも触れてらっしゃる蒲地家のことぐらいしかでてこないんです。マイナーな藩なので、ここに名前が出てきてすっごくうれしくなっちゃいました。
ありがとうございました!
> 大きい頭蓋骨さん

柳川には、先の御花にある資料館の他にも、
北原白秋の生家にある資料館や歴史古文書資料館
(正式な名称は忘れました)があり、そこで柳川の昔を知る限りは、柳川ハンは
治政良く、後世の人が興味を持つような騒動も無く、
穏やかな世情の中で文化的にも熟していた様子ながら
肥後や薩摩のように金をかけて何かを残したわけでも
ないため、ネットに情報が少ないのかも知れませんね。



goHawaiiさん

情報ありがとうございます!
柳川へは小さい時に一度行ったきりなので、
また訪ねてみたいと思います。

マイナーな出版社から、
幕末の柳川藩の家老を主人公にした小説も出てるそうなんで、
ぜひ読もうと思っています。ただしマイナーなだけに、
近所の本屋さんでというわけにはいかず、
ちょっと入手に手間取りそうですあせあせ
小説の主人公は立花姓なので殿様の一族で、
筆頭家老なのでしょうか。

余談ですが、母は高校生の時に、元家老の別荘という古い家にしばらく居候していたことがあるそうです。夫に先立たれて、当時そこに一人で暮らしていた大叔母に行儀見習いのようなかたちでの居候だったようです。井戸の水がそれはきれいでおいしかったそうですが、その後土砂崩れで埋まってしまったのを今も惜しんでいます。

母の実家は家格もそう高くなかったので、お墓や家を守るのも気楽なものです。
立派なお家の方はたいへんですね。
私の親友 平家の末裔で、一緒に占いに行っても念がすごいと絶対言われてます。
須磨の源氏の首塚の近くに住んでいた時は深夜に武将の格好した幽霊に殺されかけたらしいです
> コースケさん
今更ですが..
シーボルト大好きなんで凄い羨ましいです><



知り合いにいるとかって話じゃないんですが、和田の末裔っているんですかね..
私は和田合戦でお家断絶したのかと思っていたのですが、先日鎌倉の和田塚に初めて行った時、割れた石版のようなものに子孫云々と書いてあり気になりました…
時間ができたらちゃんと調べてみるつもりですが..
何分あまりメジャーじゃないので書籍もなさそう..
>165

和田義盛の直系は耐えたはずですが、近縁の三浦一族が様々な姓を名乗って土着してますから、そのうちの誰かが和田義盛の祭祀を継承していても不思議ではないですね。
なにせ、三浦半島の地のヒトたちは、縄文時代からずっとその土地にいるようなヒトたちですから、血縁は探せばいくらでもでて来ますから。
はじめまして。

大変面白いですね。

私の同級生に「三浦」と言う苗字の女性がおりますが、彼女も三浦一族の子孫だと言っておりました。

家紋も同じでした。

結構、身近にも歴史上の有名人の子孫の方はいるようです。
面白いといえば、三浦一族の本拠地である横須賀市の衣笠には、雑賀姓が異常に多いそうです。
紀州雑賀の一族が戦国末期に移住して来たそうですが、家族単位で逃亡して来たのであって、いわゆる転封ではありません。
縁者を頼って来たと思われますから、それ以前から交流があったと見るべきでしょう。
伊豆や房総とは海の道を通じて盛んに交流していた三浦一族ですが、範囲はもっと広く、上方とも黒潮ルートで緊密な関係が築かれていたのかもしれません。
我が家に代々伝わる家系図を見ると清和天皇と源融と書かれています。私は小さい頃に祖父母から『うちのご先祖様は嵯峨天皇だ』と教えられてました。そのため、本家としての行事の手順・決まりを小さい頃に教え込まれていました

本当かはわかりませんが、家系図では私の先祖は清和天皇らしいです。
> 166 おじゃまスルメの介さん

おおお!なるほど、そうなんですか!
とても勉強になりました(*^^)
ありがとうございます!
将来詳しく調べてみたいです(*^ω^)
母方の性が「伴(ばん)」と言いまして、いわゆる平家の落人の直系です。
元は「平の某」だったそうですが、
源平合戦の後に源氏の追及を交わすために、
母方の姓である「伴」を名乗ったそうです。

ちなみに栃木県湯西川温泉にある、平家落人の宿で有名な『伴久旅館』さん。
こちらとは本家と分家の間柄です。
伴久さんは代々当主が伴久兵衛、母方の当主は伴九兵衛を名乗っています。
江戸初期に湯西川の本家から分かれた後は福島県の白河に移り住み、
曽祖父の代に東京に出てきました。
未だに白河の神社には県の文化財の甲冑やら文献やらあるそうな。
家計図のコピーをもらったんだけど、あれは無くしてしまった気が…
ちゃんと桓武天皇から平国香・平貞盛と繋がってる物だったのに。
そういえば、テレビで伊達政宗の子孫の方(確か泰宗さんという御名前)を拝見したことがありますが、かなり美形な方でしたね。皇族の方々のような顔立ちでした。

トピ違いスマソあせあせ(飛び散る汗)
写真左:財務省主計局長の勝栄二郎氏

写真右:世界銀行副総裁の勝茂夫氏

いずれも勝海舟の子孫。
そういえば、中学の同級生に先祖は村上水軍ってのがいました。

実家があの辺りだそうで、当てずっぽうで言ったら、そうだと言われてびっくりした覚えがあります。
伊達公子も伊達家の子孫と聞いた事があります。
私は、ラフカディオ・ハーンよりも300年ほど前に日本に帰化した、ヤン・ヨーステンの子孫が気になります。
外郎(ういろう)って名古屋名物ですけど、元々は小田原発なんですよね。
外郎家は日本にただ一つだけ小田原に存在してます。
もう少し有名になってもいい家系だと思う。
私の母校の大学に、原敬の子孫がいました。

政治史の先生で、テストで原敬を誉めたら単位くれました。
182 上杉謙信は子供がいなかったので、直系の子孫はいないはず。景勝とかの子孫の方でしょうか?
有名な話では、徳川宗家第18代当主徳川恒孝氏と加賀前田家18代当主前田利祐氏のお二人は、日本郵船にて、同じ部署にいて、その時の上司は『俺は、徳川と前田を部下に使っている』とご満悦だったらしいけど。

次期徳川宗家当主の有力候補の徳川家広氏は、hpがあるね。
http://www.tokugawaiehiro.sakura.ne.jp//
画像を見る限りは、俺が想像している家康公のイメージそのまま(うpしている画像)。
大河ドラマで、暴君や馬鹿殿など誇張したキャラ設定をすると、、、


子孫からクレームが出ることもあるらしいですねたらーっ(汗)

>173
この二人は、徳川慶喜の血も引いているの?

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