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成人ADD/ADHDという私・・・コミュのADD雑感(3) ADD/ADHDが存在しないという考え方について

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 ADD/ADHDという発達障害の存在自体を否定する専門家も少なくないといいます。その真偽について、専門家でも研究科でもない私自身が意見を言える人間ではないです。そこで、素人立場からの意見を述べることにします。

 ADDという発達障害は、身体障害を持っておられる方のように、外見からの判断はできません。また精神障害を持っておられる方のように、雰囲気から察することも難しいように思います。ADDの症状の典型例は、「物忘れ」「人の話が聞けない」「整理整頓ができない」など、多かれ少なかれ、誰しもが経験することがあげられています。それを性向(個人差)の問題と捉えるからこそ、障害とは認めないという考え方出てくるのかもしれません。

 たしかに、個人差のレベルで収まっているのであれば、「障害」という言葉はマッチしないと思います。私自身のこれまでを振り返ると、個人差という言葉では、説明がつかない程の症状に悩まされているのは、誰がなんといおうと否定しようがない事実です。「普通の人より少し物忘れが多い」「普通の人より少し、だらしない」というレベルは間違えなく超えています。

 医学的に、ADDという発達障害が存在すると判断されるのかどうかを、私が意見することは、先にも述べましたが、全くできません。ただ、私が言いたいのは、ADD(といわれる症状)が頻繁におこり、日常生活あるいは仕事に多大な悪影響を与えるほどに悩んでしまう人がいることは否定できないこと、そして、そのような症状の人は、例外的ではなく存在しているということは認められるべきなのでは?ということです。

 このことを認め、自分というものを認識することによって、初めてADDといわれる症状に対して対処できると思うのです。また、そのことによって、救いの手を求められるでしょうし、また救いの手を差し伸べることもできるのではないでしょうか。性向の問題として考えることは、ADDで悩む自分を、執拗に責めることにもなるし、ADDの症状で助けを求める相手に、手を差し伸べることもしないことになってしまうでしょう。

コメント(20)

のんさんは確実に存在するという見解なのですが、私も聞いた限りのことなのですが、ADHDについては、「専門家」が認めていない(否定する意見を展開する人がいる)ということなのですが、どうなんでしょうか?

 >「性格上の欠点」というふうに誤解される点です。性格上の問題であれば本人の未熟さが原因ということになりますが、ADD/ADHDの症状は脳の障害によって起こっていることであって本人の責任ではありません。(もちろんそれによって周りに大きな迷惑をかけている場合は本人が治療を受けるなりして症状を改善する責任はありますが・・・)「症状の理解」がすべての鍵のような気がします。

 まさに、その通りだと思います。私も述べさせてもらいましたが、ADHDの症状は、正常な人にも多く見られるものが多いです。ただその頻度が明らかに違うだけの場合が多いために、ややもすれば、ADHDの人は、「だらしない」性格というラベリングがなされ、自身でもそのようにしか認識できず、自己否定、自己非難をすることになってしまいかねないように思うのです。

 ところで、ADHDの原因が未だによく解明されていないといわれているのですが、未だにそうなのでしょうか?神経伝達物質の異常という仮説があると聞いていますが。
ADDという障害が語られてから、数十年しかたっていないため、成人にとって、どのような影響をもたらすか、といったことが全くわからないそうですね。

 遺伝性ということであれば、先天的原因ですよね?頭部への外傷や化学物質ということであれば、後天的原因が色濃いということになりそうですね。ただ、私自身について言わせてもらいますと、頭部を傷めた経験は全くありません。また、化学物質も、どのような化学物質のことを指すのかにもよると思いますが、思い当たる節がありません。強いて言えば、食品添加物ぐらいでしょうか。

 
今振り返ってみれば、小学校の成績表からずっと、「整理整頓ができない」「落ち着きがない」と評価されていました。また、母親は違いますが、母方の母は、やはり整理整頓ができない人間です。そう思うと、遺伝の影響があるのかな?と感じます。

 アメリカでもそうだと思いますが、食品添加物や多量に農薬が散布された食品が大量に出回っています。ですから、そういったものを摂取していることは間違えないですし、また、のんさんがおっしゃいます化学物質も知らぬうちに摂取してしまっているかもしれません。
 ですが、私の家族は、似たような食事をしているでしょうし、また、比較的、同様の生活環境にいったわけですが、ADDのような深刻な症状に悩まされてはいません。

 ADDの原因とされる化学物質というのは、もう少し、具体的には把握(予想?)されていないのでしょうか?
 のんさん

やはり、具体的に明らかにはなっていないのですね。明らかになっているのであれば、もう少し対処法が考えられていますよね〜ありがとうございました。

 リーシャマッカートニさん

 はじめまして!私の考え方ですが、ADDを才能と捉えて、前向きに捉えることは大切な視点だと思います。ADDの人の中には、創作を活かせるような分野で活躍を見せられる方が多いと聞きます。これは才能といえるのだろうと思います。

 ただ、ADDで悩んでいる方にとって、そのような「才能」といえるほどの能力を認識できない人も多いのではないでしょうか。詰まるところ、自分にあった場所というものがどこにあるのか探し出せないと思うのです。創作的な能力を活かせる場所というのは、世の中にそんなにもあるとは思えないですし。もちろん、そのような場所を見つけ出せれば、そんなに良いことはないと思います。

 ADDというものを、むしろ障害と捉えた上で、上手く付き合っていく方法を、完璧なものはないにしても模索していく方が、多くの人にとって現実的なアプローチだと思っています。障害と捉えることで、マイナスの偏りを持つべきだという話ではありません。自分の置かれている境遇を認識した上で、少しづつでもいいので対処し、適応していくことがいいのでは?と思います。

  
難しい事は、よく解りませんが一生懸命に生きています。
他の人が気付かない所に気が付いたり、感覚で物事を判断したり…五感をフルで回転。
でも、普通に気付く所に気付かなかったり…
だから、変わってるとか色々言われて。
発達障害の方がブチ当たる壁…よく言われている2次障害?で病気にもなりました。
カウンセリングを受けてはじめて自分が発達障害だと解りました。
正直ホッとしました。よく人に『変わってるね…』とか言われていた謎が解けた気分でした。
でも、実際次に働く時に『私は、発達障害です』と言ったらどうなるのか?
発達障害やから、優遇されたいとかそんなんじゃないんですけどそんな風に捉えられそうに思います。
私は、ADHDな自分が結構好きです(笑)
周りは大変そうですが。
『障害』って言葉だけが一人歩きしている様に感じます。

自分が発達障害と知って、よかった事も沢山あります。
でも、知らなければよかったと思ってしまう時もあります。
知ってしまった以上、自分が発達障害である事を言わないと嘘をついてしまっている気分になったりします。

周りとの調和が、発達障害にとってかなりの追い風になる様に感じます。

成人の発達障害にも、もっと目を向けて欲しいな…
成人になると、子供の頃とは違った壁。
社会の壁にぶつかって苦しみました。
社会の壁大きかったなぁ…(笑)

書いている内に何が言いたいのか解らなくなってぐちゃぐちゃになってしまいました。
すみませんでした。
壁にブチ当たっても当たっても、ムクっと起き上がりがむしゃらに前に進んで…
変にプラス思考な自分…
でも、病気には勝てませんでした。
今は又這上がる為に少しでも前に進む為に…
子供の頃より、大人になってからの方が苦しみました…
『普通にしてたらいいから』の意味すら解りませんでした(笑)
自分では、普通のつもり(笑)
嫌味も解りません…
嫌味を言われても平気な顔をしているのは、嫌味だと解っていない時がほとんどです(笑)
普通?の人には、自由に生きている様に見えるみたいでも、本人は苦しんでます。
社会に出た私に大きい壁が出来た時も、必死で登りました。
『親が自由に育てたからや…』とか色々言われました。
親は、シツケにはもの凄い厳しかったです…
親の事言われた時は、さすがにショックでした…
自分の事は、何を言われても自分の責任って思えても親の悪口を他人にとやかく言われたのがショックでした。
普通じゃないかもしれないですが、才能たっぷりの人間の芽をつむ様な事だけは、しないで欲しいです。
普通の人の根本には、『病気じゃない』『障害じゃない』『自分の意思の問題』とか根強くあるんじゃないかな…って思います。

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