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日本と台湾友好!!コミュの日本台湾 「相互交流」!!「相互理解」!!

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 初めまして!!私は、現在26歳の社会人男性(日本国籍・戌年)、出身大学は法政大学法学部政治学科(塚本ゼミ所属)、コニタンと申します。かなりの長文で大変申し訳無いのですが、私と通ずるところのある方、何か「心ある」メッセージを頂けると、有難いです。

 私は、この夏に(8月)4度目、1年振りの台湾訪問を果たしました。「台湾」に関心を抱く、きっかけとなった最初は、私の大学3年次に、台湾研究に関する授業を偶然的に履修し、4年次に、同じく台湾研究を目的とする、ゼミに聴講生として参加した事に、起因します。その4年次に(今から3年前の事ですが)、ゼミの仲間9人と初めて訪台し(私がゼミ長として)、昨年の2月と8月には、2回目と3回目の訪台、そして今回は「初めて」1人だけの訪台となりました。



 今回は、今年、運良く知り合う事の出来た、日本と台湾の交流団体の方の紹介で、台北に住む、台湾人の家庭に、6日間(実質的には、高雄に行きましたし3泊なのですが)の、簡単なホームステイを、お願いする事が出来ました。今までの台湾旅行とは違い、現地の人達の目線を通し、また違った角度から台湾を見詰め直す事の出来る、そんな願ってもない機会を、私に与えてくれたと思います。


 お世話になった家庭の夫妻、夫妻の友達、実際に台湾に住む彼等「台湾人」と交流し、新聞やネット、書籍・雑誌等を通してでは無く、昨今の内政・外交(対中国・日本等)に対する台湾人の考え方の移ろい、台湾人としての生き様・決意等の、貴重な「生の」話を、聞けた事には、私にとっては大いなる励まし、糧となるのは必定、大変に有意義な時間を過ごせました。


 その中でも、お世話になった家庭の、お母さんとの話の中で、特に、私が聞いて印象に残った、話をしたいと思います。

 彼女は、台中出身の台湾人(福建系の本省人)、18歳の時に訪日し、以来日本(名古屋を中心)に20年以上居住した経験を持ち、日本語を流暢に話します(彼女は現在、40歳代後半〜50歳代前半)。以下は、彼女の日本滞在時に、彼女が日本人と接し、彼女が日本人に対し、「ある思い」を抱いた時の話を、私の考察を入れ、まとめたものです。



 私の日本滞在時、日本語を話すと、どうしても中国語(北京語)訛(なまり)のある、日本語が出てしまい、それを聞いた日本人に、「貴方は中国人なのですか?」と質問される、当然に私は、「いいえ、私は台湾人です」と答える。それを聞いた日本人は、不思議そうな顔付きになり、「ああ、そうですか。しかし、中国人と台湾人、どう違うのですか?同じでしょ?」と応酬される。その度に、私は、非常に悔しく、辛く悲しくなった。

 この様な、やり取りの場面が、彼女の日本滞在時に、多々あったそうです。



 台湾人の、中国人に対する「思い」は、本当に「様々」だと言う事は、私は、書籍や恩師教授の話を通し、大体は知っています。簡単に言うと、民族(族群関係)、年齢別(その時々に受けた、学校・社会の教育等を通し)、社会階級と地域、その時折の移ろう時代背景、と多種多様な要因が絡み付き、特に中国問題に対しては、台湾人全体の「思い」として、一般論的に、「台湾人は、中国に対しては、こう言う風に考えています」と、ひとまとめにして、語る事は、絶対に出来ない、と言う事です。


 そして彼女の、中国に対する「思い」とは、一部の日本人の中にある、反中国意識以上の、反中国の立場でした。彼女との会話の中においては、彼女は、しばしば「あんなに遅れた国….(と、いっしょにするな、との様に)」と揶揄しますが、私は、これも、台湾人の中国に対する「思い」を、端的に表している言葉だな、と率直にそう感じ入りました。

 彼女は、現在の北京五輪における、中国の急速な、都市整備・経済発展等を引用しつつ、「日本人等の外国人に見せる場所は、全て偽りの中国、真の姿の中国ではない、観光の為の見世物、本当の中国は、都市部を少し離れただけで、今でも有り得ない事が罷り通るところ」と。

 彼女の、昨年、中国のある田舎の省を、所用で訪れた際の出来事です。「バスの運転者が鼻をかんだのか、その紙くずを何度と路上に投捨てていた。挙句の果てに、バスはバーストしてしまい、バスはこの先には行きません、との説明だけで、代車の案内等は何もなかった。しかも、乗客は何も言わずに(平然と)、近くのバス停まで歩いて行き(距離は大分あるのに)、私は仕方なく、その乗客の列に従った。こんな事は、台湾では考えられない、絶対に有り得ない」との事でした。



 社会的・経済的・政治的にも、台湾とは雲呈の格差の有る中国とは、「絶対に」統一は出来ない、との認識が、彼女の強い立場(スタンス)なのです。

 逆に、日本に対しては、「日本は、大好き!!たしかに、日本の植民地時代には、日本人は台湾人を、いろいろと管理した(彼女は、どう言う訳か、「管理」との言葉を引用する、「弾圧」等では無くて、その語を使用する事の、彼女の意図に対し、私は不思議に思い、また驚きでした)。しかし日本人は、台湾にいろいろしてくれた。様々な、近代的な文明・繁栄を、台湾にもたらした。日本の敗戦で日本が台湾を去り、たしかにその時に台湾人は喜んだ。しかし、その後の、国民党政権のやり様に比べれば(虐殺・強権政治等の諸々に対し)、日本が絶対的に良い!!」と。


 「その結果として」、との前置きが前提とはなりますが、彼女は、たしかに「植民地経営」、その物自体を肯定する事は出来ない、しかし、中国と統一するのであれば、また、台湾は日本の植民地になった方が良い、と豪語していました。むしろ、日本の植民地にならないものか、と(これは冗談っぽく)。

 私は、何もそこまで、冗談であろう、と思いましたが、台湾人は満更(まんざら)でも無い様子。一見して突拍子も無い、この思い付きに思える様な、提案に対しても、一つの選択肢としては、台湾人は真剣に考えている様子が、私には垣間見えたと思います。


 彼女は、台湾人は、日本人以上に愛国心が高い、と言いますが、私もそう思いました。日々の生活の中に、いつ中国が攻めて来るか分からない、との踏絵があるせいか(実際に、それが起ころうとは、内心は思っていなくとも)、その可能性が0ではない以上、台湾人は、自分の国の将来を、真剣に考えざるを得ない状況下に、置かれているのかも知れません。



 話を元に戻しますと、私は彼女の話を聞き、台湾人の「日本」に対する「思い」に対し、日本人が台湾人を、中国人と同じ様に見る事(中国人といっしょだと思う事)、そして究極的に外国人扱いする事には、台湾人にとって、さぞや悲しく・我慢のならない様な事に、私は感じました。

 彼女は、現在の、私達日本の若い世代に対しては(特に10〜20歳代の)、台湾を観光し、台湾を好きになる、台湾に興味を持つ、それはすごく良い事、それをきっかけにして、台湾の事を(歴史・民族性等を)、もっともっと知って貰いたい、特に日本の台湾放棄後の、「台湾の歩み」を深く知って貰いたい、と話します。


 以下は、私の感想です。私達の若い世代、特に日本の学生は、過去に台湾が日本の植民地であった事は、学校の歴史の授業等で「何となくは」知っていますが、果たして、それが何年もの統治に及び、その間に日本は台湾に何をしたのか、ほとんど知らないと思います。植民地支配と聞けば、(どちらかと言えば)そのマイナス面ばかりを教えられ、特に、朝鮮半島や他のアジアとの比較で、日本の植民地支配は「悪」、アジアを侵略し大勢の人々を苦しめた、だから日本は反省しなければならない、との認識を、「無意識の内に」刷り込まれた教育を受けてきている様な気が、私はします。その為なのか、日本の植民地支配に関しては、何となくは「否定的に」、そしてその植民地時代の実情を、なかなか正しくは直視しない傾向にある、と私は考えます。だからと言って、植民地支配が「善」だと言う事は、当然にありません。日本の植民地支配時代の日本と台湾の関係を正確に学習する事で、これからの日本と台湾との関係にとっての、良き「道標」になるのではないか、と言う事なのです。



 終戦記念日には、特に韓国は、独立記念日として、日本の帝国支配からの解放(脱却)を、式典として盛大に祝っている様子を、テレビ・新聞等で多く見かけます。そこで日本の若者は、こう思うのではないでしょうか。きっとアジアの他の国々も(「台湾」も、その中に、ひとくくりにしてしまい)同じなのであろう、日本が嫌いなのではないか、と。それであれば、何故、台湾は親日派が多いと言われているのか、その所以を考えて欲しいと思います。「台湾は親日」、これを聞いた事のある、日本人の若者も多いと思いますし。


 日本の敗戦に依り、日本に「一方的に」捨てられた「台湾」、その後に台湾の辿るべき、悲壮なる命運を、私達は知るべきです。二・二八事件を発端とする、その後の国民党政権の強権政治、独裁・台湾人に対する弾圧・虐殺を、日本人は知るべきです。それを知った上で、「日本の台湾統治」の、功罪を断ずるべきではないでしょうか。そうする事で、自ずと、それらの反動で台湾には親日派が多い、と言う所以に気付くはずです。

 また、彼女の話に拠ると、台湾の若者に対しては、「やはり歴史を正確に知らない者が多く、二・二八事件に対しても、国民党政権の教育を信じ(彼女は、国民党に洗脳された、と言いますが)、実際には、世間で言われている程の、虐殺・殺伐、死者数は、全て大袈裟なのではないか、と考える人もいる。そうした台湾の若者の、日本に対する思いとしては、日本のドラマや歌手、映画を愛し、日本食が流行し、これらを通して日本を熱狂的に愛する若者が増えつつある」と言います。


 彼女の願いとしては、「そうした日本人と台湾人の、若者同士が、もっともっと交流し、お互いがお互いを知り、台湾の歴史を双方の観点で学習し、相互交流に努めて欲しい。今後の日本と台湾の、活発な交流の発展に資して欲しい。その為には、まずは、多くの日本の若者達に、台湾に来て欲しい」との事です。私は、彼女に、私の日本の友人に、もっと「台湾」を知って貰う様に、そして「台湾」に来て貰う様に、その願いを託されたのです。


 私は、彼女の「願い」に応えたいと思います。私達日本人の、私達の世代で、台湾の歴史を深く知っている人達は、いったいどれだけいるでしょうか。台湾を観光し、台湾を好きになって、何度と台湾に行っている人でも、そんなに多くはないと思います。台湾の終戦後の命運を知る事こそ、かつて日本が台湾に施政者として振舞った、日本の過去の代償を、少しでも償う事が出来るのではないかと考えます。そして私達は、台湾人との未来ある発展の為に、「相互交流」に努めるべきです。


 「相互交流」「相互理解」、今の日本と台湾の、私達の世代に、求められている事です。私の理念に共感してくれる方々、何か「励ましの」メッセージを頂けると嬉しく思います。よろしくお願いします。
 最後に、お世話になった台北の家庭の夫妻には、心より感謝を申し上げたいと思います。彼等との出会いは、私の人生にとって、本当にかけがえの無い、生涯忘れる事の出来ない、出会いとなりました。とても親切にして頂き、ありがとうございました。


 以下は、私が2回目に訪台した時の紀行文です。本当に、長々と申し訳ありませんが、読んで頂けると光栄です。


 台湾へ行って参りました。

 実に、1年半ぶりの台湾です。学生時代は、台湾研究のゼミに所属していて、4年次にゼミの仲間9人とパックツアーで訪れて以来です。今回は、ゼミのなかでも、とくに気の許せる後輩との、3泊4日の気ままな2人旅でした。

 全日程フリープランにしたので、徒歩・バス・タクシー・MRT(台湾の地下鉄)等の公共交通機関を駆使しての旅となりました。前回は、観光バス・ガイド付きであったので、迷ったりする心配はありませんでしたが、今回はそうは行きません。言葉の問題をはじめ、乗り方にしても日本と勝手が違う為、緊張の連続でした。しかし、コツを掴んでしまえばたいしたことはありません。快適なものです。公共交通機関の利用料金は、日本の約半分。地下鉄は96年に開通したばかりとあって、明るく清潔感が漂います。庶民感覚で台北の町を周るには、欠かすことのできない交通手段です。

 今回の旅で、とくに訪れたかったのが、総統府(戦前の台湾総督府)です。私のゼミ論テーマは「日本統治時代の台湾」であったので、日本時代を想わせる名所は、ぜひ巡ってみたい、と強い思い入れがありました。その中でも台湾総督府は、日本時代50年を代表する建築物。赤レンガ造りの威風堂々たる雄姿は、なんとも見事。ため息を吐かせます。この建造物は、日本の台湾統治を象徴し、当時も現在も台湾施政の発信基地となっているのです。ここを訪れることで、施政者の目線からの、台湾の歴史を感じることができると思いました。

 
 2000年の陳総統就任以降(台湾初の政権交代)、彼の謳う「全民政府」の意向により、総統府は、平日の午前中(2時間程)に限り、一般に広く公開されるに至ったとの事です(以前は不定期)。厳重なセキュリティチェックの後、最後の日本帝国教育を受けた世代の85歳のガイドさんに、総統府内を案内されました。日本語を流暢に話すガイドさんは、まさしく歴史の生き証人、日本統治時代の名残を感じさせてくれます。逆に漢文には支障をきたすそうです。話には聞いていましたが「蒋介石は独裁者。台湾は日本が作った」と言い切る親日ぶりには圧巻です。すごく印象に残りました。


 彼は24歳まで日本人として育ち、日本国の教育を受け、日本人と変わりない生活を送っていた。敗戦後、日本の台湾放棄により、「今日から貴様は中国人だ」となったのです。しかしその後、蒋介石率いる国民党の孤立により、台湾は「世界の孤児」となるなかで、日本人でも中国人でもない、独自の道(新台湾人)を歩んで行くことになります。支配者(日本国・国民党政府)の都合に翻弄され、彼らは日本人・中国人のどちらを選ぶことのできぬまま。彼らにとっての祖国とは何か?幼年時代を過ごした日本国なのか?その答えは、台湾人がなぜ親日なのかを、紐解く鍵となるかもしれません。彼らにとって、現在の日本人に外国人扱いされること、それは複雑な心中に相違ありません。「私だって昔は日本人だった。日本のために尽くし、日本のために戦った。それなのに日本は….」85歳の元日本人ガイドさんは、そう訴えかけているようでした。


 置き去りにされた日本人。彼らが、そこに居ます。私達は、かつての仲間のことを知る必要があり、台湾についてもっと理解を深めて欲しいと、私は思います。このガイドさんとの出会いは、忘れられない思い出となりました。総督府が戦争末期B29の爆撃で三日三晩焼け続けたとき、ガイドさんが総督府近くの防空壕に避難していたこと等、貴重な話をいくつか聴くことができました。他にも、日本の文献では滅多にお目にかけることのできない、秘話・歴代総統の文物・歴史の節目の公文書・写真を拝見でき、私気持ちは最高潮となったのです。


                                 以上。

コメント(1)

蟹座コニタンさん、素晴らしい文章を読まさせてもらいました。
この文章を「台湾」を本当に知らない日本人たちに読んでもらいたい思いです。
彼女の言うことはよく分かります。

「貴方は中国人なのですか?」「いいえ、私は台湾人です」

まさにそのとおりです。アメリカ人ならすぐ理解してもらえます。
でも、日本人には理解もらえない。問題は教育の問題だと思います。
日本と台湾は外交がなく、中国も日本政府に「台湾は中国の一部だ」と圧力
をかけられているからです。日本で暮らす台湾人の国籍は「中国」と記載されています。
(運転免許書や外国人登録証)それは台湾人にとって苦痛の思いです。
日本ではよく中国人が犯罪を起こしています。そうすると日本人はもちろん
中国人に反感を持ちます。台湾人は余計に反中国的になってしまうのも事実です。

自分たちは中国人じゃないん、台湾人だ。台湾人は日本人が大好き(中には反日な人もいるが)
日本人に知ってもらいたいんです。

この前のオリンピック野球台湾対中国戦、多くの台湾住民は中国に負けるわけが
ない。終わって見ると敗退。どんだけの人が落胆したか。70代のおじいちゃんが
ゲーム終了、ショックが大きすぎて心不全であの世に行ってしまいました。
泣き顔228事件やその後の生活を経験したたちは反中親日の割合が多いです。
メディア操作によって洗脳された人もいますが、親日が多いことにかわりは
ありません。それは日本への年間観光客数で示されています。

日本メーカー製品を愛す台湾人わーい(嬉しい顔)代表的なのが、TOYOTA(LEXUS)/吉田かばん
HEAD PORTER/SONY ..無印良品商品も愛用されています。(日本で買う値段の
二割、三割しますが、若者には大人気..台湾の方々にプレゼントとき、吉田かばん
や無印良品を選ぶといいですよ。Made in Japanだともっと喜んでもらえます。ウインク)

中にはMade in Chinaなら絶対に買わない、使わないという人もいますペンギン

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