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我こそは京都迷宮案内人コミュの京の歳時記

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安楽寺かぼちゃ供養
中風にならないよう,毎年7月25日に,京都の伝統野菜の一つである瓢箪型した鹿ヶ谷かぼちゃを振舞っている。(400円)

安楽寺由来
法然上人の初期に念仏道場として開いたお寺で,弟子の安楽,住蓮で法然上人が念仏を広めた
めに開いた。

鈴虫・松虫姫和讃
その,念仏に共感した,後鳥羽上皇の寵愛を受けていた,お付きの,鈴虫,松虫の2人が,上皇不在の時に安楽寺に於いて,剃髪した。
それを知った上皇が激怒し,法然上人は流刑,弟子の安楽,住蓮は打首となった。


松虫,鈴虫事件で,打首となった住蓮は,首を飛ばされても念仏を10回唱えて息絶えた。
この事件で連座した,親鸞上人がサドへ流されるとき,船の中でも念仏を唱えた!この姿から,本願寺では,親鸞上人を偲んで,身体を揺らし念仏を唱える坂東節がある。
鈴虫,松虫はことの重大さに気がつき,自害した。
安楽寺にまつわる悲劇である。
安楽寺は,哲学の道より東に位置し,東山の麓で,近くに霊観寺,法然院,永観堂少し離れて銀閣寺と,南禅寺があり,観光のスポット的な場所にあるが,あまり知られていない。

1枚目 本堂 2枚目 鈴虫・松虫の墓 3枚目 住蓮・安楽の墓

コメント(18)

かぼちゃ嫌い何ですよ!今日の京都は梅雨も明け!いい天気でした。桜,つつじ,かぼちゃ供養の時に一般公開してます。
法然院から南へ50メートルほどです。
流石にお寺,清涼感があり,心地よく見物してきました。
御手洗祭
御手洗祭は,平安時代の貴族の風習であった,境内を流れる御手洗川に足をひたしながら,御手洗社まで歩き,お灯明をあげ,無病息災を願う行事で,毎年の夏,「土用の丑」の頃に,下鴨神社で行われる『夏越』
祭である。
この御手洗川は湧き水のためか,夏の盛りのこの時期でも冷たく ,見た目よりもかなり深さがあるので(膝くらい),たくし上げやすい服装をおすすめします。 また,タオルの持参も忘れずに!
御手洗祭と言えば,みたらし団子を思い出します。
みたらし団子は,京都市左京区下加茂みたらし茶屋発祥の団子で,下鴨神社境内にある御手洗池の水泡を模して,団子が作られている。
5個の団子を串に刺し,あぶり焼きして焦げ目を付け,砂糖醤油の葛餡をかけて団子である。
昔,縁日の露店に出ていたのを買って帰り,食べたのを思い出します。

8月7日から8月10日まで,六道珍皇寺(松原通東大路西入)において,六道参りと言う行事が行われている。
盆前に,迎え鐘を打ち先祖の霊を迎える人たちで大賑わいである。

迎え鐘を突いたあと,水回向し先祖の霊をお参りし,境内で売っている高野槙を買って帰り家に供える。

六道珍皇寺前に,六道の辻の石碑が建っている。ここから,東は,冥界とされ死者を葬る地であった。
小野 篁(たかむら)が冥界とこの世を行き来したと言われる井戸があることで有名である。

六道参りに合わせて,五条通川端〜東大路にかけて,陶器市が行われ,清水焼などの露店等が出ている。(こちらも朝から夜まで大賑わいです)

幽霊子育飴
六道の辻近くに飴屋があった。毎夜,遅くに女性が飴を買いに来る。不審に思った店主は,その女性の後を追ったが,とある寺の墓地の大卒塔婆の前でスッゥーと消えた。
店主は,翌日に墓を掘ったところ,赤ちゃんが出てきた。
出産を前に死んだ母親が,墓の中で子供を生み,乳の代わりに飴を舐らし,赤ちゃんを育てていた。
(昔の飴は固形化されず,水あめを飴と呼んでおり,幽霊が赤ちゃんに水あめをしゃぶらして育てた)
幽霊が飴で子育てしていたと言うことで,飴屋が幽霊子育飴と改称し販売している。
この時期のみの販売で,何の変哲もない昔ながらの飴で,ざっくりと切った形がなんとも素朴です。

この界隈に,西福寺,六波羅蜜寺も迎鐘の行事を行い!六道の辻界隈!結構賑わう!!
写真ここに載らなかった分,アルバムの今日の歳時記に掲載します。

日記のコピーです。
京都は,8月7日から10日までの六道珍皇寺で迎え鐘を打ち,先祖の霊を迎える風習がある。しかし,鐘で先祖の霊を送る習慣はない。
大文字の送り火でお送りしているからです。本来は,門口で火を焚きお迎えし,また同じように門口で火を焚き送っていたようである。
鐘で迎えたのなら鐘で送るお寺があってもいいかなと思い,探したところ,私の家から歩いて10分かからないところに,迎え鐘をしている寺がありました。

寺町通三条上る 矢田寺である。
私の子供のころから,寺の存在は知っていたが,興味がなかったのか,このような行事をしていることにはじめて気がついた。
寺町商店街のアーケードにぶら下げられた,迎え鐘の宣伝!
嫁はんがいつもここを通って買い物に行く!嫁はんに聞いたらすぐ分かったのに!!

この寺は,繁華街にあり,修学旅行,観光客が多く,京都の人も馴染の とり市(松茸,竹の子,つくねいも)等の有名店も沢山ある。

日記のコピーです。
大文字送り火(五山送り火)娑悟浄の持ちビル屋上へ招待された。五山すべて見えるとのこと!
8月16日大文字,右大文字,鳥居形,船,(妙,法) 夜8時に大文字が点火され,各山々の送り火が順次点火!!!京の町が炎に包まれ,その炎に送られて先祖の霊が昇天していく。盂蘭盆会最終の行事である。この大文字送り火が終われば,蒸し暑さも一段落,秋風が吹き涼しくりなり京都もいよいよ秋の準備です。
各山々の火床はほぼ,御所へ向いているが,何故か?大文字の火床のみが,北西を向いている。御所ならば,西向きでいいはずである。
御所の方向とは方向が違う!誰かご存知の方あれば教えてください。
私,自身推測での答持ってますが,確証がありません!
地 蔵 盆
盂蘭盆会も終わり,秋風が吹くころ,お盆で報われない霊(水子,小さくして亡くなった子)があるので,その霊を落ち着いて頂くために,地蔵尊が一役かって,地蔵尊の縁日の8月24日に地蔵盆と言う行事が始まった。

その行事が発展して,子供がすくすくと育つようにと,地蔵尊に願う行事となったようである。

京都近郊の独特の行事で,各町内に地蔵さんを祀る祠があり,その祠を町内の方が御守りし,各町内の行事として行われている。

夏休み終盤の子供にとっての大きな楽しみのひとつであった。しかし,今や,子供が少なくなり,各町内の地蔵盆行事も老人たちの楽しみになりつつある。

私の子供の頃は,町内の各家々に燈篭に思い思いの絵を描き,家内安全・健康第一との文字を書き,玄関先に揚げられ,これを見るだけでも楽しかったですがこれもいつの間にかなくなりました。

プログラムとしては,数珠廻し・金魚すくい,おやつ・すいか割り・福引等を23,24日の2日にかけて行っていましたが,最近は,縁日に近い日曜日の1日だけになってしました。寂しいことです。

しかし,私の町内には,お地蔵さんがありません!友達たちは,楽しそうに催しに参加しているが,私は各町内の燈篭の絵を見るだけで,つまらない日でした!!!
3枚目の写真 隣の町内のお地蔵さんです。もう地蔵盆行事19日に終わったようです!
10月19日は宵ゑびす?10月20日は,二十日ゑびす?
皆さん!1月10日の十日ゑびすは良くご存知でしょう。
京都だけの20日ゑびすをご紹介します。

大和大路四条下るの恵美須神社独自の祭で,江戸時代の初期に,京都の商人が江戸を中心とし,全国へ行商に出ていた。
その商人たちが,十月二十日ころに帰り,ゑびす神社に旅の平安としょおう倍繁盛のお礼参りをしたのが起源となってている。

何時のころからか,この祭の時には,商家や旧家では「はんぺい汁」(小判を模した蒲鉾のハンペイに,笹を形どった青ねぎを斜めに切り,澄し汁に入れて食べる。)を食べる腐臭が今も残っています。

江戸時代の井原西鶴がこのことを揶揄し,京都の人間はケチだから,鯛の替わりに,はんぺんを使っていると言う記述が残っています。

明治期に入ると,商いの方法が変化し,このゑびす講にあわせ,京都の商店街では,「ゑびす講大売出し」が行われ,今で言うバーゲンセールのようなもので,あっというまにこのバーゲンは全国に広まったようでです。

今日二十日 恵美須神社では,包丁式奉納,雅楽奉納,御神酒の無料振る舞いが行われています。
新嘗祭神事(八坂神社) 神楽
11月23日!今日は勤労感謝の日である。昔は新嘗祭と言っていた。(新嘗祭とは,五穀豊穣に感謝するお祭です。)有る人の代参で八坂神社の新嘗祭にいってきた。
本殿上ると舞殿での舞が見えないから,舞殿の方に席を取ってもらった。
(本殿へ上れる方は限られた人である)

八坂神社の表門(東楼門)は修復工事中である。年末には修理が出来るそうである。
神事は祝詞等の夏越の払いで行った式次第である。

この神事での唯一の見もの!神楽奉納(浦安舞)

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浦安の舞
天地(あまつち)の神にぞ祈る朝なぎの 海の如くに波立たぬ世を
浦安とは,四方の浦々安らかに波立たぬ平和な国 と言う意味で,わが国を讃えた日本の古称である。
無事 新嘗祭の神事も終わり直会をいただきかえった。

この神楽は,舞殿南側なら招待されていなくても見られますので,来年機会があれば見に行かれてはいかがでしょうか!
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6月7日役の行者の命日ということで,聖護院門跡において護摩焚きが行われた!
午後3時から約1時間のお祭でしたが,流石に修験道の祖「役の行者」沢山の山伏が集結しての護摩焚きは迫力があります。
今日は夕方から雨が降り,送り火どうなるか心配しましたが!雨もやみ涼しくなり,気持ち良い大文字の送り火を観賞しました!去年同様,娑悟浄さんのビルの上です!

8月16日夏の夜空をいろどる大文字五山送り火。
祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の一つです。
大文字に代表される送り火の起源についてそれぞれ俗説はあるものの不思議と確実なことはわかっていません。
まず,送り火そのものは,ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意味をもつ宗教的行事で,これが一般庶民も含めた年中行事として定着するようになるのは室町から江戸時代以後のことであるといわれています。古くは旧暦7月16日の夜、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送るという風習を記した史料がある。これに対して現在の五山の送り火は山において点火されるという精霊送りの形態をとっています。

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