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半可通のための経済学講座コミュの決着?人的資本論とシグナリング理論 (学歴間の賃金格差)

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 ネットの一部で話題となっている『学校は人的資本を形成するのか?』をテーマにした学歴間の賃金格差に関する質問と議論のトピです。テーマの分析はウェブ上に要約があります。 分析のアイディアから順を追って書いてあり、経済学の知識がなくとも読めます。
http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j1_econ_education.htm
http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j2_wage_data.htm
 特に注目すべきは(2)の賃金格差の実証分析の結論です。
>[3] 高等教育が生産性(賃金)に与える効果は、職場訓練との差し引きでマイナスかゼロです。
>[5] 学歴間賃金格差の変化のほとんどは、分布区分の見せかけによるものです。

 賃金倍率の数値例や世代側から縮小後に拡大する大卒・高卒間の賃金倍率を見ると、シンプルなアイディアでしっかりした分析結果が出ていると思います。また「一時点の賃金データをもとに、世代を横断して測った進学の収益率は無意味」「少なくとも日本ではシグナリング理論が現実的」という齋藤経史さんの主張には納得がいきます。

 一方で、2007年12月13日に出版された『学歴社会の法則 教育を経済学から見直す』(荒井一博)光文社新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334034314/mixi02-22/) では、P34に「1980年代に男子の大学教育の私的収益率は6%台」「収益として平均的大卒・高卒賃金差を使いました」とあります。これは『学校は人的資本を形成するのか?』でいうところの無意味な分析ではないでしょうか?(本を参照しなくとも、ページのリンクから国民生活白書にある類似の分析を参照できます。)
 また、『学歴社会の法則』のP61では「人的資本論とシグナリング理論で、データを使った共通の結論は出ていない」とあります。しかし、日本に関してはシグナリング理論が現実的であると実証分析での決着がついたのではないか?と思います。

 そこで、質問と議論のためにトピを立てました。「一時点の賃金データをもとに世代を横断した平均賃金差を使った分析に意味はあるのか?」と「日本の高等教育に関して、シグナリング理論が現実的という形で実証分析の決着はついたのか?」を教えてください。「読み違えている」などのご意見、「よく分からない」などのご質問があれば、遠慮なくお願いします。

 もともと「格差社会を考える」というコミュの『見せかけだった学歴(教育)の給与格差』(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=26094585&comm_id=300600)というトピで議論していました。しかし、こちらのコミュの方が経済学やデータを使った分析を議論しやすいということで移動してきました。よろしく、お願いします。

コメント(116)

>(48)(74)らぎ’さん

>そういう年功序列の賃金体系の国ですから、高学歴で低収入の人も当然生まれているわけで、そうなると人的投資と賃金体系は、関係あるのか?

年功賃金は実証分析において「各年齢において生産性と賃金が一致していない」ということに当たると思います。大卒の場合は物価変化や経済成長分を除いても、50歳時の賃金は25歳時に比べて2倍以上になっていると思います。しかし、その場合に「50歳時は25歳時の2人分以上の生産性があるか?」というと、印象としては、そこまでの生産性の増加はなさそうです。若い時点には「生産性>賃金」であり、高齢になってくると「生産性<賃金」になっているのかもしれません。しかし、終身雇用が前提となっていれば、ある年齢時に「生産性>賃金」となっていても労働者は他の企業を選びません。

各年齢時における生産性と賃金が一致しなくても、年功賃金の構造が大きく変化していなければ、世代での比較では相殺されると思います。また、バブル崩壊以降、大卒を中心に年俸制が現れ、年功賃金や終身雇用が崩れたという評論家もいるかもしれません。しかし、マクロのデータを見る限りは、年功賃金の構造が大きく変わっていないようです。もし、年功賃金の構造が大きく変わっていれば、以下の表にきれいに矢印が書き込めるとは考えにくいです。
http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j2_wage_data.htm#s31wage_hu

>人的資本投資を、私益と見做すか、公益まで広げて捉えるかで全く評価は違うのだと感じました。

この点は教育が生産性を上げるかという、シグナリングに過ぎないかというところで違ってくると思うのです。シグナリングに過ぎない場合でも、進学する学生に私益はあります。しかし、シグナリングに過ぎなければ、公益はないどころか社会的には問題という可能性もあります。
>(52)(53)(56)あけみさん

>速効性を求めるなら、就職でも専門学校でもそっちの方がいいでしょう。
ただ、そちらは遅効性に劣る印象があります。

僕もそれに近い印象はあります。しかし、現実にいる「平均的な大卒」と「平均的な高卒」を連想しているのではないかと思ってしまう部分もあります。現実にいる平均的な学生を比べれば「大卒1年目の生産性<高卒5年目の生産性」ですが、大卒は吸収や成長が速いので「大卒11年目の生産性>高卒15年目の生産性」になると思います。でも大学教育が効いてきているから、遅効性で吸収や成長が速いのとは別の話のようにも思います。

>このトピの最初の方でも焦点を絞る動きがあったけど、どうしたものかな。

脱線しすぎない範囲で関連のある議論をしても良いかと思っています。僕自身も説明や別の視点から考えるのに、皆さんの質問や意見が参考になることもあります。最近、なかなか時間がとれなくなってきて申し訳ないですが、議論自体も楽しいです。

個人的には、従来の分析が参考にならないというところは強く言えるのではないかと思います。ただ、僕自身「日本の高等教育は、職場訓練との差し引きで生産性を高めないという形で実証的な決着はついたのか?」に関しては、もう少し考えてみる必要があるように思っています。まとまったら、官庁や齋藤さんを含めた専門家に質問や意見してみても良いように思います。
>(55)(65)トモさん

>[3] 高等教育が生産性(賃金)に与える効果は、職場訓練との差し引きでマイナスかゼロです。
>ですよね?「高等教育が生産性に与える効果はゼロ」だと言っているわけではない。「職場訓練との差し引きで」です。

おっしゃるように職場訓練も人的資本論の一部といえると思います。シグナリング理論もそうでしたが、用語の定義が曖昧だったのは良くなかったですね。しかし、ニートと比べる高等教育の効果は別の話になりそうですし、既存の分析も平均的な高卒就業と比較しているように見えます。職場訓練との間で比較をするのは自然だと思います。

>「差し引きでゼロかマイナス」という職場訓練とほぼ遜色ない効果が得られているなら日本の高等教育は、賃金への効果という側面で見ても相当高いレベルにあるのでは、とね。人によって受け取り方は真逆であり得る。大体、「賃金」という生産性に及ぼす効果が職場訓練より勝っている大学の授業ってあるのかどうか・・・。

確かに「差し引きゼロ」であっても、印象より高いレベルにあると言えるようにも思います。僕は、大学内であろうと、企業内であろうと努力していれば、相応の技能の成長があるのだろうと思います。ここでの技能というのは英語やプログラミングという具体的な技能に限らず、忍耐力や思考力といった一般人的資本に近い印象を持っています。実際、文系で大卒就職した場合は、3年前と同じ仕事をしている人はほとんどいません。転勤や配置換えなどで支店、部署、業務、顧客は数年に一度一新されるので、業務や企業特殊的人的資本を強く感じません。大学、企業、業務にかかわらず、年齢と努力に相応の技能を身につけているだけのような気がしています。そういう意味でも「差し引きでゼロかマイナス」は印象に一致する結果ではあると思います。
>続き:(65)トモさん

> まず「技能形成」と「経済成長」は全く別の概念です。

技能形成と経済成長が違う概念であることはおっしゃるとおりだと思いますが、つながっているのだろうと思います。マクロの生産関数を「Y=f(HL, K)」として、YをGDP、Hを人的資本などが反映された代表的な労働生産性、Lを労働者数、Kを物的資本と考えます。技能形成に悪影響があるというのはHが下がることに当たると思います。すると一次的な効果として、Yにはマイナスの効果があるはずです。「社会としては技能形成や経済成長に損失を被っている可能性があります。」と『可能性がある』と断定していないわけですから、このくらいの表現は良いような気がします。

また、二次的な効果まで含めると、高学歴化はさらにYを下げる効果がありそうです。高学歴化は、一定数の国民に占める労働者の割合を減らします。また高学歴化が晩婚化、少子化につながれば、国民の総数も減らすはずです。すると二つの経路から労働者数Lを下げる効果があるはずです。また教育が消費に過ぎなければ、貯蓄を減らし、物的資本Kも下げる効果があるように思います。

> 大学はですね、研究機関でもある訳です。高度な研究機関が画期的な研究成果を生み出し、技術革新を生み出します。
> 我々が大学に払った学費はそんなことにも使われているんです

トモさんのおっしゃる研究による技術革新は、生産関数fが変化する、あるいは残差にあたるTFPが変化するというお話だと思います。しかし、シグナリングによる高学歴化でH、L、Kが全て下がる方向に働くなら、Yを上昇させるには相当の技術革新が必要です。

また、技術革新を含める分析は、データとの対応や因果関係の解明が難しいのではないかと思っています。Y=f(L, K)でマクロの生産関数を推定し、時間の経過に伴い、残差のTFPがプラスの偏りを持っているとします。すると、マクロの生産関数の推定や残差分析に対して、時間の経過に伴い、増加する適当な説明変数を入れると、プラスの効果を持つ推定結果になるのは自然です。Y=f(HL, K)として、Hを人的資本の代理変数として大学進学率を使っても、研究開発投資の金額を説明変数に加えてもプラスの推定結果になる可能性は高いと思います。素人にそれらしく見える推定結果は比較的、簡単に作れそうです。しかし、生産関数自体の変化やTFPにはしっかりした理論背景がなく、関係があること以外には理屈も因果もよく分かりません。教育や研究と経済成長の因果関係に関して、専門家の批判に耐える実証論文というのは、かなり難しいのではないかと思っています。

加えて、技術革新を持ち出すと、文系教育はより一層、立つ瀬を失ってしまいそうです。理系の研究としても、企業の方が大学より消費者のニーズに合うものを開発できるかもしれません。研究が技術革新を促すとしても、ここでも大学と企業の「差し引き」の問題はあると思います。また、研究が社会全体に恩恵をもたらすと明確に示せるのであれば、学費ではなく税金でファイナンスすべきだと思います。
>(57)(58)Tommyさん

> Aの教育の効果(α→α’)
> Bの教育の効果β
>(α’−α)>β
>である場合、Bに対して教育の効果が合ったにもかかわらず、賃金倍率は縮小せずに上昇しますね?

Tommyさんのおっしゃることを文章で書くと、以下のようなことになるでしょうか?

(例)Bが大学に行くようになった世代に着目して、分位数間倍率のA/Bが上がっていた。
・『学校は人的資本を形成するのか?』の解釈:「その世代で大学進学するようになったBの賃金が下がった」
・Tommyさんの解釈:「その世代に合わせて(上昇したBの賃金以上に)Aの賃金が上がった」

もし、これでTommyさんの解釈が合っていれば、おっしゃることは理解できます。しかしBの進学する世代に合わせて、A(やC)への効果が変化する理由が分かりません。

>古典的な経済分析の体裁をとっていないですねぇ。

古典的な経済分析の体裁とは、具体的に何を指すのでしょうか?

>実際には上位層、中位層、下位層の学歴も年代ごとに変化しているのに、その変化それ自体を見せない統計整理は、論者の主張に沿うように見せやすくされただけのように見えます。

すみません、Tommyさんのご指摘が分かりません。論文自体に入ると収拾がつかなくなりそうなので、なるべく避けたいのですが、労働者の学歴の割合は齋藤さんの論文のP41に入っています。
http://keijisaito.info/PDF/wage_human_capital_jea.pdf
男性の高専・短大卒がごく少数しかいなかったため大卒とまとめていると思われる「1942年〜1947年生まれ」以外は、すべて点線が入っているように思います。何を書き加えるべきだというお話でしょうか?

>また「分位数間倍率」の結果が有意でないので

というのは、どの数字を見れば確認できるのでしょうか?また「有意ではない」というのは「差し引きの効果がゼロである」ということを支持する結果ということではないのですか?ページに書いてある結論は『職場訓練との差し引きでマイナスかゼロです。』なので、これを批判するとすれば『差し引きプラス』という解釈を持ってくる必要があるはずです。
>(61)(62)(68)Tommyさん

>まずは人的資本理論のモデルを実証分析で検証するところからスタートして、「なんかおかしい」と思ってから、(論者の考える)シグナリング理論に依拠するべきだろうと思います。

従来の人的資本理論関連の実証モデルが参考にならないことは(72)で示した通りです。僕にはこの分析がシグナリング理論に依拠しているというのが、未だによく分かっていません。すみません。でも、現実感覚から言えばシグナリング理論に依拠したモデルで始めるのも自然だろうと思います。

>分位数間倍率は私の解釈では、それに失敗しているので、いずれにせよ意味の無いものです。

Tommyさんの主張は「高等教育の人的資本形成効果は変動するものの、ある程度の高い水準でプラス」ということではないのでしょうか?そうすると分位数間倍率がその検出に失敗した段階で、Tommyさんの主張は非現実的ということになるのではないでしょうか?分位数間倍率の結果を「はっきりしない結果」「学歴以外の要因に紛れてしまう程度」と解釈しても、有意なプラスはありえないという話には違いないと思います。

>>もし個人によって極端に効果が違い、Aには0.9倍、Bには2.1倍、Cには0.7倍、Dには2.5倍といった誤差とは呼べないほど大きな違いがあればTommyさんの指摘は正しいと思います。しかし、それこそ非現実的でしょう。

>ありえるかも知れないから、こうコメントしています。とくに米国では格差と技術革新にというものの関係が論じられるようになっていますが、90年代以降から今日にかけて、こういう傾向を出している可能性は否定できないと思います。もっともリンク先の議論は80年代に入る前で終わっていますが。。。

具体的なデータや分析なく、極端な設定や変動を「否定できない」という形で出してこられるなら、何もかも「否定できない」ということになってしまわないでしょうか?また「リンク先の議論は80年代に入る前で終わっていますが。。。」は、誤解ではないかと思います。世代としては[1978年〜1983年生まれ]が最後ですが、これは2003年の調査です。
>(63)りょうまさん

>誤差として近似して良い範囲であれば、個人によって異なる効果でも賃金倍率の変化の形状は、全員に対して1.2倍とほとんど変わらないはずです。その結果「大学等が賃金に影響を持つ場合でも、賃金倍率の変化の形状は影響なしの場合とほとんど同じです。」はこのまま維持されるように思います。

データを使って分析したり、シミュレーションで例示する以上、近似や単純化は避けられないですね。また、制約のない個人ごとの増分でのシミュレーションも作成できると思います。そのシミュレーションでも現実的な範囲で増分が異なっても、分布はあまり変わらなさそうですね。
>(67)明鏡止水さん

>ほっしーさんの当初の質問である「一時点の賃金データをもとに世代を横断した平均賃金差を使った分析に意味はあるのか?」に対して、現時点で私なりに出した答えは「意味はない」です。

当初の質問に戻って頂いて、ありがとうございます。自分で(71)のような例を作ってみて、解釈にかかわらず従来の分析が参考にならないというのは、確信してきました。
このトピは、終わってしまったのでしょうか?

僕自身はトピを立てた時よりも理解が進みましたが、どうしたものでしょうか。
どうしたもこうしたも、
面白かったし何の問題もないのでは。

ほっしーさんがどうするかということなら、
整理庫にしてもいいんじゃない?

また誰か食い付くかも。
どうも、どうも、自分も今回とても勉強になりました。

みなさん、「一時点の賃金データをもとに世代を横断した平均賃金差を使った分析に意味はあるのか?」については「意味はない」、「日本の高等教育に関して、シグナリング理論が現実的という形で実証分析の決着はついたのか?」については、「この方法では結論はでない」が解ったのであまり書きこまなくなったのではないでしょうか?

で、ついでに、今回このトピでつかんだ、研究発表の読み方と言うか、そんなんまとめておきます。

1、その研究発表の中で自分の解らない言葉は何かをつきとめる。それについて調べる。言葉が解らないのでは相手の理論にくもにまかれてしまいます。

2、解らない言葉の中でもより研究の本質と関係ある重要な言葉は何かつきとめる。場合によっては研究の本質と無関係な言葉はあまり理解しなくても結論は出せる。

3、その論文が結論とする事をダイレクトに証明するにはどういう方法がいいかを考える。

4、たいていの場合直接証明するのは無理だから、代わりのものや数値を使っている。それが妥当かどうか検討する。

この手順を踏めば、どんな論文でも、正しい事を言っているのかいないのかの判断が容易になるような気がしました。

ほっしーさん、材料の御呈示どうもありがとうございました。
面倒抜きで観想戦。

本題?よりも、
賃金と生産性、個人選択と社会選択
このへんの絡みが怖い話だなー、
と思った。

まる。
自分も賃金と生産性が結び付けられているのは、少し違う気がしました。

それと、大学教育が社会的に役に立っているか立っていないかというのは、結論を間違えると大変な結果になるので、慎重に多面的に解析していかないとと・・・

少なくとも、それほど重要な事をたった一つの論文を持って結論付ける事は非常に危険です。

それと、始めは内容を読んで全くわけがわからなかったのですが、自分がどういうところで解らなくなっているのかというのが、みなさんの書き込みをみながら徐々に霧が晴れるように見えてきたので、自分としてはその体験自体がとても貴重でした。重ねてお礼をさせていただきます、どうもありがとう。
>(87)(89)赤福パフェぞうさん

>「一時点の賃金データをもとに世代を横断した平均賃金差を使った分析に意味はあるのか?」については「意味はない」

 僕もこの点は確実だと思います。この点だけでも、重要な話だろうと思います。

>「日本の高等教育に関して、シグナリング理論が現実的という形で実証分析の決着はついたのか?」については、「この方法では結論はでない」が解った

 僕には、この部分がよく分かっていません。赤福パフェぞうさんご自身の理解としては、(69)の「就業後の人的資本の形成」や(73)の「スピルオーバー」に関わっていると思います。(69)に関しては、僕が(76)でコメントしたような形で「学歴に無関係な部分は相殺する」と思います。
 (73)に関しては、論理的ではありませんが「自分の生産性(賃金)すら上げられないのなら、他人の生産性(賃金)を上げられるとは考えにくい。」とは思います。また、仮に高等教育の普及が日本の労働者全体の賃金を一律に引き上げるとしても、一般的に考えられている人的資本論とは異なるようにも思います。ずいぶん前ですが(10)の後半でトピ最初の質問を訂正しました。

 経済学などで実証分析をする場合、実験が容易な理系より「他の可能性も否定できない」という側面が強いと思います。不在の証明はほとんど不可能ですし、他の影響の有無に関しては、ほぼ「有」であろうと思います。すると、極端な話「(どの方法でも)結論が出ない」と言い逃れ続けられる反証不可能な仮説もできてしまいます。
 よって、「どういう仮定が満たされれば結論が妥当、あるいは妥当でないと言えるか」「どういうデータや分析を加える必要があるか」を示さないと、便利な逃げ口上になってしまいそうです。「結論を出す」ために、どういうデータや分析を加えれば良いかを記されると、建設的な議論になると思います。


>大学教育が社会的に役に立っているか立っていないかというのは、結論を間違えると大変な結果になるので、慎重に多面的に解析していかないとと・・・

 こちらも、どういう大変な結果が想定されるか?を具体的に示されないと「きっと大変だ。とにかく恐ろしい。」という議論になってしまわないかと思います。もしかすると、このまま放置することが技能低下、少子化、資本形成の低下などをもたらし、大変なことになるかもしれません。
 また、現在の短大・大学進学率は約50%ですが、50年前には約10%でした。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/04073001/pdf/sanzu07.pdf
大学進学がありふれたものになった歴史は、浅いようにも思います。大卒ではない僕たちの祖父母と接しても、人格、知識、技能に問題を感じません。もちろん、僕の祖父母も50年遅く生まれていれば、僕と同じく大学に進学する層であったとは思います。

 研究発表の読み方は参考にさせていただきます。「主体的に読む」「枝葉末節にこだわりすぎない」というのは、物事を理解するときに大事ですね。
>(86)(88)あけみさん

 当初の質問の「一時点の賃金データをもとに世代を横断した平均賃金差を使った分析に意味はあるのか?」に関しては、(67)で明鏡止水さん、(87)で赤福パフェぞうさんが書かれたように「意味はない」ということで確信しています。
 しかし、もう一方の質問を(10)で訂正した「日本の高等教育は、職場訓練との差し引きで生産性を高めないという形で実証的な決着はついたのか?」に関しては確信には至っていません。ただ、僕自身は「日本の高等教育に関しては、生産性を高めない」が分析結果の判断として、概ね妥当だと思っています。もし、議論を尽くして意見が分かれた場合は仕方ないのですが、議論の余地があれば続けたいとは思います。

 僕自身は、分析以前の感覚的にもシグナリング理論が現実的で、(差し引きで)技能形成がない高学歴化は社会問題だと思います。そうであれば、他のプラス面があるとしても、マイナス面があることは明示すべきだろうと思います。しかし、これまでの価値観から教育を社会問題とするのに心理的な抵抗もあり、人的資本論を信じたいと思う気持ちもあります。だから、論理的な反論があれば、聞いてみたいと思っているのかもしれません。また、人に説明しようと思えば、自分自身の理解が深まることもありました。

 あけみさんのおっしゃる「怖い」というのとは違うかもしれませんが、従来の価値観や体制を揺さぶる可能性があるという点では、僕も怖いと思います。でも、沈黙したり、ごまかしたりしたくないとも思います。
うーん、この怖いは、
危なっかしいとか難しいの怖いね。
惹き付けられるでもいいか。


大学教育が消費でも私、個人は一向構わないのですいよ。

ぜひとも投資でなくては!
っていうのは、狭い範囲なら税金との絡みで問題になり、
さらには経済を突き抜けていくような方向ではないか。

うん、本筋のそっちも確かに面白いけど、
賃金と生産性、個人選択と社会選択といったのは、
そのへんの見方で話の土台が崩壊しそうだから
危なっかしいレポートだなぁ、という印象があるわけ。
まず、初めに(一般的人的資本形成と特殊人的資本形成とを含めて)教育が生産性に貢献するというのは、疑いようのない事実です。

ある技能について、熟練工が初心者にちょっとしたコツを教えてから始めるのと、何も教えないで始める場合の事を考えてみて下さい。明らかに前者の方が有利です。特に日常でも経験する通り、同じ人物ではまず前者の条件からスタートした方が有利なのはいうまでもありません。

後はある一定以上の知識がないと出てこない発明や発見というのがあるので、そう言う意味でも大学教育は生産性に貢献しています。

これらの我々が良く知っている事実を無視して、教育が生産性に貢献していないかもしれないと考える事はナンセンスです。

では、何故冒頭の研究では進学率に比例して全体の賃金が上がらなかったのか?

一つにはやはり賃金で見たというのが問題なのではないでしょうか?賃金は生産性にはもともと比例しません。

それから社会全体で見ているというのが問題です。実験ではっきりとした差を確認したい場合は、対象となるものが均質な集団でなければ正確な結果はでません。一口に高学歴と言っても、さまざまな職種の人がいます。高卒といっても同じです。各集団に教育効果が十分出る職種の人とそうでない職種の人が混ざりあっていれば、それだけでも実験の結果は不確かなものとなります。

それともう一つは、大学教育と生産性を考える前に、「大学教育の役割を生産性という面だけから考えていいか?」という大きな問題があります。ですから仮に大学教育が生産性を高めていなかったとしても、それだけで進学率を低下させる政策をとるべきだという結論にはならないのです。

後は教育効果が十分に出ているかという問題もあるかもしれません。もともと冒頭の研究では大学に行った人たちがしっかりした教育効果を得ているという仮説があります。もしそれでも、変化がでないならば、大学教育は無効と言う事になるかもしれません。しかし、もしかすると、ほっしーさんも身の回りで見た事があるかもしれませんが、大学には所属しているけど授業にも出ていない、温情でなんとか卒業したなんて人も社会にはいるかもしれません。そういう人を排除した上でないと、本当に教育が生産性に寄与していないのかって解らないですよね?もしかしたら教育が問題なのではなくて、それを受ける気のない学生が問題なのかもしれませんよ。そうするとおのずと対策は異なってくるはずです。

後は「学歴に無関係な部分は相殺する」のところですが、仮に大学教育で同時期の職業訓練の5倍の効果の生産性上昇があったと仮定してみます。大学卒業時点で大卒者は5、高卒者は1で凄い差がついています。(わかりやすく25歳としておいてみましょう。)その後一年で1ずつ大卒者も高卒者も社内教育で生産性が上昇していくと仮定します。60歳の時点で大卒者の生産性40、高卒者の生産性36です。例えば25歳で生産性の比をとると大卒者:高卒者の生産性の比は5:1で5倍もの生産性です。60歳ではどうでしょう?大卒者:高卒者の生産性の比は40:36=10:9でほぼ同等です。だから以前にも記載した通りに卒後の社内教育の効果が大きければ、この研究は全く意味をなしません。むしろ差が出ていたとしても、それを覆い隠してしまう可能性もあります。

このような点で、冒頭の研究はデザインを作り直す余地があるのではないでしょうか?

追伸

今回この論文を提示してもらったおかげで、教育が生産性にもたらす効果として、短期的効果と長期的効果があるという事にも気づく事ができました。

後、93でいろいろ反論しましたが、「日本の社会では大学でのシグナリング効果の方が人的資本形成より大きな役割を果たしている」という事は否定されたと考えたわけではありません。ただ、「そうなのかどうかはこの研究だけではよくわからないのではないでしょうか」と考えただけです。
お二人の即レスに追いつけず、すみません。

>(92)あけみさん

>大学教育が消費でも私、個人は一向構わないのですいよ。

 僕も消費であってかまわないと思います。仮にカルチャースクールであっても、知りたい人、学びたい人は行けば良いと思います。ただ、シグナリングの問題は、学びたくない人でも就職のステップアップとして進学しなくてはならない所にあると思います。
 経済学を学びたくて経済学部に進学した人は少数派だと思います。僕自身も入学前に経済学の概要を理解しておらず、積極的に学びたいという欲求はありませんでした。大学に進学しなくてはならないという制約のもと、合否の成り行きも含めて学部を選んだように思います。法学部や商学部も受験しており、合否の成り行き次第では、抵抗なく他の学部に進学したと思います。実のところは、大学受験時は進学の理由を深く考えず、大学に行くのが普通だと考えていました。しかし、もし高卒でも不利にならない就職の道があれば、就職したかもしれません。僕自身も、経済学を学びたくて学んだとは言えないと思います。

 また「学びたい」が「遊びたい」と同列の消費としての欲求なら、税金を使って奨励する必要はないと思います。仮に「学びたい」が「遊びたい」より格上の欲求?で、奨励すべきという国民の総意があったとしても、大学がカルチャースクールより優遇される理由もよく分かりません。
>(93)(94)赤福パフェぞうさん

>ある技能について、熟練工が初心者にちょっとしたコツを教えてから始めるのと、何も教えないで始める場合の事を考えてみて下さい。明らかに前者の方が有利です。

 これはおっしゃるとおりだと思いますが、適した技能を得る機会を大学が奪っているのではないか?という話ではないかと思います。プログラマにはプログラマの、銀行員には銀行員の、営業には営業の技能があるわけですよね。大学が各々の技能形成に適していないということではないでしょうか。また、論点は大学教育が現場での教育や自習を上回っているかだと思います。「学校は人的資本を形成するのか?」でも『職場訓練との差し引きで』がポイントです。大学で学んだ知識や技能が全く役に立たないという議論ではありません。

>賃金は生産性にはもともと比例しません。

 個別事例で見れば、ラッキーな例、アンラッキーな例があると思います。しかし、ノイズを取り払った平均で見れば、「比例」ではなく「単調な関係」にはあるのではないでしょうか。平均で見ても「比例しない」「単調な関係にない」という論拠を示さないと、他人を説得するのは難しいように思います。また「単調な関係にない」という場合は、大卒と高卒間で縮小拡大する賃金倍率が整合的に説明できないように思います。

>各集団に教育効果が十分出る職種の人とそうでない職種の人が混ざりあっていれば、それだけでも実験の結果は不確かなものとなります。

 教育効果がある職種があれば、各個人は自発的にその職種を選ぶように思います。しかし、高校の普通科や大学の経済学部を卒業して、直接の教育効果が出る職種がほとんどないようにも思います。また、仮にプラスの効果とマイナスの効果が混在するとしても「平均をとると、高めない」という話にはなると思います。

>大学教育と生産性を考える前に、「大学教育の役割を生産性という面だけから考えていいか?」という大きな問題があります。

 考える材料の一部にはなると思います。ほとんどの実証分析は事象の一部、一側面を切りとっていると思います。例えば、公共事業で作られた道路や施設をあまり使われてないことに着目して「バラマキだ」「税金の無駄遣いだ」と批判する場合があります。しかし、それだけでは論理的に弱いので道路の交通量や施設の利用頻度、建設費や維持費のデータを用いて、費用便益分析を行うこともあります。費用便益分析から「金銭換算して、どれだけの費用と便益があるか?」「客観的なデータから損失があると言えるか?」を調べることができます。この段階で、一側面を切りとった費用便益分析は終了します。
 しかし、この費用便益分析で範疇外としている便益や費用はあります。不況期には公共事業を行うことで「雇用を確保する」という側面もあるかもしれません。また、都市より地方を中心に公共事業を行うことで「地域格差をなくす」という側面もあるかもしれません。これらも広い意味では便益と言える可能性はあります。一方で税金で公共事業をファイナンスする場合、課税によるデッドウエイト・ロスも厚生面では費用になります。中には数値化や分析の困難な便益や費用もあると思います。
 実際には、あらゆる要素を分析に含めることは不可能だと思います。また、範疇外とした要素があるとしても、一側面を切り取った分析が無意味とはならないと思います。「研究機関としての大学」「消費としての教育」という要素があるのは確かだと思いますが、「大学での生産性向上」は政策判断に重要な要素だと思います。また数値化や分析ができる要素は、一部であっても分かりやすく表している方が良いと思います。
 ほっしーさんの話を受けて、ふと思いました。
 たとえば、高等教育への進学を希望する人が 高校までの”受験技術”にすぎない勉強しか教えられてこなかった場合、自身の適正が まだよく分からない時は、多くの大学が教養学部のようなプレスクールを設けて、そこから専攻に分化していくようなカリキュラムになってないので、多くの人がほっしーさんのように、試験の結果の如何に於いて専攻を手探り状態で選ばざるを得ないような気がしてます。

 偏差値という客観比較ができそうな数値によって、個人の学習能力をある程度ランク分けして(いわゆる進学校の場合は、偏差値上位高に何人卒業生を送り込んだかで、格付けが決まるようなノルマがあるところが殆どだそうですね。
 これに関しても、客観性や実際の能力査定には疑問を感じますが)
 そういうのが、効果的な人的投資資本や 個人の真の適正や進路を歪めてしまう要因のような気もしてます。

 例えば、労多くして益少ないと思われなければ 医学部を志向する人が激減するとか、法科大学院(ロースクール)や会計大学院(アカウント?スクール)ビジネススクールができれば、就職難の時代はより就職に有利な専門資格を身につける『可能性(あくまで。なぜなら、これらの国家資格は学歴を必要としないので)』を求めて、すでに充分 社会に貢献(つまり、投入されれば単純に企業や自治体の生産性を上げる有能な労働者予備軍であると仮定して)できる能力もある人間を、雇用状況といった社会情勢を鑑みて、教育機関にプールしてしまうなどの例があると思います。

 そういう、あくまで最初から社会的認知の上に於いて、高い収入を得られると思われ、高度に専門化された職能集団を目指す人たちが目指す学部はともかく、経済学のみを志向していたオレにとっては、自分が非常に”ごくつぶし”のような勉強をしてるんではないだろうか?と不安になった時期はありました。w
 (この道を純粋に極める目的で目指している人たちにとっては、非常に迷惑な考え方だと思いますが)
 そういう、一見 社会から見れば 無駄とも思われるような基礎学問に対する政府や国家の投資志向の度合いは低いと感じますね。経済学に限らず。
 つまり、日本の多くの国民が大学に求めている人的資本投資に対する”費用対効果”のようなものが、欧米の大学とは 最初から違っているような気もしました。
 アメリカとイランと中国の学生としか話してないので、他の国の場合は よく分からないのですが。多くの場合は、一つの大学で たった数年で効果が期待できるような、そんなものではないように感じていました。
 でも、この傾向は 日本のみならず、アジアの多くの経済新興国で流行ってる”投資”のあり方ですし、今後もエスカレートするような気がしますね。
 資本とは、循環する事によって 効果が上がるものだと思いますので、一方通行で飽和状態になるような資本投資には、必ず限界があると思うのですが。

 また、話が逸れるような 枝葉末節を書いてしまったと思います、おジャマしました。^^λ
 
>(93)(94)赤福パフェぞうさん (続きです)

>大学には所属しているけど授業にも出ていない、温情でなんとか卒業したなんて人も社会にはいるかもしれません。そういう人を排除した上でないと、本当に教育が生産性に寄与していないのかって解らないですよね?もしかしたら教育が問題なのではなくて、それを受ける気のない学生が問題なのかもしれませんよ。

 大学が自堕落な生活を助長してしまうなら、それも含めて大学の平均的な効果だと思います。また、授業を受ける気のない学生でも、就職や世間体のために大学進学しなくてはならないのが、シグナリングの問題の一つだと思います。投資として生産性を高めないだけではなく、消費としても効用を高めません。
 また、教員が申し合わせれば、単位や卒業を厳しくすることは難しくないと思います。仮に教育に効果があれば「あの大学はスパルタだが、教育効果が高い」という評判ができ、学生も集まるはずです。しかし、大学に関してはあまり、こうした風評を聞きません。仕事に使う多様な技能と大学の授業が乖離しすぎているからではないかと思います。
 そもそも、授業の中身の何が作用して生産性を高める可能性があるのか?が分かっていません。つまりは「因数分解、古典文学、一般教養、マクロ経済学が、どう生産性を高めるのか?」という素朴な疑問が解決されてないのです。生産性以外の観点からこれらが必要という議論はあっても、ほとんどの職業の生産性は高めないだろうと思います。職場訓練との差し引きでみれば、平均マイナスだろうと思います。


>例えば25歳で生産性の比をとると大卒者:高卒者の生産性の比は5:1で5倍もの生産性です。60歳ではどうでしょう?大卒者:高卒者の生産性の比は40:36=10:9でほぼ同等です。だから以前にも記載した通りに卒後の社内教育の効果が大きければ、この研究は全く意味をなしません。むしろ差が出ていたとしても、それを覆い隠してしまう可能性もあります。

 赤福パフェぞうさんのお話を考えると、20歳代だけに着目して分析すると良いということになるでしょうか?ただ、ある年齢層を切り出す分析は、各年齢時に「生産性=賃金」という前提があると思います。高齢時の賃金を生産性以上に高くしてインセンティブをつけるなどの発想を排除してしまいます。

 また、ご指摘の通りだとしても「効果が薄まってしまい、検出しにくくなる」と言えても、無意味にはならないと思います。例示された中で最も差の小さい60歳をとっても10:9で10%以上異なります。ここまで大きい差があれば、実証分析の結果にはっきりと出てくるだろうと思います。例えば、ある世代、ある人、ある年齢にとって、差し引きでプラス10%の大学教育の効果があったなら、他の対象にはプラス5%の効果に低下する余地があり、変化も影響も大きいと思います。しかし、ある対象にプラス0.1%の効果だったものが、他の対象にプラス0.05%に下がったとしても、誤差の範囲であることには変わらないように思います。実証分析の結果を「薄まってしまって、覆い隠されてしまう程度の効果しかない」と解釈しても、重要な意味があると思います。
ターカーさん、有効な横やりどうもありがとうございました。

ほっしーさんも重要な問題提起をして下さってはいるのだと思いますが、やはりこの論文一つだけにこだわるのはあまり良くない様な気がします。

自分が冒頭の論文でやはり疑問に思うのは、賃金は以前にも書いた様に、スピルオーバーなどで社会的に循環する可能性があるので、その分をどう言う風に補正するかという問題です。もしこの論文が、単一の作業が似た職種で高卒と大卒とみて進学率の変化により、その職業全体の賃金合計がどう変化したかを見れば、進学率変化と生産性の変化を正しくとらえられるとは思います。

あとほっしーさんの大学と生産性に関する問題ですが、日本では明治維新で明治に移って、列強に追いつくための政策として東大をはじめとした大学が出てきているので、我々もなんとなく大学と生産性の事に興味が行きがちですが、ヨーロッパの伝統からみると大学は社会に対してもっと重要な役割を果たしている様ですよ?ここら辺は立花隆さんがいろいろと著述しているので、読まれてみてはいかがでしょうか?(「東大生はバカになったか」etc)

あとは自分で気がついて、先のコメントにも述べた事なのですが、(らぎさんも少し触れていますが)生産性に関して、仕事の作業法の教育など即効性のある教育と、発明発見の基盤を生むという生産性に対して遅効の教育効果と両方あるので、そこらへんも良く考えていかないといけないと思います。そういえば日本で青色発光ダイオードを発明した人は実際には生産性を著しく上昇させたと言えると思うのですが、社会的な賃金に反映される仕組みがなかったために、多分この研究の期間では有効な賃金を手に入れる事が出来なかった様ですね?こういう問題もあるので、とにかく冒頭の論文だけで物事を早急に考えようとする事は良くないと思いますよ。

あと不思議な事なのですが、最近の日本をみると、なんとなく学生よりも社会人がとても勉強している気がします。自分がこのコミュにティーに参加している事も含めて、卒後教育ブーム、社会教育ブームがあるようです。考えてみると自分も学生時代より今の方がはるかに短時間で多くの事を勉強するという意味で効率的な勉強をしています。とても不思議です。ただ、もしかするとこう言った事は進学率が高いために起こってきた社会効果かもしれないという気もします。こう言った点も含めて検討していかないと、大変かもしれないけど、シグナリングと人的資本形成に関連する学術論争の決着は重大です。変化させてから違っていたじゃすまない、それこそ頭の良い経済学者さんが腕を振るうべき研究テーマじゃないでしょうか?

自分も非常に興味を持ちました、一足飛びにはいかないけど、おいおい勉強させてもらいます。ほっしーさんには大変感謝しております。
>(97) らぎ’さん
>多くの大学が教養学部のようなプレスクールを設けて、そこから専攻に分化していくようなカリキュラムになってないので、多くの人がほっしーさんのように、試験の結果の如何に於いて専攻を手探り状態で選ばざるを得ないような気がしてます。

 確かに東京大学の進振りのような制度があれば、入学後にも学科を選ぶ余地はあります。ただ、文二に入ると、ほとんど経済学部に行きます。例外的に他の学部や学科に行けるというのは、他の大学にもある転部や学科変更と同じかもしれません。また、僕は「大学のどの学科を選ぶか?」以前にあるはずの「どの学科も選ばず、大学に行かない」という選択が、就職事情を考えると困難ということが気になっています。

>経済学のみを志向していたオレにとっては、自分が非常に”ごくつぶし”のような勉強をしてるんではないだろうか?と不安になった時期はありました。w
(この道を純粋に極める目的で目指している人たちにとっては、非常に迷惑な考え方だと思いますが)

 この感覚は僕も分かります。「文学、哲学、芸術よりは良いはず」と思ったこともありました。しかし、芸術は他人を楽しませるケースが多いと感じました。仮に僕個人が経済学を楽しんでも、それは僕個人の食事のように自分のためだけの消費に過ぎないと不安になりました。
 もちろん、アニメオタクや鉄道オタクがいて良いように、経済学オタクや文学オタクがいても良いと思います。ただ、経済学オタクや文学オタクに限って、税金で奨励することは正当化しづらいとは思います。もしかすると、アニメオタクの方が外部性があるかもしれません。

>そういう、一見 社会から見れば 無駄とも思われるような基礎学問に対する政府や国家の投資志向の度合いは低いと感じますね。経済学に限らず。

 国家は国民から成り立っていますから、そういう投資志向が低いのが多数の日本人の幸せにつながっているのかもしれません。欧米人は「休暇のために仕事をする」、日本人は「良い仕事をするために休暇をとる」と言われます。消費や投資の観念にも通じるものがあるかもしれません。普遍的にどちらが良いとは言いにくい問題だと思います。
>(99) ターカーさん

 論文情報、ありがとうございます。

 しかし、多くの日本人は英語を読むことに慣れていません。また、学術雑誌は、ほとんどの公立図書館にも置いておらず、電子媒体もアクセスが困難です。一般の書籍になっていても、同じ時期に本を借りたり、買ったりして読まなければ、議論がしにくいという問題はあります。
 山形・池田「生産性論争」にしても、今回の『学校は人的資本を形成するのか?』にしてもネット上でいくつか議論されているのは、専門知識がなくても理解でき、アクセスしやすいという点があるのだと思います。
 もし、分析の概要や結論を書いていただけるなら、できるだけコメントさせていただきたいとは思います。でも、種々の敷居の高さから学術論文を取り寄せて読むことは難しそうです。
>(100) 赤福パフェぞうさん

>賃金は以前にも書いた様に、スピルオーバーなどで社会的に循環する可能性があるので、その分をどう言う風に補正するかという問題です。

 この部分に関しては(90)でコメントしました。スピルオーバーがあるとしても一般的な人的資本論とは異なるように思います。また、論理的ではありませんが「大卒者自身の生産性(賃金)すら上げられないのなら、大卒者以外の生産性(賃金)を上げられるとは考えにくい。」とは思います。仮に双方が上がるとしても、前者がより大きく上がるなら、実証分析の結果に出てくるように思います。

>単一の作業が似た職種で高卒と大卒とみて進学率の変化により、その職業全体の賃金合計がどう変化したかを見れば、進学率変化と生産性の変化を正しくとらえられるとは思います。

 ある職種や企業の業績が良ければ、就職したい人は増えると思います。(もともと生産性の高い)大卒から順に好業績の職種や企業に就職すると「業績が良い→賃金合計増える→大卒が増える」という因果になります。仮に「1人当たり賃金の高い職種や企業に大卒が多い」としても、大学による生産性の変化は分からないように思います。例えば、金融業は他の産業より大卒のシェアは高く、増加中だと思います。また、金融業は1人当たりの賃金は高いと思います。しかし、大学が金融業の技能をつけて生産性を高めたから高賃金になっているとは考えにくいです。


>ヨーロッパの伝統からみると大学は社会に対してもっと重要な役割を果たしている様ですよ?ここら辺は立花隆さんがいろいろと著述しているので、読まれてみてはいかがでしょうか?(「東大生はバカになったか」etc)

 立花隆さんの著書はいくつか読みましたが、「東大生はバカになったか」は未読なので、時間に余裕ができれば読んでみようと思います。ただ「もっと重要な役割」を具体的に挙げているのであれば、箇条書きでも書いていただけるとありがたいと思います。(でも、しつこいようであれば、終わっていただいてかまいません) また、著名人が言っているから結論を鵜呑みにするということは避けたいと思います。論理的であれば、匿名やニックネームであってもかまわないと思います。


>社会的な賃金に反映される仕組みがなかったために、多分この研究の期間では有効な賃金を手に入れる事が出来なかった様ですね?

 中村修二さんは賃金ではありませんが、裁判を通じて8億4000万円の和解金を得ました。和解金ほど高額ではないと思いますが、日亜化学工業を退社しなければ出世コースにのり、かなりの高賃金が得られたと思います。また、中村修二さんは極端な事例だと思いますが、一般的にも若い年齢に着目しての分析は難しいと思うようになりました。20代の仕事の生産性は20代の賃金に大きな影響を与えないように思います。しかし20代での仕事の生産性は、30代、40代になると出世や賃金に大きく効いてくるように思います。

>自分がこのコミュにティーに参加している事も含めて、卒後教育ブーム、社会教育ブームがあるようです。

 確かに、大学を卒業すると「もっと勉強しておけば良かった」と思います。消費としての教育であれば、若い時に集中する必要はないのかもしれません。
ある職業の就業人口についての考慮を忘れていました。この点はすみません。


>消費としての教育であれば、若い時に集中する必要はないのかもしれません。

少なくとも自分自身が今勉強しているのは、まったく消費ではないです。凄勢いで利息が戻ってきていますけど・・・。マクロ経済を中心に勉強している人にはあまり経済学が即効性のイメージがないかもしれませんが、自分にとっては経済学の勉強は超速効性です。(もともと資源配分が下手だっただけかもしれませんが・・・?)

冒頭の論文に関して、何度か議論が繰り返されていますが、基本的にほっしーさんは冒頭の論文を信じる気持ちが強いような気もします。しばらく時間をおいてから冷静にみてみるといいのではと思います。あるいは、むしろ御自身で結論を出すよい方法を検討する(いい研究デザインを考える)とかにした方が、いつまでもこの論文にこだわるよりはよりよい勉強になると思います。

後は教育についての考え方が一面的で、どちらかというと悪い方にとらえ過ぎている様な印象を得ました。この点、論じあっても議論が平行線になりそうな気がします。

および、もう一度このトピにおける自分のスタンスを明記しておきたいのですが、「人的資本形成やシグナリング理論についてはまだ知らない事が多い。興味を持ったので、もう少し勉強したい。」です。冒頭の論文はともかくとして、自分にはこの問題について述べるだけの十分な知識と実力がありません。(というわけで、そろそろここからいったん降りたい気もしています。)

ではまた。
>(104) 赤福パフェぞうさん

>(というわけで、そろそろここからいったん降りたい気もしています。)
ではまた。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
また、別のトピでお話しできれば良いと思います。
>(106) なまけんさん

論文情報ありがとうございます。双子のデータを使った実証分析は今のところ議論されていません。ご紹介いただいたアドレスから1ページ目だけは読むことができました。3300組の同性の双子に調査を実施するというのは、大変な分析ですね。

確かに双子のような進学前の生産性が同じと言える個人データがあれば、大学の効果は分析できるかもしれません。しかし、1ページ目には調査や論文の長所は書いてありますが、結論は書いていません。もし、ご存じでしたら、結論を簡単に教えていただけるとありがたいです。

論文内に説明があるかもしれませんが、「双子だったら、進学前の生産性は同じか?」は怪しいかもしれません。
>(108) なまけんさん

working paperのご紹介ありがとうございます。要旨には双子を使ったイギリスの女性の教育の収益率は7.7%と書いてあります。また、データは1999年に3300組の同じ性の双子を調査したとあります。僕は、(71)(72)で 一時点のデータによる進学の収益率、生涯賃金、Mincer型の賃金関数は意味がないということを書きました。この部分は、確信を持っています。しかし、双子のデータを使えば意味のある分析になるのでしょうか?

分からない部分も出てくると思いますが、きちんと読んで意見や質問をまとめてお返事しようと思います。お返事まで、長いと一週間くらいかかってしまうかもしれません。もし、「双子のデータを使えば、意味がある分析になる」などのご説明があれば、返事の前にでもいただけると助かります。
>(108)(110) なまけんさん

 お返事がたいへん遅れてすみません。ご指定いただいたBonjour et al.(2003) を読んでみました。
http://ideas.repec.org/p/qmw/qmwecw/wp453.html
数学や計量経済学を復習しながら読んだので、時間がかかってしまいました。

(110)に書かれた
> Bonjour et al.(2003)の方法はMincer型賃金関数の推定を改善する(つまり、個人の能力等を推定から除去し、学歴のみの効果を見ることができる)に過ぎませんので、結局は世代間の「何らかの強い効果」は除去できないですよね。

には同感です。でも、Bonjour et al.(2003)には面白いと思う点がいくつもありました。またMincer型賃金関数?も分かってきました。被説明変数の賃金に対数をとっているので、βは教育年数が増加した場合の変化率になるのですね。(71)で書いた進学の収益率と名前が似ていますが、別の概念ですね。

 「双子なら進学前の能力が同じか?」や「同じ進学前の能力、同じ家庭環境なら、どうして双子で学歴が異なるのか?」などは研究上も議論があるようですね。また、双子の学歴は同じケースが多いので推定上の問題を起こるようですね。「双子であっても、進学前の能力が観察できないという問題は消えない。推定値は教育の効果の上限に過ぎない。」という点は納得できます。

 推定結果のTable2は、以下のような対応ですね。
Column1:全てのサンプルを使ったMincer型賃金関数の基本形
Column2:双子のサンプルに限ったMincer型賃金関数の基本形
Column3:Column2の教育年数に双子の他方が答えた値を使用
Column4:「双子の対数賃金差」を「双子の学歴差」を使って推定
Column5:Column4の教育年数に双子の他方が答えた値を使用
Column6〜9:教育、年齢以外の説明変数をColumn2〜5の推定に加える

 Column4、5、7、9は双子の年齢は同じなので、年齢は説明変数から外れてしまうのですね。このため、要旨にも示してあるColumn5の7.7%は、年齢での調整すら行えず、調査時点での全ての双子に対して同じ教育の効果があるという前提で推定されています。これは感覚的にも大雑把に思いますし、「何らかの強い効果」を無視する形となっていると思います。

 この分析では「誕生時の体重」や一部のサンプルのみにある「11歳時点のテストの点数」から、進学に対する能力の影響は家庭環境の影響より小さいと示しています。しかし、誕生時や11歳では大学進学の選択をする時期まで長い期間があります。ここから能力の影響は小さいというのは苦しいように思います。

 また、「学歴は当人ではなく、双子の他方に尋ねた方が良い」に関する理由は別の論文を引用しており、分かりませんでした。当人の方が正確に自分の学歴を分かっているように思います。
>(111) ターカーさん

お返事が遅れて、すみません。

>先日、ご紹介した論文の説明を未だに書いておらず申し訳ないですが

 僕もたいしたコメントができるとも思えませんので、無理をして書いていただく必要はありません。でも、書いていただければ、できるだけコメントします。

> 一時点のデータを使ったMincer型賃金関数の推定は意味がないという指摘に関してです。
> たとえば、control variableとして年齢を用いることによってコーホート効果などをキャプチャーしている場合でも、その推定結果には意味がないのでしょうか。

 僕は意味がないと考えています。一時点のデータを使ったMincer型賃金関数の推定には二つの問題があると思います。一つはまとめて扱うには、対象としている世代が長すぎるという問題です。もう一つは進学率が変化すれば、賃金格差は見せかけ上変わるという問題です。

 僕が(71)で画像で示した2001年の学歴別の平均賃金データからも、「対数賃金=α+β教育年数+γ年齢+δ年齢^2」の推定式で、計算上は教育の効果とされているMincer型賃金関数のβを推定できます。βの推定値が正になるのは明らかですが、「40年一世代」とした「ほぼ見せかけの賃金格差の変化に対する教育年数の影響の平均値」であって、教育の効果の目安にすらならないと思います。

 一つ目の「40年一世代」の問題は、40年間という長期の世代をまとめているということです。この推定で使った2001年のデータは、以下の賃金倍率の調査年末尾1、6の一番右下の斜めのデータに対応しています。
http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j2_wage_data.htm#s31wage_hu
 2001年調査の20〜60歳を推定用のサンプルとするなら「1941年生まれ〜1981年生まれ」の40年分の世代をまとめて推定していることになります。年齢部分を「γ年齢+δ年齢^2」で調整できると考えても、βは40年分の世代をひとまとめにした平均値になるはずです。40年で一世代は感覚的にも長すぎます。また、その40年一世代の中で「何らかの強い効果」が働いています。これは解釈にかかわらずデータだけから分かる問題です。
>(111) ターカーさん(続きです)

 もう一つの「ほぼ見せかけの賃金格差変化に対する教育年数の影響の平均値」は、分布の区分を無視している問題です。年齢を説明変数に加えても、この問題は避けられないと思います。このトピの初めの(10)では、年齢を考えない単純な例を示しました。仮に、A年調査とB年調査で3人の労働者が存在して「ある年齢層」や「生涯での平均」した実質賃金が20万円、40万円、50万円とします。賃金の高い者から順に大学に行っており、A年調査では上位1人、B年調査では上位2人が進学していたとします。ここでは、2つの調査時点ともに大学は生産性(賃金)に影響を与えない場合を考えます。

[A年調査:学歴別平均賃金より]
20万円 40万円 /←高卒・大卒→/ 50万円  
高卒平均賃金が30万円(対数:12.61)、大卒平均賃金が50万円(対数:13.12)です。大学4年間とするとβは0.51/4で0.1275です。

[B年調査:学歴別平均賃金より]
20万円 /←高卒・大卒→/ 40万円, 50万円  
高卒平均賃金が20万円(対数:12.21)、大卒平均賃金が45万円(対数:13.02)です。大学4年間とするとβは0.81/4で0.2025です。

 この例では「ある年齢層」や「生涯での平均」の賃金を考えているので、年齢で調整する必要はありません。A年調査でもB年調査でも大学の真の効果は0のままで、各個人の実質賃金は変わっていません。しかし、見せかけ上、被説明変数が変化し、教育の効果とされているβは0.1275から0.2025に増加します。教育年数の賃金に対する変化率は、A年調査からB年調査で13%から20%に増加したと書けてしまいそうです。

 また賃金構造基本調査のような学歴別平均賃金ではなく、なまけんさんにご紹介頂いたBonjour et al.(2003)のように個人の賃金が「20万円、40万円、50万円」と分かる場合でも同じ問題があります。20万円(対数:12.21)、40万円(対数:12.90)、50万円(対数:13.12)なので
[A年調査:個人の賃金より]
12.21 12.90 /←高卒・大卒→/13.12 
高卒平均は12.55、大卒平均は13.12です。

[B年調査:個人の賃金より]
12.21 /←高卒・大卒→/ 12.90 13.12
高卒平均は12.21、大卒平均は13.01です。

 教育1年あたりの効果とされているβは、A年調査では0.57/4=0.142、B年調査では、0.80/4=0.200になります。大学教育の真の効果は一貫して0なのに、教育の効果が14%から20%に増加したと書けてしまいます。先に平均をとるか、先に対数をとるかで推定値は多少変わりますが、要点は学歴別平均賃金でのMincer型賃金関数の推定と同じです。こちらは被説明変数は固定されていますが、説明変数が変化しています。

 これは分布や進学率を無視して考えられないβの解釈に関わる問題です。分布や進学率を無視した進学の収益率、学歴別生涯賃金、Mincer型賃金関数は目安にすらならず、全て意味がないのだろうと思います。

 前者の解釈に関わらない問題は、分析対象の世代の中に「何らかの強い効果」があるにしても40年一世代とした平均値をとっていると言えるかもしれません。しかし、後者のβの解釈の問題は、被説明変数や説明変数が見せかけ上変化するので致命的です。
>(111) ターカーさん(これで最後です)

> シカゴ大のヘックマンたちのサーベイ論文にもそういう批判は書いてなかったような気がするんだけどなー。

 そのサーベイ論文がこの1、2年のものでなければ、分布の区分の問題に気がついていなかった可能性は高いと思います。英語版の「A fallacy of wage differentials」や「Do schools form human capital?」の公開は2005年です。簡単にウェブを検索した範囲で引用している英語論文は、Baldi(2006)「Changes in relative wages in Japan」 のP8〜P9だけでした。
http://www.jil.go.jp/profile/documents/Baldi_jp.pdf
Baldi(2006)は、日本の賃金を分析をしているので、見つかりやすかったのかもしれません。"his hypothesis and analysis certainly deserves greater attention"とあります。

 またウェブ上で公開されても、短期間で知れ渡るとは限らないようです。だから、このトピの最初に挙げた『学歴社会の法則 教育を経済学から見直す』(荒井一博:2007年12月13日刊)では、意味のない進学の収益率の数値を挙げてしまっているのだと思います。

 学術論文中心の話になると、僕には荷が重くなります。齋藤さんに尋ねたり、ここで議論してもらうべく交渉したりした方が良いかもしれません。

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