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ONC LibraryコミュのナホバGC殺人事件

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ナホバGC殺人事件     
 作:スライスつらいっス!
             構成・演出サポート:アイ編集長
                    2006年8月12日

●第1話 「OB」

ナホバGC5番ホールのグリーン上。
4人の男たちが初夏の夕日に脂汗をしたたらせていた。

「へへっ、このホールもわいのもんや。すまんのぉ」

粟田権造のたらこのような分厚い唇が、醜く緩んだ。
バーディーパットに向かって、権造の両手がゆっくりとテイクバックの軌道をなぞり始めたその瞬間だった。

「ファァァァアアア〜〜〜〜ッ!」

数人の男たちの野太い声が、権造の背後から上がる。
「カランッ」
乾いた音をたてて、何事もなかったかのように権造の打球はホールに吸い込まれる。

「あほらし。やってられんわ。もう3万も負けとる。権造はん、あんた、心臓に毛はえとるんとちゃうか?OBもなんも関係あれへんやないけ」

苦りきった表情で藤田肇は、アドレスのまま微動だにしない権造の左肩を叩いた。

ドサッ

権造はそのまま前のめりにグリーンに倒れこむ。
権造の右こめかみに、しっかりとゴルフボールがのめりこんでいた。



「ったく、なんであたしが、こんなことにまで、立ち会わなくちゃならないのよっ!事故にきまってるじゃない。山根!検死官は、まだこないの!」
田山和代、29歳。彼女が殺人課刑事として奈良県警に赴任して2年になる。
念願の殺人課刑事になれたものの、配属先は生まれ故郷の奈良。しかも大宇陀署である。
殺人事件などおこるはずもない平和な山村では、夜毎にきかされる両親からの見合い話と同じくらい退屈な日常が、彼女をヒステリックにしていた。
「そう殺人事件なんかであるはずがない・・・・」
そう否定しつつ、実は彼女は気にかかっていたのである。
粟田権造の命を奪ったのは、自他ともに認めるこのコースの誇るトップアマ、柳田勉だった。
「申し訳ないことをしました」
静かにそう語ったときの彼の瞳、そのあまりの決然とした輝きの強さに和代は、えもいわれぬ違和感を感じ、いらついていたのである。



●第2話 「トップアマ」

「今、検死のほうから報告があったんっすけど、やっぱり死因はゴルフボールによる右頭蓋骨陥没。即死ですね。毒物等も検出されなかったそうです。」
そう事務的に山根晃は告げると、ポケットからタバコをとりだし、火をつけた。
「まっ、単なる事故っすね。
ふぅ〜っ、また来月から値上げかぁ〜・・・。たまらんなぁ」

「上司の前で、咥えタバコはしない!何度言ったらわかるのよ!君は。」
昨日からのイライラをひきずりながら、和代はピシャリと机の端を叩いた。

事情聴取の際の柳田勉の瞳の輝きの強さが、脳裏からどうしても消えない。

柳田勉。45歳。
建設会社に勤務。営業マンで職場の同僚たちの評判はすこぶるいい。営業成績は人並み。年収は約800万。
家族は、1つ年上の妻と8歳になる息子がひとり。奈良市内の山村の出身だが、両親はすでに二人とも他界。今は奈良市郊外の学園前という住宅街に4年前に一戸建てを購入。そこに暮らしている。

平凡なサラリーマンである。
ゴルフの腕前を除いて・・・・。

ハンデは2.4。
昨年の関西ミッドオープンでは2位。
ホームコースのナホバGCは、1昨年会員権を購入したようだ。
そして、いきなりクラチャンである。

「凄いっすよねぇ・・・やっぱり。ほとんどパーかバーディーだもんなぁ。俺には考えられないスコアだ。」
事件当日の柳田のスコアカードを左手でひらひらさせながら、晃はまたタバコをふかしていた。

「あのねぇ・・・・。仕事もそんなだから、いつまでたっても100切れないのよ!君は!」
そういうと、和代は晃の手から、スコアカードをひったくった。
「ゴルフは和さんも俺とたいして変わらんじゃないっすか。ヒヒヒ」
おずおずと、タバコを灰皿に押し付けながら、晃は言った。
「そんなことより、もう、柳田のメンバーの取り調べは、済んだの?」
晃からとりあげた柳田のスコアカードに目を落としながら、和代は尋ねる。
当日の柳田のパーティは、彼も含めて3人。
所 健一。44歳。会社員。
前田 則道。40歳。飲食店経営。
この二人が柳田の同伴メンバーである。

「所も前田も、ゴルフの腕前は俺や和さんと、どっこいどっこいです。」
ほんとに、むかつく!歳の近い男の部下ほど扱いにくいものはない。
和代は晃をにらみつけながら言った。
「あのねぇ、100きったこともない、あんたと一緒にしないで!
それより、2人と柳田の関係は?マジメにやってよ!山根君!」

「二人ともナホバGCの会員になったのは柳田の半年くらい前ですね。3人は練習仲間でネット上のゴルフサークルで知り合ったみたいです。
そういやぁ、所が面白いことを言ってました。
柳田には、スコアじゃかなわないけど、飛距離じゃぁ所のほうが勝ってるそうです。
200Yくらいしか飛ばないっていってました。
へへっ、俺と変わらないや。」

「200Y・・・
確かにシングルハンデの男性にしては、飛ばなさすぎる・・・」

和代の眉間に深い縦皺が刻まれた。

和代が初めて柳田勉に会ったのは、事件当日の夜、ナホバGCのビップルームでだった。山根に付き添われ、ドアを開けて入ってきた柳田は以外に小柄な男だった。たぶん、160cmくらいだろう。山根の肩あたりまでしか背丈がない。さすがにゴルファーだけあって日にはよく焼けていたが、ノンフレームのメガネとその異様に落ち窪んだほほからは、病弱な雰囲気が漂っていた。

「お座りください」
和代はできるかぎり柔らかいトーンで声をかけた。
椅子に深く腰をかけ、背筋をピンと伸ばすと、和代の目を真っ直ぐ見詰めて柳田勉は、こう言ったのだ。瞬きひとつせずに、力強い瞳で。

「申し訳ないことをしました。」

この瞳だ。私が気に入らないのは。
事故とはいえ、人を殺した直後の人間が、どうしてこんなに堂々としていられるのだろう。こんなときでもトップアマにまでなるような男は、冷静沈着でいられるのだろうか?
柳田勉からは、大それたことをしてしまったというような狼狽が、微塵も感じられないのである。
どうしても、和代は、柳田が被害者に対して謝罪しているようには感じられなかったのだ。柳田の表情は、まるで大きな事件を解決した刑事が被害者の墓前に謝罪するときのような、そんな表情だった。子供の頃、和代が見た父のまなざしとそっくりだったのだ。

そう、和代の父、田山利一は元刑事で、今は和代の勤務する大宇陀署の署長だった。



●第3話 「重なる偶然?」

あれから2週間がたとうとしていた。

何度初動捜査の資料を読み直しても事件にする根拠はない。
被害者側の人間関係も洗いなおしてみたが、柳田勉との接点がまったくない。
死んだ粟田権造は、いわゆる町金を経営していて、恨まれることも多いのだろうが、日歩業社であるため自営業でない柳田が借金をすることもない。
同組の人間は他に3人。
粟田のばくち仲間で、表向きはタバコ屋の主人だが、ウラで競馬の胴元をしている藤田肇。
栗田の馬鹿息子で栗田の会社の専務をしている和夫。
和夫の同級生で大学の助手をしている青野進。

何れも柳田と接点がないばかりか、栗田和夫以外はナホバの会員ですらないのである。ゴルフの腕前にしても、柳田と張り合えるのはヒマと金をもてあましている道楽息子の典型の栗田和夫ぐらいだが、彼とて柳田と同組で回ったことすらない。

どうして、あたしは、こんなに拘ってるんだろう。

実は今日、和代はある人と1ヶ月ぶりにデートの約束をしていた。
ある人・・・そう、和代の恋の相手である。
ゴールへたどり着く可能性の乏しい恋であった。
彼とは、もう、2年もこんな状態が続いている。
結婚できる相手ではない。
1年1年自分は女としての旬を過ぎていく。
あせっているわけではない。
父の勧める見合い相手と結婚し別のゴールを選択することも今なら可能だ。
そうしてしまえば、こんな理不尽なイライラを募らせることもなくなるのかも知れない。
世界中で一番一緒にいたい相手との時間を なぜあたしは、自分から断ったりしたんだろう。
そうだ、あたしは怖かったんだ。
心の中にもやもやをかかえたまま彼にあうと、彼との関係にも決着をつけようとしかねない自分が・・・・。

ふぅ〜〜〜〜
和代は深いため息をついた。
そのときだった。

「和さん!大変っす!マジ、ヤバイッす!」
珍しく能天気な晃が息せき切ってかけこんできた。
「また、桜井のパチンコ屋あたりで大負けして金貸してくれっていうんじゃ、ないでしょうね!」

「ナッナナナナッナホバでまた人が死んだんです!柳田勉のOB球で!
被害者は・・・・・・藤田肇」

和代の脳裏に柳田のあの強い瞳の輝きが蘇った。

「ほんとうに申し訳ないことをしました」
同じように柳田は、決然と言った。そうなのだ!決意が感じられるのだ!

「いったい、誰に対して謝ってるんですか!?解るように説明してください」
和代の口調は、前回よりはるかに厳しいものになっている。
今回、死んだ藤田のパーティーは彼を含めて3名。
なんと!前回と同じ栗田和夫と青野進なのだ。
「柳田さん、あなたは彼らと 本当に一度も面識がないんですか!」

「ありません」
柳田は静かに、しかし、はっきりと答える。ただ、その目は和代の肩越しに窓からコースを見つめているようだった。

柳田のパーティーは人数こそ前回と同じ3名だが、彼を除く2人は前回とはことなっている。
横山良治、50歳、ネットサークルの主催者で昨年柳田にその取って代わられるまで
ナホバのクラチャンだった男と、その妻、芳子、32歳である。

そして事件が起きたのも、5番ホールのグリーン上。
またしても、7番から打った柳田のティーショットが、右OBとなり、その球が藤田の右こめかみを直撃したのである!

「柳田さん、こうなると偶然とは言えないでしょう!」
和代の詰問に、しかし、柳田は黙って静かにコースの方を見つめるだけだった。強く思いつめたような瞳で・・・。



●第4話 「ナホバGC」

結局、事件当日の事情聴取からは、目新しい材料は得られず、2回の事件とも初動捜査から得た情報をなんど見直しても事件とするような根拠はなかった。
その恐ろしく類似したシチュエーションと登場人物の共通性を除いては・・・。

捜査の進展にともなって、はっきりしてきたのだが、確かに柳田のドライバーショットの精度は和代の想像をはるかに絶する凄ざまじいものだった。ナホバGCの9番ホールは188Yのパースリーなんだが、なんと2年弱の間に柳田はこのホールで5回もホールインワンを記録しているのである。しかもティーショットに使用したのはいずれもドライバーだという。だからこそ飛距離はなくとも、あれほどのスコアをたたき出せるのだろう。

しかし、それがなんだというのだ。

柳田がOBを放った7番ホールのティーイングラウンドからは、5番ホールのグリーンはまったく見えない。それに、いつ被害者の栗田が5番ホールのグリーンに来たかも柳田にはわかりようがないのだ。距離的には確かに柳田の飛距離でも充分届きはするが、200Y先のしかも林越えで見えない人の頭を狙ってドライバーショットを放つなどということはありえない。
第一、柳田と栗田の間には何の接点も浮かんでこない。同じコースの会員というだけで、過去の記録を調べても同組でラウンドしたことさへ無いのだ。

柳田には、栗田を殺す動機がないのである。
二人目の被害者、藤田に対しても、このあたりの事情は全くおなじだ。

「コホン!いい年をした嫁入り前の娘が、こんな時間まで何をしているのかね?」
気が付くと和代の背後に、父、田山利一が立っていた。
和代は困った目で父を見つめる。
和代の左肩にそっと手を置くと、利一は静かに言った。

「現場100回。これが捜査の基本だ。」

さすが、父親だ。家ではうっとうしいだけの存在だが、職場では頼りになる。
和代が頷くと、父は満足げにウィンクした。
困ったオヤジだ。
和代は心のなかで苦笑した。

「ったくぅ〜勘弁してくださいよ〜。今日は休みなんっすから」
ボサボサの髪の毛を手でかきむしりながら、山根晃はゴルフバックをトランクに積み込んでいる。
「つべこべ言わないの!捜査に土曜も日曜もないのよ!さっさとして!」
そう言うと和代は、ラパンのドアをバタンと閉めて乗り込んだ。

ナホバGCは大和高原の中にある出来てから10年くらいにしかならないゴルフ場だ。
カジュアルに楽しめるゴルフスタイルを売り物にしていて、ホールは9Hしかない。ここを2回ラウンドすることになるのだが、前半と後半ではピンの位置が変えられている。グリーンはアメリカンスタイルのポテトチップスグリーンで広くうねっている。おまけによく整備されていて、かなり高速だからパーオンしても落とし所によってはかなりてこずることになる。フェアウェイの手入れもいい。距離はないが、クセのあるトリッキーなホールが続く、結構責め甲斐のあるゴルフ場だ。

山根晃はスタイルがいい。手足がとても長いのだ。くやしいながら、その点は和代も認めざる得ない。スイングのフォームだけを見ているとプロみたいである。しかし1番ホールティーイングランドで彼の長い腕から放たれた打球は200Y地点から左へ急旋回し、コース左のカート道で大きく跳ね上がると、むなしく谷底へ消えていった。
「ちぇ!ひっかけちまったぜぃ!」
頭をかきむしりながら戻ってくる晃に対して、和代は冷たく言い放った。
「たくぅ、参考にも何もなりゃしない。親父をつれてきたほうが、まだましだったわ!このホール、ギブアップなさい!5番ホールまで一気に行くわよ!」

「そんな、無茶苦茶な・・・」
晃を無視して和代はカートのアクセルを踏み込んだ。


「やっぱり、あそこからじゃぁ、見えるはずがないわね・・・」
5番ホールを終了した和代と晃は、7番との間にある6番ショートホールの茶店で少し休憩することにした。2サムは結構疲れるのだ。特に晃のようにどっちに球が飛ぶかわかったもんじゃない相手をパートナーにした場合は・・・。

「いくら柳田が凄いといっても、到底不可能だわ・・・」

「あの、お客様、柳田さんをご存知なんですか?」
茶店のカウンターの向こうから、遠慮がちな少女の声がした。

「あなた、柳田さんを知ってるの?」と和代はすかさず尋ねた。

「そりやぁ、うちのクラチャンですから、柳田さんは。
本当に芯の強い方です。2年前、由紀ちゃんが、あんなことになったのに、ここのクラチャンになるなんて」

娘がいたんだ!和代は色めきたった。
「由紀ちゃんって?」

「柳田さんの娘さんです。由紀ちゃんもゴルフがうまかったんですよ。関西女子アマのチャンプだったんですから。プロ目指しててぇ、ここの最初の研修生だったんです。知らないんですか?」

少女は訝るような目をして、和代と晃を眺めた。

「私たち、こういうものなんだけれど、少し話を聞かせてちょうだい」
和代は警察手帳を少女に提示した。
 


●第5話 「動機」

少女の名前は糸村早苗。
ナホバGCでレストランのアルバイトを始めて3年になるという。
「柳田さんが、人殺しなんてするはずがないです!」
早苗は和代を睨みつけた。

「そのことを、はっきりさせたいから、私たちはあなたに尋ねているのよ」
和代は静かに言った。

10秒ほどの沈黙の後、早苗は静かに口を開いた。
「でも、由紀ちゃんのときだって、警察は簡単に自殺として片付けてしまったじゃない。柳田さんが、あんなに訴えていたのに・・・」

泣きながら訴えた早苗の話を要約するとこうなる。
柳田由紀は2年前の関西女子アマをトップで通過し、日本女子オープンの出場資格を得ていたらしい。そこで優勝しプロ宣言するのが彼女の夢だったそうだ。そんな大事な時期に、彼女の不可解な死はおこった。
この茶店は、クラブハウスにあるレストランの従業員が半日交代で勤務することに、なっている。由紀はその日遅番だったそうだ。
由紀はいつもアルバイトが終わると日のあるうちに寸暇を惜しんで練習ラウンドをしていたそうだ。
茶店は午後5時までだが、午後6時を過ぎても由紀がクラブハウスのほうへ戻ってこないので不審に思った早苗が呼びに行くと、厨房の外で由紀は倒れていた。
その左手には包丁が握られており、右手首からは血がしたたっていた。
出血性心不全・・・・それが彼女の死因だったそうだ。

「確かにおかしいわね。右利きの人間が自殺するときに左手でナイフを持つのは不自然だわ。由紀ちゃんってレフティーじゃないわよね?」

「あたしもそのことは、何度も警察に言ったんですよ!」
早苗は口を尖らせて説明を続けた。

ナホバGCは会員の場合18Hラウンドしても5000円程度で済んでしまう。
従って、わざわざ料金の高い茶店で喉を潤す客は少なく、大半が麦茶などを水筒に入れてラウンドしており、茶店の利用者はほとんどなかった。
それが、由紀の発見を遅らせることになってしまった。
着衣の乱れ等はなかったが、遺書も見つからなかったそうである。
それから一週間もたたない頃だったらしい。
柳田勉がナホバGCの会員権を購入したのは。
柳田もよくこの茶店を利用した。
いつも物静かで、娘と同年代の早苗の話にも、いやがらずにじっと聴いてくれたそうである。

「早苗さん、ありがとう。
由紀ちゃんのかたきは、きっととってあげるわ。
山根!スタート室に戻るわよ!」

そう言って和代はカートのほうへ、走り出した。


やっぱりだ!
2年前の6月25日日曜日、由紀は茶店で命を落とした。
スタート室に残された記録を調べると、彼ら3人もラウンドしていたのだ。

粟田権造
藤田肇
栗田和夫

その日この3人も同組でラウンドしていたのだ!
過去の茶店の売上伝票を調べてみると、やはりそうだ!3人とも茶店を利用していた!

この3人と由紀との間に何かトラブルがあったのだ!
和代は、そう確信した。

事件をつつむ霧が、すこしではあるが淡くなり、その輪郭がぼうっと浮かびあがってきた。



●第6話 「不倫相手」

やっぱり、この人との時間が一番落ち着く。
普段のイライラが嘘のように穏やかな表情で、和代は、店内を流れるサクソフォンのメロディーに身を委ねていた。
昇は、煙草をくゆらせながら、窓の外に広がっている海に、遠い目線を投げかけている。
煙草を持つ細く長い指先、学生時代から、その繊細な指先に和代は憧れていた。

崎山昇、48歳。
大和大学院大学情報工学科の教授であり、分散コンピューティングの権威として知られている。昨今ユビキタスとして騒がれている分野の日本における数少ないエキスパートだ。昇は以前所属していた神戸の大学で助教授時代、和代の担当教官だった。
2年前、昇は奈良の現在の大学の教授になる。和代とは偶然、奈良の繁華街、東向き商店街の書店で再会した。その再開は偶然だった。しかし、二人の恋が再燃したのは、必然だったかも知れない。お互いに10年前の火種をかかえたままだったのだから。

しかし、時間は残酷だ。
今、昇には、かつての恩師の娘だった妻と高校生になる娘がいる。
昇の左手の薬指にはめられていた結婚指輪。
再開してすぐに和代は気づいていた。

ハーバーランドの岸壁沿いに造られたショッピングモールの3階にあるカクテルバー、スコッツデールは大学時代から二人がよく利用した店だ。
窓からは夜空の中にボーっと赤い神戸タワーを左手にして、神戸港が見渡せる。
恋人たちの時間を街じたいが演出しているような空間だ。

「ねえ」
少し甘えた口調で和代はハンドバックから事件当日の柳田勉の2枚のスコアカードをとりだした。
本当は、昇と二人きりの時間に仕事の悩みなど持ち出したくなかったのだが、彼ならなにかヒントをくれるかも知れない、そんな気がして和代は昇の方を見つめた。

「こういうスコアを出す人って、200メートル先の人の頭をドライバーで狙えると思う?クールなシングルプレーヤーさん。」

崎山昇は助教授時代、和代の通っていた神戸の大学のゴルフ部の顧問をしていた。
昇のゴルフの腕前は、たいしたものでハンデは4.5。
本人は運動不足解消のためだなんて嘯いているが、なかなかどうして、そのクールなコースマネージメントには定評があった。

「ほう、ゴルフか?
柳田勉・・・?あのトップアマの柳田か!
さすがだな。15ホール終わって1アンダーか。
彼ならフェアウェイを面でなく点で狙っていける!」

元来ゴルフ好きな昇はすぐに興味を示してくれた。

「ただね、彼の居たティーイングラウンドからは、林に邪魔されて、被害者が全く見えないのよ・・・」
和代は心の底でわだかまっていた疑問を昇に投げかけてみた。

「ふむ・・・それで、君は、悩んでいるわけだ。
ん、まだスコアを持ってるじゃないか?そっちも見せてごらん」

和代のハンドバックから除いている2枚のスコアを目ざとく見つけると、昇は目の前にひろげて眺めた。

「それは、被害者の・・・」
和代がそういいかけてスコアカードを取りかえそうとしたとき、昇の両手がブルブルと震えだした。

「青野進って!・・・まさか、あの青野じゃ?」

そう、2人の被害者と2回とも同じグリーンにいた人物、青野進は昇の研究室の助教授だったのだ。

「彼が柳田の共犯者なら、200メートル先の見えない人の頭にドライバーでゴルフボールを命中させることも、可能かもしれない・・・・」

絶望的な目をして、昇は喘ぐように、そう呟いた。



●第7話 「大学院大学」

大和大学院大学は、奈良と大阪の県境、生駒山の麓にある大学院生だけの情報工学系の大学だ。
京阪奈学園都市の隣に位置し産学共同研究なども活発に行われている。キャンパスの雰囲気が他の大学に比べて落ち着いているのは、学生の年齢層が高いためだろう。
大学院大学、そう、ここには4年制大学を卒業した大学院生しか学生になれないのだ。日本ではここ奈良以外に、岩手に同様の施設があるだけだ。
ここはアメリカのシリコンバレーと同じ、日本の情報処理研究のメッカなのである。

崎山昇の研究室は、キャンパスの北の外れ、情報搭の16階にある。
「生憎、青野君は今東北に出張中だが、これが彼の出生論文だ。」

「RFIDの利用によるユビキタスコンピューティングの実現」

晃が開いてみせてくれた学会誌のページのタイトルだ。
「RFIDって・・・?」
とつぶやきつつ、和代の目は、そのページの左上の写真に写っている男の奇妙な姿に釘付けになってしまった。

およそ助教授とは思えないいでたちなのだ。
真っ黒なシャツに真っ赤なネクタイ。頭髪はかなりの長髪で、後ろで結ばれており、そう、映画のターミネーターにでてくるような、いかついゴーグルをかけている。
腰にはキーボードのようなものが吊り下げられていた。

「これが、青野進・・・」
事件の日の事情聴取の際、会った男とはかなり印象がちがう。
たしかに、いい年をしてチョンマゲをしているところは、同じなんだけれど・・・
和代は首をひねった。

「そのゴーグル、ヘッドマウントディスプレイと言ってね、PCのモニターなんだ。
彼は学生時代、寝ている時間以外はずっとこの格好で生活し、来るべきユビキタス社会のコンピュータリテラシーのありかたを研究テーマにしていたんだ。
携帯電話はもちろん、TVやエアコンなどの家電製品まで、全てにIPアドレスが割り振られインターネットでつながる時代がもうすぐそこまで来ている。それがユビキタス社会だ。そんな近未来のコンピューターの使われ方を身をもって探るのが青野君の研究テーマだった。
彼の功績で、ヘットマウント・ディスプレイも今ではもっと小型化に成功して普通のサングラスと見た目は変わらないものもできいる。」

晃はそう言うと、豆粒のような金属の塊をつまんで、和代の目の前にかざした。

「そして、これがアクティブ型のRFIDチップ。これでも立派に無線通信機能を持っている。この小さなチップにそれぞれを識別するIDが割り振られている。チップ自体の識別情報とともに必要な情報を無線で受信機に送ることができるんだ。」

「それが、どう事件と関係するの?」
和代は怪訝な顔をして晃を見つめた。

「まあ、これをかけて見たまえ」
そう言って、自分の机の上から昇はしゃれたデザインのサングラスをとりあげて、和代に手渡した。

「あっ!」

画面の中で赤い光が点滅しており、画面右側には、山根晃の文字。
距離:150mと表示されている。
和代の目の前には部屋の壁があるのに、その150m先に晃がいることがはっきりと解る。
昇が手に持ったリモコンのようなもののボタンを押す。
和代のサングラスの中の画面が切り替わり、3D表示で建物や道路の線画が写しだされ、山根の位置が赤く点滅していた。
「山根君には、あらかじめGPS機能付のRFIDチップを埋め込んだゴルフ帽をかぶってもらっている。GPSによって山根君のいる経度と緯度が取得され、チップの識別情報とともに無線で、君がかけているサングラスに埋め込まれた受信機に送られてくる仕組みになっている。」
昇はそう説明した。

確かにこれなら、ナホバGCの7番ホールのティーイングラウンド上から全く見えない5番ホールにいる人間を狙える可能性がでてくる。

しかし・・・
和代はまた、眉間に深いた縦皺をよせていた。

「まだ、腑に落ちないことがあるのかい?」
昇が優しく声をかける。

「いくら身辺捜査をしても、柳田と青野にはまったく接触した形跡がないのよ」
サングラスをはずしながら、和代は昇を見つめ返した。

ポケットからタバコをとりだし、おもむろに火をつけると、昇はしばらく口のなかで煙をくゆらせた後、静かにいった。

「ホントに接点は、ないのかな?」
空中に拡散してゆく煙を目で追いながら昇は言った。

「人と人との関係は、リアルな世界の中でだけ構築されるわけじゃない。
僕達が、リアルな世界で会えない時間も、インターネットというバーチャルな世界で愛をはぐくんだように・・・。
少しキザだったかな?」

そう言うと昇は照れたようにタバコを灰皿に押し付けた。

「インターネット・・・・
そうかっ!ありがとう!」

廊下にひびく和代のパンプスの音を聞きながら、昇は再びタバコに火をつけた。



●第8話 「恐怖」

「あいつや、あいつに間違いない!そやけど、なんで解ったんや!」

父親から引き継いだ会社の深夜の社長室で、栗田夫は一人迫り来る復讐の炎におののいていた。

「あの娘さへ、あの時あんなにむきになりよらんかったら、こんなことにならへんかったんや・・・・」
和夫の脳裏に思い出したくない光景が蘇る。

あれは2年前の6月25日、父親の権造が会員権を購入したというナホバGCに初めて訪れた日のことだった。あいにく、この日は雨が激しく降っていて、スタート室の人影もまばら。
「こんな日に、なんでわしが、親父のお供して藤田の爺さんの機嫌とりせな、あかんねん」
ラウンド前から和夫はイラついていた。
第1ホールからバーディ・バーディ・パー。
ナホバGC最難関とされる第4ホールのティーイングラウンドにオナーとして立ったとき、和夫は苦りきった表情で権造にはき捨てるように言った。

「親父、それにしてもようこんなしょーもないコースの会員権、買うたのう。
なんの面白味もあれへんやんけ」

「和夫、なめたらあかんでぇ!
このホールは右が恐ろしく狭い。あの左の木狙て、慎重に攻めるんや」

「フン!それは並みの飛距離しかだせんやつの言うこっちゃ!」

カキーン!

乾いた音を残してドライバーで和夫の放った打球は右のOBゾーンへ一旦飛び出た後、そこから左へ旋回し、フェアウェイ中央、250Y地点に位置するフェアウエイバンカーの先に落ちた。

「ボン、見事なハイドローでんな。ええもん見せてもうたわ。ほんまに」
にやにやしながら、藤田肇がつぶやく。

しかし、ここからが和夫にとっての悪夢の始まりだった。

「ボン、初めて来はったんやったら、あのホールはしゃあない。みな叩きまんのや」
第4ホールから第5ホールへ向かうカートの中での藤田の励ましが、ますます和夫をいらだたせていた。結局和夫は2打地点から2連続OBを放った上、6打目はグリーンをはずし7オン3パット。10打を叩いてしまっていた。シングルプレーヤーの和夫にとって屈辱的な数字だった。

ゴルフはコースとの闘いといわれる。真正面からコースに対峙することを忘れ、アンクルパーを侮辱したとき、プレーヤーには手ひどいしっぺ返しがまっているのだ。そして、そのしっぺ返しは、時にはプレーヤの人生すら狂わせてしまう。

一旦崩れた和夫のリズムは次の第5ホールでも戻らない。
ティーショットを右のOBゾーンに入れたあと4オン3パットでトリプル。
和夫のプライドはずたずたに引き裂かれていた。

6番ホールに着くや否や和夫はいった。
「気分転換や。茶店へはいるでぇ」

「なんじゃ、こりゃあ!
ビールに髪の毛、入っとるやないけぇ!
ったくぅ、コースといい茶店といい、なんちゅうとこや!」
和夫は大声を張り上げた。

「申し訳ございません。すぐに取り替えます。」
由紀は和夫のジョッキをつかもうとして右手を差し出した。
そのときである。
由紀の右手首を和夫はいきなりつかんだ。

「あんなあ、誤ってすむんやったら、警察いらんねん」

和夫のなかでは、とてつもなくどす黒い感情がうずまいていた。

由紀は静かに言った。
「お客さん、手、離してください。」

由紀の右手首を左手で掴んだまま、和夫は右手で尻ポケットをまさぐっている。
ポケットからでてきた和夫の右手に握られていたのは、ジャックナイフだった。
グリーンフォークの変わりにこいつを使うのが、和夫の流儀だった。

由紀のほうを見て、にやりと笑いながら和夫はジャックナイフの刃を左手で押さえつけた由紀の右手首にあてる。

「なあ、ほんまに侘びいれる気ぃあるんやったら、唇ぐらい吸わせや」

和夫が由紀に顔を近づけた瞬間だった。

「イヤっ!」

和夫の目の前に鮮血が飛び散った!


●第9話 「ネット上の共犯者」

人というのは元来、良心的にできている。
栗田和夫とて、例外ではなかった。
2年前の6月25日、あの日以来、和夫は夜毎悪夢にさいなまれ続けた。
もちろん、父権造と藤田肇は口裏をあわせてくれた。
それどころか、事件直後に和夫の手からジャックナイフをもぎとり、お絞りでナイフの柄を何度もふいた後、それを由紀の左手ににぎらせたのは、権造だった。

「よろしいな、これは自殺や」

しかし、和夫の良心は和夫を責め続けた。
和夫はインターネット上のあるBBS内にある「人には言えない告白スレ」というコーナーに事のあらましを書き込むことで、なんとか攻め立てる良心と生きる気力をなくしそうになる自分自身を押さえ込んだ。

そしてまた、人というのは恐怖を忘れる。
それから2年間、和夫はなにごともなかったかのように、仕事に没頭した。
変わったのは、ゴルフに行かなくなったことだけである。
本当に平和な日々だったのだ。
今年の春、中学の同窓会で、あの青野進と再会するまでは・・・。

「あのカキコ、お前やろ?」
トイレで和夫のとなりに立つと進はそう呟いたのだった。
「なっ!なんのことや!」
和夫は明らかに動揺していた。

「うかつやったなぁ。
あんな危険なことカキコして、プロクシ(代理サーバー)も通さんと。
おまけにお前、ええかっこして、固定アドレスなんか、使とるもんやさかい、チョンバレや!
俺のブログに書き込みしとるのと同じIPアドレスやないか!」

「おっ!お前・・・・」
和夫の両肩は小刻みに震えていた。

ネットはときとしてリアルな現実では結びつきようもない人と人とを結びつけ、予期しない結果をリアルな世界にもたらす。

和夫にとって進との再開が、再び悪夢の日々の始まりとなったが如く、インターネットは柳田勉と青野進をも結びつけた。
柳田由紀は「世界を目指して!」というファンサイトを持っており、青野進は柳田由紀の熱心なファンだったのだ。
いや、最初はファンだったといったほうが正確だろう。青野進にとって由紀はむしろ妹に近い存在だった。
普段はコンピュータばかりを相手にした殺伐とした部屋で研究に没頭する青野にとって、由紀との交信はかけがえのない時間だった。由紀のサイトは最初は単なる個人ブログにすぎなかった。アマチュアの大会に優勝し世間から注目を集めるようになった由紀を心無いネット上の中傷から救ったのが、いわばその道のプロである青野だった。匿名で書き込まれる嫌がらせに対して、青野は発信先を徹底的に追跡した上で、相手をつきとめ由紀への接触をあきらめさせていたのだ。
由紀も青野を信頼して何かと相談を持ちかけていた。
青野は若手研究者としては、はなばなしい成果を上げていたが、誰かの役にたっているという実感を得られたのは、初めてだった。
気がつくと青野にとって由紀はかけがえのない存在になっていたのだ。
そんな由紀からの交信が、ある日を境に急にとだえた。
青野は必死で原因を探っていたのだ。


「いったいどうして・・・」
柳田勉は亡くなった娘の部屋でじっと机の上に飾られた由紀の写真を見つめていた。
「どうしてお前は死んでしまったんだ・・・」

その答えを探してナホバGCの会員になってもう2年近くになるというのに、なんら手がかりは見つからない。

写真立ての中には、関西女子アマの優勝カップを抱えた由紀が満面の笑みをたたえて写っていた。

「おとうさんは、いったいどうすればいいんだ」
柳田勉は頭を抱えた。

その時だった。

「プルルルル・・・プルルルル・・・」

勉は目を疑った。
由紀の部屋は彼女が死んだ当時のままになっており、彼女の携帯電話も解約されていなかった。

そして、確かに着信音を発していたのは由紀の携帯電話だった。

メールだった。
そのメールには、こう記載されていた。

柳田由紀ファンクラブ「由紀の世界を目指して」に、リベンジさんから、メールが届いています。
内容を確認するには、以下のURLをクリックしてください。

ハンドルネーム:リベンジ・・・もちろん青野進である。

こうして柳田勉の復讐の日々は始まったのだった。



●第10話 「マッチプレー」

「和さん、柳田と青野の逮捕状が、でました!」
山根晃が刑事部屋に駆け込んできた。
昇の研究室から帰るとすぐに和代は、鑑識に栗田権造と藤田肇の遺留品の再調査を依頼していた。
栗田権造と藤田肇の遺留品であるゴルフ帽につけられたマーカーから青野進の指紋が検出され、さらに2つのマーカーの裏にはアクティブ型のRFIDチップが取り付けられていたのだ。
これが決めてとなり裁判所から捜査令状を取得した和代は柳田由紀のファンクラブが設置されていた会員制のサイト運営会社からのログを調査することができた。
そこには、柳田と青野の栗田権造と藤田肇を殺害するためのやり取りが数百回にも渡って交わされていたのだ。そして最後のログの内容は、今日、ナホバGCで栗田和夫に裁きを下すというものだった。
「急いで」
もう彼に人を殺させてはならない。
和代は晃とともに、パトカーへ乗り込み、ナホバGCへ向かってアクセルを踏み込んだ。


「俺が立会人だ。いいですね。柳田さん」
真夏の太陽は間もなく頂点に登ろうとしている。
容赦なく照りつける光が、ナホバGCの第1ホール、ティーイングラウンド上に3人の男の人生を、くっきりと浮かびあがらせていた。

「私は決して君を許さない。
君は私のかけがえの無い娘を死においやったばかりか、私と娘が夢を託したゴルフまで侮辱したんだ」

柳田勉の鋭い眼光は、微動だにせず、栗田和夫を見つめていた。

「ふざけるんやないで!
あほらし、あれは事故やったんや!
お前の娘が、勝手に手、切りよったんじゃ。
ほんまにおまえら、ワシが勝ったら、この件については、一生なんも言わんのやな」

柳田と青野を交互に見つめて、栗田和夫は言った。

「約束する。
ただ、ゴルフの神様は、決して君を許さないだろう」
柳田は、あの強い視線で栗田を睨み返した。

青野進は無表情に言った。
「勝負は5ホールのマッチプレー。
和夫が勝つか引き分けた場合には、俺たちは由紀ちゃんの事件のことは忘れる。
柳田さんが、勝った場合には、和夫、お前には第6ホールで手首を切って自害してもらう。いいな。」

ナホバGC 1番ホール 322ヤード パー4。
距離はないが、フェアウエイは狭い。
左はカート道を挟んでOB。右は池である。

柳田勉がドライバーで放ったティーショットは、放物線を描いてフェアウェイ中央200ヤード地点に落ちた。

それを見て和夫は6番アイアンを握る。
「ほんま、飛ばんのう。あんたの前に立つのは気色悪いんでな。これで充分や」
和夫の打球は、同じくフェアウェイ中央180ヤード地点に。
そこから8番アイアンで軽く打つと和夫の打球は、ピン側50cmに落ちた。
「このホール、わいのもんや!」

柳田は微動だにせず、ピンのほうを見つめている。
ゆったりとしたテイクバックの後、8番アイアンで放たれた打球はピンに向かってまっすぐ弧を描いている。ピンの手前に落ちた打球は、まるで柳田の執念が乗り移ったかのように直接カップインしたのだった。

「これで1ナップだ。」
青野進が無表情な声で宣言する。

「まぐれじゃ!ええ気になんなよ!おっさん!」
そう言うと和夫はグリーンにツバを吐き、カートに乗り込んだ。

2番ロングはいわば、ボーナスホール。
475ヤードしかなく、ティーショット次第では2オンも狙える。
柳田はティーショットをフェアウェイ左200Y地点に。
和夫はフェアウェイ右バンカー横の250Y地点につけた。
ピンはグリーン左手前。
柳田の2打目は3Wで狙い済ましたようにグリーン手前30Yの花道に落ちた。

「やっぱり、ゴルフは飛距離やで!
見とけ!おっさん!」

和夫が7Wで放った打球は高い弧を描きピン奥2mにオン。
「イーグルチャンスや!」

柳田のアプローチはピン30cm手前。

「OKや!」

カップの反対側から慎重にラインを読むと和夫はアドレスに入った。
たかがゴルフやないけ・・・・
その思いがボールにまで感染したのか、和夫の放った打球はラインどおりには転がったもののカップを覗くように淵でとまってしまう。
「うっとうしぃて、やってられんのう!」
ボールを片手でカップインさせると、和夫はまっすぐカートへむかって歩き出した。

結局2番ロングは二人ともバーディ。
和夫の心の中に確実にあせりが蓄積されはじめていた。

3番310ヤード、ミドルホール。
フェアウェイは狭く200Y地点にはフェアウェイバンカーが待ち構えている。グリーンは砲台で2mくらいの高低差があり、受けてはいるが高速なので奥へ落とすと、かなり面倒くさいことになる。

9月半ばの午後の日差しはまだまだ厳しい。
ティーアップされたゴルフボールのディンプルのひとつひとつが、陽炎のなかでゆらいでいるように見える。
そのひとつひとつに由紀子との思い出が映し出される。

「フ〜ッ」

深く息を吐き出した後、柳田はアドレスについた。
ゆっくりとテイクバックを始めたそのときだった。

「ビリッ!」

和夫が左手のグローブの両面テープをわざとはがしたのだ!

一瞬クラブヘッドが遅れたのか、柳田の打球はフェアウェイ右のバンカーに吸い込まれた。

「汚いぞ!」
青野進が和夫を睨み付ける。

「命がかかっとんのや!汚いもくそもあるかい!」
そうはき捨てると、和夫はアドレスに入った。


結局、このホールは柳田がパー、和夫がバーディーでイーブンに戻す。
しかし、淡々とプレーを続ける柳田の執念が、和夫の心の中であせりを生じさせ、それをどうしようもない恐れに変化させ始めていた。

第4ホール427ヤード、打ち下ろしのミドルである。
右にOBゾーンがせり出していて、ナホバGCで最大の難ホールだ。
ゴルフはほんとうにメンタルなスポーツだ。
和夫の心の中の柳田に対する恐れが、和夫のドライバーの振りを、ミリ秒単位で遅らせたのだろう。少し打ちに行き上体が左へ突っ込んだ和夫の打球は、大きく右に飛び出しまっすぐOBゾーンに吸い込まれて行った。

「あほらしぃ!やってられるかぁ!警察でもどこでもちくったらええやないか!わしは、帰らしてもらうわ!」
そう言ってドライバーを放り投げると、和夫はティーイングランドを降りだした。

「待ちたまえ!」
鋭い声に和夫が振り返ると、柳田が5番アイアンを持ち和夫のほうに向かってアドレスしていた。
「途中でやめることは、許さない。
この距離なら私は100%君の頭をゴルフボールで打ち抜くことができる」

第4ホールは和夫がギブアップし、柳田1アップのまま迎えた5番ホールのグリーン上、和夫の2打目はピン横1m、柳田の2打めは、ピン奥5mの下りのライン。
これを入れれば、柳田の勝ちが決まる。

カップ側からもボールの位置を確認した後、柳田はゆっくりとアドレスに入った。

「パーンッ!」

乾いた銃声が柳田の背後の林にこだまする。

「全部・・・・終わりや・・・」

和夫の震えた右手には、柳田に銃口を向けたままのピストルが握られていた。




●第11話 「ホールアウト」

ナホバGC5番ホールのグリーン上には、硝煙の臭いがたちこめていた。
栗田和夫の放ったピストルの音の残響が残る中、まるでスローモーションのように、柳田の両手はパターのテイクバックを続ける。
美しい円弧を描いてパターヘッドがボールの方へ一定速度で戻って来る。
柳田のアドレスは微動だにしない。

「カラン…」

ボールがカップに落ちる音がする。

栗田和夫は、まるで悪夢を見ているようだった。
カップの反響音と同じ速度で柳田の右わき腹では、赤いシミが拡散して行く。
ピストルを構えたまま和夫は両膝からグリーンに崩れ落ちた。
和夫の両目は放心したように、カップを見つめていた。
「俺の負けだ…」
和夫は両肩をガックリと落とした。

「柳田さん!」

青野がかけよると、柳田はフォロースルーの姿勢のまま青野の両腕の中に倒れこんだ。
「これで少しは、由紀も許してくれるでしょう…」
力なく柳田は微笑んだ。


「間に合わなかった…」
和代達が5番ホールグリーン上に駆けつけたときには、青野に抱えられた柳田と、グリーン上にへたり込んでしまった和夫がいた。

「栗田和夫、殺人未遂の現行犯で逮捕する!」

山根晃はそう言うと、和夫にしっかりと手錠をかけた。

「柳田さん・・どうして・・・・」

和代が、柳田に近づいたとき、目を涙にあふれさせながら青野が言った。

「俺が悪いんです。
和夫に復讐するだけなら、他にも方法があったんだ。
柳田さんを傷つけなくても済むほうほうが…。
でも、柳田さんは、ゴルフに拘った。
俺が自分の技術で復讐に参加したいというつまらない我を通したために第1、第2の殺人はトリックを使った。そして、そのことを柳田さんはひどく後悔していたんだ。憎しみのあまり、自分は由紀とゴルフに申し訳ないことをしてしまったって…。
和夫とのラウンドが決まったことを報告すると柳田さんは言ったんです。
栗田もゴルファーだ。私は、それを信じたいって。
だからプレーすることで、彼に気付いてもらいたいんだって。
勝負を5番ホールまでにしたのも、由紀ちゃんが死んだ6番ホールで和夫に心の底から謝罪してほしかったからなんだ。
こんなやつ!こんなやつに、ゴルフの精神なんて、わかるもんか!」

青野の指先が、連行される栗田和夫の後姿をむなしく指差していた。

「すまなかったな。青野君。
君の将来を台無しにしてしまった…」

苦渋に顔をゆがませながら、柳田は必死で笑顔を作ろうとしていた。
とめどなく頬を伝う涙を振り払うかのように、青野は激しくかぶりを振った。
「ありがとう。私と一緒に罪を背負ってくれて。由紀は君をほんとの兄のように思っていた」
涙に濡れた青野の両手を柳田の血まみれの手がしっかりと包んだ。

「柳田さん、あなたはこういう結果になることが解っていて…」
やりきれない気分で、和代はたちすくんでいた。

「ゴルフはね、ジャッジ(審判官)のいないスポーツなんです。
ゴルフを冒涜した点では、私も栗田和夫と同罪です。
だから私は、私自身を裁かねばならない。
でないと由紀に、あの世で軽蔑されてしまう。

和夫の父親と藤田を殺した時点で、私はゴルフを冒涜した。
だから、せめて由紀をはずかしめ死に追いやった張本人である和夫に対してだけは、ゴルフそのもので立ち向かいたかったんです。

刑事さん、ゴルフっていうゲームはね、人生の縮図なんです。
追い詰められたときプレーヤーの人格そのものが試される。
一打一打の重さを和夫には、解らせたかった。
でないと、由紀と私のこれまでの人生そのものがヤツのなかで、馬鹿にされたまま終わってしまう」

柳田の復讐は終わった。
しかし、彼の人生はこれで終わったわけではない。青野の人生も。
そして、栗田和夫の人生ですらそうである。
社会的な責任を果たした後、まだ彼らには長くて困難な道のりが待っているのである。
彼らのホールアウトはまだまだ先なのである。
果たして、柳田の想いは栗田和夫に伝わったのだろうか?

担架で搬送される柳田に向かって、和代は精一杯のエールを送った。

ナイスバーディ!

                          完
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2006年6月25日の早朝に第1話をUPしてから、ほぼ2ヶ月、スラのつたない文章を完成まで見守ってくださった皆様、ありがとうございました。

当然「ナホバGC殺人事件」は、処女作でございます(キャッ!)

次回作は、予告どおり、「宗衛門町ブルース 〜オカマバーのママ、和代の事件簿〜」です^^;

主要キャラ設定をオープンに皆様とともに考えたり、取材を兼ねたオフ会なんかも企画するつもりですので、今後ともよろしくお願いいたします。

最後に、「ナホバGC殺人事件」執筆中、ず〜っと叱咤激励してくれたアイ編集長、ほんとに、ほんとに、ありがとう。
最後に、もう一度、通しで、読んでやってみてくらさい♪
また、ダメダシでたりして^^;

であであ

2006年8月12日
いきつけのインターネットカフェにて
         
                スライスつらいっス!

コメント(3)

長いの読んでくれてありがとさん^^;
ヘッドマウントディスプレイより、むしろRFIDがミソね。
ヘッドマウントディスプレイはペンタゴンが何年も前から凄いの使ってます。
ウェアラブルコンピューターの時代よん。
たけさん^^

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