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オフビートニクコミュの羊飼いのように

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遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

何でも、歳の数だけお餅を食べると、その年に幸運がやってくるということです。だから、今からでも遅くないので、冷凍庫の中のお餅を取り出して、歳の数だけ食べてみると、良いことが起こるかもしれません。でも、一気に食べると、のどに詰まりますので、ご注意ください。

そういった嘘はともかくとして、古来、羊飼いは、空の星を眺めて、星座を作っていったわけです。なかなかにロマンチックですね。

他方、自分を振り返ってみると、このところの加齢に伴ってか、ロマンチックなことが起こるどころか、体臭が気にかかるところもあり、なかなかに寂しいものを感じます。そこで、かつてのロマンチックを取り戻すべく、冬の綺麗な夜空を眺め、星座を作ってみました。

新しい星座の名前は、うに座です。

午後3時頃登場するので、日本では見ることができません。

皆さんも星座を作ったら、教えてくださいね。

コメント(6)

休日だというのに一日机に向かって仕事をしていました。
そんな寂しい冬の日の終わりに、僕も往年のロマンティシズムを心の引き出しから取り出して、眺めてみることにしました。

「パンチラ座」というのはどうでしょう。

以前より、星座にはお色気が足りないと感じていました。
性的なことに関しては非常にオープンであった古代の人々が、そんな体たらくであったとは考えられませんので、たぶん、お堅いカトリックの連中が歴史から抹殺したのだと想像されます。
ただ、古代にパンツがあったかどうかは疑問ではありますが。

それにしても、パソコンの画面と一日にらめっこしたあとで、満天の星空を見上げてみたら、目の前がチカチカしているのが現実なのか幻想なのかわからず、きっと頭がおかしくなるのではないかと思います。
というわけで、都会から星が消えて、ほっとしております。
「パンチラ座」という言葉だけが、雪の降る東京の空をヒラヒラと宙ぶらりんに漂っておりますね。

放置民シティ。
イエイ!
狂犬さん

今気づきました。自分だけが放置民シティの住民だと思っていたら、人を放置民にしてしまいました。イエイ!ちなみに、僕は、ベトナムのホーチミン廟で「ミイラ、ミイラ」と大笑いしていたら、ベトナムの女学生に叱られた経験をもっております。イエイ!

さて、パンチラ座ですが、気にかかるのは、ちらりと見た向こう側に暗黒の宇宙が広がっているということです。これは、なかなかに深遠なテーマです。

実のところ、現実の「パンチラ」において、パンツが見えるという事態には、本来、なんの感慨も存在しないはずです。あんなもん、ただの布です。にも関わらず、僕たちはそれに胸を躍らせる。なぜか。そこに欲望のメカニズムの本質が現れているのではないかと思われます。

ここで振り返ってみると、「パンチラ」において、僕たちは、「パンツ」という布のなかに何かしらの幻影を見出し、「うわ、見えちゃったよ、へへへ」と喜んでいるということになりましょう。ここに見られるのは、自らが作り出した幻影において、僕たちが興奮しているという構図です。とすれば、欲望の対象の向こう側にあるものは虚無になります。

そのような意味合いで、「パンチラ座」というのは、その向こう側にあるのが暗黒の大宇宙ないし虚無というところで、欲望の本質を指しているように思われます。

素敵な星座をありがとうございました。夜空を見上げるたびに、欲望のことを思うというのも、なかなかに趣がありますよね。
もうちょっと寝かしておこうと思いましたが、誰かが書き込むといけないので、やっておきます。

放置民シティ・リターンズ。
イエイ!
「東京には空がない」と智恵子は言いましたが、そもそも放置民シティであるここ帝都東京には、空どころか、海も川も草も土もないのであります。では東京にはいったい何があるのでありましょうか。そこにはただ、放置された大衆が群れをなして「イエイ!」と呟く、空虚な景色しか見出されないのであります。
イエイ!
かつて僕の家であった場所に『日本ウラ話』という文庫本があったことを思い出しました。

これは、菊地寛の名前の由来が「口をきかない」というものだった、だとか、他愛もない話が連ねられているものだったのですが、その中に、高村光太郎の逸話があったことを思い出します。

ご存知のとおり、高村光太郎は、智恵子にぞっこんだったわけですが、そのアトリエで、夜、光太郎は、裸になって四つんばいにさせられ、同じく裸になった智恵子がその背中に跨って、「お馬さんごっこ」を繰り返した、というのが、そのエピソードです。

僕がそれを読んだのは、小学四年生の頃の話で、その意味がさっぱり分からなかったのですが、この歳になって、この逸話を思い出すにつけて、なかなかに複雑な心持になるのです。

もちろん、その逸話についてもそうなのですが、そういった文庫本が子どもの手の届くような場所に転がっていたという事実について、考え込むところがあるのです。

そう考え込みながら、なにか言葉を発するとすれば、やはり、こういった言葉になるのかもしれません。

お馬さんごっこ。
イエイ!

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