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ラジオ部品の広場コミュの4球スーパーキット

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高1再生ラジオのようなストレートラジオを
スーパーに改造するキットです。
初心者の頃、いつも5球スーパーの2個のIFTを見てたので、
1個でもスーパーになるんだー!とびっくりした経験があります。
左は普通のSTAR製、右はタマディンです。

コメント(19)

当時の、「大ヒットキット」だったです。高1を「改造」してしまうのは
常識でした。だから、キットはかなり後から市販されたほどです。
改造ビジネスは1940年代に街のラジオ商のドル箱でした。

たぶん、中間周波数が463kから455kに変わったあとの
物でしょう。どちらかはデータシートに明記されております。
切替えは、1949年だったと記憶します。

感度が、4球では・・・との懸念はいりませんでして、当時は屋外アンテナ
を持たないひとはいなかったと云っても過言ではなかったですから。
放送局の空中線電力は、いまのam局の10分の一ぐらいでした。
その程度はアンテナで十分なゲインをとっていた訳です。

キットによっては、OSCの発振強度がばらばらで、難儀したものです。
6W-C5を載せ替えるかどうか、も腕のみせどころ。
GHQのスーパー化の命令というのは、当時の雑誌には書いてありません(書けなかったのかも)民間放送が出来るとスーパーでなければ混信して使えなくなる、という噂がスーパー化の原動力でした。
jupiter@エクシアさん、印田さん、ありがとうございます。
IFTはおっしゃるように455Kcです。

STARはこう書いてます。
一般的に4級スーパーは、6C6または6D6のオートダイン・コンバーター
が使用されますが、本キットにはコンバーター専用球の6WC5を使用する事と
してコイルを設計しました。このコイルの使用により安定度は非常に増し、
電源電圧は70Vまで低下しても動作は安定し・・・

これに対して、タマディンには6C6と6WC5の2つの回路図が書いて
あります。(6C6の場合は6C6−6C6−6ZP1−12F)
タマディンはこのように書いてます。
周波数変換に6C6を使用すると利得が大きく電源が50Vになっても発振が
停止しない。・・・

面白くないでしょうか?
GHQのはなし、は知りませんが、国会で審議されたことは官報に掲載されて
おります。1950年ごろです。近年みつけました。ハードコピーもとりました。
>スーパーでなければ混信して使えなくなる、という噂がスーパー化の原動力でした。

というのはタテマエで、当時の長い屋外アンテナと再生式の受信機では再生検波時の過発振によるアンテナからの不要輻射も大きくて、当時の進駐軍の通信システムに障害を与える惧れがあった、という説もあります。
家電メーカーがスーパーラヂオの拡販を意図して噂を流したのもあり得る話でしょう。まあ、いろいろ思惑が重なりあったのでしょう。

>当時の長い屋外アンテナと再生式の受信機では
>再生検波時の過発振によるアンテナからの不要輻射も大きくて、
>当時の進駐軍の通信システムに障害を与える惧れがあった、という説もあります。
これこそ俗説では?。
当時のアメリカ軍が中波帯付近で通信をやった形跡は余り無いと思うが・・。

混信するので、スーパー化しないと駄目というのは信じて良いと思う。

不要輻射の電波はかなりの高調波を含んでおり、中波のみではありません。
3球の再生式を数年前に作りましたが、東京都内でNHK、民放が混信してしまうことは無かったです。

ラジオメーカーや全国ラジオ商何とか、、、などが色々やったのではないかという俗説もあります。

再生式に高周波1段の増幅回路をつけたのは、増幅度より輻射防止ではなかったか、と思っています。
>不要輻射の電波はかなりの高調波を含んでおり、中波のみではありません。
もしこの仮説が本当なら、並四の製造禁止ではなくて、使用禁止にしたでしょう。
この影響が無かったとは言いませんが、本筋では無いでしょう。
それほど当時のGHQの威光は凄かったようです。

日本の復興には電子産業が欠かせないとにらんで、宣言したのではと思います。
その後民間放送の開始もあり、スーパー化に拍車がかかります。
これによって脱落するメーカーが沢山出ました。
(トヨタやキャノンのラジオ)
まもなくラジオや部品が輸出できるまでに復興したのですから、利益はあったのでしょう。
画像は当時の改造ブーム時代のベストセラー(無線と実験増刊号)です。
現実の問題として、並四でも民間放送は分離できます。
ただ当時は黒船がくる程度の騒ぎがありました。
並四など、再生式受信機についての国会審議のこと
実は昭和25年の電波法制定時の審議の記録を官報で調べてみたのです。
同年2月ー3月ごろの記録、それは委員会が開かれて言及されておりました。

この時期、おそらく電波法制定5月寸前までのものを探していただければ
わかります。GHQに関して言及があったか、記憶にありません。
また使用禁止を強制するかどうか、結論的な言及もなかったです。
したがって、スーパー受信機の普及を図る、という程度でした。
もちろん民間放送への、電波法の制定意義があったわけですから。

アマチュア無線の審議も掲載があります。その委員、大河内正暢さん。近年ご逝去。
「再生式ラジオの不要輻射の電波」は大分誤解されています、スーパーの局発はいつも電波が出ていますが、再生ラジオを発振させると放送が聴けないので、直ぐに発振しないように調整しました。そして民間放送が始まる前はNHKの第一と第二だけ、たいていの家はダイアルを地元のNHK第一にあわせてあり、普通は再生の調節などしませんでした。ですから再生式ラジオでも滅多に不要輻射の電波は出ていません。無線と実験1988/10に長真弓氏が「1947になると占領軍は民間放送の導入を図るため…スーパー以外の製造を禁止する」と書いており、続けて「もしかしたら再生式ラジオによる妨害に業を煮やしたのかもしれない」と憶測を書いています。しかし電波科学1959/11にはパキスタンに通商使節に行った人が「マグネチック4球再生式を持参した」と書いております。
昭和22年10月16日に GHQ CSS (民間情報局)が民間放送局許可の方針、所謂ファイスナー・メモを逓信省に提示し、NHK 独占から民放多局化への転換が迫られます。

http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/data/hoso1945.html
http://www.f.waseda.jp/tarima/media2008.htm

そして法整備を含め一連の施策が具体化して行くのですが、この中にはスーパーの推進もあり、無線雑誌を通じて再生式に対するネガティブキャンペーンが張られて行ったのではないか、と見ています。

直近の研究に依ると、実際には満州移民の多くが地元放送局の多国語編成番組が詰らないので、スーパーを用いて本国の放送を常時聴取していたそうですし、敗戦直後(昭和20〜22年頃)でも短波放送受信解禁に伴い、一部でスーパーを用いた後の BCL ブームのような動きが起きており、井深大が白木屋デパートで東通工を旗揚げした際にも、ラジオの短波受信改造が主事業であったようです。
古いトピックですが、ナショナル製のスーパー改修用コイルキットを入手したので上げます。
取り説のスキャンです。バリコンが450PF用になっていますが、高1ではよく使われていた値なのでしょうか。
450PFのバリコンは当時市販されていなかったと思います。
>河童さん
そうですよね。2連は430PF、単連は340PFくらいが普通でしたね。
でもこうしてライナップされていると言うことは戦前のラジオには使われていたのでしょうか。
nekosan、程度の良い商品ですねー。
最近入手のナショナルのスーパー改造コイルキットですが、
463KHzになっております。この頃からあったのですね。
中身の程度が酷くて本当なのかと疑っていたのですが、
nekosanのお陰でIFTだけがない物だと判明しました。
ありがとうございました。
お役に立ってよかったです。463kHzの頃から作られていたんですね。

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