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下田関連文献アーカイブコミュの日仏修好通商条約全権団随行員の日本観(M・ド・モージェ)

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下田での停泊
 下田港は小さく手狭だ。一度に汽船を五、六隻以上迎えるには無理であろうが、やや開き加減になっている南西側を除くと港は申し分なく安全で、風波をうまく避けられる。町は防波堤によって大潮から守られている一村落にすぎないが、この都は世界中で最も風光明媚で起伏に富んだところだ。低く連なる峰々、海まで延びる密生植生、岩山の松、そして、手つかずの自然の中で、あちこちに段状になった田んぼ、小川の流れる小粋な小谷、火山上で急峻な山腹に照り映える陽光ののどかな戯れを眼にするにつけ、毎日、誰しもが、思わず見とれてしまうほどうっとりするような気分にひたってしまう。陽気で幸せな農夫、えもいわれぬほど清潔で小さい家々に余裕と幸福な様子があちこちでみてとれるのだ。
 個人と同様に国民においても清潔感を幸せの基準とみなしうるなら、この点で日本人はとても幸せであるにちがいない。彼らはにこやかで陽気で、ヨーロッパ人が近づいてもうれしいようだし、われわれを見ると、中国でのように、女性も逃げたりしないし、こちらも大勢のぼろぎを着た苦力たちに取り囲まれるということもない。庶民の男の服装はごく簡易なもので、帯のついた幅の広い着物だけだが、体のどこからもなんともいえない清潔さがかもしだされている。いわゆる中国の町、あの見るも恐ろしい人間の大群のまっただなかや、[上海の]黄浦の平板で単調な岸辺で一ヵ月半を過ごしてきたばかりの人びとにとって、こうした光景がどんな風に感じられるか誰しも了解できよう。

雑貨市場
 公式歓迎会からひとたび開放されると、下田の雑貨市場に、こちらは気もそぞろになったが、ここは特筆に値する。周知のように、今日に至るまで日本人が外国人になんであれ販売することは禁じられており、違反の場合には死刑に処せられる。販売は政府だけが牛耳る専売制だった。四カ国の軍艦の到来を予告された日本当局は、広大な天幕の中にこの国の産物で外国人の好奇心をひきそうなすべての物を一堂に集めていたのだ。そこには色々な用途に使われる日本の漆器、つまり、さまざまな大きさと色彩の硯箱・箱・櫃・机が延々と並べられていた。この国の通貨、一分[銀]で表示された各品物の正価はアラビア数字で書かれており、それぞれの品物を納めるための特製の白木の小箱のおまけもあって、売約ずみになるやいなや、すぐさま梱包され、船上に積み込まれるのだ。こんなにたくさんの良き趣味と上品な逸品を目にすれば、パリの貴婦人がたはさぞかし熱狂的な叫び声をあげるのではないだろうか!全権大使、秘書官やアタッシェ、海軍士官や一介の水夫たちも思いはみな同じだった。その日は一日中、陸から軍艦に向かう、荷を満載した小舟が絶えず往復を繰り返した。五日後の出航時には、三隻の軍艦だけでも下田での漆器の購入には、三万フラン近くがかかったとソロバンではじきだされたのだ。
 住民とこちらの交渉は非常に和やかなものだった。われわれは昼夜をとわずいつでも下船し、あちこちで歓待された。日中は非常に珍しい仏塔を見学したり、人家へお茶を飲みにはいり込んだり、夕方になると、お月さんをめでる合唱や踊りに合流するのだった。船上に戻るには往々にしてただで船を出してくれるのだった。江戸では同じような心配りや人情にはありつけないだろう、江戸の住民は粗野で不親切だ、と日本人は笑いながらいうのだった。後で、この指摘は図星であることがわかった。
 この魅力的な地には五日間碇泊した後、全権大使は出発の合図をだした。お別れの瞬間まで軍艦の甲板はシャンペンやリキュールを飲んだり、船の機械室やその他 の部分を見学したり、さらには扇子の上に長いメモを取りにやってくる日本人でごったがえした。それとは反対に、中国では滞在中の全期間、商品を売りつけにくる以外には一人の中国人も船上に来るのを見かけなかった。日本人はものを覚えようと努力するが、中国人は黒髪の人種の習慣にないものはすべて軽蔑するのだ。

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