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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュの主は甦られた。

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主は甦られた。
マルコ16:1-8。 並行箇所。マタイ28:1-10, ルカ24:1-11.

すべての人の伝記は、死の物語で終わっています。しかしイエスの地上における生涯とその働きについて書かれた福音書は、復活の出来事によって結ばれています。週の初めの日の早朝、イエスにつかえた三人の婦人たちが出会った不思議な出来事についての、短く力ずよい証言で結ばれています。

私たちにとって、死は人生の終着駅です。喜びも悲しみも希望も生きている間だけのことです。しかし、イエスにとって、十字架の死は、そこから新しい生命は始まり、世界中に広まって、すべての人を救いに導く新しい歴史の出發点です。イエスが十字架の上で息をひきとられた金曜日の日没から土曜日の日没までは安息日にあたるため、女たちは、イエスの死体がおさめられている墓にゆくことはできませんでした。

そこで、日没になると安息日の終わるのをまちかねたように、香料を買い求め、あくる日の朝早くイエスのなきがらに香油をぬるために、墓に駆けつけたのです。女たちは、イエスが生きておられる間に、自分は必ず殺され、そして三日の後に甦ると言われたの、なんども聞いていながら、実際にイエスが甦られるなどは思いもしないで、ただどうすることもできない悲しみを、せめてイエスの体に香油をめって、丁寧に葬ることでまぎらせたいと思って、何の希望もなく墓に向かって急いだのです。

女たちが墓に行って、捜し求めたものは、生きておられるイエスではなく、死んでしまって、もはや過去の人物になってしまったナザレの大工の子であるイエスの亡骸でした。死んでしまった人に対しては、懐かしい想い出や、慕わしい気持ちしかもつことはできません。そこには何の希望もありません。

私たちは聖書によって、神の国の福音を宣べ伝え、病人を癒し罪人の友となって、最後には十字架に付けられた、イエスのご生涯とそのお働きについて学んできたのですが、私たちが福音書の中で出会うのは、今はもう生きておられない、過去の偉大な人物としてのイエスではなく、目には見えませんが、目に見えるものよりはるかに確かな存在として、今も生きて私たちと共にいます、死んで甦られたイエス、キリストです。

私たちは、単なる過去の歴史上の人物としてのイエスを尋ね求めて、聖書をよむのではなく、昔も、今も、そしていつまでも、生きて私たちと共におられるイエス、キリストとの出会いを求めて読まなくてはなりません。福音書は単なるイエスの伝記ではありません。弟子たちは、その事実を認めその意味を悟ると「復活の証人」として立ち上がり、イエスこそ神から遣わされたメシヤであることを宣べ伝えるようになりました。 









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