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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュの神への反逆。

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神への反逆。
創世記11:1-4。
<人類は一つの言葉を使っていた。>(11:1)ノアの子、セム。ハム、ヤべテは当然一つの言葉を用いていました。その子孫たちは様々な方言を用いていたにしても、互いに意志の疎通をはかることができる状態だったと思われます。同じ言葉によってコミュニケーションが円満に行われることは、人間の社会生活における基本条件です。

人々は、東の方から移動して来て、シヌアルの地つまりバビロニヤの地に平地を見付け、そこに定住しました。人は定住することによってそこに文化を形成して行くことが可能になりました。しかし、人は文化の形成と発展の中で自己を過信し、神なき文化、罪の文明を定着させる危険性も持っているのです。

彼らは建築の面でも技術を向上させ、「煉瓦」を造ることができるようになりました。メソポタミヤ地方では、石は多く産出しないので、彼らは石の代わりに「煉瓦」を発明し、そのことによって以前より堅固な建物を建てることができるようになりました。

このような文化、文明、技術の発達それ自体は悪いことではありません。たが、その文明の発達、科学の発達が何を目的としているかが大きな問題なのです。この人々は「そのうちに」、つまり技術が発達するにつれて、神の栄光よりも自分の栄光を求めるようになっていきました。

このような考えは、神を引き下ろし、人を引き上げようとするもので、人間の高慢を表すもので、そのうちに彼らはこう言い始めました。<我々は団結して町を作り、天にまで届く塔を作って、名を挙げよう。こうしてやれば何でも出来る。神なんか恐ろしくない>。(11:4)人は
神から離れる時、神との交わりを失い、神における一体性も失いました。

その結果、人は互いに神を基盤にして交わることができなくなり、神から分離するだけでなく、人からも分離し、孤独になりました。人は神の形に造られたものとして、一人で生きて行くことはできません。人は神の代りに、権力や知識、更には偶像を神とし、それらの中に一体の基盤を見出そうとするのです。

このバベルの塔建設の動機まさに、神を抜きにした一体性の追求にあるのです。この塔の建設は明らかに<地に満ちよ>との神の命令に対する反逆です。人間には、神を中心とする一体性が約束されていたので、その一体性のうちにとどまりさえすれば様々な個性は問題にならないはずだし、<全地に散らされる>こともまた、<地に満ちよ>と神の祝福と受け取ることができたはずだからです。アメーン。

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