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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュのイエスこそ救い主。

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イエスこそ救い主。
1テサロニケ1:9-10.

テサロニケは今日のサロニキのことで、ギリシャにおけるアテネに次ぐ第二の都市となっています。古くから、イグナチア街道が町を東西に走り、軍事上、貿易上の重要な都市でした。紀元前148年にはローマの属州となりました。

パウロは紀元49年頃、第2 回伝道旅行のおり<例によって、その会堂に入って行って、3つの安息日にわたり、聖書に基ずいて彼らと論じ、キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また<私があなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである>とのことを、説明もし論証もした>(使徒17:2-3)このようにして、テサロニケ教会の基礎が据えられ、パウロとシラスのことを<世界中を騒がせて来た者たち>と呼んだほどでした(現代訳、使徒17:6)。

テサロニケの聖徒たちは、はっきりと偶像を捨てて神に立ち返り、主イエスの再臨を待ち望む者として出発しました(1 テサロニケ1:9-10)。そこには、パウロたちの伝えた福音を人の言葉としてではなく、神の言葉として受け取ったという信仰があったのです(1 テサロニケ2:13)。

<こうして、、マケドニヤとアカヤにいる聖徒全体の模範になりました。すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどでした>(1テサロニケ1:7-8)。

しかし、初代教会の働き(現代訳)によれば、こうした熱烈な聖徒たちの信仰がユダヤ人にねたまれ、町の無頼漢による暴動にまで発展しました。そのためパウロは、テサロニケにとどまって伝道を続けることができなくなり、この町を去り、アテネへと向かいました。同行のシラスとテモテはベレヤに留まりましたが、まもなくパウロに合流しました。

パウロは有名なアテネのアレオパゴスの丘で説教をし、改宗者たちを得ようとしましたが、あまり多く得ることができず、重い足取りでコリントへと向かったのです。パウロの言葉によると、このコリントでの伝道はアテネよりも更に困難を極め、彼がコリントに行った時には、<弱くかつ恐れ、ひどく不安であった>(1コリント 2:3)と述懐しています。アメーン。

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