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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュのキリストによる一致。

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キリストによる一致。
ローマ15:1-13。

パウロは、これまでキリスト者の確信と他者に対する愛の配慮について語ってきました。パウロは教会においても、信仰において強い人と弱い人とが互いに裁き合って共同生活の一致をさまたげていることを心配して<私たち信仰の強い者たちは、強くない者たちの担うべきであって、自分を喜ばせてはいけない。>といましめているのです(15:1)。

世の中は強い者と弱い者とから成立っています。生まれつき才能や健康に恵まれている人もあれば、病弱な人もあり、若者もいれば老人もいます。生物界では強い者が弱い者を犠牲にして生き残る弱肉強食の法則が支配しています。しかし強い者が弱い者の重荷を互い、互いに助け合って共に生きるのが、神の愛によって生かされている人間のふさわしい生きかたであるこを述べています。

パルロは自分自身を含めてこの手紙の読者を強い者と呼んでいます。私たちは自分のことを強い者と呼ぶのをためらい、口先では<私のようにつまらない何の取り柄もない者には、とてもそんなことは勤まりません>などと謙遜ぶったり、責任逃れをしながらも、心の中では、自分がまわりの人と比べて強いか弱いか、優れているか劣っているかといふことばかり気にして、できることなら自分が他人よりも強い者、優れた者でありたいと願っています。

しかし、パウロがここで強い者と呼んでいるのは、信仰の理解力において優れている者たちというだけの意味ではなく(14:12,1コリント8:1-10)その信仰的あり方と立場すべてに力のある者たちをあらわしています。<力のない人たち>も同様であって、信仰の理解力が足りないとか、霊的に弱いというだけではなく、論理的、社会的にも力のない人々のことです。

すべてにおいて力あるキリスト者たちは霊的、論理的、社会的に弱い立場にある他のキリスト者たちのその弱さを背負って、共に生きる義務があるこを説明しています。<自分を喜ばせるべきではありません>とは、自らの満足と利益を追い求めてはならないという意味です。

生存競争に勝ち抜く力を持っている人のことでなく、自分の弱さ罪深さを思い知らされ、十字架に死んで下さったキリストの恵みにすべてを委ねて生きている者のことです。ただ神が味方であることを信じて生きる人こそ、本当に強い人です。すすんで他人の弱さを担う人のことです。アメーン。



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