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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュの十字架に向かって進む。

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十字架に向かって進む。
マルコ10:32-34.

聖書を読んでその意味を正しく理解することは、やさしいようで難しいです。イエスの教えも、その本当の意味を理解することは容易ではありません。み言葉には地上の価値観や哲学とは違う神の真理が語られているからです。マルコは、エルサレムへ上がるイエスの一行に起こった出来事を通して、イエスの十字架と復活の意味を明らかにしています。

弟子たちは霊的に鈍く、イエスの言葉が理解できないばかりか、人間的な地位と栄誉に心を奪われていました。イエスはしだいにエレサレムに近付いてきたので、十二弟子だけを呼び寄せて、エルサレムに上がる決意を語り、三度目の受難の予告をしました。イエスは、エルサレムに行けば祭司長や律法学者たちに引き渡され、殺されることを十分に知っていました(マタイ20:18)。
エルサレムに上がって行く決意は神から与えられた使命だったのです。(ルカ18:31)三回の予告には三日目に甦ることが告げられています。<あの人たちは、私をあざけり、むち打ち、十字架に付けるために異邦人に引き渡します。しかし、私は三日目に復活します>(現代訳、マタイ20:19)。

エレサレムにはイエスに激しく敵対している宗教的指導者と律法学者たちのいる所です。そのエルサレムに上がるということは、彼らと正面衝突することであり、この時イエスはすでに十字架の死を覚悟しておられました。(10:33)福音を宣べ伝え、弟子たちを訓練してきた期間もすでに終り、イエスは十字架にかかるためにエルサレムに向かって進んで行かれたのです。

イエスは贖いのメシヤとして十字架について死ぬとおっしゃったのですが、弟子たちを含め、ユダヤ人にとってのメシヤとは、ローマを倒し、自分たちの国を築く者としか考えられませんでした。ですから、十字架が罪の赦しにつながることなどわかりません。アブラハムはイサクが与えられイサクが成長し、楽しんでおる時、神はイサクをささげるようにとおっしゃいました。(創世記22章)

アブラハムがイサクをささげるとは、とても重い十字架です。しかし、彼はその十字架を担いました。一番大切な物を差し出すとは、 とても辛いことだと思います。それが十字架です。私たちが苦しいことにであったとき、真面目にやってきたのに、なぜこんな目に遭うのかという気持ちをもつこともあるかもしれません。

しかし、痛むことで、キリストの十字架は自分のためであったことがわかってきます。そして、信仰と人格が深められ、豊かにされると思います。<十字架を負うて、私に従ってきなさい>(8:34)のみ言葉を、もう一度心に留めたいと思います。アメーン。

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