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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュのキリストに仕える者

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キリストに仕える者。
2コリント4:6-15.

パウロは、先に<私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト、イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスの為に、あなたがたに仕えるしもべなのです>(現代訳、2コリント4:5)。彼が宣べ伝えるのはイエス、キリストであり、彼自身は仕えるしもべに過ぎないと言っています。

<光が闇の中に輝け>と言われた神は、私たちの心を本当の光によって照らし、キリストの御顔にある栄光の知識を理解させて下さったのです。(4:6)<私たちは、この福音という光り輝く宝を、壊れやすく、卑しい人間という器の中に持っている。それは、この測り知れない、人を救う力が神のものであって、私たちのものでないことが、はっきりするためである>。(4:7)

ここで、土の器の中に宝を持っていると言っているのは、使徒であるパウロだけのことではなく、すべてのキリスト者のことです。私たちのことを<土の器>と呼んでいるのは、私たちが、壊れやすく、価値のないものであることを表すと共に、神によって造られたと言うことを示しています。

聖書は、創造主でいます神を、陶器師として表わし、被造物である人間を、陶器として表しています。(イザヤ29:16.30:14.45:9.64:8.エレミヤ18:6.ローマ9:21.)土の器に金貨や銀貨を入れてしまっておく習慣は、古代にありました。ローマ帝国においても凱旋将軍の行列の時に、土器に銀貨を入れ、それを持った者たちが続いたと伝えられています。神の栄光や恵みや力や愛などの並はずれた偉大さに対して用いられる表現です。(3:10.4:17.9:14.)

パウロは、キリスト者の中に働く<測り知れない、人を救う力が神のものであって私たちのものでないことを>はっきりするための例証を述べています。(4:7)それは、パウロ自身の経験に基ずくものであり、彼の過去における一度限りの経験なのでなく絶対えざる経験なのです。彼は自分の無力さを絶えず経験していたのです。

彼は、<マケドニヤに着いた時、私たちの身には少しの安らぎもなく、様々の苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました>と言っています。(7:5)彼が産んだ教会が、今まさに混乱して、どうなるかわからないような状態に陥ろうとしているのを知って、じっとしていられない、激した気持ちの中で書いたものが、第2の手紙です。その点、第1の手紙とは全く違っています。アメーン。

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