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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュの人間の高慢と「バベル塔」

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人間の高慢と「バベル塔」
創世記11:1-6.

<人類は一つの言葉を使っていた>(現代訳、11:1)。直訳「一つのくちびる」初め、人間は神によって造られたままの言葉をもち、話し方をしていました。初期の人類の原始的な言葉がヘブル語であったか、アラム語であったか、今日全然残っていない古語であったかはわかりません。言葉が一つであったということは、なによりも精神生活が一つであったことを示しています。

<そのころ、人々は東の方から移動して来て、シヌアルの地に見付けた平野に移り住んだ>。(11:2)「シヌアルの地に」人々の大集団が何らかの理由で大移動を始めたのです。彼らは、シヌアルの地に平地を見付けそこに定住しました。人は集団的に定住することによって、そこに文化を形成して行くことが可能になり、文化の発展の中で自己を過信したり、神なき文化と文明を定着させる危険性も持つようになりました。

<さあ、我々は団結して町を作り、天にまで届く塔を作って名を挙げよう。こしてやれば何でも出来る。神なんか恐ろしくない>。(11:4)パレスチナでは、石が最も重要な建築の材料でしたが、石は多く産出しないので、彼らは石の代りに「煉瓦」をつかって建物を建てることができるようになりました。

文明の発達と科学の発達が何を目的としているかが大きな問題になったのです。人々は技術が発達するにつれて、神の栄光よりも自分の栄光を求めるようになりました。神からは離れ、神との交わりと神との一体性を失い神を基盤にして交わることができなくなりました。

<一つの民、一つの言葉で>。本来祝福であるはずのこの一体性が、罪の方向への一致と団結を促す結果になりました。<このようなことをし始めたのなら>は、始めたこと自体が、神からの離反につながっているのです。本来人間には、神を中心とする一体性が約束されているので、その一体性のうちにとどまりさえすれば、神のあわれみの配慮を見ることができるのです。

私たちは、神に喜ばれることが人生の目標となっいるでしょうか。この目標に向かって夢中で生きている人のためには、神はどんなことでもしてくださるのです。アーメン。

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