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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュのPeter's Declaration about Jesus

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Peter's Declaration about Jesus
題目:私をだれと言うか?、マルコ8:27−33.                                
   並行箇所:マタイ16:21−28、 ルカ9:22−27.
 
イエスは弟子たちと共に、パレスチナの北にあたる、ピリポ、カイザリヤの地方を旅をしておられました。イエスはここから一路エルサレムに向って南下し、最後のご受難の旅に出かけようとされていました。

イエスはとつぜん弟子たちに向って「人々は、私をだれと言っているか」とお尋ねになったのです。いよいよ十字架への道を歩むことを決心して、あとに残る弟子たちが、世間の人々よりもより深く、より正しく、イエスのことを理解しているかどうかをたしかめるために、このような質問をされたのです。

キリスト教の信仰は、ただばくぜんと神を信じることではなく、イエス、キリストによって神を知ることです。
「イエスをだれと言うか」ということが、キリスト教の“かなめ”です。
クリスチャンひとりびとりに与えられた問いとして、誠実に答えることです。

今日でも、イエスを人類の精神文化に大きな影響を残した預言者、社会正義の実践者として評価し、それぞれ自分の好みや価値判断によって、勝手なイエス像を作りあげてきました。

聖書は人間イエスを模範とする、道徳の書物ではありません。
すぐれた道徳も、罪に支配されている人間を生かすことはできないのです。
世間の人々が、イエスをどのように理解しているかが問題ではなく、私にとってイエスはどういうかたであるかがここで問われているのです。

十字架にかけられたイエスは、たんなる人間ではなく、人々を救うために、私たちと同じ人間になられた神のみ子であり、イスラエルの人々に約束されていた神の救いのみわざが、イエスによってはたされたという信仰の告白です。

救い主に対するペテロのあやまった理解を、厳しくお叱りになったイエスは、救い主として、神からつかわされた使命を果たすために、エルサレムに向って、十字架への苦難のみちを進まれる決意をかため、そのことを、くりかえして弟子たちにおつげになりました。(8:31,9:31、10:33−34)。
アメーン。



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