Jesus is the Messiah 題目:イエスは神の子メシアである、 ヨハネ20:31 神の子イエス、キリストはこの世に下り、罪深い人類の救いの為に十字架につけられ、神の愛と義とを啓示(人の力では知り得ないような事をさとし示す)された、喜びの知らせを宣べ伝えることが 福音書の目的である。共観福音書とはマタイ、マルコ、ルカ、の 三福音書を指す名称である。これらの福音書は内容的に相互に類以しているので「共観」福音書と呼ばれる。ヨハネ福音書と区別されているのは、ヨハネの福音書は、共観福音書との並行記事が全体の一割にも満たず、その代わりこの固有の出来事と教えを多く含んでいるからである。共観福音書がイエスの宣教のほとんどをガリラヤを中心にしているのに、ヨハネは舞台をエルサレムとその周辺の出来事まで述べている。二世紀のアレキサンドリヤのクレメンスは、使徒ヨハネは「肉体的な事がら」(ギ、タ、ソマテイカ)であることを認めて、最後に「霊的な福音書」(ギ、ブニューマテイコン、ユーアンゲリオン)を作成した、と証言している。 ヨハネは<これらの奇蹟が書かれたのは、あなたがたがイエスは神の子キリスト(救い主)であることを、信じるためであり、そう信じて、救われるためである>(20:31、)。ヨハネはイエスが「神の子キリストである」という真理(証拠)を提示している(イエスがだれであるかを語り)、多く行なわれたしるしの中から、神の賜物が何であるかを告げ、イエス、キリストを信じて従っていくことの意味を明らかにすることを絶えず中心に置いている。<イエスがこの地上の生活中に行なわれたことは、ここに記したこと以外にも沢山ある。それらを全部記するなら、たといこの世界も、その書かれたものを収めきれないだろう>(21:25)。四福音書はイエス、キリストについて述べるのにさきだって、イザヤ書に預言されている<呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、砂漠に、我々の神の為に大路をまっすぐにせよ>(イザヤ40:3)として現れたバブテスマのヨハネについて述べているのです。どこまでも自分をひくくして、イエス、キリストに従っていく、この謙遜さによって、ヨハネは道ぞなえの大切な役目を果たしました。このような謙遜さをもって聖書を学ぶときに、私達もイエス、キリストを心の中にお迎えすることができるのです。 アメーン。