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米国、南NJ州クリスチャン教会コミュのべダニヤでの香油の注ぎ。

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ベタニヤでの香油の注ぎ。
マルコ14:3-9。並行箇所、マタイ26:3-13、ルカ22:1-6、ヨハネ12:1-11。

高価なナルドの香油をイエスに注ぎかけた女の話は、四つの福音書どれにも記されています。人類の救いの為に十字架にご自身の生命を捧げられたイエスの、「葬りの用意」と呼ぶに相応しい出来事でした。客をもてなすために香油をその体に注ぐことは、当時の接待の方法でしたが、それと共に死者を葬るときにその体に香油を塗ることもまた、当時の習わしでした。

客をもてなす為に香油を注ぐことは当時の習わしであったとはいえ、300デナリもする高価な香油の入っている壺をこわして、全部をイエスの頭に注いだと言う女の行為は、、そんな無駄なことをするよりも、それをお金にかえて貧しい人々を助けるべきだったと厳しく責められてもよいことだと思われます。

貧しい人々を助けることは、隣人愛の教えにかなった大切なことです。しかし、愛とか奉仕というものは、利害打算や常識をこえて、全人格をかけてなされる行為です。愛するものためになら、すべてのものをなげ出しても惜しくはありません。<この婦人のしたことは、出来る限りのことをしたのです。確かに、私の葬りの用意をしてくれたのです。>(現代訳、14:8)

イエスはこの女のしたことを、「よい事」としてお褒めになりました。私たちの人生を美しくするものは常識を越えた愛です。日常生活において非常識な行為は赦されませんが、常識的な行為はなくてならない大切なものです。この女のしたことが感動させるのは、彼女ができる限りのことをしてイエスに対する信仰と愛の心を表したことにあります。この美しい行為が、語り伝えるようになったのは、人類の救いのために十字架にかかられたイエスに対する、葬りの準備であったからです。

善い事をするにも、チャンスというものがあります。助けを必要としている人に出会ったならば、その時すぐにもっているものを投げ出す決心をしなければ、人を助けることはできません。この女にとって、今このときがイエスに対して奉仕する最後のチャンスでした。彼女は自分の全財産と言うべき高価な香油をイエスにささげつくすことによって、この機会を生かしたのです。

私たちの為に生命を捨てて下さったイエスの愛にむくいるには、自分にとってかけがえのない宝であるナルドの香油を注ぎつくしても、なお足りないことを、女は強く心に感じていたに違いありません。ルカによる福音書では、この女は、イエスによって赦された「罪人の女」であったと言われています。(ルカ7:36-50)私たちはイエス、キリストに、何を捧げようとしているのでしょうか。

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