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ウィリアム・フリードキンコミュのディレクティング・ザ・フィルム

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キネマ旬報社 巨匠たちの映画テクニック ディレクティング・ザ・フィルム
 エリック・シャーマン=編・著 渡部眞・木藤幸江=訳

 先日、この本をたまたまジュンク堂の映画コーナーで見つけて手にとった。この本の初版発行は1994年とあるので、20年以上前の書籍であるが、恥ずかしながらこれまで全くその存在を知らなかった。
この本の素材はアメリカン・フィルム・インスティテュート(American Film Institute Center for Advanced Film and Television Studies=AFI)の記録を集めて作成されたものである。刊行当時、プロのフィルムメーカーと学生たちが一週間に一度集まり、意見を交換したり、製作プロセスの質問などを尋ねたりするセミナーがもたれていたという。
 この書籍に登場する監督は、フランク・キャプラ、ジョン・ヒューストン、ジャン・ルノワール、ベルナルド・ベルトルッチ、ハワード・ホークス、ロバート・オルドリッチ、ロジャー・コーマン、アーサー・ペン、ルイ・マル、ミロス・フォアマン、サミュエル・フラー、ラオール・ウォルシュ、アルフレッド・ヒッチコック、フェデリコ・フェリーニ、ジョン・カサヴェテス、ロベルト・ロッセリーニ、ロマン・ポランスキー、スティーヴン・スピルバーグといった錚々たる面々であり、こうした名匠に直に接することのできるアメリカの教育環境をとてもうらやましく思う。
 ちなみにフリードキンの発言はこの書籍の冒頭を飾っているほか、書籍の随所に引用されており、上記名匠の中にあって比較的多くの発言が採り上げられている印象を受ける。このことはこの書籍が本国アメリカで刊行された1976年という時代のアメリカ映画界におけるフリードキンの立ち位置を如実に表しているように思う。
 ちなみに、「フレンチ・コネクション」のパンフレットでフリードキンについて紹介されている箇所を見ると、こんなことが書いてある。「大学出ではないが、講師として、しばしば大学に招かれた。62年にはハーバード大学法学部で3日間にわたるゼミナールを行った。シカゴ大学、ノースウェスタン大学、ウィスコンシン大学、サンフランシスコ演劇大学その他でもTV製作に関する講演をしている」
ちなみに、1962年は、フリードキンが死刑囚を取材したテレビドキュメンタリー「人民対ポール・クランプ」を発表した年であり、この時期のハーバード・ロースクールでのセミナーは、そうした事情に関係したものであろう。
 以下、本書籍におけるフリードキンの発言を紹介する。

「監督とは何か」
 「監督」というのはいい仕事だし、自分に一番合った仕事だと思う。お金を払ってでもしたいと思うね。もし社会の規則が変わって、「監督の仕事をしたかったら、列に並んでお金を払ってからでなければやらせない」ということになっても、私は一番初めに並ぶね。問題も多いし嫌になることもある。やりがいはあるけれどもフラストレーションもたまる。全く辛いことばかりだけれど、満足度の大きい仕事でもあるんだ。私ももしこの仕事をしていなかったら食べるためにまっとうな仕事を探していただろう。人は生きるために道を掃除し、石炭を掘り、教師になったりするんだ。でもそれに比べたら監督の仕事は遊びだ。みせかけにすぎない。

「きっかけと修行」
 私はテレビ局のメール・ルームからスタートし、それから映画でいう助監督のようなフロア・マネージャーになって、17歳の頃にはもうディレクターをしていたよ。8年間に約2千本の生放送のテレビ番組をこなしたね。もし仕事をしていたテレビ局全部から首になっていなければ、今でもテレビの生放送の仕事をしていただろう。ある時どうしても1時間物のドキュメンタリーを作りたいと思った。で、それを売り込みに行ったら、「5百ドルで作れるかね?」とテレビ局の人に聞かれた。「もちろん」と答えたけど、言うまでもなく5百ドルで作れるわけがないだろう。結局7千ドル程かかった。テレビ局側は激怒し、私は首になった。でも、その作品はサンフランシスコ映画祭賞を取り、ディヴィッド・ウォルパーが見て、私を雇ってくれたんだ。それでこうやってこの世界にいるというわけさ。

「プロデューサー」
 監督で一番大切なのは、素材を選ぶことだ。それが本当に一番重要な仕事だと思うね。つまり、これから先何にどうやって時間を費やすかという問題でもあるんだ。私の場合は極端だけど、「エクソシスト」に2年かかった。でも最近は、大体1本の劇場用映画に半年から1年かかるんだ。だから自分がこれから何をするつもりなのか、そして何をしたいのかが大事だ。それが一番大切な決断なんだ。

「脚本―監督の貨幣 共同作業」
 「エクソシスト」でブラッティが書いた脚本を読んだけど気に入らなかった。原作からかなり離れたものだったが、もっと忠実なものを作りたかったんだ。私は家に帰ると原作を読み直した。もう一度目を通して本に書き込みをし、ブラッティに渡し、「これが脚本だ」と言った。彼はそれを持ち帰って直し始めた。彼はそこから脚本を書き、毎日新しい発想を思いつき、新しいことを入れてきた。私は次に実際の「動脈X線撮影像」と「肺X線撮影像」ができるところを見に行き、医者が何をしたかを書いてブラッティに渡し、彼が脚本に入れていった。また二人で声を出しながら掛け合いの台詞を作り、原作のどこを残してどこを削るかを話し合い、彼は戻って脚本の形に仕上げたんだ。




コメント(6)

「軍隊の形成―軌道の外側にて」
 素材を選んだら、次に重要なのは誰が出るかということだ。誰をそこに出すかということだ。だからキャスティングが次に監督のする最も大切な決断になる。単に誰がスターかということではない。そういった考え方はしない。全くそれはない。そういう風には配役をしない。そうではなくて、誰を出演させればその人物を通して観客にその考え方や感情を伝えられるのかということだ。監督の仕事は何かを伝えることで、それは俳優を通して行われるからなんだ。もちろん他の手段もあるけれど、ほとんどが俳優を通して行われる。だからどんな役に対しても、使いたいタイプと使いたくないタイプをあらかじめ想定しておくことになる。
 私が俳優に求めるもっと重要な資質は知性、つまり知的であるということだ。私はそれが素晴らしい演技を作り出すと思っている。「エクソシスト」のカラス神父を選ぶ際、カトリックの教育を受けていない人間を選ぶつもりはなかった。そして探し続けた末にジェイソン・ミラーに出会ったんだ。私は彼の演技を見たことはないし、彼もそれまで映画をやったことがなかった。ブロードウェイの舞台ですらやったことがなかったんだ。いくつかオフ・ブロードウェイの舞台や地方での舞台などはやっていたものの、いわゆるメジャーはやっていなかった。
 しかしジェイソンはすべての条件を満たしていたんだ。カトリックの大学でイエズス会の修道士になるための教育を三年間受けていて非常に聡明で、私の映画にふさわしい生まれ持った繊細さもあり、一緒に仕事ができると感じた。リンダ・ブレアの場合は、五百人の少女をオーディションで見て、彼女に決めた。私が今まで会った若手の中で最も聡明でしっかりしていると感じたからだ。


「軍事訓練―リハーサル」
 さて普通、俳優との仕事の仕方としては、まず全部のショットのプランを立てておく。紙の上でプランを立てておくのは、そうしておけば後で捨てられるし、融通がきくからだ。もしプランを立てておかないとそういった融通もきかない。私のプランは念入りに立てられる。「エクソシスト」は二週間リハーサルした。最初の45ページをリハーサルして、後は残りの部分に関して相当話し合った。二週間で私が力を入れたのは、俳優とコミュニケートし、お互い頭に思い浮かんだことを何でも話し合えるような状況を作り上げることだった。もちろんその時演出や意味づけや役についてなど話し合えると素晴らしいんだが、そうはしなかった。ジェイソン・ミラーとはニューヨーク・ニックスの話しかしなかったし、リンダ・ブレアとはこの仕事の話はせずに、現実離れした不思議な話をしていたんだ。
 それから次に自分の演出案を提案する。押し付けはしないで、提案するだけだ。彼等も私が提案しているだけだということがわかっている。だから俳優が自分にとってよりうまく行く方法を探すのは自由だし、私も気に入ればそれを採用するし、もし俳優が迷って行き詰っているようなら、私の演出に戻る。大体ぴったりはまった配役をすると、演出は感情の盛り上がり具合やペース配分を上げたり下げたりするくらいですんでしまう。大体普通はそれが演技上一番問題になる。監督が欲しいのはシーンに立ち向かうこと、あるいは感情の盛り上がりなんだ。
 私はできるだけ自由奔放にしたいので、俳優ごとに違うことを言う。二人の俳優に決して同時には言わない。というのはこっちは少し早いアレグロ、こっちは少しゆっくりしたアンダンテというようにしたいことがあるからね。しかも二人には私がもう片方にどう言ったか知られたくないんだ。
 実際、私は一方の変化を他方に知られたくないし、向こうも相手がどう変わるかなんて知りたくない。私は両者の間にいてその変化のバランスを取ろうとする。それは感情的な変化のことであり、私はそのペースについても音楽のようにコントロールしようと思っている。
「基本原則―撮影の方法における」見取り図―賛否両論
 最初にスケッチをして、そこから場面のすべてのシークエンスのすべてのショットを言葉での表現に書き出す。それから助監督がそのシーンに関係する人のためにコピーを取って渡す。すると撮影二、三日前には、全員が私が何をしたいのかを書いたノートのコピーを持っているということになる。それを読むと、皆が編集後のその場面がどうなるかをわかっているわけだ。
 実際に始める前に映画全体が私の頭の中に入っている。それで小説家のように、視覚を文章化し始める。もちろん普通の文章の代わりにナレーションと会話で書くわけだ。映画の視覚小説を書くことになる。こういうことを大変注意深く仕上げ、すべてのショットを設計する。それからセットに行って全部仕上げるんだ。
 私はいつもカメラのファインダーをはずして使う。私はあのディレクターズ・ファインダー(アングル・ファインダー)は好きじゃない。ファインダーをカメラからはずして、いつも持ち歩いている。それを通してのぞいていると、普段自分の想像力を最大限に使っても考え付かないようなことが見えてくるんだ。結局撮影前にファインダーを持って歩き回り、立ち止まったりしてこれでいいと思うまで探し回ることになる。
「セットにて」偶然を形にする
 「フレンチ・コネクション」では、スタント・ドライバーのビル・ヒックマンと私が車に乗った。私はカメラを車のフロント・バンパーの上に置いて、車の中でカメラを操作した。私はヒックマンをあおるために「ヒックマン、全然君はガッツがないね。この弱虫。うまく運転するのにちょっと飲んだ方がいいんじゃないか」などと言って彼を怒らせ続けていた。すると彼は「よし、車に乗ったら、運転というものを見せてやる」と言った。
 それで車に乗ると、彼は車の上でサイレンを鳴らして二十六区画を走った。全部の信号を無視し、すべてを通り抜けていった。車線を出たり入ったり、めちゃくちゃだったよ。本当に。
「即興」
 「フレンチ・コネクション」では、ジミー・ブレスリンとロイ・シャイダー、そして作品の最初の「ポキプシー市に足を踏み入れた」シーンでこの男たちに訊問される男を演じたアラン・ウィークスという素晴らしい俳優とアドリブでやったシーンがあった。ブレスリンがあるシーンで台詞をアドリブし、その時私は絶対作品の中で使いたいと思ったが、実際には作品に入れられなかった。それがどうして駄目だったか話そう。
 彼は男に訊問するときアドリブをやった。「さあ、名前を喋るか、さもなければこの街の思い出となって消えていくかだ」というもので、この台詞の「この街の思い出となって消えていくか」というところにとても感激した。「これは訊問するこの男の性格の核になるんじゃないか」と思った。
 このアドリブの訊問シーンの後、しばらくしてこのシーンを書き上げたんだが、ブレスリンが出演できず、代わりにジーン・ハックマンがやることになった。ここは私が実際に見たエディー・エガンとソニー・グロッソの訊問を基にしたが、その台詞を付け加え、このシーン全体の落ちにした。だから「さあ、名前を喋るか、さもなければこの街の思い出となって消えていくかだ」という台詞はシーンの最後に持ってきた。
 さて撮影の初日となったが、ジーン・ハックマンと仕事をするのはこれが初めてだった。そしてそのシーン、訊問のシーンをハックマン、シャイダー、アラン・ウィークスで撮ることになった。
 それはまず通常行われるようにパトカーの中で、路上ではなく車の中で、二人の警官が容疑者の両脇に座るという形で設定された。そんな風にシーンは設定され、しかも台詞は素晴らしいものだった。読んでみるとわかるがそれは詩なんだ。そのシーンを「誕生パーティー」〈未〉の原作者ハロルド・ピンター調の訊問にして、「この街の思い出となって消えていくか。」で終わらせる。それは「ああ、これを書いてピュリッツァー賞が貰えたらどうしよう」と思わせるようなものだ。
 ところが32テイクほど撮ってもそれはぎこちなく、使えるものにならない。シャイダ―はとてもよかったし、ハックマンも素晴らしかった。アラン・ウィークスはあちこち殴られていた。本当に殴られていたので、顔から本物の血が流れていた。ウィークスは「平気だ。殴れ、どんどん殴れ」と言い、27テイク目まで「平気だ。まだ殴っていい」と言っていた。だが顔は晴れていた。シーンはよくない。ハックマンと私は長い間見つめ合った。そう、32テイクだ。既に暗くなってしまったがまだショットが撮れていない。悲しいものがあったよ。でも結局帰った。「ああ、これでおしまいだ。この映画を首になるな。最初のシーンが演出できないんだから」と思った。全くだ。現場でスタッフ全員お互いの顔を見つめ合い「どうなってるんだ」と言う以外、その日は何もしていないんだからね。「全くどうするんだ」。
 その夜は眠れず、ずっと考えていた。「どうしよう……ああ、そうか」。それはいつものように私への声で、どこか離れたところからの声だった。調子がいい場合は、自分がアイデアの通り過ぎる管のように感じられるのだが、そうでないときは管になるまで心を開きながらこう言うんだ。「おい、何か言ってくれ。何か与えてくれよ。頼むよ。行き詰ってしまったんだ。」何かしなくてはならない。「そうなんだ。そのシーンで何がおかしいのかはわかってる。これはハロルド・ピンターものじゃない。これは街頭での見せ物なんだ。しかもこの男たちはやるべきことがわかっている。だから彼らにシーンを即興でやらせなくちゃだめだ。そのためには役者をこの車と狭い画面の中に縛り付けてはいけないんだ」。
 そして朝、助監督を呼びつけてこう言った。「カメラを二台そこへ置いて。二台だ。あのシーンを壁に向かってやるんだ。そこに小さな庭を作ってやり、その狭い場所でハックマンとシャイダ―とこの男にそのシーンをわめかせるんだ。三人にそのシーンの意向を伝えるだけでいい。さあ、お前の言葉でうまくやってこい」。
 

 そして今あるようなシーンができ上がったんだ。二台のカメラでワンテイクだけ。一番いい所を選び、ハックマンから素晴らしい台詞を引き出した。正確に何と言ったか忘れたが「後ろの二つの鞄のせいだけで逮捕するんじゃない。ポキプシーに足を踏み入れたってこともあるんだ」とかいう台詞だ。
 エディー・エガンがいつも使っていたので、彼はその台詞を知っていた。ハックマンはエディー・エガン流で先へ進んでいった。エガンとグロッソ流の訊問のテクニックはとても単純だ。それははっきりしていて、実際うまく行く。例えば明らかに何かをしでかしている男を捕まえるとすると、その男の罪のために我々も何か罪深さを感じるんだ。ところが、誰もに答えられる質問、例えば名前は何かとか、住所はどこかとか、何をしているのかとかいったものもあれば、誰にも答えられない質問というものもある。そこでの訊問のテクニックは、一人の男は彼が答えられる質問を持ってきて、もう一人の男が質問さえもよくわからないようなことを言って彼を唖然とさせるというものだ。
 例えば、片方が「そこのバーで何をしていたんだ」と言い、「はあ」と男が言うと、もう一方の男が「ポキプシーに来たことがあるのか」と言う。男は自分がポキプシーへ来たことがないのはわかっているが、「どうしてこいつは自分がポキプシーへ来たことがあるかなんて聞きたいんだ」と思う。つまり一人は答えられることについて知りたいようだが、もう一人はポキプシーのことを聞いたりしてどうするのかと面食ってしまうんだ。それは人を煙に巻くようなものだ。だから次の質問は決定的だ。一人が「バーであいつに何か渡したか」と言い、彼が「はあ」と言うと、もう一人が「ベッドの端に座って靴と靴下を脱いで、足の指の間に手を突っ込んだことがあるかい」と言い、男は完全に呆然としてしまう。


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