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ウィリアム・フリードキンコミュのTHE FRENCH CONNECTION Blu‐ray 特典映像

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ジーン・ハックマンが本作について語っているインタビューの字幕部分を取り出してみました。

HACKMAN ON DOYLE BY GENE HACKMAN Jimmy “Popeye” Doyle

 あんなに屋外での撮影が多い映画は初めてだった。しかも冬にね。困難な状況下で私たちは常に動いていた。そう記憶している。
 監督には厳しいことを言われたが、それがよかった。彼の姿勢にも惹きつけられたよ。映画のビジョンが明確だった。ビリー・フリードキンは完ぺき主義で、ダメなものはダメだった。完ぺきになるまで根気よく頑張るしかない。麻薬密売人とのシーンがあって、2日目か……とにかく1週目に撮った。ビリーには徹底的に小突くように言われたよ。だが私にはできなかった。あんな演技やタフな男の役は初めてだったんだ。どうやら3〜4カ月の間、他人を小突き続けるようだ。そう予測して、ビリーに「できない」と言いに行った。だが素晴らしいことに彼は、代わりがいなかったのか(笑)、私をクビにしなかった。その決断に、今後も感謝し続けるよ。あれが私の出世作になった。
 ドイルは非常に偏見が多く、人種差別するような男だ。それが彼だ。私は黒人差別もイヤで、そんなセリフには反対した。多少はね、だが同時に、それがドイルだと納得もしていた。好き嫌いにかかわらず、それが彼なんだ。別人に見せても仕方ない。エディ・イーガンは、よくセットに来た。恐らく毎日だ。私は彼を観察して、自分の演技を作っていった。彼は見るからに刑事だった。ひと目で刑事だと分かる。まさにタフガイだった。本当は私でなく、ロッド・テイラーのほうが(笑)似てると思ったらしい。
彼と仲良くはならなかった。映画の基となった人だから重宝はしたが(笑)、合わなかった。ある夜、彼はバーに行き、映画と同じことをした。ポパイがこう叫ぶシーンだ。「ポパイ様のおなり。手は頭の上に置け」あれをやった。現実にやったんだ。怖い輩が大勢いる中でね。それを聞いて、現実のこととして演技できた。タフで強靭な刑事なら、切り抜けられる状況だ。実際にあのシーンを撮影する日になって、私はロケ地のバーに入っていった。そこには50人ほど、みたこともないほどこわもての男たちが揃ってた。私は生きてシーンを終えられないと感じたよ(笑)。みんなで簡単にリハーサルをして、そしたら、確かソニー・グロッソーが「紹介させてくれ」と、エキストラだと思ってた人々に、私を紹介し始めたんだ。驚くことに、バーにいた男たちは全員、警官だった。そう知ってホッとしたよ(笑)。
妥協を迫られることは一度もなかった。ビリーも非常にうれしかったろう。素人の演技は大抵目立ってしまうものだが、本作では違った。みんなうまくなじんでいた。私も彼らの経験を考慮して、合わせる必要がなかった。私は正しいと思う演技をして、あとはビリーに任せた。ほかの出演者たちが……街を行き交う人々や、素人の人たちが、どの程度かは……満足なレベルか否かはビリーが判断した。
ロイ・シャイダーも世に出た。彼はまだ新人だったが、心地よく仕事ができた。しっかりしてて頼れる。素晴らしい俳優なのに、過小評価されてたんだ。ロイと私は、撮影前2週間にわたり、警察と行動した。それが功を奏した。人として俳優として、互いを知れたし、一緒にいてラクな関係になれた。
安心できる現場だった。エディは常に、ソニーもほぼ常にいた。ランディ・ジャーゲンセンもだ。NY市街で撮る時は、過度な数の警察も周りにいてくれた。通りにいる市民に困ったことは、ほぼなかった。NYでは、市街地の撮影は厳しいのにね。NY市民は映画の撮影で生活を邪魔されたくないんだ。
私は昔からヒザが悪く、ボルトが入ってる。走るのは大変だった。海兵隊などでよくスポーツはしていたが、NYを革靴で走るのはそれとは訳が違う。特に映画の前半は、かなりキツかった。地下鉄での撮影は、確か2日だけだった。エディは実際に事件の犯人をあんな風に尾行したんだ。最後に犯人が手を振るが、小さく、こんな風にね、あれは犯人が尾行に気付いていた紛れもない証拠だ。あれがあったから、起訴できた。犯人が印象的なシーンだ。
チェイス・シーンは、脚本を読んでも詳しくは描かれていない。演出がすべてだ。映画をスピーディにすべく、その場で案を考えた。紙に書けはしない。車のシーンは時間をかけて撮った。確か2週間だ。高架電車と、その下を通る車を、編集で交互に見せた。車は2台つぶして、確か通りは封鎖した。警察を周囲に配置して、入ってくる車を止め、4〜5ブロックを疾走した。確か時速110〜120キロで走ったね。もっとかな。だが、うっかりしてたよ。通りに停めてある車に乗って仕事に出かける人もいた。全速力で長時間、集中して車を走らせていたら、突然目の端に、別の車が飛び出すのが見えた。バン! そんな音がして、私の車は線路の脚部へ放り出され、大破した。
映画がヒットするかは不明だった。いつものことだが、見当もつかない。ヒットするかは関係なく、私は映画を単純に「仕事」として捉えている。興行の結果には惑わされない。本作は結果的に観客にウケて、興行成績もよく、みんな喜んだけどね。
私のキャリアの原点だ。それまでの役は、よくて準主役程度だった。「俺たちに明日はない」でも明らかに主役ではなかった。だから最高の「後押し」になった。ビリーの意志のおかげで、私が時に乗り気でなくても、やり遂げられた。30年たっても話せる映画だ。

コメント(4)

さらに、ドン・エリスの音楽について触れられた部分も。

COP JAZZ the music of Don Ellis

ジョン・バーリンゲーム(映画音楽史家)Jon Burlingame (Film music historian)
エリスは1960〜1970年代に活躍したジャズ・アーティストだ。彼は革新的で、実験好きで、当時のほかの音楽家と異なり、伝統的なビッグバンドの枠を広げようとしていた。エリスは珍しい拍子記号や、とっぴなリズム、微調性に興味を抱いた。西洋人には不協和音に聞こえる。当時、彼の音は、非常に斬新だった。
この映画の音楽で個性的なのは、エリスの4分音使いだ。通常、ピアノの鍵盤には白鍵と黒鍵が並んでいる。彼は、この間の音に注目したんだ。半音をさらに半分に割ると、1オクターブ12音が24音になる。つまり4分音だ。彼はメーカーに4つ目のバルブがある4分音のトランペットを作るよう注文した。彼は私たちがなじんだ音の間の音を探求した。それが本作で実を結んだ。
オープニングから、不快な音楽が流れる。金管楽器の音だ。その金切り音に加えて、4分音のトランペットも聞こえる。普通のトランペット3本と4分音版3本だ。それらが重なって、耳障りで刺さるような、冷たく硬質な音を作り出した。神経を逆なでされる。途中で木管楽器の音も聞こえる。モールス信号のような面白い音だ。バックには、執拗な打楽器も聞こえる。野蛮な感じのする音だが、エリスは恐らくこの音楽で、この映画の特別さを伝えようとした。「これから見る映画は、刑事と犯罪者の泥まみれの物語だ。何が正しいかも分からない」とね。
1970年代の作品でのビリーの音楽の使い方は、ドキュメンタリーでの経験に基づいている。ノンフィクションには、音楽は不要なんだ。だから彼は慎重に、どの音楽を使うか、そもそも音楽は必要か考えた。「フレンチ・コネクション」は泥臭くてリアルで、その場にいるような気になる映画だ。だからビリーは本当に必要な時にだけ、音楽を入れることにした。
(つづき)
実はエリスは、キャラクターごとに短いテーマ曲も考えた。例えばシャルニエのテーマ、ポパイとクラウディのもあった。だがビリーが曲を選び、映画にのせる作業が終わると、大半が未使用だった。エリスは約50分ぶんを作曲したが、使われたのは22分だった。しかも劇伴音楽はそのうち16分で、残りはソース音楽だ。ジュークボックスや通りから聞こえる曲になった。恐らくビリーはエリスが作った曲を聴いて、「これはいい、これはダメだ、これは使える、これは別のシーンだ」そう振り分けた。たぶんエリスも納得してた。彼が映画に多くの曲を提供して、ビリーが使える曲や欲しい曲を選んでた。
有名なシーンに、ポパイがシャルニエを追い、地下鉄に行き着く追跡劇がある。このシーンでは、ほぼエリスが意図したとおりに書いた曲が使われた。興味深いのは、9本ものベースの音が聞こえる点だ。1曲に9本とは、フォックス史上、最多だった。しかも、4分音からなる面白い曲だ。音の間の音は耳障りで、不調和な感じだった。1曲の音楽の音とは思えない。だが、それが曲のコンセプトだ。観客を不快にする斬新な曲を聴かせる狙いだった。ベース音は9つも聞こえるし、途中では陽気なピアノソロも聞こえる。どの曲もエリスが考え出し、ビリーが不安感を狙って選んだ。エリスは22人編成のビッグバンドで始めて、そこに弦楽器を加えていった。だから弦楽器の高音の倍音も入っていて、緊迫感をあおる。あれはバンドを補強した弦楽器の音だ。22人の奏者に加えられた弦楽器の高音は、車が埠頭に着く時にも聞こえる。高音の倍音は神経を逆なでするが、潜在意識に訴え、観客は倍音に気付かない。
40年前のことだから推測になるが、こう考えられる。エリスはビリーと本編を見て、自然に起きる音に気付いたんだ。例えば、ロッカーパネルを開ける時の道具の音、それを聞いて、彼は音楽がひらめいた。(ロッカーパネルを道具を使ってこじ開ける際の音と、「SUBWAY」の曲の出だしの音が重なる)
シャルニエが倉庫へ車を走らす場面で聞こえるのは、残響が残る弦楽四重奏を増幅した音だ。別世界のような妙な音楽だ。刑事もので聞くような音楽じゃない。時にビリーは、あるシーン用に書かれた曲を、別のシーンで、より効果的に使用した。
映画の最後では、ポパイとクラウディがシャルニエを捜す。そこで聞こえるのは、背景に流れる薄気味悪い不協和音だ。エリス自身による4分音のトランペットだ。まるで遠くに不気味な残響が聞こえる気がする。そしてその音は、登場人物のその後が分かるラストまで続く。非常に妙で、この世のものとは思えない音楽だ。あの音楽によって、期待どおりのきれいな結末ではないと感じる。お決まりのラストではなく、すべて未解決だと分かる。エリスの音楽のおかげで明確になる。
音楽は前衛的で斬新だった。当時は誰も気に入らず、アカデミー賞の投票の際には、誰もノミネートしたいと思わなかった。だがグラミー賞候補に7度挙がったエリスは、最終的にグラミー賞を勝ち取った。この映画のテーマでね。地下鉄のシーンの4分の7拍子の曲を、アルバム用に編曲した曲でだ。あれはレコード業界が、エリスの音楽を認めた証拠だ。たとえ映画業界が認めなかったとしてもね。

ドン・エリス 1934〜1978年

その後発売されたブルーレイのハードカバー版ブックレットの解説より

『フレンチ・コネクション』はアメリカ映画史上最高にスリリングなアクション映画の1つだ。そしてこの70年代初頭の作品は、物語の舞台を悪夢のような大都会ニューヨークに移し、このジャンルを根底から変えてしまった。
もともとドキュメンタリー出身のウィリアム・フリードキンは、二番煎じに甘んずるタイプではない。『フレンチ・コネクション』も例外ではなかった。クライム・アクションとしては、先に『ブリット』や『ダーティハリー』が大ヒットしていたが、フリードキンには自分を曲げてまで、そうした作品によって決められたルールに従う気はさらさらなかった。「できる限りリアルな作品にしたかった。」とフリードキンは述べている。その目的を達成するために、本物の警察官からインスピレーションを得る以上の方法があるだろうか。エディー・イーガンとソニー・グロッソ―――この2人の刑事は1960年代末、麻薬捜査で伝説的な名声を得ていた。
フリードキンは彼らについての本を読み、旧友でもあるプロデューサーのフィリップ・ダントニともども、この犯罪と闘う2人組に大いに興味を持った。しかしハリウッドのスタジオは、彼の興味を共有しなかった。「誰も『フレンチ・コネクション』を製作したがらなかったんだ!」とフリードキンは言う。「同じ相手に2回断られたこともある。私はスタジオからあまり評価されていなかった。アート系の2本の作品と実験的映画、それに『誕生パーティー』と『真夜中のパーティー』を撮っただけの監督と見られていたんだ。1年間断られ続けた末に、20世紀フォックスのリチャード・ザナックから電話がきた。『君たちの脚本がどの程度のものかは知らないが、なんとか使い物になりそうだ。150万ドルで作れるならゴーサインを出そう。ポール・ニューマンのようなスターは必要ない。いい俳優を何人か使えば十分だ』と彼は言ったよ。」
そんな低予算でいい作品を撮れる自信はなかったものの、フリードキンはキャスティングを始めた。ラソー役はロイ・シャイダーがぴったりですぐ決まったが、その相棒にジャーナリスト出身のジミー・ブレスリンを起用したのは失敗だった。「3週間後に気づいたんだ―――ブレスリンはアルコール依存症で、ドイル役を演じるのは無理だった。車の運転すらできないんだから!」脚本には長いカーチェイスがあり、代役ではきちんと撮れない。降板させるしかなかった。
代役にジェームズ・カーン、ロバート・ミッチャム、ピーター・ボイルの名前も挙がったが、結局フリードキン、ダントニ、ザナックが合意したのはジーン・ハックマンだった。まだ一般大衆には知られていなかったが、類まれな演技力には定評があった。「ジーンが出演できなかったら、あるいは役に合わなかったら、たぶん製作自体を諦めていただろう。」とフリードキンは語る。
幸いハックマンは“ポパイ”ことドイル役に“合っていた”どころではなく、迫真の演技でアカデミー賞レジスタードトレードマーク主演男優賞を獲得する。今では当然と思える受賞だが、撮影初日には違った。黒人の麻薬ディーラーを逮捕して手荒に尋問するシーンだった。「ジーンはポパイの人種差別や粗暴なところを嫌い、そのせいで演技が抑え気味になってしまった。」と、フリードキンは回想する。「だが彼の役目はその逆だ。ドイルは容疑者をいたぶるのを楽しんでいるのだということを、スクリーン上にしっかりと表現してもらわねばならない。30回取り直しても全然良くならなかったし、ジーン自身も話の筋から外れているという自覚があって、役を降りたいと言ってきた。だが私は、辞めずに頑張れと説得した。2日目にはマシになり、その後は良くなる一方だった。これは主に、私が役者たちの技量に枷(かせ)をはめたくなかったからだ。小さな枠に収まるのではなく、演技が広がるよう自由にやらせた。」本物の警察官は、ルールや規定に縛られたり、狭い枠の中で行動することを求められたりはしない。フリードキンは、そのやり方を踏襲したいと考えたのだった。
続き

ジーン・ハックマンのオスカーレジスタードトレードマーク受賞は、フリードキンの指示でロイ・シャイダーと一緒に受けた集中トレーニングのおかげでもあった。トレーニングには3週間にわたって、ほかならぬソニー・グロッソとエディ・イーガンと行動を共にすることも含まれていた。「彼らは警官独特の軽口や逸話をどっさり仕入れて戻ってきた。すっかり体に染みついて、セットでアドリブができるほどだった。」しかし実のところ、セットは存在しなかった。屋内・屋外シーンとも、フリードキンが徹頭徹尾、実在の場所での撮影にこだわったからだ。これには映画の美学だけでなく、予算も影響していた。スタジオは予算を30万ドル増額したが、それでもセットを組むには足りなかったのだ。
「作品にできる限りリアリティーを出すために、私は撮影のオーウェン・ロイズマンに、カメラは必ず肩にかついで撮影し、通常のテクニックは使わないよう指示した。人工照明も禁じた。環境光しか使わせず、日中の自然光を絶対的に優先した。移動式撮影台のレールやスポットライトを設置しているのを見たら、その場でクビにするとまで言った。」冗談かもしれないが、監督がどれほどニューヨーク警察の日常を忠実に再現したかったかを物語るエピソードだ。「カメラには登場人物をどこまでも追わせた。普通なら技術スタッフがいる所までもだ。通常の安定した画面構成と違うので、見る者に不安感を与えることができる。」このやり方が作品全体で貫かれ、従前のクライム・アクションには見られなかったエネルギーをこの作品に与えている。
このアプローチはとてつもない迫力を生んだ。特に効果を発揮したのはカーチェイスのシーンだ。「脚本では、カーチェイスのシーンは1行で説明されている。“ここでカーチェイスが始まる”それだけだ。残りは監督がうまく作り上げることになっていた。『ブリット』の製作も手がけたフィリップ・ダントニに、私はこう言った―――あの作品よりすごいカーチェイスにしてみせる、と。『ブリット』のシーンは、このジャンルの基準になっていた。都会の街なかで順撮りされたシーンだからなおさらだ。どうやって『ブリット』を超える気だったかって?全く考えていなかったよ!」だが彼は間もなくある方法を思いつく。
フリードキンはいかにも彼らしくアグレッシブに、この難題に立ち向かった。早朝から空きの道路を使った『ブリット』に対し、路上に歩行者や他の車両を配置したのである。障害物を増やし、複数の視点から撮影したことで、危機感が大幅に高まった。自分の頭の中にあるイメージを何としてもアスファルト上で再現したい―――そのためにラッシュアワーのブルックリン橋の渋滞まで引き起こした。「警官たちはカンカンに怒ったよ!」フリードキンはもろ手を挙げて認める。だが彼の行動には立派な理由があった。すべては『フレンチ・コネクション』のためだったのだ。
Marc Toullec

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