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ウィリアム・フリードキンコミュのbirthday party

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 フリードキンの1968年作品。
 英国の劇作家ハロルド・ピンターの戯曲の映画化。
 場所はイギリスの片田舎。
 主人公は5人。
 主人公の滞在する下宿が主な舞台となる。
 そこまで書いて,状況設定が新作「BUG」と酷似していることに気づく。やはり劇作家の戯曲によるものだが,こちらはブロードウェイのもので,メイド・イン・USAである。
 どちらも不条理劇だが,本作の方が極めて難解だ。
 ピンタレスクとまで言われる独特のスタイルを持つノーベル賞劇作家の脚本だけに,字幕なしでは辛い。いや,字幕があっても辛いだろう。
 仕方なく,ハロルド・ピンター大全からこの戯曲を引っ張り出してきた。
 しかし,戯曲を読んでもなにがなんだか…。
 よくこんなもの映画化したな,と感心する次第である。
 まだ名前の売れてないフリードキンの入魂の一作だったが,イギリス人俳優で固めたキャスティングは地味なことこの上なく,米国では大コケだった。
 しかし,この作品は,「フレンチ・コネクション」のトピックでとりあげたマーク・カーモードのレビューにあるように,「フレンチ…」に多大な影響を与えた一作となった。
 とくに「フレンチ…」の冒頭部。何の説明もないままマルセイユの港で老紳士を見張っていた男が自宅で凶弾に倒れ,サンタクロースとホットドッグ売りが突如黒人を追いかけ路地裏でプキプシー云々で締め上げる。まずはこの一連のシークエンスの関連性が観客にはさっぱりわからない。この辺りは同時代の刑事モノでも「ダーティハリー」などとは異質で,不条理劇のテイストが満載だ。
 ただし,この映画のキャラクターは,ポパイやシャルニエのような個性的なキャラクターではない。それゆえ,演劇には馴染むのかもしれないが,映画的にはどうしても弱くなってしまう。しかも,物語の進行とともにキャラクターの関係性が明らかにされていく「フレンチ…」と違い,この映画は最後まで関係性は不条理なまま進行する。
 フリードキンにとっては高くついた習作となったが,しかし,確実に何かを掴んだ作品でもあったろう。

コメント(10)

WILLIAM FRIEDKIN Films of Aberration, Obsession, and Reality
by Thomas D.Clagettより

「彼はその作品を手がけたがっていて,現にやりとげた。彼にとってはたやすいことだというかもしれない。なんたって,彼は巨額の富を手にしていたのだから。でも,それは間違いだ。彼がそれを成し遂げたのは,彼が富を手にする前だったのだから」
                          ポール・ハンター

                 ?

 彼が11歳で,シカゴのノースサイドに住んでいたときのことだ。フリードキンはリングレイフィールドでソーダポップを売っていた。彼は特別に労働許可をもらっていた。家族が民主党に投票することの見返りとして,地区の委員が子供たちに就業を保証していたのだ。
「それが僕にとってはじめて政治というものの腐敗とかかわり合うできごとだったのさ」
 フリードキンは,父親が週に50ドル以上稼ぐことはなかったと述べている。彼の父はフリードキンがまだ若いときに死んだ。フリードキンの知る界隈もまた「警官が犯罪者の腹部を平気で打ち抜く」ような場所でありながら,彼の好奇心はさらにその上を行っていたと言う。
「まさにシカゴの街頭が僕に影響を与えたんだ,それこそが僕の知る世界だったのさ」
 そして,驚いたことに,フリードキンは次のような質問を浴びせかけるのだ。
「僕はバースディ・パーティを製作する中で,いったい何をしようとしていたんだろうね」
 ある批評家は,1958年にハロルド・ピンターが手掛けた戯曲をこう評する。「脅迫のコメディ」と。
「二人の男,ゴールドバーグとマッキャンは,ある不思議な『組織』のために働いていて,1軒のイギリスの下宿にたどり着く。スタンリーを連れ去るためだ。スタンリーは明らかにそこに身を隠しているのであり,それはまさしく,彼がこの『組織』を逃げ出してきたからにほかならない」
 フリードキンによればこういうことだ。
「僕の母親は言うんだ。『バースディ・パーティ?あれはいったい何なの?』ってさ。僕が尊敬しているおばさんまでがこう言ったよ,『この映画はわからないわ』とね。僕は言い返した。『いいかい,わけのわからない恐怖について描いた映画なんだよ』それに対して,彼らはこうも言った。『どうしようもないわね!どこにこんなばかげたデタラメをやらかす連中がいるっていうのよ?』僕は近所に住んでいる人たちが僕に対して言ったことをありのままに言っているんだ,そして彼らは正しかった。僕はその戯曲が素晴らしいと思った。僕は打ちのめされたんだ。不条理な恐怖に支配された5人の人々がそれを互いにぶつけ合うというアイディアにね」
 しかし,フリードキンはその戯曲の映画化作品を「僕には不向きだった」と言い放ち,加えてこう述べている。
「僕はこの作品のニュアンスとトーンを完璧には理解していなかったと思う。僕の映画としては今日では最も難解なものになるだろう。この映画の脚本はハロルド・ピンターによるもので,彼のミステリー作品は,今でこそ観客にかなりわかりやすくなっているが,この作品が書かれた1957年当時には彼の目論見が混乱を引き起こしているように思えた。20年後には,むしろありきたりな前衛劇になってしまったが。この作品は映画化されるべきではなかった。とにかく,僕が手をつけるべきではなかったね。僕はこの作品でいい思いをしなかったよ」


 しかし,当時,フリードキンは映画を作るべきだと信じていた。
「誓って言う,『バースディ・パーティ』で僕は億万長者になれると思っていたのさ。成功を手にできると。人々が行列を作って見に来るだろうとね」
「誰も来なかったな」
エドガー・シェリックは言う。彼はこの映画のエグゼクティブ・プロデューサーで「燃えつきるまで」(1984年)や「サブウェイ・パニック」(1974年)を手掛けている。
「初日の売り上げは110ドルだよ。これまでの経験で最低の初日さ」。
彼はこう付け加える。フリードキンや,他の誰かのせいだと言って責めるつもりはない,と。
「むしろ光栄だね。この記録がいまだに破られていないとは驚きだよ。あの戯曲が今後もっとよい形で映画化されるとは思えないからね……今でこそ笑えるが,われわれは封切りに際してニューヨーク・タイムズに大々的に全面広告を載せたんだよ」
 シェリックによれば,フリードキンは公開初日には参列しなかった。「ビリー・フリードキンは当時その名が売れていなかった。当時の段階で,『ミンスキーの店ガサ入れの夜』は公開されていなかったが,しかし,ピンターは,もし彼がここにいたなら,注意を払っていただろう。(ピンターは英国に住んでいる)。私はピンターに手紙を書き送り,そして彼にニューヨークでの初号試写に来てほしいと頼んだ。私は驚いた。私は,彼からの一通の手紙を受け取った。そこには,彼が仕事に追いまくられていて,行くことができないと書かれていた。それは固辞ではなかった。それはいともたやすく事実になっていただろう。しかし,私が知るところでは,彼は自分の作品が初演もしくは再演されるときには,どんな具合に仕上がっているかニューヨークまで見に来ていたのだ」
 フリードキンはこの映画が彼を億万長者にすることを期待していたけれども,シェリックは何が期待できるものやら分からなかった。「当時は今日とは全く違う世界だったんだ。当時は許容範囲がより広いように見えた。確かに私は儲けを期待したよ,そうでなかったら我々はこの映画を任せていなかっただろう。しかし,私は単に金儲けのためだけの映画を作ってはいなかった。私はどの映画を作るときも同じ理由から行っている。私が映画を作るのはそれが私の興味をそそっているからで,私はもしその映画が興味深く,水晶の指輪が本物だとしたら,最終的に映画は首尾よく完成し,金も儲かるものと期待する。つまり,金儲けとは,私が常に一つの事業を組み上げていく一連の作業の最後の部分にあたるのだ」
「しかし,誰ひとり初日に来なかったという事実は私を打ちのめした。後に,我々はこの映画を16ミリフィルムに焼き直した。この映画の公開を中止したのだ。これ以上の金をつぎ込むだけの価値が見当たらなかった。これは成功した作品とはならなかった。そこが寿命だった」
 彼とフリードキンは映画のこの点について議論したのかどうか尋ねたところ,シェリックは言った。「私は彼がどう感じていたのかは知らない。当時のビリーは映画を飛び越えていたと思う」彼はちょっと考えて微笑み,そして言った。「ビリーは私にこう言った。『エドガー,君が人生で何か他に重大なことをしなかったとしても,君は名声不朽の人になるだろうよ。なぜなら,君の名はこのバースディ・パーティという作品に刻まれているのだから』とね。バースディ・パーティが打ち切られる時までに,彼は自分がそう言ったことを,私の不朽の名声なども含めて,すべて忘れてしまっていたがね。ビリーのような若者にとって,その月の間,バースディ・パーティは世界で最も重要な作品だったさ。映画が終わると同時に,そうした興奮も冷めていった。次の作品へと向けられたわけさ」
 シェリックはフリードキンが「自分に素晴らしい言葉をかけてくれた」時のことは思い出せなかったが,「彼が老人についてのドキュメンタリーを制作しようとする強い信念を語っていて,それがまた素晴らしかった」ことは覚えていた。「私はその種の激しくのめりこむ様が大好きだった。それで私は彼を支持したんだ。私は名声を待っていたんだよ」シェリックは,天を仰ぎながら笑った。
 シェリックは「グッド・タイムス」を見て,それが「とても良く,普通でない」と思った。彼はフリードキンが「バースディ・パーティ」を映画向きに書き換えてくれるだろうと確信していた。「二番煎じは臆病者のすることだ。ビリーが『グッド・タイムス』をうまく仕上げたという事実から,私はすっかり彼が他の作品もうまく仕上げるだろうという気にさせられていた。彼はやる気まんまんだったからね。もし彼が次の作品を撮りたがり,才能もあるとなれば,彼がミュージカルを作ったという理由から,ミュージカルに専念するべきだなどとなぜ私が言うだろうか」
 しかし,才能と欲望だけを頼りにフリードキンが不条理の恐怖を突き詰めていったのではなかった。ジョー・ワイザンは,フリードキンがシカゴから到着した際のウィリアム・モリス・エージェンシーのロス支局の幹部で(ワイザンは今はインデペンデンス系の映画制作者であるが),フリードキンの代理人であったが,彼が「これまでで一番自信過剰なヤツ」だったことを思い出す。「ヒッチコック劇場を撮る前日,彼に『緊張してるかい?』と聞いたら,こう言うのさ『逆立ちしながらだって撮りあげるさ!』とね」
 ワイザンはフリードキンとシェリックとの企画をまとめ上げる責任があった。彼は当時,全米放送協会の子会社であるパロマー・ピクチャーズの社長だった。ワイザンによれば,フリードキンはピンターによるシナリオの権利を有していた。「それこそ,1ドルかそこらでね。ピンターもまたビリーの作品を見ていて,それを気に入っていたんだ」。シェリックは皮肉たっぷりに思い出していた。「その権利を得るために大勢が順番を待っていたわけでもなかったがね」
 その映画を撮るために,フリードキンは3週間,舞台劇同様にリハーサルを行う方法をとった。「3週目の金曜日,われわれはリハーサル中のこのホールを貸し切った。そして,ある一人のオーディエンスのために上演した。すなわち,ハロルドのために。昼食前に一幕,そして食後に一幕を上演した。そして,この上演の終わりに,われわれは彼の反応がどんなものか,俳優も私自身も固唾を飲んで見守った。彼は数冊のノートを持って席を立ち,メガネをはずしてからこういった。「まあ,何かとても興味深い作品が目の前で出来上がりつつあるのは確かだが。むろん,きみたちの演じているのは私の劇ではないけどね」そしてわれわれはみんな拍子抜けした。
「それから,彼は自分のノートに目を通した。彼のノートは6つの単語からできあがっていたが,この2時間15分の劇のなかでは,ふさわしくないものであった。彼がその単語を引用し,それらがどうあるべきかを例証したところ,われわれの間に笑いがおこった。『それですべてかい,ハロルド?』そして彼はいった。『そうさ,すべてだ。だが,それらは正しくなされなければいけない。きみたちが私のモノを演じたいというのなら,一語一句そのままになるようにしてほしいと言っているんだ』もちろん,われわれはそれを理解し,そうしようと試みていたのだが」
 ピンターの言う「一語一句字句どおり」とのコメントに対する皮肉な例が二つある。そのひとつは,2つの対話調のセリフを扱うことであった。ピンターがその劇を最初に書いたとき,英国の劇場に絶対的な発言力をもっていたチェンバレン卿が,英国女王とキリストの受難のいずれについても一切言及してはならないと命じていたことをフリードキンは発見したのだという。「そして劇中の2つの台詞が削除された。それは,名優であり,この映画に出演し,この劇のことを知っていたパトリック・マギーが思い出すことには…質問のひとつに『誰がその釘をうつのか?』という台詞があった。そしてもうひとつの質問は『誰がそのねじをねじ込むのか?』というものだった。この二つの台詞はキリストの受難に言及するものであり,この男あるいは人類全体のキリストの受難における罪に対しても言及するものだったんだ」
「そしてマギーは僕に,撮影がちょうど半分くらいにきたとき,これら二つの台詞について話してくれたんだ。僕は言ったよ,『なんてこった,そのシーンのどこにそんな台詞があったっていうんだ?すばらしい台詞じゃないか』ってね。それらは映画用の台本には存在しなかった。そこで僕はハロルドに電話し,彼を起こして,言ったんだ。『ハロルド,この台詞だよ!マギーが僕に,君がカットせざるをえなかった二つの台詞について聞かせてくれたんだよ』とね。すると彼は言った,『何だって?』。僕は言い返した,『誰がその釘をうつのか?誰がそのねじをねじこむのか?』すると彼は言うんだ,『私はそんな台詞は聞いたこともない』と。僕は彼にそれらの台詞がオリジナルヴァージョンにあったことを伝えた。彼は言った。『ちょっと待て,私はオリジナルの台本を持っていたはずだ。探してくる』彼は15分かそこらの間,受話器を置いたままにしていた。彼は戻ってきて言った。『そのシーンはここにあるが,そんな台詞は載ってないぞ』僕は言った。『なんてこった』彼は言った。『ちょっと待て。君は本当にその台詞が気に入ったのか?その台詞は効果あると思うか?』僕は言った。『効果あるかって?すばらしいよ!そのシーンに最もふさわしい台詞だ』すると彼は言った。『そのまま使ってくれないか』とね」
 次の皮肉は同じシーンの別のセリフ,すなわち「アルビ派(Albigensenist)の異端信仰についてどう思うか?」に関するものである。フリードキンによれば,「マギーがピンターに指摘したところでは,アルビ派(Albigensian)の異端信仰は中世のフランスにおける宗教活動に関係しているんだが,ピンター自身はアルビ派(Albigensian)の異端信仰についてこれっぽっちも知らず,親友でもあったマギーから,ある晩バーでアルビ派(Albigensenist)の異端信仰について語り合う中で聞かされたというわけさ。彼はその台詞を劇に使った…そしてマギーがリハーサル中に言ったんだ,『よく聞け,ハロルド,われわれはこの件についての正確な脚色を演じようとしていて,それが映画として永久に残る以上,なぜその件を正そうとしない?それは「Albigensian」の異端信仰なんだ。「Albigensenist」じゃない』それに対し,ハロルドはこう言ったのさ。『パトリック,それは10年間ずっと間違ったままだったんだ。そのまま定着させてしまおう』とね」
「ビリーは製作のあらゆる局面でうまく全体を統制していた」とシェリックは言う。「演劇というものはその時代の演出家と俳優の解釈に委ねられているものなんだ」
 俳優陣は,シェリックによれば,ピンターの友人であるロバート・ショー(ジョーズ,A Man for All season),ピンターの酒飲み仲間であるパトリック・マギー(時計じかけのオレンジ),ゼロ・モステルの代役としてピンターが推薦したシドニー・タフラー(The Lavender Hill Mob)を含んでいた。モステルはフリードキンとピンターの両者が,「偉大な喜劇役者である」ゴールドバーグ役に当初考えていた人物だと,シェリックは言う。タフラーの演技は,ほかの役者のそれと同様に,この不条理劇を納得させるだけのadmist(不明)である。
 しかしながら,一度映画として撮られれば,それは編集されなければならず,いかなる理由からにせよ,シーン全体やシーンの一部が取り除かれる。カットされるもっとも一般的な理由は上映時間を短くするためである。この理由のために,「The Birthday Party」はスプライサーに委ねられ,第三幕のあるシーンは最終版からは除かれた。(それは,ルルと名づけられた田舎娘がスタンリーの誕生パーティの後に下宿に戻ってきて,彼女に好意を抱いているゴールドバーグに直面するというものだった)シェリックは,映画のどれを残し,どれを削るかについて,いかなる深刻な議論が行われたか,思い出すことができなかった。「それはあまりに長すぎた…私は,映画が短すぎるという理由で,観客が席を立ち,わめいて取り乱したという例を知らない。私はThe Birthday Partyがもっと短くなっていたらと思う。この映画には音楽がないが,私はその決断についてはもめることもなかった。しかし,それはあまりに内面的であり,閉所恐怖症的だった。それはみなが期待する事柄のひとつではあるが,しかし,度を越した閉所恐怖だったんだ…その家はすべての性格が移り来て住み着く小世界のようだった。その結末において,ビリーは成功したんだ」
「しかし,この映画を長いと言うのはナンセンスだった,というのも,コメントにはきまって『それから,私は以下のことが削られるべきと思う』という言葉が続いたからね」
たいていの批評家は削られたシーンについて取り上げなかったが,スタンリー・カウフマンというニュー・パブリック誌の批評家は,とくにルルが,彼女はゴールドバーグに誘惑される田舎娘であるが,パーティのあとで戻ってこなかったシーンを取り上げた。
「不幸にもこの映画はさして注目を引かなかった」とシェリックは言った。「なぜなら,批評家たちは何か安易なものにとびつきたがるからだ。彼らにとっての関心は,ひとつの映像作品がどのように創造されていかというよりは,この舞台劇がどう映画化されているかという方に向けられていた。私はジュデス・クライストがこの作品を気に入っていたのを覚えている。私が思うに,彼女はビリーに惚れていたんだろう」
多くの部分において,批評家はピンターの対話の方に夢中になっていたが,しかしながら,映像表現が問題として引き合いに出されずに済むわけではなかった。サタディ・レビュー誌は言う。「そこに演技があり,そこに台詞がある。しかし,映画は不在である」実際,残りのすべてがミスター・フリードキンの「いんちきな」演出に異議を唱えている――ヴァラエティ誌,ハリウッド・レポーター誌,プレイボーイ誌,トゥディズ・シネマ誌である。そして,ハロウェイズ・ムーヴィ・ガイド誌はこの映画を「60年代全体の損失ムードの中で激増した不吉な不条理を扱った最初の作品」と称した。ハロウェイの批評について話題が及ぶと,シェリックは言った。「その男は非常にタフなんだ」ピンターがこの映画をどう見ていたか知っているのかと尋ねると,シェリックは言った。「私にはわからんね。この映画に対してピンターがどういう気持ちでいたのか,自信はないな。ロバート・ショー(スタンリー役)と私は後に『サブウェイ・パニック』で一緒に仕事をしたし,私たちはよき友人でもあるんだが,『バースディ・パーティ』について話すことはさほどなかったね。一度や二度は話題に出たろうが,すぐに次の話題に移ってしまったよ」
『バースディ・パーティ』はもともと大作として企画されていなかった。「50ないし60万ドルといったところだ」とシェリックは言う。「もしかしたら70万だったかも」シェリックはフリードキンとの間にある制作上の意見の不一致があったと認めているが,彼は即座に「自分が言うべき立場にいた」とは思っていないことを付け加えた。「…ひとつの部屋の中で映画を撮ることは,基本的にとても難しいんだ。そしてビリーは独自のやり方において抜群の才能を発揮していた。巨大な力を扱っていることに何の疑いもなかった。この男が十分に時間をかけて(成功への道を)登りつめていったなら,すばらしい経歴に恵まれただろう,もし彼が途中で自信喪失に陥らなかったらね…ビリーについては,二つのまるで違ったことが言えるんだ。テイクの合間に,ほかの誰もが何もせずぶらぶらしているのに,彼はバスケットのリングを立てて(英国ではバスケットは盛んでない)バスケットに向かってシュートすることでリラックスしていた。そんなことをしている奴を他に見たことがない。そして彼は大量のノートをとる。彼は,毎日の撮影に対してのみならず,作品全体の印象に対しても,仕事上の準備を怠らない。私は彼のそんなところが好きなんだ。自分の考えを書き留めることをとても大事にしているところがね」
「私はまた,マックス・ローゼンバーグとミルトン・スボツキーをプロデューサーに指名した。われながら,とてもいい選択だと思ったよ。マックスは知識人で,小品の製作の経験が豊富だった。それらはホラー映画だったが,何か違いがあるとでも? 映画制作の機械的な過程こそが映画なんだ。彼とミルトンの二人はロンドンにおけるホラー製作者の筆頭だった。マックスはピンターととてもうまく付き合っていたし,ビリーともものすごく打ち解けていたよ,私もまたそうだったようにね」
 このときまでに,フリードキンの横柄さが問題となることは驚くに値しなくなっていた。シェリックはフリードキンの性格のこの側面の大変さを,「伝え聞くところでは本当の出来事だ」と語ることによって,説明した。彼はフリードキンがロンドンでのスニーク・プレヴューをあからさまに拒否し,「むしろそのことで不愉快になった」と言った。(「エクソシスト」の製作発表直後,フリードキンはスニーク・プレヴューをするつもりはない,と断固として言い切った。20世紀フォックススタジオが「フレンチ・コネクション」の覆面試写を要望してきたが彼は断っていた。しかしながら,フリードキンはカリフォルニア州ロングビーチで「ブリンクス」の覆面試写を行った。その理由は,観客がコメディを望んでいるのか,ドラマなのかについて,観客の立場を踏まえて映画を調整するというものだった。)人々の気持ちは移ろいやすいものだし,「『エクソシスト』と『ブリンクス』の間にはあまりにも長い時間がたっている」とシェリックは信じている。しかし,バースディ・パーティに関する限り,彼とフリードキンは覆面試写について激論を交わした。シェリックは言った,「そのことで,私は徹底して打ち負かされ,傷ついた。私はバースディ・パーティを作りたがっている人々なんてたいしていないし,誰かが私のヴィジョンや私の立場を理解してくれるだろうと感じていた。マックスはこの議論の後にビリーに接触し,なぜそんなことをするのかと尋ねた。ビリーは言った,『彼の言うことを理解することがいかに愚かしいかを見たかっただけさ』とね」
ハロルド・ピンターの戯曲について,興味深いコメントが…。
なんと,モンティ・パイソンにまで通じているのですね。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=36524482&comm_id=1738

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