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DRAGONGATE 大辞典コミュの[た行]

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  *Typhoon【タイフーン】
2007/2/23 東京・後楽園ホール大会でお互いユニットを解散させたのち組むようになったCIMAと横須賀享が斎藤了、ドラゴン・キッド、更にその日の試合で解散することになったPos.HEARTSのBxBハルク、アンソニー・W・森を引き入れて軍団を結成。
2007/3/3 大阪府立体育会館第2競技場大会でユニット名をTyphoonと発表する。
2007/3/25 後楽園ホール大会でBxBハルクがNEWHAZARDを結成し離脱。
2008/7/27 神戸ワールド記念ホール大会でREAL HAZARDを追放された鷹木信悟と共闘し、8/31には正式にTyphoonへ加入する。
2008/11/16 大阪府立体育会館第2競技場大会の試合後に斎藤了が鷹木の追放を宣言。
2008/12/28 福岡国際センター大会で行われたユニット解散3WAYマッチに敗れて解散が決定。

  *谷嵜なおきのDoFixerへの道〜波乗り10番勝負〜【たにざきなおきのどぅーふぃくさーへのみち〜なみのりじゅうばんしょうぶ】
闘龍門XからDRAGONGATEに移ってもなかなか正式にDoFixerに入れてもらえない谷嵜なおきがDoFixer入りをかけて挑む10番勝負。vsマグナムからはじまり大鷲、SUWA、望月、フジイ、CIMA、キッド、近藤、ミラノと9戦全敗で来て、最後のvs高木の時はナント、マグナムのボックス攻撃で敗れ10敗に終わる。
しかし、試合後お情けとしてお台場での毎日プロレスでウォーターボーイズのようなかっこうで試合をすることを条件に追加5番勝負が行われることに。

  *谷嵜なおきのDoFixerへの道〜波乗り追加5番勝負〜
【たにざきなおきのどぅーふぃくさーへのみち〜なみのりついかごばんしょうぶ】
波乗り10番勝負全敗で終了した谷嵜なおきがマグナムから情けをもらい04年のお台場毎日プロレスのプレミアムマッチでウォーターボーイズの格好で試合をすることを条件に行われた5番勝負。
TARU、横須賀享、YOSSINO、ストーカー市川、フロリダブラザーズと対戦したが全敗したため結局DoFixerに入ることを認められず。

  *WWE【だぶるだぶるいー】
アメリカにある世界最大のプロレス団体。ウルティモ・ドラゴンが2003年6月から04年4月までSMACK DOWNに所属していた。また、03年7月に日本に上陸した際はウルティモ校長もWWE所属の選手として出場した。

  *超国際派集団【ちょうこくさいはしゅうだん】
分裂した後のBloodGenerationの新コンセプト。ジャック・エバンスを始め来日した選手が基本的にブラッドについていることから。また、それ以降CIMAは積極的にアメリカなどにも参戦している。

  *超肉体派集団【ちょうにくたいはしゅうだん】
Blood Generationのコンセプト。そのコンセプトどおりに入場時には各自エキスパンダーやプッシュアップボードなどトレーニング器具を持参してポーズを決める。

  *ツナギ【つなぎ】
DoFixerが2004.11.17の東京・後楽園ホール大会よりユニフォームとして着ている服。
背中のところには各人ずつ様々な言葉が書かれている。

  *T2P【てぃーつーぴー】
「TORYUMO 2000 PROJECT」の略称。

  *ディファ杯争奪Jr.タッグトーナメント【でぃふぁかっぷそうだつじゅにあたっぐとーなめんと】
2003年2月8日と9日に東京・ディファ有明で行われたトーナメント大会。これにウルティモ・ドラゴンとYOSSINOが出場し、見事優勝した。
2005年5月7日8日に第2回大会が行われ、スペル・シーサーがNOAHのタイガーエンペラーと組んで出場。準決勝で敗れ翌日の3位決定戦に回るもこれも敗れる。
また、アメージング・コングの対戦相手「大会委員長推薦イケメンXX」としてストーカー市川が登場。

  *ディープ・ドランカーズ【でぃーぷ・どらんかーず】
2010.3.3 年明けからの相次ぐ離脱劇で4人となってしまったREAL HAZARDの神田裕之,新井健一郎,菅原拓也,Kzyによって結成されたユニット。
基本的には大量加入する前のREAL HAZARDと同じスタンスを取っている。
ユニットロゴの落武者は、お笑いコンビの米粒写経の居島一平のデザイン。

  *ドイヨシ【どいよし】
土井成樹と吉野正人の事。吉野がブラッドジェネレーション入りした後、同じ年と言うこともありよくタッグを組むようになりいつの間にかこのタッグ名が付けられるようになった。
07年にはツインゲート、IJタッグ、GHC Jr.タッグと3つのベルトを巻くことに(更に吉野はブレイブのベルトも持っており4冠王)

  *Do Fixer【どぅーふぃくさー】
2002.10.22兵庫・神戸チキンジョージ大会でM2Kを解雇されたダークネスドラゴンとドラゴン・キッド、斉藤了が組んで発表された新ユニット。
しかしその実態は神田の引退によりM2Kの名前を封印したマグナムTOKYOが02年10月に結成したユニット。結成時のメンバーはマグナムTOKYO、K−ness.、横須賀享、堀口元気。
旧M2Kの流れをそのまま受け継いでいるため同様にブルーボックスや反則攻撃を多用する。
02年12月には望月との確執で正規軍を離脱した斉藤了が加入。
2004.06.27福岡・博多スターレーンでの試合後、突然横須賀享が離脱を表明。マグナムもこれを受け入れる。
2004.07.04兵庫・神戸ワールド記念ホール大会でK−ness.がファイナルM2Kを結成するために離脱することを表明。また、ドラゴン・キッドがマグナム預かりとなって軍団入り。
2004.11.26東京・後楽園ホール大会で谷嵜なおきが見習いとして入る。
2005.3.6北海道・札幌テイセンホール大会でアンソニー・W・森が新しい自分を見つけたいとマグナムTOKYOにDoFixer入りを志願したが断られるが逆にマグナムがアンソニーとの共闘を提案。それ以来マグナムはDoFixerから一歩離れたスタンスを取る。
2005.3.27東京・ディファ有明でマグナムTOKYOから斉藤了が2代目リーダーに指名される。
2006.03.19埼玉・本川越ぺぺホールアトラス大会で谷嵜なおきが試合を途中放棄したことに斉藤了が怒り除名処分を受ける。
2006.8.6愛知・名古屋国際会議場大会でマグナムTOKYOが怪我を欠場。翌年に退団する。
2007.2.4 福岡・博多スターレーン大会で堀口元気がマッスルアウトローズ入りしたことにより自然消滅。


  *Tokyo Go!【とうきょうごー!】
マグナムTOKYOの旧テーマ曲。この曲でマグナムTOKYOや初代M2KもしくはDFのメンバーがリング上で踊るという場面は闘龍門の名物のひとつ。

  *闘龍門【とうりゅうもん】
97年4月にウルティモ・ドラゴンがメキシコにルチャリブレの学校の事であるが、現在ではそこに端を発する興行団体、そこから出されるブランド名をすべてを指す。

  *TORYUMON−X【とうりゅうもんえっくす】
03年に立ち上がった闘龍門8期生以降のメンバーで構成される闘龍門第3のプロジェクト。03年8月22日ディファ有明大会で日本逆上陸を果たす。Xの特徴としては平均身長が170cmに満たないものの逆にそれを生かしたスピーディーなファイト、過去の2つの勢力を上回る超個性的なレスラーが在籍していることが挙げられる。
04年12月11日のメキシコ自主興行をもって解散した後は主にみちのくプロレスを主戦場として戦う。

  *闘龍門JAPAN【とうりゅうもんじゃぱん】
99年6月にメキシコの闘龍門を卒業した選手が日本で興行を打つために武輝道場を吸収する形で設立された興行団体。当初は1期生〜4期生で構成されていたが、03年1月にT2Pが解散した後はこれを吸収。
04年7月5日に花やしきで行われた記者会見で闘龍門と袂を分かち団体名称を「DRAGONGATE」に改称。

  *TORYUMON 2000 PROJECT【とうりゅうもんにせんぷろじぇくと】
ウルティモドラゴンが2000年初頭にスタートさせた闘龍門第2の勢力。通称「T2P」。5期生〜8期生のメンバーで構成され、六角形のリングの上で、「ルチャリブレクラシカ」というルチャリブレの伝統的なスタイルである複合関節技を主体として戦う。
当初はメキシコを主戦場としていたが、01年11月13日に東京・後楽園ホール大会で初めて日本興行を行った後、定期的に日本で興行を行い02年3月3日後楽園ホール大会でミラノコレクションA.T.の愛犬ミケーレがフジイに奪われた後は主にミラノが結成したイタリアンコネクションと闘龍門JAPANとの抗争がスタート。その後抗争は激化し同年12月26日のT2P興行後楽園ホール大会でミラノとCIMAとのインターナショナルライトヘビー級選手権が行われ、そこでミラノが負ければT2P解散、CIMAが勝てば名前をイタリア風に変えるとともにイタコネ入りするという条件を賭けて行われ結果CIMAが勝ったためT2P解散が決定。
その後、この決定に不満を持ったミラノらが存続を訴え、それを聞いた校長が翌年の1月19日に東京ドームで行われたWRESTLE−1で勝てばT2P存続という条件を出したがそこでも敗れたため解散が正式に決定。
同月27日の後楽園ホール大会でT2Pは解散し3月21日JAPANに吸収されることとなった。

  *DRAGONGATE【どらごんげーと】
04年3月に闘龍門と提携を結んだバンプレストが製作している闘龍門グッズのブランド名。名前は闘龍門という団体名から取ったものと思われ。
*04年7月5日の記者会見で闘龍門JAPANから名称を変更した神戸に本拠地を置くプロレス団体名。

  *DRAGONGATE ARENA【どらごんげーとありーな】
神戸・元町にあるドラゴンゲート本社ビル”サンクチュアリビル”1Fのスペースの事。ここで月2回DRAGONGATE NEXの興行が行われる。

  *DRAGONGATE NEX【どらごんげーとねっくす】
CIMAが提唱し05年12月に発足した若手育成プロジェクト。月2回のペースで本社ビル1Fにある「DRAGONGATE ARENA」にて4試合程度を行う。料金は通常興行だと1000円と非常に手ごろ。

  *DRAGONGATE無限大〜Infinity〜
【どらごんげーと むげんだい〜いんふぃにてぃー〜】
CS放送GAORAで月1の間隔で放送されているDRAGON GATEの番組。闘龍門時代は「VAMONOS AMIGOS!闘龍門」というタイトルだったが団体名変更とともに現在の番組名に。

  *ドラゴンスクランブル【どらごんすくらんぶる】
DRAGONGATEで闘龍門時代から行われている時間差入場バトルロイヤルのこと。エルヌメロの敗者復活戦などで行われる。
2004.12.26埼玉:本川越ペペホール“アトラス”大会より名称がサバイバル・ゲートに変更。

  *トリプレマニア【とりぷれまにあ】
メキシコのルチャリブレの団体AAA(トリプレア)が年に1回行うビッグマッチのこと。2005年5月15日(現地)に行われたこの大会にはCIMAが出場。6人タッグマッチを行い日本人で初めての勝利を収めた。

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