警察は4月12日、チョンブリー(Chonburi)県パタヤ(Pattaya)で予定されていた東南アジア諸国連合(Association of Southeast Asian Nations−ASEAN)の第14回首脳会議を混乱させた容疑で、有名な UDD のメンバーを逮捕しました。同日、非常事態宣言が発令された後、3万人のデモ隊が首相府を含めバンコク全域で配置に就き、軍および警察車両が攻撃を受けました。また、反対派の活動家がバンコク市内の10カ所余りの交差点でバリケードを設置したため、深刻な交通の混乱を招きました。多数の抗議者が Phisanulok Road に位置する首相府に集結し、この地域にバリケードを設置しました。また、数十人のデモ参加者が Atsadang Road にある内務省へ突入しました。この時、建物内にアビシット・ウェチャチワ首相(Prime Minister Abhisit Vejjajiva)が居合わせましたが、無傷で逃れたと伝えられています。また、2 Uthong Nai Road に位置する議会建物や Rama I Road にある Siam Paragon や Central World ショッピングセンターでも抗議が行われました。
多数の治安関係者が Sri Ayudhya Road にある外務省、首相府、議会、Rama V Road に位置するプミポン・アドゥンヤデート国王(King Bhumibol Adulyadej)の住居である Chitralda Palace、バス停および鉄道駅など、市内全域の戦略上重要な場所に配備されました。アビシット首相は、当局がデモの指導者の逮捕状を準備していると発表しました。市内には部隊が配備され、戦車が Pratunam 地区などいくつかの重要な交差点に駐車されていると報じられました。今後数日間、枢密院の重要人物や軍幹部指導者の確固たる支持を得て、抗議行動を鎮圧するため、UDD 抗議者や運動の指導者に対する大規模な軍事行動が続く予定です。
バンコクの米国大使館は4月12日、米国市民に抗議が行われている地域を避け、市内全域で警戒を維持するよう促す危険通知を発出しました。オーストラリア外務省(Department of Foreign Affairs and Trade−DFAT)は自国民に向け、バンコクおよびその周辺のノンタブリー県、サムットプラーカーン県、パトゥムターニー県、ナコーンパトム県、アユタヤ県県への渡航の必要性を「熟考」するよう勧告を出しました。英国外務省(British Foreign & Commonwealth Office−FCO)は自国民に対し、バンコクへの渡航計画を「早急に見直す」よう勧告しました。
2006年のクーデターの指導者は2008年の年初、タイをタクシン氏の支持者が率いる民主政治に戻しました。タクシン派寄りの政府、国民の力党(People's Power Party−PPP)は PAD 支持者による容赦ない抗議行動に直面しました。2008年9月の裁判の判決によって PPP のサマック・スントラウェート首相(Samak Sundaravej)は辞任に追い込まれ、新たな PPP 内閣が誕生しました。激しい PAD の抗議が続き、2008年12月の裁判所の命令によって PPP は解党、ソムチャイ・ウォンサワット首相(Somchai Wongsawat)は5年間政治活動を禁止されました。アビシット首相は議会選によって政権の座に就きました。タクシン氏は4月12日、支持者に革命を起こすよう呼びかけ、兵士らに反政府デモに参加するよう促しました。しかし、抗議行動と UDD の扇動が今週以降も続くとは思われませんし、非常事態が長期間におよぶほど全面的な軍事掌握が続くとは考えられません。