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阪急グループ創業者 小林一三コミュの小林一三翁が創設した甲府宝塚劇場閉館へ

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「甲宝シネマ70年の歴史に幕 来年4月 配給元が統合方針 中心街に惜しむ声」
山梨日日新聞 2008年8月1日(金)社会面

 甲宝シネマの前身の甲府宝塚劇場は、韮崎市出身で宝塚歌劇団や阪急電鉄、東宝の創設者である故・小林一三氏が1937年、「故郷の人々に映画を見てもらいたい」と甲府市太田町に東宝映画の封切館として開館。甲府空襲で焼失したが、46年に現在地へ移転し、市民の娯楽施設として親しまれてきた。95年に映画館を新築し、スクリーン数は2から4に増やして「甲宝シネマ」と改めた。
 2000年に複合施設グランパークに「グランパーク東宝8」がオープン。駐車場を備えた郊外型の映画館の登場に、中心街の映画館は厳しい状況に追い込まれてきた。
 しかし、邦画を中心に上映する甲宝シネマは、ここ数年の邦画のヒットに支えられ、堀内社長によると過去5年間の年間来場者数は15万人程度で推移、300万円程度の黒字を計上していたという。



「甲宝シネマが閉館」  
NHK甲府放送局 2008年7月31日(木)放送ニュース原稿より

 戦前から親しまれてきた甲府市の中心部の映画館・甲宝シネマが来年4月に閉館することになりました。
 甲宝シネマは大手映画配給会社の東宝グループに興業を委託していますが、東宝グループは今年3月、甲府市内の興業を直営のグランパーク東宝8に集約する方針を決めました。
 これを受けて甲宝シネマでは独立系の映画を上映したり配給元の映画の上映時期をずらしたりするいわゆる「二番館」としての継続を検討しましたが、経営を成り立たせるのは難しいとして閉館を決めたということです。
 甲宝シネマは、山梨県出身で阪急電鉄や宝塚劇場、そして東宝映画を創設した小林一三氏が昭和12年に甲府市太田町に開館し、戦災で焼けた後は現在の甲府市中央1丁目に移って営業してきました。
 ビデオの普及などで客が減少する中、平成7年には建物を新築してスクリーンの数を2つから4つに増やして上映する映画の種類を増やすなどしてきました。
 グランパーク東宝8が郊外にできてからは、東宝グループが配給する邦画を中心に上映し、ここ5年間は年間15万人の観客を集め、黒字経営を続けていました。
 甲宝シネマを経営している甲府宝塚劇場の堀内実三社長は「可能であれば映画館を続けたいが配給元の方針があるので残念ながら閉館を決めた」と話しています。


「甲宝シネマ、来年4月に閉館 老舗映画館70年の歴史に幕」
YBS山梨放送 2008年7月31日(木)放送ニュース原稿より

 戦前から多くの県民に親しまれてきた映画館の甲府宝塚劇場、現在の甲宝シネマが来年4月に閉館することになりました。これは甲府宝塚劇場の堀内実三社長がきょう、記者会見で明らかにしたものです。
 閉館は今年3月、映画の配給元である東宝グループが事業再編に伴い、県内での配給先をグランパーク東宝8に集約することを決定したためです。甲府宝塚劇場は存続の道を探りましたが、独自での経営は成り立たないため、甲宝シネマの閉館とともに甲府宝塚劇場自体も会社を清算することになりました。
 甲府宝塚劇場は昭和12年、韮崎市出身で宝塚の生みの親、小林一三氏が甲府市太田町に開館したもので、その後、戦災で焼失し、昭和21年に現在の甲府市中央に移転しました。
 71年間にわたって映画という娯楽を提供し続けてきた老舗映画館だけに、地元中心街からも閉館を惜しむ声が上がっています。今後、建物は売却する方針で、来年4月までは通常通り上映を続け、これまでの感謝を込めたイベントの開催も予定しているということです。




「甲宝シネマ 来年4月に幕」
読売新聞 2008年8月1日(金)山梨版より

 甲府市中央の映画館「甲宝シネマ」が来年4月中旬に閉館する。運営する「甲府宝塚劇場」が31日発表した。老舗映画館がまた一つ消えることになり、市民からは惜しむ声や、中心商店街への影響を心配する声が聞こえた。
 同館は1937年、「宝塚歌劇団」を創設した韮崎市出身の実業家、小林一三氏が甲府市太田町に「甲府宝塚劇場」として開館した。戦後は現在地に移転し邦画を中心に興行を続け、95年にはスクリーンを2つ増設するなど盛況を保った。
 しかし、2000年、甲府市国母に8スクリーンを持つ「グランパーク東宝8」がオープン。中心商店街の空洞化もあり、近年、観客数は停滞していた。配給元の映画会社「東宝」は県内での配給先を「グランパーク東宝8」の1館に集約することを決めており、「甲宝シネマ」独自の経営は難しいと判断。運営会社「甲府宝塚劇場」は清算し、映画館の入ったビルは売却する。
 甲府市中心部では01年に「テアトル甲府」が閉館。「甲宝シネマ」の閉館後は、「甲府武蔵野シネマ・ファイブ」「シアターセントラルBe館」の2館のみとなる。「甲宝シネマ」に家族で映画を見に来ていた同市国母の主婦、渡辺弘子さん(41)は「長く親しんできた映画館なので残念」。中心街で買い物をしていた同市中央の無職、伊藤康夫さん(66)は「人の足がいっそう中心街から遠のくのでは」と話していた。


「甲宝シネマ:来年4月閉館 70年以上の歴史に幕東宝、配給先を郊外に集約」
毎日新聞 2008年8月1日(金)山梨版より

◇頭抱える商店街連盟、「街のシンボルなくなる」−−甲府
 70年以上の歴史を誇る甲府市中心街の映画館「甲宝シネマ」が、09年4月で閉館することが分かった。31日に発表した経営会社・甲府宝塚劇場(堀内実三社長)によると、経営の効率化を目指す映画配給元の東宝が、郊外の「グランパーク東宝8」(甲府市国母5)を重視し、同劇場に配給しないことを決めたため。甲府商店街連盟は「甲府の街のシンボルがなくなることになり、ムードが悪くなる」と頭を抱えた。【小林悠太】

 甲宝シネマは、韮崎出身で東宝映画の創業者、小林一三氏が1937年、甲府市太田町に建設。45年の甲府空襲で焼失したが、46年に現在の市中心街に再建された。年間来館数は15万人前後で採算は取れているが、「東宝から配給を受けずに独自興行するのは無理」として閉館を決めた。

 東宝関係者によると、甲宝シネマは座席数が518席とグランパークの1538席に比べて少なく、中心市街地で駐車場がないことなどから、グランパークに特化することを決めた。07年でみると、甲宝シネマは集客数13万4000人、チケット収入1億4500万円だったが、グランパークは48万9000人、6億500万円のチケット収入があった。

 甲宝シネマが入っている甲宝ビルは売却予定で、堀内社長は「中心市街地活性化が叫ばれる中、迷惑をかける」と頭を下げ、「活性化に有効な会社に売却したい」と話した。

 05年から中心市街地でやまなし映画祭を開催している甲府商工会議所は「地方都市の中で甲府は映画館数が充実しており、映画など文化イベントで活性化を図ろうとしていただけに残念」と話した。

 県興行生活衛生同業組合によると、最盛期の60年ごろには市内に映画館が15館あったが、現在は6館に減少。最近では、甲府市若松町のテアトル甲府が01年に閉館している。

 ◇中心市街地、17%が空き店舗
 甲府市地域政策室によると、中心市街地の空き店舗は07年で254カ所あり、全店舗の約17%。歩行者通行量も減少傾向で、特に日曜日は激しく、06年は97年の約45%、74年の25%まで落ち込んだ。

 中心市街地活性化を目指し、甲府市や甲府商工会議所などは、今年6月に「合同会社まちづくり甲府」を設立。商店街共通の駐車券システムの構築を目指すほか、空き店舗の場所や管理人、面積などをデータベース化し、借り主とのマッチングを行うという。




「甲府の映画館閉館へ 中心街の甲宝シネマ」
朝日新聞 2008年8月1日(金) 山梨版より

 甲府市中央1丁目の映画館「甲宝シネマ」を運営する甲府宝塚劇場は31日、同館を来年4月に閉館すると発表した。配給元の東宝グループが今年3月、市内での配給先を直営映画館「グランパーク東宝8」(甲府市国母5丁目)に集約することを決めたため。県都の中心部で、終戦直後から文化を発信し続け、街のにぎわいの核となってきたスクリーンに、幕が下りる。
 同劇場の堀内実三社長によると、同館は1937年、韮崎市出身で阪急グループを創業した小林一三氏が、甲府市太田町に開館。戦災で焼失したが、46年に現在地に移転。その後建て替え、4スクリーンで上映していた。
 過去数年間、来館者数は年間15万人で横ばいだったが、東宝グループの決定により、独立系の映画館として存続するのは難しいと判断した。同館のほかに、甲府市の中心市街地で現在営業している映画館は、甲府武蔵野シネマ5(同市中央4丁目)などがある。
 堀内社長は「中心市街地の活性化が求められる中の閉館は、残念で申し訳ない。来春にかけ、閉館イベントを行って盛り上げたい」と話した。


「甲宝シネマ 来春閉館 会社を精算、売却」
産経新聞 2008年8月1日(金) 山梨版より
 
 「甲宝シネマ」の愛称で親しまれる甲府宝塚劇場(堀内実三社長)が31日、来年4月中旬で閉館すると発表した。東宝グループの再編により、同グループ直営の国道20号沿いにある「グランパーク東宝8」に統合されるという。甲府中心市街地は200メートル四方に映画館4館(1館は休館中)がひしめく“映画街”だが、街の活性化にも影響しそうだ。
 堀内社長らによると、統合方針の決定で独自経営は成り立たないとして、会社を清算、建物を売却することにした。同映画館は昭和12年、宝塚歌劇団の立ち上げで知られる県内出身の小林一三氏によって建設。戦災で21年に現在の場所に移転し、映画興行を続けてきた。郊外型映画館の発展などで、観客数は年間約15万人の横ばいが続き、かろうじて黒字の状況だったという。堀内社長は「中心部からの撤退に批判も出るかもしれず非常に残念だが、客観的な情勢を考えたら節目かなと考えた」と話した。






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