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川越きもの散歩コミュの2月14日日経朝刊・養蚕技術 と 映画「 シルク」

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藤井さん 皆さん お蚕さんの幕末の話が偶然二結びつきました


今日・日経朝刊裏面に
「養蚕技術 紡いだ先覚者=清水金左衛門」の話が載っていた。
幕末の養蚕技術の話である。 
長野上田に住んでいた彼は晩秋に、お蚕が分厚い和紙に卵を産み「たね紙」として秋から冬に書け甲州、武州、上州に売りにゆき 春に孵化させ繭を作らせたという話である。

実はこの前の晩に 映画「シルク」をDVDで見た。まさにフランス、イタリアで疫病がはお蚕が死んでいった。健康お蚕を求められていた まさにその物語が「シルク」であったとは・・・・

映画自体は 見てのお楽しみ  でも  シルクとはヨーロッパにとって特別な素材であり、 日本はシルク王国としてつい最近(20世紀前半)まで君臨していたが・・・

輸出が シルクから TOYOTA・HONDA・SONY になったのはこの50年である。

是非2月14日日経とDVD「シルク」を探訪してみてください。

コメント(5)

昨年上田の塩尻地区に行きました。多分清水さんは塩尻出身だと思います。城壁のような家がたくさんあり、蚕種を貯蔵する地下蔵がある家が沢山ありました。
そんな上田にも養蚕農家が1軒もないという話を地元の人が寂しそうに話してくれました。

幕末、川越唐桟の創始者中島久平も群馬、長野へ蚕卵を求めて行き、それを横浜にもっていき輸出して財産を築きました。イタリアとフランスは疫病で蚕が壊滅したそうです。しばらくは欧州で日本の蚕卵は重宝がられましたが、パスツールが疫病を克服する方法を発見し、日本からの輸出も終わったそうです。

その後は蚕卵ではなく、富岡製糸などの生糸の輸出で軍艦を買い、日清日露戦争に勝ち、近代化の道を歩むのですね。

TOYOTAも始まりは織物機械の製造です。いろいろなつながりが見えてきて面白いですね。
「川越きもの散歩」の紹介があった同じ日の同じ新聞記事というのもすごい偶然ですね。

豊田の自動織機、子どもの頃「少年マガジン」の漫画で知りました。(笑)。

生糸と富国強兵、産業革命と女工哀史、「世界の工場」イギリスと植民地
インド。織物に興味を持つと近代史の勉強になりますね。
母親の嫁入り道具が「トヨタ」のミシンでした。
昭和40年のことです。
そんな『株式会社豊田自動織機』も、社名はそのままに、現在では自動車(ヴィッツなど)や産業機械の製造が主力になっています。あなたの乗っているトヨタ車も豊田自動織機製かも知れませんね(ちなみに私のトヨタ車は関東車体製です)。

 http://www.toyota-shokki.co.jp/index.html

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