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落語DUBコミュの梵脳論 −レゲエと落語−

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 煩悩を捨てることが仏教であるなら、梵脳を獲得することが僕の宗教だ。いや宗教ってなんか気に食わない。好事家としての単なる一趣味とでも言おうか。

 ここ数日、ジャマイカン・ゲットーのビデオとアメリカのコメディ映画を観て過ごした。「BASHMEBT2」というMr.VEGASをフィーチャーしたゲットーのストリートダンスの映像に僕は大いに興奮したし、「チーチ&チョン 気分は最高」というスモーカー御用達のバカ映画に大笑いしたもんだ。でも何だろう、この違和感は。僕が求めているモノと何かが決定的に違うのだ。

 レゲエほど、梵脳に響く音楽はない。極論をいえば、レゲエ愛好者は、レゲエが好きだという理由だけで現行の法律にひっかかるのだ。レゲエ取締法。そんなありえない法律が事実上存在している。そんなわけでレゲエ愛好者は自らの存在をマイナーに留める高度な技術を持っている。ベースの低音が地を這うように、レゲエ愛好者はミッドナイト・レイヴァーズのごとく、闇に身を沈めながら、隠れて快楽をむさぼるのだ。僕はそんな反逆の音楽が大好きだ。それゆえにまた日本人の僕はレゲエと密接に関わるラスタファリズムという思想に苦しめられる。なぜなら全く理解できないから。いや、文献を紐解けば、ラスタ思想の歴史や考え方について知ることはできる。自然や愛についての考え方には惹かれる。しかし、レゲエを愛するようには、ラスタファリズムに完全に共感できない自分がいる。そりゃあ、ジャマイカ人のミュージシャンが来日して、僕たちに「ジャー!」と呼びかけてきたら、「ラスタファーライ!」って応えるさ。でもそれは、単なるコール&レスポンス以上の意味はなく、強いて言えば、はるばる遠い国まで来てくれた外国のお客さんに対するホスピタリティ以上の気持ちはない。なるべく宗教的な情熱を込めず、小声で応答する。それが僕のせめてもの抵抗。

 ラスタファリズムよりもさらに理解に苦しむのが、ダンスホール・レゲエに見られるスラックネス(下ネタ)、ガントーク(暴力)、バティマン(男性同性愛者)に対する徹底的な攻撃。「BASHMEBT2」を観ればその世界を嫌なほど堪能できる。下記は一緒に鑑賞した∞+∞=∞さんの感想(日記の無断引用失礼!)。僕も、というかほとんどの日本人が同じような感想を持つのではないか。

 ダンスホールの映像を見ていて思うのはやはり奴隷制、植民地支配の傷跡とグローバリゼーションだと思う。最初はなぜなのかわからなかった。まったく。歌詞が、だ。だってほとんどの歌詞が「フェラチオとクンニは絶対しないぜ!」と、「オカマ、同性愛者はぶっ殺せ!」の二つくらいしかないからだ。と、いうかこのバリエーションでトラックが違うだけであとはだいたい同じでどれを聞いても「男の顔はイスじゃないぜ!」とか、「オマンコをなめたことのないヤツは手をあげろ!」とか、「キツツキみたいなマネは女の子にさせないぜ!」とかなのだ。いや、まったくもって全部そうだ。そして残りといえばいかに自分がハードなセックスで女の子をクタクタにできるかという自慢でしかない。

とてつもなくマッチョな世界だ。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=6798980より抜粋)

 ラスタファリズムは胡散臭いし、ダンスホール・レゲエは人権無視で野蛮。こんな世界で、はたして真の梵脳を獲得することができるのか?

――――――――――――――――――――――――――――――――

梵脳は笑いに敏感だ。

 「チーチ&チョン 気分は最高」は素面で観るものではない。梵脳は常に笑うタイミングを待っている。そこにバカな二人組が現れ、梵をして、コカインを吸って、アシッドをキメ、古典的なドタバタ劇を繰り返しただけに過ぎない。

 実はこの映画、日本人が観ても面白くないのだ。英語がわからないと字幕に頼らざるをえないから、チーチとチョンの絶妙なトークの面白さの半分も味わえないし、英語がわかったとしても、ヒッピーカルチャーを引きずった当時の風俗を本質的に理解していなければ本当の面白さは伝わらないだろう。僕はヒッピーではないし、ましてやアメリカ人でもない。

   そろそろ、チーチ&チョンを神格化するのはやめよう。

 アメリカ文化を盲目的に信仰するのは日本人の悪い癖だ。何かの本に書いてあったのだろう、梵しながらチーチ&チョン観たら最高だぜ!って。梵クラなアメリカ人にとっては確かにそうかもしれないけど、ドラッグ文化の伝承がほとんど皆無に等しい日本人には関係のない話だ。その代わりに僕らには加ちゃん&けんちゃんがいたではないか。ナチュラル梵脳を持っていた子供のころ、カトケンは最高に面白いホッコリコンビだった。もっと過去に遡り、僕ら日本人の笑いのルーツを探っていくと、落語に辿りつく。おっと、勢い余って江戸時代まで遡ってしまったけどご勘弁を。

 落語には梵脳に響く噺がいくつもある。日本の伝統的な酩酊剤、酒にまつわるエピソードがそれだ。当時の酒は、今のサラリーマンが社会不満のガス抜きに使う酒とは多少趣きが違う。サケ(酒)のサは斎庭とか早苗、早乙女とかと同様の接頭語で「神聖さ」の意を持つ。ケは、飯のこと。つまり、特別に霊力を持ったご馳走のことで、カミに供えるものであった。酒は共同体のハレ(非日常)の嗜好品だった。これはラスタファリアンにとってのハーブに等しい。そこで落語に出てくる酒をハーブに置き換えてみるとけっこうホッコリはまるのだ。「花見酒」「のめる」「そこつ長屋」なんか見事に梵ノリな噺だ。

 江戸っ子たち個人でいうと依然として飲酒はハレの行為であったが、江戸という都市でいうと、飲酒はケ(日常)の行為と化していた。居酒屋や料理屋で酒を飲む人にとって、それはハレの要素であるが、そこで働く人にとっては、ケの生活にほかならないように。そこには日常と非日常の間にまたがるケハレ空間が出現するわけだ。このケハレ空間は盛り場と呼ばれる。ジャマイカン・ゲットーのダンス(サウンドシステム)がまさにこれではないか?江戸っ子たちの「飲む、打つ、買う」はジャマイカ人の「吸う、踊る、ハメる」なのだ。そういえば落語には貧乏長屋が舞台の噺が多いが、僕はそこにレゲエのフィーリングを感じてしまう。トレンチタウンの光景を思い浮かべるからだ。

 落語とは人間の業を笑いによって肯定するアートだ。男同士が愛し合ってもいいじゃない、人間だもの。好きな人の性器を舐め合ってもいいじゃない、人間だもの。落語は、相田みつをばりにすべての業を笑い話として肯定してくれる。僕がレゲエを好きな理由もこの一面にある。貧困や政治的な抗争など人間の業が生む出す理不尽さに対して、レゲエはポジティヴなバイブレーションで笑い飛ばしていく感覚がある。あらゆるジャンルの音楽を積極的に取り込む懐の深さがある。そこには聖書原理主義者による生真面目なジャー賛歌も、頭がカチカチなマッチョな男根原理主義も不要である。梵脳だけが重要だ。

 では、具体的に、我々はいかにして梵脳を獲得すべきか?


 日本の伝統的文化、落語をレゲエでロッキンすること。

 今まで考察してきた通り、落語とレゲエには案外共通点があるものだ。同じリディム(噺)をいろんなアーチスト(噺家)が使いまわしたり、アレンジや歌詞(落ち)を独自に変えてみたり。
 日本人はジャマイカ人やアメリカ人の真似ではなく、自分たちのレゲエをやればいい。自分たちの笑いをやればいい。自分たちの梵脳を作り出せばいい。70年代の優れたレゲエDJ(トースター)たちは落語の噺家だった。その逆も真なり。優れた落語の噺家たちはレゲエDJなのだ。活躍の場がサウンドシステムか、寄席かの違いだけである。ウィ・アー・オリジナル落語ロッカーズ!

 さらには落語をダブワイズすること。

 噺家の話芸とダブマスターの職人芸のガチンコ勝負ほどスリリングなものはないだろう。笑いの悦楽と音響的快感の融合。それは伝統と破壊の刺激的な衝突であり、間と麻が絡み合う瞬間である。落語とダブ、これが梵脳を獲得する手段として考えられうる最高の組み合わせだと確信している。

 そうだ、mixiに落語DUBのコミュニティを作り、それを落語堕部と名付けよう。そして、未来の子供たちのために日本独自の成熟した梵脳文化を築き上げよう。

「ハーポつぁん、落語堕部っつったら底なしに落ちっぱなしじゃないかい!」

そう、これがこの噺の落ち。
梵脳を持つということは、落ちて堕ちて、最底辺から社会を見つめることなのかもね。

お後がよろしいようで。



この文章をすべての梵人に捧げる。

コメント(20)

大落語のstyloです
わっ、すげえコミュ。ハーポ部長さん流石。
僕の心のコーモンにブッダスティックが突き刺さりました。
さっそく入部します。
革命はいつも下から左から、
だから左のキンタマのほうがチョト重いのよね。
styloさんが参加してくれると心強いです。
落語に関して全く無知です。だけどすごく興味あるんです。
いきなり『大落語』読んでも大丈夫かな?

まあ、ここで面白い実験でもできればいいなって感じです。
こん**は。

(日本のルーツカルチャー)×(自分のルーツミュージック)=(素敵なサムシング)

に強い興味を持っております。
僕の友人に、大和言葉(古事記とか祝詞とかの昔の日本の言葉)を使うヒップホップMCがいて、中々おもしろいのですが、
僕の心の故郷は残念ながらバックビートでありリバーブなのであります。

そういう意味で、(日本のルーツカルチャー)=落語のセレクトは面白いと思います。江戸時代は相当SLOWでRUDEな時代だったんじゃないかと踏んでいます。

ハーポ部長、落語CD聴いてみてどうでした?
>zuncastoneさん
音キチガイなので、正直、噺をCDで聴くのってノリ気がしないのです。だから、音と噺を融合して気持ちよくなりたいな〜と思ってコミュ作ったのですが、いろいろと課題がありそうです。ちょっと一回寄席に行って生の落語を体験したいなあ〜と思ってます。

>江戸時代は相当SLOWでRUDEな時代だったんじゃないかと踏んでいます。

僕もその辺に興味しんしんです。
参入させてもらいます。噺家とレゲエDJがリンクして考えられるとは、すばらしいですね。日本もジャマイカも共に海洋国家ですものね。エドゥアール・グリッサンの本を読んで以来クレオール文化に首っ丈でしたが、改めて日本人として自国のことへの関心を深め、新たな発見をこのコミュニティでしたいです。よろしくお願いします。
はじめまして。発想が既にDUBですね(笑)
是非とも入部させていただきやす!

>落語には貧乏長屋が舞台の噺が多いが、
>僕はそこにレゲエのフィーリングを感じてしまう。
>トレンチタウンの光景を思い浮かべるからだ。
ヤマンです。
落語の寄席の装飾や、フライヤーに使用する色は決まって、赤、黄、緑をよく使うんです。
ただの偶然とは考えられません。
これはヤマンです。
↑うわー。偶然と言えども只ならぬ共通点を感じますね。

>…日本人の悪い癖だ。何かの本に書いてあったのだろう…
ってホントこういう人が多すぎるから色々つまんなくなっちゃうのねー。

しっかしココは最高だぜーーぃ!
はじめまして。
こんなコミュわくわくです。よろしくお願いします(*^-^*)

↑ほんと凄い発見ですね(@@)
とっても。。落ちつく色ですね。。。
はじめまして。
「落語DUB」って言葉を始めて聞いたのですが、
心が捕まれてしまいましたので参加させてください。
宜しくお願いします。


フライヤーの色。すごいすごい〜〜っ!
ヤマンですねー!
おはつれす。
落語もダブも好きなんで参加します。
つうかそうだったのかー。

今日は無性に円生師匠の「包丁」が聞きたかったんだけれど
談志師匠の速記を図書館で借りてきました。

円生師匠の「包丁」を聴いていると
虎さんが義さんのかみさんをくどいているとき
の虎さんがやる都都逸や小唄の間に手を出そうとするのと
と義さんのかみさんがそれをかわそうとするところの
間にやられます。ダブに通ずるかも。

それにしてもフライヤー凄い、まさに、まさにですね
感動致しました。
畏れながら入部致しました。
普段はポップスやロックをやっているモンです。
手前は千葉は船橋の育ちですが
親父の代まで佃島の家系で
子守唄代わりに「大工調べ」を聴かされて育ち
小学5年生の時分に今は無き上野本牧亭で
高座に上がったこともあります。
ネタは「天災」でした。

DUBについては約3年前
当時のバンドのベーシストが
それにハマっていたのを聞かされ
最初はピンと来なかったんですが
その後徐々に聞くようになり
あまり詳しくないながらも
DUBが何かはわかる様になったつもりです。

レゲエと江戸文化の共通点には
実に興味があります。
バティマンを殺せ!とかガンジャがどうとか関係ない。そこには最高のエンターテイメントを追究するための土台があった。
俺がレゲエディージェイをはじめたのはそんな安易なものからだった。パクッてもなんの文句もいわれない、どころかそれをパクってサイコーくらいのレスボンスを獲得できるすばらしいジャンル。
お笑い、情熱、時間、空間すべての要素をふくんだジャンルがレゲエだと俺は思う。
やりたい人は勝手にバティマンを殺してくれたらかまわない、ただ俺は殺しをするやつはたとえそのターゲットがバティマンだったとしてもゆるさない。
日本人は日本人としてのジャパニーズなレゲエをもっと開花させていくべきだと思う。
そうすればまた新たなフレーバーとともに未開拓なエンターテイメントも開発できるのではにんだろうか!!?
揺り上げられりゃ天蓋へ一転奈落のどん底へ落語堕部
初です。

レゲエ取締法。面白いです。
自分以外にも現代日本ユースカルチャーに疑問を持っていたとは驚きです。

日本人とラスタファリズムは関係ないわけで、レゲエのダンスやエロスはアーユルベーダのインド宗教のエロ経典とか来てるかもしれないけど、どっちにしろ日本とは無関係。

DUBやレゲエという言葉を使わなくても良いかもしれませんね、自分はハードコアという単語を使用していたのですが単語に縛られ目的の本質が失われる危惧があったので、現在は諸事情で実験休止してますが。

レゲエが輸入されなくとも、自分達の文化からレゲエ姿勢と共通する立場の体制が、現代ユースカルチャーに加われる存在があってもおかしくないです。

但し日本は自分達の文化を現代に合わせようとすると恥ずかしいのか一発屋的な出落ちのパフォーマンスしか無くリアルな発展性の有る文化構築をしてきませんでした。

落語DUBこれが冗談では無く、本気で構築されるなら素晴らしいです。

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