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竹輪句会コミュの第21回句会 披講その1

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昨晩はおつかれさまでした。僕はあの後、警察の職質に捕まって危うく終電逃しそうになりました。ナゼ?

てことで早速、アクタでの前半部をアップします。
 訂正ありましたらお知らせ下さい。

日時:20年2月8日(金) 20:30〜 aktaにて

兼題:「床」

参加者:竜光(ふじかわさん)・至文・中島・いなみ・キヨシ・カヅオ・たざわ・あすた(代理投句)

当季は春。五句提出の五句選です。




<三点句>
黒髪の匂いする床冬終わる  (キヨシ)

うずくまる左官の背にも春の雪  (たざわ)

誰ひとりかぶらぬ鬼面に豆を打ち  (いなみ)

不揃いなまゆげのままに冬終る  (たざわ)



<二点句>
醜男がそろいもそろい雪だるま  (いなみ)

車窓より逃げ行く木には芽のありや  (あすた)

足音の鳴らぬ床なり受験生  (あすた)

愛薄き人へ湯たんぽ差し向けよ  (至文)



<一点句>
冬帝や長考に入る将棋盤  (カヅオ)

碧眼の路地に雛菊ばかりなり  (カヅオ)

冬木立遠近感に目の弱る  (キヨシ)

ひざまづいてぞうきんがけの冬の水  (竜光)

寒緩み引退力士頭垂れ  (あすた)

春の床重々し妹ネグレクト  (たざわ)

如月や日差しに黄色混じり初め  (あすた)

頼りなき送電線や今朝の雪  (カヅオ)

湯たんぽや床に携ふ紅楼夢  (至文)

熱燗にむせて笑ひて寂しかる  (至文)

雪景色見ながら降りるグリーン車  (あすた)

そうやって術(すべ)としてゆく寒あける  (中島)

荒東風やアトピーの子の頬の赤  (たざわ)

一本の木に百八十の夏みかん  (竜光)

終わらない旅費の計算春立ちぬ  (キヨシ)


おでん鍋○あり△あり□あり
冬ざるるゲットーの中解放区
敏感な花粉センサーくしゃみ初め
冬日射す床に転がるボタンかな
節分やけじめをつけて雪一面
はかなさは五倍速なり雪見風呂
毛糸編み漸く床に届きさう
水玉に氷が厚し地蔵さま
バレンタイン菓子のかたちに菓子包む
羽だけの天使こぼれて銀世界
直きと云ひ直きのまま行く春隣り
冬籠る埃起こして床拭う
母黙り塩鮭を焼く音だけが
床(ゆか)として床(とこ)として日をホームレスはも
木枯らしや癒されますと人は云ふ
乱れゆく成人の日のダイヤかな
映画館無駄に光る床冬終わる

コメント(9)

 職質はやっぱりまゆげが不揃いだからでは?(笑)。>たざわさん

 にしても、披講早っ!ありがとうございます。

 さて、小生の選句。
 

 ?うずくまる左官の背にも春の雪  (たざわ)

 ?ひざまづいてぞうきんがけの冬の水  (竜光)

 ?愛薄き人へ湯たんぽ差し向けよ  (至文)

 ?湯たんぽや床に携ふ紅楼夢  (至文)

 ?熱燗にむせて笑ひて寂しかる  (至文)


 ?と?は何か作業をしている人の動きが見える感じだったのでセットで取りました。?は雪がふっているのにほんのり温かく、?はとても寒い感じですよね。

 ?はこの前自分も風邪を引いて心細かった時があったので、病い句に一票。自虐の詩とは気づかなんだ。

 ?と?も「湯たんぽ」つながりでセットでとりました。

 ?はこんなところで「紅楼夢」という単語に出くわした驚きで一票。もはや死語に近い感覚。
 まあ私も耳学問に過ぎず、「明代」とか適当なことをいって、帝国大学中国文学科の方にすかさず訂正されましたが(笑)。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E6%A5%BC%E5%A4%A2

 ?は説明的な言葉が多いのがかえって独り者の哀愁と拗ねた感じがでているかなあ、と。


 私がよんだ句については、今回比較的自信があったというか、今までよりは俳句らしい句ができたんじゃないかと思ったものが選ばれて満足にござります。
 
>たざわさん

とりまとめ、ありがとうございます。


二月って月単位でみると季語も少なめなので、(今の体感的にも)冬っぽい句ばかりが集まるのかなと思っていたのですが、やはり二月らしい句もきちんと集まっていて、今回は、そんな二月らしい句を中心に選んだみたいです。


以下、選句のコメントを簡単に。

○黒髪の匂いする床冬終わる(オクタビオ)

こちらの句、僕は、切った髪が散っている床(ユカ)をイメージしました。
まだまだ寒いけれど、髪を切って、気持ちは静かに春に向きつつある。このようにイメージした時の床(ユカ)の広さや散った髪が、ものすごく鮮明に見えました。
またこの句には、この時季の句としての良さもあると感じます。

ちなみに、この句の「床」を床(トコ)とみる解釈、そちらもなるほど句として成立するなあと、改めて見てみると、そう思います。


○うずくまる左官の背にも春の雪(たざわ)

こちらの句、中七の"左官の背にも"の、"にも"にくすぐられて採りました。
"左官の背"の周囲にあるものって色々とあると思うので、その想像の広げやすさもうまく生かせているのではないかと。もちろん、そのピントを"左官の背"に合わせているのも好きですが。


○不揃いなまゆげのままに冬終る(たざわ)

最初は???でした。でもスルーできない???でした。
どういうことだろうと考えて、片方の眉をひそめているのかな(=何やら懸案事項でもあるのかな)と深読みしてみたり。本意を聞いてみたらそんなことは全く関係なくて、でもそのギャップも面白かったり。


3人もの人が採る"不揃いなまゆげ"(の句)にはスルーできない???があるので、だから職質もされたと考えると、一応の筋は通りますが(笑)。>たざわさん


○車窓より逃げ行く木には芽のありや(あすた)

"この句を作った人は、木の芽に気づいたんだな"ということが、なんだか嬉しく感じた句です。この時季に、少し早い木の芽に気づいたことを俳句にできているという点が、もうそのことだけで採る理由になるのではないかと、思います。


○如月や日差しに黄色混じり初む(あすた)

この黄色が混じりはじめる前の色は・・・と、睦月や師走の日差しにすぐに思考を移すことができました(おそらく白っぽい?)。
"黄色"や"混じり初む"などについては他の言葉の方が良いのでは?というお話もあったかと思いますが、「如月」という月を自然に詠むことができている句だと僕は思います。


中島さん、また来てくださってよかったですね〜。
いろいろな年齢層の人たちがいる雰囲気ってなんだか和みます。

とりあえず、こんなところでしょうか〜。
 
>帝国大学中国文学科

と言うなら、帝国大学支那文学科と言ってちょーだい(笑) 支那文、うーん、紅楼夢のかほり。

床を「とこ」と理解して作ってしまいましたね。でも、湯たんぽでほこほこした布団に本を携えてもぐりこむのが、一日の終わりの私の至福のひと時です。なんと安上がりな……。
前回はコメントもしそびれてしまったので、今回の披講くらいは早く!と思っていましたが、ままズルズルと連休を過ごしてしまいました。


当日の自分の選句からですね。

・誰ひとりかぶらぬ鬼面に豆を打ち  (いなみ)
はっ、と鮮烈に絵が浮かぶ句だと思いました。
中七の字余りがもっさりしていて。。なんて意見があったようですが、どうでしょう?
描かれているのが、幼稚園でのほのぼの系でも、核家族でも、チョンガー俳句でも背景としてはいいんだけれど(んが、個人的には最後のはいただけないけど)。「鬼役」の不在、そういうまがまがしいものは本当は、どこへいったのか。なんてふうに思うと、投げつけた豆が転がっていった暗がりとかが余計に怖いですね。


・そうやって術(すべ)としてゆく寒あける  (中島)
これは格好いい!
具体的な風景事物を一切のせていないのがアレですが。心情吐露の句としては、とてもいい感じだと思います。思いました。
季節の移ろいを、感覚としてでなく、経験則や生活スキルとして乗り越えてゆく、術を身に着けると同時に失われてゆくものがある若干の淋しい感じがします。
年齢を重ねればこそ出てくる言葉であるか、とか意見があったけれど、むしろこういう感覚は、思春期の終わりだとか、感覚として若いときから充分にありうると僕は思う。(なかじー氏、お幾つっていってましたっけ?)


・碧眼の路地に雛菊ばかりなり  (カヅオ)
碧眼の路地、という表現の難に意見が集中してしまっていましたが。
 んん、なんだろ。例えば、
・碧眼の子のゆく路地に雛菊や
 とか? あるいは路地をどこかわかりやすい外国人街として具体的に示すと、よいかもとか思います。
 どことなしの異国情緒と、雛菊の地味な群生の対比が、良いなと思って取りました。


・黒髪の匂いする床冬終わる  (キヨシ)
僕はこれ、床=トコとして読んでいました。↑カヅオさんの読み方が上品で、いいですね。
冬場の閉め切った部屋の万年床に、髪の毛の油くさいニオイ。これを今日は窓を開けて、床を上げて、春を迎える準備、という雰囲気。
黒髪の匂い、という言葉の生々しさはすごいなぁと感じました。


・車窓より逃げ行く木には芽のありや  (あすた)
電車や、路線バスや車だとか、いろんな意見があったかと思いますがこれ、どこかの旅先で、直接観察して見つけた風景ではなくて、移動し始めた乗り物の窓越しに、ふと目の端に捉えたさりげない風景だから、いいんだと思った次第です。季節の始まりって、そういうものかなあと思ったので。


今回、このクソ寒いのにもう春が立つのか。。という感覚、毎度毎度の初旬に感じるとまどいではありつつ、句に触れてみると、初春(しょしゅん)ってこういうものかも、というふうに、認識出来た感じがしました。

ひとまず。
>たざわさん

「碧眼の・・・」の添削句&コメント、参考になります。

雛菊を詠んでみたくて作った句なのですが、"雛菊ばかり"の情景にしたら、中七座五が長くなって、"路地に"が中途半端な情報になってしまったようでしたよね。

少し考えてみました。

・碧眼の子のゆく路地の雛菊よ
(添削句を受けて、敢えてO音で。"ゆく"はひらがながいいですね)
・碧眼の子に振り返る雛菊よ
(H音で。雛菊が振り返っていますが)
・青き目の子は雛菊に打ち明けり
(打ち明けてみました。"子"を出せるなら"青き目"でも可愛いかと)

"雛菊ばっかり"から離れると、外国人街を具体的に示すというのも結構イケそうです。

ありがとうございます。
 
>カヅオさン

雛菊や碧眼の猫駆ける路地
ブラジルの街に雛菊ばかりなり
雛菊や在日のひとばかり棲まふ

とか?
ソソる題材だなぁとか、思う次第で。
>たざわさん

おおお、考えていたのですね。

「雛菊や・・・」と始めると、またかなりいろいろできるなあとは思っていたのですが。

○雛菊や碧眼の猫駆ける路地

↑これ、とてもカッコイイ!"碧眼"にも全然ムリがないですね。

○ブラジルの街に雛菊ばかりなり

↑こちらは、雛菊が咲きそうにない(おそらく咲かない?)ブラジルを敢えて持ってきているのでしょうね。でも咲かせてみてしまうおもしろさがありますね。

○雛菊や在日のひとばかり棲まふ

↑こちらは"たざわさんテイスト"を感じます。
この時の雛菊は、結構"和"寄りのイメージなのでしょうか。

何気に、雛菊自体に和洋両方の要素があるだけに、"ブラジル"とか"在日"という言葉と一緒になった時の句の世界の広がり方が良いし、ちぐはぐにもならないのだろうなとか、思う次第です。


ちなみに、なかじー氏は、六十歳手前ぐらいだったような・・・。
>たざわさん、カヅオさん
なかじーは、57、だったと思いますよ。

自分のコメントはまた余裕のあるときにアップします。
ごめんなさい。

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