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私は、モードリン、でした。当時小学生でしたが(う、年バレバレ)年上の従姉の持っていた本で読みました。あのサスペンス感、とそれ以上にあの年齢の女の子でしか感じられない、善悪以上の何かしら‥ずっと忘れられなかったし、かなり大人になってから読み返し、かなりの短編だったことに衝撃でした。こんな心に残る作品が、こんなページ数で!と。色々な方々が色々な時代で萩尾先生を体験していると思います。その経験をお聴きしたいです。尚、私のポーの一族初体験はランプトンは語る でした。子供ながら酔ったわー(笑)

コメント(28)

私は、姉が持っていた雑誌で読んだ「秋の旅」でした。まるで映画を観たような…最初は御名前から男性かと思いました。
これが今でも一番好きな短編です。
1971年「別冊少女コミック3月号」に載った「雪の子」です。文学少年だった私は「マンガでも文学と同じことができるんだー!」と驚いてすぐに少女漫画にのめりこんでしまいました。その後も萩尾作品からあらゆるサブカルチャーの門を開いていただきました。もっとも、その後、少女マンガは随分と文学とは別のところへ行ってしまいましたが。今でも私がマンガに求める接点は「文学的であるかどうか」の一点です。
11人いる!、でした。二つ上の友達から借りて読んだのが小学校高学年の時。SFに無縁だった私はその世界観にどきどきしました。
小学生の時に「ポーの一族」第一話の載った別冊少女コミックを従姉が買ってきたのを借りて読んだのが最初です。
その後はしばらくご縁がなかったのですが、「トーマの心臓」が連載されてた雑誌のバックナンバー(当時は古雑誌ですね)を読み、ああ、あの時のと思ってその後コミックスを買ってはまりました。
病院で読んだ、「秋の旅」です。小学生だったか、中学か?
あんなマンガは見たことがなかったです。
>>[5] 同感です!短編集をぜひ雑誌掲載と同じサイズで復刻して、「秋の旅」を収録して欲しいと思っています。
『かたっぽのふるぐつ』です。里中満智子先生の『コミック天使』総集編に載ってました。
その時は「変なマンガだなぁ、恋愛もないし」という感想でした。

後に全作品リストで「あれは萩尾作品だったのか」と驚きました。
ポーの一族でした。当時の彼女が漫画家のタマゴで、モト先生の大ファンだったので。あとはトーマの心臓、11人いる、千億の昼と…どんどん広がっていきました。短編で怖いのありましたね。井戸の中で子どもが死んでずっと長い間気づかれなかったの。あれはトラウマだった
記憶に残る一番最初の萩尾作品は・・・小学低学年かな、姉が買ってきた少女コミック??に載っていた『とっても幸せモトちゃん』でした。多分ポーの一族は難しくてわからんかったけど、モトちゃんはちゃんと覚えていました。
週刊少女コミックの「塔のある家」と「白き森白き少年の笛」です。
歯医者さんの待合室で読んだので、どちらが先かは分かりません。
その後、引っ越しをして、引っ越し先でもずっと脳内再生されてました。
「ポーの一族」(フラワーコミックス版全5巻)です。
ずいぶん前に友人にハギオモトを読めと手紙をもらっていたのを思い出して、5巻まとめて読んだのが最初です。
それからありとあらゆる萩尾作品を読みました。
好きなのは「マリーン」です。
【百億の昼と千億の夜】からと思います。でも、多分、その前に【11人いる】に出会っていた。その時は、まだ「萩尾望都」という認識がなかった。
ケーキケーキケーキだったかな?ルルとミミだったかな?
両方とも「なかよし」で読みました。ケーキケーキケーキは前後編に分かれてたような・・・
小学生のときでした。ああ、歳がばれる(苦笑)

それから中学に入り少女コミックで「ポーの一族」で再会!
作風が全然違うし絵も雰囲気があって丁寧で・・・でも、作家名に特徴があったから
同じ人が描いているのか?と驚いた記憶。
ケーキは講談社でポーは小学館だったので、ああ、やはりこの方の作風はなかよしでは生かされないのだなと。
そして彼女を見出してくれた小学館に大感謝。
高校のときはエドガーで2次創作を大学ノートに描いて友人に見せてました。
薔薇の花を描くのが上手になった思い出・・・
『ビアンカ』でした。
農家の大家さんの納屋に積み上げられていた漫画本の中に載ってて…森の中で踊るシーンと森がビアンカを死なせてというセリフに子どもながら恐ろしくも魅了され、頭からずっと離れなかったのを覚えています。
作品名は覚えてないのですが、週刊少女コミックに掲載されていた、萩尾望都初期作品集です。
お名前が古めかしい(先生ゴメンナサイ)感じがして、昔の作家さん?と思いながら読んでました。
おそらく中学3年の頃に友人宅で友人の妹さんの『別冊少女コミック』1972年7月号を読みました。
「ポーの村」が掲載されていました。
なので15才だったのではないかな。
それ以後は萩尾さんだけでなく少女マンガファンとなりました。
小学生の時に、姉が友達から借りてきたコミックスが、「ポーの一族」3巻目の「小鳥の巣」でした。最初のフラワーコミックス版。
普通の漫画だろうと思って、軽い気持ちで読んでいたのに、途中で吸血鬼ものだと気づき、エドガーとアランにマチアスが襲われるシーンは、非常に怖かったです。
本日ふと『海のアリア』を読み返したのです。
1巻の恩田陸先生による解説の書き出し、このトピックのために書かれたようです。
引用いたしますね。

 読んだ時の記憶は今でもはっきりしている。『ドアの中のわたしのむすこ』が載っていた「少女コミック」の表紙はパーマのかかった女の子の絵のアップで、この作品は巻末で黄色っぽい紙に印刷されていたことまで覚えている。他の掲載作品は全く記憶にない。とにかく私は飽きもせず繰り返しこの作品を読んだ。当時の私は小学校に上がるか上がらないかという年齢で、SFはおろか星新一も知らなかったし、この作品が『精霊狩り』シリーズの一編であることを知るのはずうっと先のことである。何が私の心をとらえたのかは分からないけれど、萩尾作品の「常に動いている」その絵と雰囲気が私を魅了した。
「ポーの一族」ですね。1970年代中頃。フラワーコミックス版の刊行のタイミングだと思いますが、当時(大学生)毎月買ってた「SFマガジン」に紹介記事が載ったのがきっかけです。以後、「ポー」が載ってる別コミはもちろん、新作、新刊が出れば買って読むようになりました。
マニアックですし作品と言えるのか、でずが…
SF小説家の野阿梓先生の作品『花狩人(@ハヤカワ文庫)』の表紙からです。
他の野阿先生の作品の表紙もちらほら描かれていて、ずっと気にしていました。
漫画作品としての出会いは確か『海のアリア』からです。
作品に感動し、慌てて検索〜全集を取り寄せて過去の作品に触れた次第です。
キムタクと同い年で、年の離れた姉もいたのに、大人になるまで知る機会が無かった事は、今思い返しても残念でしかありません。
>>[18]

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n513569901

これですか? (とべるかな?)
『百億の昼と千億の夜』、からです。多分、男子高生だったはず。けど、その時は「萩尾望都」という名前は意識してなかったんですね。SFの金字塔と言われる作品の漫画化作品、という事で読んだんです(その後、原作も読みました)。
 興福寺の阿修羅像が好きで、ずっと惹かれていて、その阿修羅王を主役にしたSF、という事で読んだ記憶が。漫画版の『百億の昼〜』では、阿修羅王が三面六臂にならないのが残念でした。あの三面六臂の絶妙なバランス感覚と、異形の美学が好きだったので、ちょっと不満だったのです。けど、あの少女のような少年のような、凛々しく激しい鬼人の阿修羅に、結局、まいってしまうのでしたw

 その後、『トーマの心臓』を24年組に連なる代表作として読みました。これは栗本薫からの知識だったような…。現役男子高生が『トーマの心臓』を読んだ感想は……。現実のむさくるしいヤロ−世界を忘却させる美しい世界(爆)w 
 けど当時、日渡早紀とか那須雪絵とか流行ってて、あまり抵抗はなかったですね。ただその当時はよく判らなかったです。その後、『マージナル』を知って以降、萩尾作品にハマっていったのでした。そのなかで、『トーマの心臓』は、自分にとって非常に特別な作品になったのです。
>>[26]

「トーマの心臓」は、一番好きな作品です。一番回数読んだのもこれです。
十代のわたしには、理解できなくて、大人になって色々気づきましたが。
今でも心惹かれます。
「まんがABC」でした。
いつも行ってた美容院でおそらく初めて『少女コミック』を渡されたんです。
中学生でしたが、「この人は違う」って思い、
一コマ一コマ食い入るように読み終わったら、
次のページに『ポーの一族』コミックの宣伝がありました。
横長で縦にいくつかに区切ってあり、
クリフォード、男爵、エドガー、メリーベル、シーラと顔が並んでいるイラストです。
そのエドガーと目が合って、これは運命だと思って、はや47年ですか……。

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