ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

九龍城砦コミュの城砦跡 九龍寨城公園の記念展示物

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
先月3月20日に、九龍城砦跡の九龍寨城公園に行ってきました。

九龍城砦が取り壊されて公園になってから、何度か訪れましたが、その時は殆ど、
中国庭園と言えるもので、城砦時代の名残りは、あまり展示していなかった。
ところが、今回久しぶりに行ったら、城砦時の記念展示物がかなり増えていましたので、
ご報告いたします。


写真1の、この断面図って、たしか日本人が編集出版した「大図解九龍城」の
ものじゃないかな。
もしそうだったら、日本人の城砦ファンにより記録されたものが、このように
「本家本元」に認められ、記念碑にまでになった経緯を知りたいものです。


写真2は、九龍城砦のミニチュア模型(ブロンズ製)。
横幅100cm・奥行き60cmくらいで、結構緻密に作られているが、色彩がブロンズ色
なので、本物の異様さはあまり感じられない。しかし、城砦に実際足を踏み入れた自分
としては、とても懐かしく、いとおしく感じられました。


写真3は、城砦の薄暗い構内を再現した展示室。
部屋の壁面に当時の通路の実物大の写真が貼ってあり、天井にはパイプや配線が
ぶら下がって、当時をバーチャルに再現している。
左にぶら下がっているレジ袋は、誰かの忘れ物ではなく、当時、不法投棄された
ゴミを再現した、オブジェです!

その他、この場所の歴史的な変遷の写真や、城砦に人があふれ、活力があったときの
写真が多数展示されており、なかなか見ごたえがありました。

まあ、「ここへ行く為だけにでも、香港へ行け。」とは言えませんが、九龍城砦ファンの
皆さんでしたら、香港に行く機会があれば、是非とも立ち寄っていただきたいと思います。

コメント(15)

素敵ですね!

自分が行った時もこの3つはなかったです。今年は行く機会を作れそうなので、訪れてみます。
●ろっぱんさん

私も公園になった翌年から2・3年くらいはここへ行っていたのですが、
近年の7・8年は行っていませんでした。

こんなのが、いつできたのでしょうね。

ぜひ、行ってみてください。
座長さん 皆さん はじめましてミルルと申します。九龍城再現ですね 是非見たいです。九龍好きとしてはもう少し大きくしてほしい〜色もつけてほしい〜などとワガママを言ってしまいます。それにしても最近香港は韓流に押されおとなしくて淋しいです。
●ミルルさん

どうも、はじめまして。

巨大違法建築群としての九龍城砦については、取り壊されてからは、写真以外、
まったく何も残っていなかったので、ミニチュアなりとも、全景と対面できたのは
とてもうれしかったですね。

最近の香港は、おっしゃるように、一時と比べればすこしおとなしいかなと
思いますが、まだまだ活気のある街ですので、ミルルさんも、機会があれば
香港に行って、九龍城砦跡にも、是非行ってください。

> 座長さん

ありがとうございます。最初に九龍城を知ったのは香港映画だったように思います。(名前は忘れました) 跡地に是非行ってみたいと思います晴れ
座長さま

「インターネット九龍城砦」のさぼりぎみ管理人の春小紅です。
写真1は、まさに『第図解 九龍城』の「生活パノラマ」イラストです。

実はこのイラストの展示につきましては、若干かかわりを持ちましたので、
感慨深いものがあります。

今度、詳しくお話いたしますね。
●春小紅さん

はじめまして。
やはり、「大図解 九龍城」のものでしたか。
私も所持しておりますが、現在は手元に無いので、確認はしていませんでしたが
見覚えがあったので、そうだと思いました。

私は城砦へは、1988年〜1993年の間に5回訪れました。
最後の回は解体工事の最中でしたが。
解体後の跡地公園では、城砦の面影は殆ど無かったので、残念に思っていました。

私は毎年、香港へは行っていますが、この公園へは8年ほど訪れていませんでした。
で、今回行きましたら、この記念物に出会えて、非常にうれしく思いました。

この、記念碑が出来た経緯はぜひ、お聞かせいただきたいと思います。

よろしくお願いいたします。
座長さま

書き込みがすっかり遅くなり、申し訳ありません。
今日は雨の日曜日。幸い時間ができましたので、
生活イラストパノラマがモニュメントになったいきさつをお話したいと思います。

座長さんは『大図解 九龍城』を読んでいらっしゃるので、ご存知だと思いますが、九龍城の取り壊し寸前の1993年、すでに無人となった現場に、鈴木隆行氏を中心とした建築家集団「九龍城探検隊」が入り、数日間かけて実測調査を行い、東西断面図を完成させました。

その断面図に聞き取りや文献資料を参考として、人々の住まっていた様子をいきいきと書き入れた大きな細密画が、いわゆる「生活復元パノラマ画」で、書籍『大図解 九龍城』の中で、見開き8ページに及ぶ横長のイラストはひときわ目を引く存在です。

実は鈴木隊長たちはこの現地調査を行うにあたり、非常に苦労をしたそうです。
香港政庁に申請していた調査のための立ち入りの許可が降りず、このままでは取り壊しが始まってしまうと、見切り発車で調査隊は香港入りし、直談判したこと、そしてようやく奇跡的に立ち入りが許可されたこと、実測調査の様子など、「インターネット九龍城」サイトには鈴木隊長の手記が、アーカイブとして残されています。

そして、1997年、香港返還の年に『大図解 九龍城』が出版されました。
時をほぼ同じくして「インターネット九龍城」サイトが立ち上がりました。

私が鈴木隊長に出会ったのは、1999年頃、そのサイトを通じてでした。
鈴木隊長のトークイベントを主催したのがきっかけで隊長本人や九龍城好きの仲間と実際に会うことができました。

その時出会った何人かが鈴木隊長から「インターネット九龍城」サイトの管理を頼まれ、私もその一人となり、サイトへの問い合わせの対応と、サイトでの『大図解 九龍城』の販売を担当することになったのです。(その収益でサイトを維持した)

2004年、鈴木隊長は都内に「九龍茶房」(クーロンズ・カフェ)という店を開き、九龍城好きがリアルに集う場を作りました。その茶房の壁一面には、あの生活復元パノラマの複製が飾られました。

ほどなく鈴木隊長から「癌がみつかった」という連絡を受けました。詳細を聞いて、非常に深刻な状況だということがわかりました。

闘病を続けながら「九龍茶房」店主として毎晩カウンターに立ち続けた隊長でした。(その当時の隊長日記がサイトに残っています)

しかし、残念なことに、翌2005年9月に亡くなられました。
50代の早すぎる死でした。

そして、2007年。1通のメールがサイトを通じて「九龍城探検隊」宛てに届きました。

なんか長くなったので、ここでいったん終わります。続きはあとで。
座長さま

10のお話の続きです。

香港返還10周年の記念すべき2007年に届いた一通のメール。
しかもあと数日で鈴木隊長の命日という時に・・・。

しかし、このメールの話に入る前に、やはり鈴木隊長と九龍城について
もう少しここで書いておくべきかと思うのですが、はたして私の文章力で
それが出来るのかはなはだ不安ではあります。

私が知っているのは、鈴木隊長の最後の数年間だけですから、
どこまで正しく理解できているかわかりませんが、
九龍城に分け入った隊長の「建築家」としてのその後人生は、
九龍城の影響を絶えず大きく受けていきました。

そこに住む住人の高密度なエネルギーによって有機的に増殖していくような
空間。(窓の外にまで生活空間が膨張したような「鳥かご」ベランダが
壁面を覆う外観、それを隊長は「生活仕上げ」なんて呼んでましたっけ。)

その対極ともいえる「空間をすべてコトロール下に置く近代の建築の仕事。

建築家としてどのような葛藤があったのか、価値観のせめぎ合いがあったのか、
鈴木さんは最後には建築の仕事から遠ざかっていったようでした。

そして、たどり着いた先が「九龍茶房」でした。

茶房には梯子であがる小さな2階があって、そこが鈴木さんの住居で
窓の外に見えるのは一面の墓地でした。
その部屋で彼は九龍城で写したかなりの数の写真と、
住民が残していった生活物質を採取してきた様々なクーロングッズの入った
大きな鞄(『大図解 九龍城』34ページ、35ページの写真のもの)と、
あの生活パノラマの原画と共に最後の数ヶ月を暮らしていました。

この茶房で、彼がとうとう「実際に九龍城で育った男」と会うことが
できたのは、癌の告知を受けて間もない頃でした。
そもそも「インターネット九龍城」を開設したのも、
九龍城で実際に生活していた人とコンタクトをとりたいという鈴木さんの
想いからで、英語の掲示板まで用意されていました。
なぜなら、探検隊が城内に入ったときは、すでにすべての住人が
退去してしまった後で、誰にも会うことができなかったからです。

ある夜、その男は遠くから鈴木さんに会いにきました。
お互いにその存在は知っていたけれど、
直接コンタクトはとったことのない二人でした。
その夜のことを鈴木さんは後日、幸せそうに語っていました。



さて、話がかなり「モニュメント」から離れてしまいましたね。
このへんで、一区切りつけて、「一通のメール」に戻りたいと思います。


またまた、続きです。


一通のメール。
それは、香港に本社を置いている展示会デザイン装飾の会社のKさんという方からのものでした。
九龍城砦の跡地に作られた「九龍寨城公園」内の記念館にの常設展示のデザインと施工を請け負っている会社で、
『大図解 九龍城』の内容の一部を展示に使用させてほしい、という申し出でした。

その会社がどんな経緯で、『大図解 九龍城』を手に入れたのかはわかりません。
ただ、鈴木さんが以前、香港政庁の担当者にこの本を贈っているのは確かです。

さて、私は返事に、
「鈴木隆行隊長は亡くなっていること。インターネット九龍城砦の管理メンバーは、実際の九龍城探検隊とは違うこと。
『大図解 九龍城』 の著作権は持っていないこと。
しかし、鈴木隊長が「九龍寨城公園内の記念館の常設展示に使用される」と聞いたら、きっと喜んだと思う。
近く鈴木さんの命日に仲間が集まって飲み会をすることになっているので、聞いてみる」
と書きました。

折り返し、Kさんからは
「鈴木様が香港政庁から許可を得るのに苦労されたそのプロジェクトを、
今度は香港政府自体が欲している、というのも不思議な感じがします。」
という返信がありました。

そして、数日後に再び届いたKさんからのメールは、
記念館の屋外の中心となる場所に設置され、
展示の顔となるべき位置に来るモニュメントとして、
「生活復元パノラマ」を使わせてほしいこと。
香港サイドはこのパノラマ画の芸術価値を認めていること。
イラストを描かれた方のお名前をネットで検索したが、
該当する方を見つけることが出来なかったこと。
何かご存知であれば・・というものだった。


私はあのパノラマ画を描いた方とは何度かお会いしたことはありますが
残念ながら私は連絡先を知りませんでした。
画家の方は、建築関係のイラストを描かれる方で、あのパノラマ画は
かなりの時間と労力をかけて描かれたものだと鈴木さんから聞いていました
鈴木隊長が持っていた原画は、彼の死後、遺品整理の過程で
、画家さんの元に戻ったらしいことを聞いていたので、
画家さんと連絡がとれそうな知人をあたってみましたが、
残念ながら画家さんの情報を得ることはできませんでした。

そこで、本の出版元である岩波書店の編集者の方に連絡をとってみました。
編集者さんとは一度もお会いしたことはないのですが、
ここ数年、『大図解 九龍城』の2度の復刊を働きかけたりして、
メールのやりとりをしていましたので。
(そんなこともあって、この本には個人的な思い入れがあります)

ちなみに、この編集者さんは『軍艦島 海上産業都市に住む』をはじめ、
同潤会アパート、それからこの『大図解 九龍城』と、集合住宅3部作を
てがけた方です。


その結果、嬉しいことに、 編集者さんが「生活パノラマ」の画家さんを
香港の会社のKさんに紹介してくださることになったのでした。

そして、最後に私はK,さんに、
もし実現することになったら教えてほしいとお願いし、
Kさんからは「必ずご報告します」というお約束をいただき、
この一連のメールのやり取りは終了したのでした。

鈴木さんの3回忌の頃になっていました。
>>座長さん

素晴らしい情報をご提供くださり誠にありがとうございました!

私は年末に香港を訪れ、公園の近くまで行ったのですが、
時間がなくてゆっくり散策できず、展示には出会えませんでした。
もっと探検する時間を作らなかったとことが本当に悔やまれてなりません。

近々、絶対に訪れたいと思います!

そして…

>>春小紅さん

とっても貴重なお話をシェアしていただいて多謝多謝です!

中国返還前後から、非情な態度で古い建築物を壊しまくっていた香港政府が、
その建築物の価値を認め始めているというのはとても嬉しいお話です。

「大解図 九龍城」、私も必ず手に入れます!
約一年ぶりに香港に行って参りました。

以前見逃してしまって悔しい思いをした九龍寨城公園の九龍城砦関連の展示物、
今回はしっかりと見学することができました!

九龍城砦の断面図も模型もとても緻密なつくりで、本当に感激いたしました。

当時の住民の様子を写真と音声で解説してくれる展示も見ましたが、
そこで使われている写真は「City of Darkness」の物ですね?
九龍城砦の屋上で遊ぶ子供達の写真が印象的でした。

改めて、こちらのトピックを作ってくださった座長さんと、
貴重なお話を教えてくださった春小紅さんに感謝いたします!
ありがとうございました!

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

九龍城砦 更新情報

九龍城砦のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング