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ミケランジェロ〜Michelangelo〜コミュのミケランジェロの「最後の審判」

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ミケランジェロの絵画のもう一つの傑作絵画「最後の審判」もトピックとして、とりあげなくてはいけないですよね。 
 システィナ礼拝堂の天井画『天地創造』は、9場面(幅13メートル強、奥行40メートル強)は、ミケランジェロが33歳の1508年から約3年を費やした。時の教皇ユリウス2世のさしがねによるものだった。ところが、約30年後、また同じ堂内正面の正面の祭壇の壁面(約14.5メートル×13メートル)に、教皇クレメンス7世が、彫刻でなく、壁画で『最後の審判』を描くように要請があり、次の教皇パウルス3世に迄引き継がれ、1536年から1541年まで5年半の歳月をかけて描かれたという。システィナ礼拝堂を訪れる人々の度肝をぬく、圧倒的なパワーがみなぎる礼拝堂になっていますね。
 巨人のような「怒れるキリスト」が中央に君臨する『最終審判図』では、諸聖者のほか、「救われる魂」、「罰せられる魂と」、あわせて400名近く(『天地創造』は総勢300人)の群像で描かれているそうです。左の「天国へ昇る魂」と右の「地獄へ落ちる魂」との、大きく回転する群像の動的構図と動的表現は、それまでのルネサンスの古典様式が解体して、激情的なバロック(ゆがんだ真珠と言う意味)様式への推移をみせているモニュメント的作品とのこと。
 キリスト教美術において、審判者イエス・キリストを中心に、死者のよみがえり、義人と罪人の選別、天国および地獄などを、上下左右に配したいわゆる最後の審判図は、9世紀ないし10世紀以降に登場しているそうです。もちろんそれ以前にも、たとえば羊と山羊を選別するキリストという象徴的な審判図はあったそうですが、「福音書(ふくいんしよ)」(マタイ、24〜25章)および「ヨハネ黙示録」を典拠とする壮大な『審判図』の絵は、ビザンティン美術において写本挿絵や教会壁画が示すように、9世紀から10世紀にかけて準備され、11世紀に定型化したものとみなされているようです。
 ジョットやフラ・アンジェリコをはじめとするイタリア・ルネサンス期の画家たち、メムリンクやションガウアーなどの北方ルネサンスの画家たちも多くの『審判図』の作品を残しているそうですが、この時期の最大の傑作は、何と言ってもミケランジェロが1541年にバチカンのシスティナ礼拝堂に描いた最後の審判図でしょう。
 ほんに、ミケランジェロは、自分が構想したものをよくもまぁ描き上げたもんですね!
 このコミュには、実物を現場で見られた方とかも多く、絵画ファンのどの方も衝撃をうけたでしょうね。あらためておきかせください。

コメント(14)

さらべりーさんへ
 ホント呆然でしょうね!400人もの人間像の絵がすべて自分より大きな画像なんですからよく描いたもんだと思いますね。
この作品で、キリストの右下に人の抜け殻が描かれていますがミケランジェロ本人と説明を受けました。制作している時にうるさい事を言った監視人は画面一番右下で蛇に巻きつけられています。当初は全裸で描かれていて腰布を他の画家が描いた事でも有名ですよね。前回修復する際に腰布を無くすかどうか話題になりました。
システィーナ礼拝堂へは修復前と修復後に行きましたが、修復後の作品を見てミケランジェロは色彩画家だとつくづくと感じました。
italy777さんへ
 システィナ礼拝堂のフレスコ画の洗浄修理は、日本画資金援助をしたと訊いています。修復中のドキュメント番組も録画してありますよ。修復前の状態の画像写真を何度も見て来ていたので、綺麗になったのは驚きで、フレスコ画が、彼の描いた『聖家族』並みの色によみがえったにには感動です。でも、ちょっぴり、洗い過ぎで、表面の微妙な色あいがかすれたようにもおもいますが・・・。
システィナ礼拝堂は今でも祈りの場ですから、祭壇の蝋燭は本物なのでしょうね。また何年か経ったら蝋燭の煤で黒ずんで行くのでしょうかね?実際の礼拝堂ではやはり本物の蝋燭をともしていますか?それとも電気の蝋燭なのでしょうか?
 大阪にある四天王寺の金堂の壁面にも堂本印象画伯が描いた壁画があるのですが、40年前に見た時は、壁画は勿論、仏像も新品で金ぴかでした。そのときには堂内が家にある仏壇みたいで嫌だったのですが、最近再訪したらびっくり、堂内が蝋燭の煤で黒ずんでいて、仏像等は、奈良や京都の歴史的な仏像状態になって厳かに見えてきたのですが、壁画が黒ずんでしまって・・・、40年でこれだから、このままだと30年後ぐらいには黒壁になってしまうのではないかと思われます。描かれてある人物の顔の部分はいくらかみえるので、そこだけ意図的にすす払いをしているのかも・・・
システィナ礼拝堂なんぞ500年のすすがこびりついていたんですからね。500年後にはまた黒ずむのでしょうか?・・・
(写真2は修復後で、3は修復前の画像)
>りゅうぞうさん

修復の資金援助は、日本テレビがしましたね。その見返りとして修復のドキュメンタリーを独占できました。毎年文化の日に放送していました。(しっかりと見ましたw)
コメント4の作品はフィレンツェのウフィツィ美術館にある【トンドドーニ(聖家族)】ですね。すごく好きな作品です!!

 私も久しぶりに修復ドキュメントTV番組の録画テープを見直しました。感激新たです。
 高校時代には「最後の審判」の構図はコペルニクスの地動説の影響をうけているというのをよく耳にしましたが、色々言われてますが、そもそも「最後の審判」という思想はどこから来たのかが気になっていたので今回それを調べてみました。
 最後の審判=現世界の悪が、究極的に神によって審(さば)かれるという「最後の審判」の思想は、古くはゾロアスター教や古代イスラエルの預言者にみられるのだそうです。「ツァラストラ」という表現でもしられていますね。その元になるゾロアスター教においては、究極的に悪神および、それに率いられる悪霊は、善神アフラ・マズダに征服される、と信ぜられているそうです。とくにゾロアスターの没後3000年を経て、彼の子孫から救世主が出現して、その救世主によって「最後の審判」が、死者も含め、全人類に行われ、悪はすべて滅ぶ、というのです。古代イスラエルにおいても、「その日」というのがあるそうで、元来は「救いの日」として楽観的に考えられていたそうですが、紀元前8世紀の預言者アモス以降、それは恐るべき審判の日と解釈されるようになり、宗教的、倫理的罪ゆえに過酷きわまりない神の審きが地上に行われると告げられたと解釈するのです。続くユダヤ教の黙示文学の方においては、神による「最後の審判」の図は、神話的表象をもって描かれ、怪物や獣などに表象される神に背く勢力も、最終的に打ち負かされて滅びに至るとしているそうです。イスラム教においても、「最後の審判の日」には、天変地異を伴い、すべての人々やジン(鬼神)が、審判の座の前に召集されて、各人の言行が秤(はかり)で量られ、「嘉(よみ)された者」には右手に、永劫(えいごう)の罰を受ける者には左手にと、それぞれ生前の行為が記された書が手渡されるというのです。
 このような「最後の審判」の思想は、人間の社会生活が複雑になり、とくに倫理的な矛盾が容易に解釈できなくなるとき(たとえば義人が苦しみ、悪人が栄えるがごとき)、そのような矛盾の究極的止揚として、倫理的な色彩が濃くて、しかも、直線的歴史観をもつ宗教に現れるものであるととらえられているようです。それゆえに、「最後の審判」は、神話的もしくは思弁的な内容だけでなく、その思想の果たす社会倫理的な機能においても注目すべきであるとされています。
 キリスト教においても、「最後の審判」の思想は、ユダヤ教から受け継がれて、やがてキリストの再臨のときに結び付けて語られる(たとえば「ヨハネ黙示録」)ようになったそうです。
 しかし、キリスト教での特徴的な「審判思想」は、罪なき神の子イエス・キリストが、「十字架」上で罪人の身代りとして、神の審判を身に受けたとする点である。人間は、神の子のこの審判のゆえに、もはや罪を許され、審かれることなく、永遠の生命を与えられる、という「最後の審判」なのです。
 また、ミケランジェロの『最後の審判』の絵画化の構想には、ダンテの『神曲』から構想を得て、制作者自身の宗教観を大胆に造形化した作品という評価もあります。
 画面中央のやや上部に、審判者キリストとマリアを配置し、これを取り囲んで、上段は天使、中段は預言者、巫女、使徒、殉教者、下段右側は地獄に堕(お)ちる者と地獄、左側は墓から出て天国に昇る者という布置であり、巨大な浮彫りを思わせる画面である。・・・
ダンテの『神曲』も世界史教科書に必ず出てきて名前だけはよく訊きますがますが、これも気になりますね。
 まずは■ダンテ= Dante Alighieri1265?1321)イタリア最大の詩人。不滅の古典『神曲』を著して、ヨーロッパ中世の文学、哲学、神学、修辞学、および諸科学の伝統を総括し、古代ギリシアのホメロスとローマのウェルギリウスが築いた長編叙事詩の正統を継承し、やや遅れて現れたペトラルカ、ボッカチオと並んで、ルネサンス文学の地平を切り開いた偉人。『神曲』のなかでは、主人公(ダンテ)を導きながら、ローマの大詩人ウェルギリウスが「地獄」や「煉獄(れんごく)」を案内する設定などからも明らかなように、ダンテは、ギリシア、ローマの古典作家たちの文章を規範としていますが、他方では、同時代の新しい文学思潮にも敏感であったそうです。
■終末観 eschatology =「終わり」に関する観念、思想、教説のことで、終末論とも終末思想ともいわれる。ギリシア語のeschaton(終わり)とlogos(教説)の複合語。この場合「終わり」とは、個人の生の終焉(しゆうえん)、すなわち死を意味する場合と、この世界もしくは歴史の終末を意味する場合との二通りがある。
 死を前にしてとる人間の態度は、時代により、また文化、宗教によりさまざまであるが、大別して次の四類型に分類される。
(1)肉体的生命の存続を希求するもの。
(2)死後における生命の永存を信ずるもの。
(3)自己の生命を、それにかわる限りなき生命に託するもの。(4)現実の生活のなかに永遠の生命を感得するもの。
 このうちとくに個人的終末観(来世観)として種々の展開をみせるのは(2)である。
 人間は死によって消滅するのではない、別の形で(多くは霊魂として)永続するという観念は、広く流布している。来世が影のような存在と考えられる場合(たとえば古代ギリシアや古代イスラエル)、生前の行為によって死後のあり方が決まる応報観(たとえば古代チュートン人や仏教の一部)、霊魂の輪廻(りんね)(古代インド)、死後の審判思想(古代エジプト、古代ペルシア、キリスト教など)などがあげられる。またゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教などには霊魂の復活や「肉体の甦(よみがえ)り」の思想もある。
 世界の終末という宗教思想は、歴史意識を強度に備えた宗教に多くみられるもので、世界の究極的破局、最後の審判、全人類の復活、破局後の理想世界の到来などの観念を内容とする場合が多い。ゾロアスター教では、ゾロアスター没後3000年を経て現れる救世主(メシア)によって、全人類に溶けた金属による最後の審判がなされ、悪が最終的に滅ぼされる、と信ぜられた。イスラム教にも天変地異を伴う最後の審判思想があり、また仏滅後1500年(あるいは2000年)にして、仏道の困難な時代(末法)が到来し、さらに1万年後仏道が衰滅するという末法思想も、1種の終末思想とよびうる。
 終末思想を大きく展開させたのはユダヤ教とキリスト教である。古代イスラエルの預言者たちは、民の罪に対する神の審判を告知し、さらにそれを、神の義の究極的実現のための世界審判の思想にまで発展させた。後期ユダヤ教では、「今の世」が「来るべき世」と対立的に把握され、終末時には前者が後者によって滅ぼされるという終末思想が二元論的神話の形で数多く述べられた。この終末的な歴史の転換はメシアの到来と結び付けられることが多い。キリスト教においては、一方でイエス・キリストの到来によって終末の時代(神の国)がすでに訪れたと考えられ、他方でこの「神の国」が究極的に完成するのは、イエス・キリストが天よりふたたびきたり(再臨)、悪の勢力を最終的に滅ぼして地上に絶対平和をもたらすとき(千年王国)であると信ぜられる。したがって、「すでに」と「いまだ」の終末論的緊張のなかに、現在という時代を位置づける。
■現世批判と希望の原理■このような終末論を信仰の問題としてではなく、宗教思想としてみるとき、次の2点は看過されてはならないであろう。まず、終末思想は単に世界の終わりについての思弁ではなく、罪と悪の世界がはびこっても最終的に破滅するという見方のなかには、むしろ現在の悪(とくに支配権力のそれ)に対する鋭い批判が込められているという点である。第二には、終末が破局のみではなく、現在苦しむ者たちの究極的救済を語り、世界の完全な回復をもたらすものとして理解されるところに、否定的現状のなかで働く希望の原理があるという点である。歴史上、終末思想が革命と結び付いていくのはこのためである。
 これら視点にたって「絵」をうかべると、『最後の審判図』になっていくようですね!
『最後の審判』が描かれた頃の時代背景。
 今は、バチカン宮殿は、ローマカトリック教会の本山であり、ルネサンンス美術の殿堂的宝庫として、美術マニアの観光ツアーのメッカになっていますね。巨匠ミケランゼロの作品を、代背景を考えずとも、単に美術品として存分に堪能できることが出来ますが、よくよく見たら、当時のローマは大変だったようです。写真1は神聖ローマ帝国のカール5世(ティッツァーノ画)で、写真3はフランスのフランソワ1世(ジャン・クルエ画)です。この両者がイタリアを領有せんと闘っていたのです。
写真2は、キャリルリード監督ミケランジェロの伝記映画『華麗なる激情』のシーンで、鎧兜を着て闘っているローマ教皇ユリウス2世です。教会の教皇が戦場にいるなんて、現代の教皇のイメージでは想像もできませんね。私も映画『華麗なる激情』を初めて見た時に驚きました。ミケランジェロに『最後の審判』を描くように命じた時の教皇はクレメンス7世でした。この時のローマは火の海だったのです。
■ローマの略奪事件=Sacco di Roma   1527年5月6日、カール5世の皇帝軍がローマを征服、略奪して、翌年2月まで占拠した事件。ルター派兵卒を含む皇帝軍の見境のない蛮行のゆえに「神の審判」ともいわれた。事件の背景は、1525年皇帝軍がパビーアでフランス軍と戦って、フランソア1世を捕らえたが、翌年1月同王が、イタリアとその他の権益を放棄したマドリード条約で、解放されたことに始まる。すぐに同王は、カール5世の勢力強大化を恐れる教皇、ベネチア、ミラノ、フィレンツェを糾合してコニャック同盟を結成。この同盟への皇帝の返答が「ローマの略奪」であり、メディチ家出身の教皇クレメンス7世などを囚人的立場に置くことであった。
1494年からのフランス軍侵入以来、イタリアの災難はこの事件で頂点に達し、優れた文化がヨーロッパに拡散した。時代はこのころより、教養と芸術を貴ぶルネサンス時代から荒々しい反動宗教改革の時代へと転換する。・・・
 クレメンス7世は、窮地だったようです。更に、クレメンス7世は、イギリスのヘンリー8世(エリザベス1世の父)がスペインから嫁いで来ていたキャサリン女王と離婚してアン・ブーリン(エリザベス1世の母)との再婚要求を拒み破門したことで
、イギリスはカトリックから独立しイギリス国教会をつくることも招いています。ドイツのルター派も出来ているし、キリスト教の牙城も崩壊のさなかでした。
カトリック教会にしては、それこそ神による『最後の審判』をイメージアップして、世の現実の悪魔を地獄におとしめたいと思っていたのでしょう。レオナルドも、この混乱の時期にイタリアを離れ、フランソワ1世のもとに身をよせていますね。メディチ家等の裕福な貴族が芸術を愛し、競って芸術家を育て支援していた世相は亡くなり
、現実の世界は、まさに世の終末を思わせる状況だったのです。
 そう言う意味から『最後の審判』の絵をみると、ドキュメント報道写真のような絵とも見えてきますね。ピカソの『ゲルニカ』の絵と同じようにも見えてきます・・。
世界最高の壁画といわれる『最後の審判』は受難の連続でした。神がつくったままの人間の姿を描きたいと思うミケランジェロの意図に反し、裸体は猥褻という論理で修正を求められた。本人は拒んだものの、教会から依頼された他の画家によって三度にわたる修正が行われた。今で言うモザイク処理である。
写真1は、500年もの間に燭台の蝋燭の煤でくすんでしまった『最後の審判』である。
写真2はモノクロ写真ですが、ミケランジェロが描き上げた当時に他の画家によって模写された『最後の審判』である。そして写真3は煤や埃を洗い落とされ修復された現在の『最後の審判』である。
今回の修復にあたり、これまでに加筆修正された箇所が40箇所もあるそうだが、修正箇所を全部洗い落とすのではなく、2回目と3回目に修正されたところを洗い直すことにして.16箇所のモザイクが取り払われたという。
『最後の審判』の修正を担当した画家を後世の人は揶揄して「ふんどし画家」といった。性器や、後ろ姿なのにお尻の割れ目まで布で隠されている。具体的に紹介すると、写真1のオリジナル模写ではイエスの左のマリアの隣にいる、X形の十字架を手にする聖アンデレのお尻の割れ目が、写真2では隠されています(この修正は一番始めの時に書き加えられた修正なので今回も消さないことにしてある)。イエスの右にいる聖バルトロメオ(人のぬけがらを持つ)や聖ペテロの性器も最初に隠されている。
 オリジナルの右下に、足に絡まれ地獄に引きずり込まれようとして絶望的な顔をしている人(ロダンが感動し彫刻「地獄の門」や「考える人」のヒントになった)の性器は今回洗い落とされたのです(写真3)が・・・・、スタッフもびっくり!男性の性器が出てくるのかと思ったら女性の性器だったのです。小股に縦に割れ目が描かれてあったのです。
「最後の審判」のルーツは『死者の書』に・・・
 ひさしぶりに書き込みをします。
今日(12月25日=クリスマス)はイエスの誕生日とされています。そのイエスが、死者に審判をする構図(最後の審判)のルーツを探ってみました。
 写真1は、ハリウッド映画の古典的映画『十戒』の1シーンです。デミル監督が、モーゼ役にチャールトン・ヘストンを選んだのは、ミケランジェロの『モーゼ像』に似ているからなんですよ。このモーゼが、王位継承を争うラムセス王子(写真1の左)に、宮殿造営場で、モーゼを讒言によって窮地に陥れようとするシーンで、ラムセス王子が天秤ばかりを小道具に使っています。それをモーゼはその天秤に煉瓦をのせ自分の誠意を国王に示します。デミル監督の心憎い演出ですねぇ・・・!
 古代エジプトの王墓や一般の人の墓地には、有名な『死者の書』があります(写真2)。この『死者の書』には、死者の生前の善悪をはかるのに天秤はかりを使っている絵が必ず描かれてあるのです。
『死者の書』(英語綴りBook of the Dead)は、古代エジプトで死者とともに埋葬されたパピルスの巻き物です。死者の霊魂が肉体を離れてから冥府の国に入るまでの過程を描かれてあります。心臓を天秤にかける死者の裁判の章は有名で、秤の目盛りを見つめるのはアヌビス神。また、秤には真実の羽根と死者の魂がそれぞれ乗っており、死者が真実を語ればオシリスの治める死後の国へ、嘘偽りであればアメミットという魂を食らう鰐に似た怪物に食べられるというシーンも描かれているそうです。
 この『善悪の審判』思想が、オリエント地域にも影響を与えたようで、ユダヤ教やキリスト教にも引き継がれているようなのです。
 写真3は、メムリンクが描いた『最後の審判』の部分です。古代エジプトでは、死出の旅には多くの困難が伴うと考えられたのです。「死者の書」とは、道中で唱える呪文と旅の様子を記した、いわばあの世への手引書なのです。テーベの書記官アニの墓にあった「死者の書」にも、真実の象徴であるダチョウの羽と、死者の魂が秤られる図になっていますが、『最後の審判』でも、大天使ミカエルが天秤を使い魂を計量、善悪を見定めているのです。人間の生前の行いは、裸体であらわされる善と悪の魂に分けられ、重さにより、向かって左の天国と右の地獄に振り分けられています。
 これぞ。ミケランジェロの『最後の審判』と同じ絵画構成になっていますよね!
ゴダさんへ
 本当にラッキーな体験ですね!まるで宝くじに当たったと言ってもいいですね。うらやましい限りです。天井壁画の画集をいくつか持っていますが、超アップ写真をみると、ミケランジェロ自身がヘラで描いた輪郭線があるのを観ると、彼のデッサンの息吹が感じられます。その天井に手が届く位置に立てたんですから・・・感動したのなら
あなたも何か絵を描きましょう!

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