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江副家コミュの江副姓の発祥

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いろいろと調べてみると(ネットでですが)、面白い記事がありました。

江副家久 えぞえいえひさ ?〜1545
龍造寺氏家臣。通称又八郎。肥前佐嘉郡蠣久荘の領主。1545年龍造寺周家に従って出陣したが、江上・神代勢の急襲を受けて戦死した。

江副信俊 えぞえのぶとし ?〜?
龍造寺氏家臣。江副信英の男。1584年の有馬攻めに従軍し、戦死した。子孫は神職に転じた。

江副信英 えぞえのぶひで ?〜1556
龍造寺氏家臣。江副家久の男か。通称新八郎。佐嘉郡名尾鉄布峠の戦いにおいて戦死した。

http://blog.livedoor.jp/bakumatusaga/archives/cat_1407555.html

http://bit.sakura.ne.jp/tuwamono/busyou1/d13/d13-b15.htm

コメント(3)

始めまして、江副系図では、祖は天穂日命→野見宿禰→菅原古人→菅原道真→菅原淳茂→右近良政→右近良遠(肥前川副庄土師郷初下向)→右近満政から、右近姓、江副姓、川副姓に分かれた一族ですよ(笑)

ちなみに、自分も江副です。
私も江副ですが、繋がっている家とそうでないところもありそうですね。
この系図は何か元ネタがあるのでしょうか?
>>[2]
それぞれの江副家家系図と文献のネタです。
右近から別れ、江副茂政が龍造寺の初代から龍造寺八幡宮宮の社務を命じられた一族です。
右近は蠣久社務でしたが、佐賀の六座町開発の為、蠣久を離れ同族の江副が現在も蠣久天満の社務です。
まぁ、途中で養子も入り、武家と社務職とに分かれていますが、ちなみに鎌倉期に一度途絶え龍造寺一族の長瀬家からの子が養子に入り、継続してますので、菅家から源氏になってますが!
その為、龍造寺一門扱いの着座の位置です。
右近の流れは京都北野天満宮の社務です。
右近の由来は、北野天満宮の土地名、右近の馬場からです。
継承していく中で、切れた家系や名前がかわっていった一族も多いので。
江副本家からえだが沢山広がってますので、
因みに、自分の流れは、江副又八郎家久の方で鍋島直茂に仕え武功を上げた茂久の流れです。

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