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DX! Suck It!!コミュのHHHの歴史

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ストーンコールドさんお手製の歴史です。

SUCK IT!!!
長らくお待たせしました。
6月にDXを復活させたザ・ゲームこと
HHH(トリプルH/ハンター・ハースト・ヘルムスリー)を紹介します。


HHH/ハンター・ハースト・ヘルムスリー
(Triple H/Hunter Hearst Helmsley 1969年7月27日生まれ)
本名:ポール・マイケル・レベック(Paul "Michael" Levesque)
愛称:ザ・ゲーム
出身:ニューハンプシャー州ナシュア
身長約193cm 体重約118kg
必殺技:ペディグリー
    ジャンピング "ハーリー・レイス" ハイ・ニー
    四の字固め
    スピニング・スパインバスター
固有武器:スレッジハンマー

少年時代の好きなスポーツはバスケと野球。野球では、優秀なキャッチャーだった。
1986年の高校卒業後、地元のスポーツジムにトレーナーとして就職。
共同マネージャーにまで出世する一方、14歳から始めたボディビルディングに勤め、1988年にはアマチュア・ボディビルディングのタイトルである「ティーンエイジ・ミスター・ニューハンプシャー」を獲得した。

1991年頃からキラー・コワルスキーの元で修行。
プロレスのトレーニングを開始して僅か3週間後の同年3月、コワルスキー主催のボストン地区のインディー団体IWFでテラ・ライジングの名でデビューし、半年後にはIWFヘビー級王座を獲得。
ペリー・サターンと組んで、IWFタッグ王座も獲得する。

1994年からはWCWに所属。
1994年1月、テラ・ライジングでWCWデビューしたときの相手は、ブライアン・アームストロング(後のロード・ドッグ)
同年5月にはリングネームをジャン・ポール・レヴェックと改名し、フランス貴族のキャラを与えられ、英国貴族のウィリアム・リーガル(当時のロード・スティーブン・リーガル)とタッグチーム「ブルー・ブラッド」を組んで頭角をあらわし始める。
94年末にはWCW年間最大のPPVスターケイドにも出場した。
初のPPVデビューは、1994年12月27日、WCWのスターケイドでの対アレックス・ライト戦。結果は負け。
ブルー・ブラッドにはWCWタッグ王者となる路線が用意されていたが、WWFと接触をとっていた為、移籍を決断。

ビンス・マクマホン自らの熱烈なラブコールもあり、
1995年4月、WWFにコネチカット州の似非貴族のキャラクターでデビュー。
リングネームもハンター・ハースト・ヘルムスリーに改名。
抗争していたヘンリー・ゴッドウィンに豚の餌をぶちまけられるなど、現在では考えられないような汚れ役を演じていた。

1996年3月31日「レッスルマニア12」にレッスルマニア初出場。アルティメット・ウォーリア―相手に二分弱で敗退。
(10分ほど試合しHHHが負ける、というストーリーだったが、アルティメット・ウォーリアーが、「秒殺で決めたい」と主張し、HHHを売り出していくつもりだったビンスと意見が衝突。試合中止になりかけたが、HHHが自ら、「秒殺されてもいいです。」と申し出て、話し合いの決着がつき、試合が行われたというエピソードがある。)

その後同年10月21日インディアナ州フォートウェインにてマーク・メロを破り、インターコンチネンタル王座を初獲得する。

1997年6月8日、キング・オブ・ザ・リングでの優勝後、ショーン・マイケルズ、チャイナと共にD-Generation X(DX)を結成。
一躍トップレスラーの仲間入りを果たした。HHH(トリプルH)と呼ばれるようになったのもこの頃からである。
同年12月、抗争していた首脳陣にD-X同士のタイトルマッチを要求され、WWF世界ヘビー級王座と、欧州ヘビー級王座、両王座を保持していたショーン・マイケルズに欧州ヘビー級王座のみ挑戦。結果、マイケルズがわざとフォール負けして、HHHが欧州王座獲得。


1998年、レッスルマニア14後、腰の負傷で欠場したマイケルズに代わり、リーダーとなって第二期DXを結成(チャイナ、Xパック、ビリー・ガン、ロードドッグ)。
その後、DXは次第にベビーフェイス的人気を得るようになったが、トリプルH自身は1999年にヒールに転向、ヘビー級タイトルを争うメインイベンターとなる。

1999年8月23日アイオア州エーマスにて、マンカインドを破り初のWWF世界ヘビー級王座を獲得。ロック、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンらとの抗争を経た現在、WWF/WWEの頂点に君臨している。
同年11月にはストーリー上で社長令嬢ステファニー・マクマホンと結婚。

2001年5月21日、パートナーにスティーブ・オースチンを従え、クリス・ベノワ、クリス・ジェリコ組と対戦した際、大腿四頭筋断裂の負傷を負い2002年の1月7日まで、231日間、欠場を余儀なくされる。

2002年に奇跡の復活を果たし、1月20日の「ロイヤルランブル2002」大会で22番目に入場して見事に優勝し、完全復活をアピール。
同年3月17日カナダオンタリオ州トロントで開かれた「レッスルマニア18」大会でクリス・ジェリコを破り、第2代WWF統一王座に着く。
同年4月21日にハルク・ホーガンに敗れ王座転落するも、9月2日にRAWのGMエリック・ビショフから、初代世界ヘビー級王者(フレアーモデルのベルト)に認定される。
またこの頃からD-Xを復活させようとしていたマイケルズを裏切り、抗争をスタートさせる。

2003年1月24日国立代々木競技場第一体育館にて開催された「WWE FAR EAST TOUR 2003」に待望の初来日を果たす。

2003年、リック・フレアー、バティスタ、ランディ・オートンと共にヒールユニット、エボリューションを結成。
HHHをリーダーとし、フレアーを参謀役、バティスタを用心棒、オートンを次代を担う伝説殺しと位置付けられ結成された。
(かつてフレアー自身がリーダーを務めていた「フォー・ホースメン」を元にユニットを作ろうとトリプルHが考案した。)
エボリューション結成当初はスコット・スタイナーやゴールドバーグ、ケビン・ナッシュ等、崩壊したWCWのスーパースターとの抗争を繰り広げる。
同年9月21日ペンシルベニア州ハーシーで行われた「アンフォーギヴェン2003」でゴールドバーグに王座を奪われるが、
同年12月14日フロリダ州オーランドの「アルマゲドン」大会では、HHHが世界ヘビー級王座に返り咲き、ロブ・ヴァン・ダムを破りIC王者にオートン、ダッドリー・ボーイズを破り世界タッグ王者にフレアー&バティスタとWWEタイトルを独占。
RAWでの中心的存在であり続けた。
各メンバーの王座戦にはそれ以外のメンバーも乱入し総動員で相手を潰しにかかるスタイルだった。

2003年秋、私生活上でビンス・マクマホンの娘、ステファニー・マクマホンと結婚。
花婿の親しい友人がつとめるグルームズマン(花婿の付添)は、ウィリアム・リーガル、ショーン・マイケルズ、ケビン・ナッシュ、リック・フレアー、アンダーテイカーがつとめた。
(HHHがステファニーにプロポーズしたのは、2003年のバレンタインデー。)

2004年3月14日MSGで行われた「レッスルマニア20」大会でクリス・ベノワに敗れて王座を手放してからはベノワとの抗争を開始。
しかし、同年8月15日「サマースラム2004」でメンバーのオートンがベノワに勝利し王座戴冠となる。
この事からオートンに嫉妬し、エボリューションから追放。
その後はオートン、ベノワ、ジェリコ等ベビーのスーパースター軍との抗争となる。
同年9月12日の「アンフォーギヴェン2004」でオートンから世界王座を奪回。
2004年末、映画デビュー作「Blade Trinity」(邦題:ブレイド3:日本語吹替え・蝶野正洋)が全米公開。

2005年1月30日「ロイヤルランブル2005」で優勝したバティスタをスマックダウンへ移籍させて対戦を避けようと画策したが失敗。
同年4月3日カリフォルニア州ロサンゼルスの「レッスルマニア21」でバティスタに王座を奪われた後も、日本公演や5月1日の「バックラッシュ2005」、6月26日の「ヴェンジェンス2005」7月1日、2日さいたまスーパーアリーナのWWE SUPERSHOWで再挑戦するがいずれも敗北。
またフレアーもベビーフェイス転向したため、エボリューションは活動を終了した。
数ヶ月間休養していたが、同年10月の「ホームカミング」にて、フレアーとのタッグチームで復活。しかし、ベビーとなったフレアーと抗争を再開。

2006年に入ると再び王座戦線に復帰し、RAWで数週間に渡って開催されたWWE王座挑戦者決定トーナメントで優勝し、4月2日イリノイ州シカゴの「レッスルマニア22」でジョン・シナと対戦するが敗れる。
その後4月30日の「バックラッシュ2006」でシナ、エッジとのトリプルスレット戦で再挑戦したが、ここでも敗れた。
これ以降HHHがD-Xのポーズを取り、ショーン・マイケルズもD-Xのポーズを取った為、D-X結成の噂が流れていたが、同年6月25日の「ヴェンジェンス2006」で復活。
HHH自身にとって第三期のD-Xがスタートした。
同年7月、ステファニーが女の子を出産。待望の父親となる。


ジ・アンダーテイカー同様、RAWのバックステージではボス格として知られており、絶大な権力を持つ。
後輩の面倒見もよいが、彼に「戦いたくない」と嫌われるとWWEでの出世の道は断たれるといっても過言ではない。
逆に言えば番組でトリプルHと何らかの形で絡む事ができれば出世の機会が与えられたという事である。


王座履歴
WWF/WWE
WWF・WCW統一王座:1回
世界ヘビー級王座:5回
WWF王座:4回
IC王座:4回
ヨーロピアン王座:2回
WWFタッグ王座:1回(&ストーン・コールド・スティーブ・オースチン:1回)
2001年、ショーン・マイケルズに次ぐ二人目のグランドスラム(ヘビー級関連王座全制覇(当時は、ヨーロピアン王座、IC王座、WWF王座、WWFタッグ王座))を達成。
2002年ロイヤルランブル優勝
1997年キング・オブ・ザ・リング優勝

IWF
IWFヘビー級王座:1回
IWFタッグ王座:1回(&ペリー・サターン:1回)
http://www.youtube.com/watch?v=9MUMRIbTlxg&mode=related&search=hhh
http://www.youtube.com/watch?v=09_9cg4sNjM&search=hhh


みんなの知ってるHHH,
印象に残ってるHHHを語ってください。

コメント(1)

ぼくはユージンを血まみれにしたHHHが何てこの人は理不尽なんだと、オートンがチャンピオンになれば、追放、バティスタがなればハンマー!
今のDXはとても楽しそうで大好きです。怖いHHHもすきですが、今は何か伸び伸びして、ビンズの物まねとかそっくりでした。歴史がわかったまたHHHが大好きになりました。次はHBKのをお願いします。

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