典型的なのは、 Pada zaman dahulu, hiduplah seorang......(人の場合) seekor ......(動物の場合) yang ........(補助説明) di sebuah .....(場所)
Pada に zaman 時代 dahulu 以前・昔
元は d-ah-uluでahが真ん中に入る。これじは接中辞と言います。他に、b-ah-aru(baru新しい)もあります。因みに、マレーシアには、kota baharuという地名がありますけど、直訳したら「新都市」です。インドネシア人でも、分からない人が多いので、覚えれば「へェ、凄い!」って言われると思います。会話のネタにもなりますね。 hidup 生きる・住んでいる -lah が着くと、文頭に来る。 例: Saya bangun jam 17.00. 私は 起きる 時間 17時 私は17時に起きた。
Bangunlah saya pada jam 17.00. 私は、17時に起きました。............. 解説: lah-が着くと、何となく文が終わっていない気がします。従って、二つ以上の事柄を伝えるには、-lahが出やすいのです。但し、-lahは、古典語の残骸なので、-lahが使う場面は、かしこまった場面でフォーマルな場面でしか使えないので要注意! 従って、上記の文章は、 Bangunlah saya pada jam 17.00 karena pekerjaan saya itu mulainya malam hari. 私は17時に起きました。なぜなら、私の志保とというのは、夜になってから始まるからです。 になります。 今日は、「教科書に−lahは命令形の印と書いてありますが。。。」という質問があります。確かに「命令形」の用法もありますが、それは、-lahの応用です。しかも、ある種の謙譲語なので、「部下」に対して言えば聞こえがいいんですが、同等の立場の人・上司に使えば少し変に聞こえるのです。 「じゃあ、baiklahの場合はどう説明すればいいんですか?」と。賢いですね。ドンドン質問してくれる人が大好きです!そうしないと永遠に分かりませんからね。で、答えとしては、例えば、時代劇を想像して、殿様に向かって、願い出をして、殿様はOKだったら、「よかろう・(やく+あろう)」とと言うそうです。インドネシア語に直せば、baik+lahで良いでしょうね。「頼む側はインドネシア語の世界においても、頼まれる側よりも立場的に下なので、頼まれる側はOKだったら、baiklahと言っても可笑しくありませんね」と。 seorang ある人 seekor ある動物「一匹の」ekor = 尻尾
物語は、これから展開していくので、詳しい出だしは要りませんので、不特定の表現を使います。必ずそうなりますので、覚えれば「桃太郎」などの日本の昔の物語もインドネシア語で語れますね。 yang 「の」 解説: 日本語の場合 「御飯を食べる」と「人」という部分をくっ付けたければ、そのまま、くっつければよいですね。 「御飯を食べる」「ひと」 *現代日本語は、「連体形」と「終止形」はほぼ一致するので、「そのままくっつければいいと言います。」勿論そうではないこともありますので、日本語の先生に怒られないように補助説明をします。 上記の句は、インドネシア語に直せば、 orang yang makan nasi 人 食べる 御飯 御飯を食べる[yang]人
yangの助けが必要です。まぁ、関係代名詞みたいなものです。でも、研究が進みますので、「関係代名詞」だけで片付けれないコトもあるので、私は、あまり「関係代名詞」と呼びたくないんです。 orang yang belajar bahasa Indonesia 人 勉強する 言語 インドネシア 人 「インドネシア語を勉強する」 インドネシア語を勉強する人
kamar yang ada televisinya 部屋 ある テレビ(が) 部屋 「テレビがある」 テレビのある部屋