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能村庸一チャンバラ倶楽部コミュのテレビ昔話(66)【芸能生活五十年・左とん平】

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「楽しいわが家」アップします。2008.2月号です。

テレビ昔話(66)能村庸一(時代劇プロデューサー)
【芸能生活五十年・左とん平】

 左とん平がナント芸能生活五十周年を迎えたという。昭和十二年生まれというから七十歳を越えた事になる。若い時からテレビや舞台で見てきたせいか、昔とチットも変わらない気がしているのに。でもその履歴を調べてみれば、自分が左とん平の名を知るかなり前から芸能界入りしていたがわかる。
 三人兄弟の末っ子だという。十七歳の時というから高校在学中、当時人気の脱線トリオや森繁久弥の舞台に刺戟され代々木俳優学校へ。高校卒業と共に家業の寿司屋を手伝いながら友人と劇団を結成した。その旗上げ公演がきっかけで三木鶏郎(とりろう)のマネジャーをしていた野坂昭如を知り、「冗談工房」入りしたという。昭和六十年には丹下キヨ子の「エトセトラ劇団」に加わり、新宿コマ劇場に出演するようになった。

 筆者が左とん平を見始めたのはその頃であった。演目までは覚えていないが、ベテランコメディアンの中にあって彼の軽妙な演技は実に面白かった。軽演劇の評論家で『喜劇人回り舞台』の筆者である旗一兵(はたいっぺい)氏が「見てなさい。今に軽演劇はとん平の時代になるよ」と言われたのをよく覚えている。
 東宝系の演劇にも出演する一方、多くの映画に出演。しかし軽演劇界はパッとせず、喜劇王左とん平の時代こそ来なかったが、その代わりにテレビが全盛を迎える中で、タレント左とん平は長い間、コメディにシリアスドラマにと多彩に視聴者を魅了していった。
 昭和四十年代の後半「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などホームドラマの時代を飾った一人だし、「非情のライセンス」では天知茂のカッコいい会田刑事とは対照的なヨレヨレコートの和製コロンボ風がよく似合った。
 「ヘイ・ユー!ホワッチャー・ネーム?」という言葉を大流行させたのもこの頃である。あれは「ぎんざナイト・ナイト」というTBSの番組でホステスさん相手に身をよじらせてかけ合ってウケたのが最初で、間もなく「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」としてレコード化され、ヒットしたのだった。彼のこんな談話を読んだ事がある。「僕は酒一杯が限度なんですが、ダサイ生き方をしていないと自負しています。目指すはカッコいい年寄り。ファッションも決めて、生涯ヘイ・ユウ・ブルースですよ。」

そんなとん平さんと東映の前のスナックでご一緒した事がある。その時はホロ酔いで御機嫌だった。いろいろ面白い話の中で、時折仕事の話もチラッと出てくるのだが、それが又楽しかった。筆者は時代劇専科だから度々御出演いただいたものの、レギュラーというよりはチョッとした特別出演的な役やゲスト主役が多く、そのため親しくお話しする機会がなかったのである。
 その少し前、「運命峠」というスペシャル時代劇で、ヤクザの親分をお願いしたばかりだった。「親分の役って初めてだったんですよ。面白かった。」
 もっとも極悪な親分で三浦友和の宮本武蔵に片腕を切り落とされる役なのだが、彼が演じると昔の上田吉二郎みたに愛嬌があって実によかった。「鬼平犯科帳」の「白い粉」という作品では鬼平を毒殺するハメとなる男の役だが、実は好人物なのだ。「ホントに怖い悪人の役を一度やってみたい」そう語るとん平さんの眼は優しかった。

先日の五十年記念のパーティーには出席できなかったが、あのお人柄、さざかし楽しい会だったろう。因みにその招待状には二人の大先輩からのメッセージが書かれていた。
 
 おまえさんはかわいい洒落たやつだ(森繁久弥)

 いつも愛嬌と律儀さが交じっていて愛らしい(森 光子)

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