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能村庸一チャンバラ倶楽部コミュのテレビ昔話(63)【土方歳三と栗塚旭】

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「楽しいわが家」アップします。2007.11月号です。

「テレビ昔話(63)能村庸一(時代劇プロデューサー)
【土方歳三と栗塚旭】

 亡くなった叔父が残した系図のようなものによれば、筆者は土方歳三の血を引いているらしい。それを知ったのは小学校の頃だった。当時は「鞍馬天狗」が大ヒーローで、チャンバラごっこでは天狗役を争ったものだ。そんなある日、母親から「ウチは土方の親戚なんだよ」と聞かされ、ショックを受けた。何故なら土方歳三は天狗の敵、悪い奴にされていたからだ。
 そんな土方イメージは、やがて一気に払拭される。それは作家司馬遼太郎によるものであった。「新撰組血風録」の主役として登場とした土方歳三は実に魅力的な人物であったからだ。
 しかし、それにも増して土方をヒーローにしたのは司馬作品をテレビ化した脚本家結束信二とプロデューサー上月信二、そして彼等に見出された新人俳優栗塚旭であった。若さに似ず渋い感じ、やさしさ、厳しさ、悲しさなど人間味溢れる土方像は茶の間のファンの心を摑んだ。

 栗塚旭は北海道生まれ。両親の死で兄を頼って京都へ。ここで劇団「くるみ座」に入団。主催者の毛利菊枝は「雨月物語」や「地獄門」などで知られる名優。そこで新劇の勉強をする一方、毛利のカバン持ちで映画の撮影所に出入りしたのが幸運につながる。テレビ黎明期のヒット作「琴姫七変化」「噂の金四郎」などに端役で出演するうち、「忍びの者」で明智光秀の役がついた。更に「柳生武芸帳」で殿様役に。上月プロデューサーによれば、テレビ部の女性から「バタ臭いけど品がいいから殿様に向いているのでは」と推薦されて抜擢。そうした、いわばテスト期間を経て土方歳三の役を摑んだと云えよう。
 「今度は主役をやらせてやる」と言われて驚いたが、台本の配役名に「品川隆二」とあって、それを消して栗塚の名前が書かれていたという。品川はその頃「素浪人月影兵庫」に出ているから、スケジュールが調整出来なかったのだろう。大袈裟に言えば、いろいろな運命の綾が栗塚を土方歳三に導いた事になる。
 「チャンバラごっこも殴られてばかりで、日舞も剣道も知らない男だったが、それがかえって新鮮だったのだろう」と栗塚旭は述懐する。
 昭和40年当時の時代劇といえば、本編(映画)が斜陽で、テレビ用のプロダクションのみならず大手の東映もテレビ映画に取り組み始めた頃だ。本編のスタッフが複雑な思いを抱きながらも新しいメディアにのめり込んでいた。当然ながら低予算だったし映画の大スターが出るわけもなかったが、適材適所のキャスティングが許された事が新しいスター誕生につながった。番組企画者としては、むしろ羨ましい時代でもあったと云えよう。

 テレビ番組のインタビューに答えて、栗塚旭は次のような話をしていた。
 「初っぱなが池田屋の場面で、祇園祭なのに真冬の撮影。大きなセットを組む予算もなく、たまたま取り壊し寸前のお茶屋さんが好きなように使って下さい、と貸してくれたんです。立ち廻りでキズなんか付け放題でしたよ」─ついてる番組には好運が重なるものだ。栗塚に島田順司、左右田一平を加えた血風録トリオはその後も「俺は用心棒」「天を斬る」などに出演ののち、昭和45年「燃えよ剣」で再びカラー番組として新撰組に帰ってくる。栗塚の言によれば、
 「『血風録』がデッサンなら『燃えよ剣』で一枚の大きな絵を作り上げようとしたんです」
 時代は移り栗塚も主役の座から遠ざかっていったが、長い歳月のあとNHKの大河ドラマで土方の兄として新撰組の世界に誘われる。縁は異なもの。かく言う筆者も古い土方家との縁が今ではチョットした自慢だ。

コメント(1)

栗塚土方は、立派な面構えの色男。歯を見せたりはしない。言葉は少ないが、地を這い上がり迫りくる剣のように鋭い。信じがたいはまり役です。

今のテレビドラマではユーモラスな役どころの島田順司や左右田一平も血刀提げた新撰組だったんですね〜

CSに感謝。

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