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能村庸一チャンバラ倶楽部コミュのテレビ昔話(58)【猫八師匠と彦十】

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「楽しいわが家」アップします。2007.6月号です。
※2007.5月号は手に入りませんでした。ごめんなさい。

「テレビ昔話(58)能村庸一(時代劇プロデューサー)
【猫八師匠と彦十】

 「鬼平犯科帳」スペシャルに長門裕之が相模の彦十役で出演している。ファンの方なら御存知のように、この役は吉右衛門のレギュラー版では最初からズッと江戸家猫八が演じてきた役である。師匠が亡くなってからも他の人を起用する気になれず、スペシャル版では欠番としてきた。しかし視聴者などから彦十の出ない「鬼平」は淋しい、との声が多く、今回敢えて新しいキャスティングに踏み切った次第である。
 もっとも番組がスタートした時には原作者からはまだ猫八はこの役には早いだろう、と云われた。それまで五鉄の三次郎役で出演した事もあり、池波氏には若過ぎると思われたようだ。それを「いや大丈夫。私が責任を持つから」という小野田嘉幹監督の強い推薦で実現したのだ。小野田監督と猫八師匠は古いお付きあいだった。古い仲なのは吉右衛門も同じだ。少年時代「大助捕物帖」を兄松本幸四郎(当時市川染五郎)が演じた際吉右衛門(当時中村萬之助)も出演しており、猫八もレギュラーだった。あの時の物真似の上手な面白いおじさんには親しい思いは格別だったようだ。

 大正10年東京生まれ。初代江戸家猫八の六男に生まれた彼は、古川ロッパ一座の青年部で芝居を勉強。戦争中は外地を転戦。広島に戻って被爆する。戦後はロッパ一座に復帰。昭和24年、動物ものまねの三代目猫八を襲名する。
 その一方でテレビ黎明期の昭和31年から三遊亭小金馬(現・金馬)、一龍斎貞鳳とトリオを組み「お笑い三人組」で一世を風靡した。いつぞやNHK衛生の「お宝TV」で見て懐かしかった。その後「時間ですよ」など、主として好人物の役で人気を続ける。

 しかし何といっても「鬼平」の相模の彦十は絶品であった。ライフワークと云っても良いだろう。原作者池波正太郎氏からも、「彦十、拝見して結構」というお葉書きをいただいた事もあるという。
 猫八自身彦十役への熱の入れようが違っていた。自らの工夫で頭を毛羽二重にして汚らしい無精なスタイルを創り出してくれた。
 この彦十という役は元々本所界隈の岡場所に巣喰っていた香具師あがりの無頼者で、平蔵が放蕩三昧をしていた若い頃の取り巻きの一人である。
 「本所・桜屋敷」という話の中で、20年ぶりに平蔵と再会したのが縁で、平蔵の密偵として尽くしているのだ。軍鶏鍋屋「五鉄」はいつも心の暖まるシーンだが、“本所の銕”に立ち還った平蔵と彦十のやりとりは息もピッタリで、いつも楽しいシーンになっていた。
 かつて『「鬼平」を極める』という本の中で師匠がインタビューに答えて、彦十について次のように話している。
 「いい加減な奴ですからね。古参上等兵ってところかな。お頭というほどではない。かと言って三下じゃなくて“とっつぁん”と立てられる。もし平蔵一家に入らなかったら、あっちこっち盗っ人のところをうろついてたんじゃないかな」
 そういう風来坊的な暮しに憧れるから彦十が好きだと云っていた。

 素顔の師匠は周りへの人への気遣いがあり、いつも現場を明るくしてくれた。ホテル近くのトンカツ屋「一番」が御贔屓で、そこのクリームコロッケが大好きだった。一度大病を克服したが、いつも京都へ同行した優しい奥様が急逝。そのショックからか後を追うように亡くなった(平成13年)。お嬢さんの江戸家まねき猫がいまも出演してくれている。
 最後に彦十の役を敢えて引き受けて下さった長門裕之さんにお礼申し上げたい。この名優が演じてくれた新しい彦十もチャーミングだ。
 

コメント(1)

猫八彦十の江戸っ子弁、しゃがれていて、少し巻き舌で大好きです。
昔馴染みを大事にする平蔵。その人柄を引き立てるのに、重要な役柄を演じてらっしゃいました。

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