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地球を歩きながら、木を植えるコミュの木のいのちのまもりかたを教えてください!

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昨年南アフリカで、ポールさんたちと一本一本の木を植えてきました。
が・・・、お願い、是非お知恵をください!!!
(他のてんつく関係のコミュニティと重複してる方、ごめんなさい)

実は、今地元でたった一人で活動していることがありまして、
何らかのご教示やご協力をいただけるようであればと思い
長文になると思いますが、是非お力を貸してください。

実は、私が住んでいる岐阜市中心部にある旧京町小学校跡地に
今度中学校が建設されることに伴い、駐車場確保のために大きな
イチョウの木2本が切られそうになっているんです。

それは学校内では一番背が高いと思われる立派な樹で、秋になると
綺麗に黄葉して沢山葉っぱが落ちるので、小さい頃はそれをかき集めて
ハイジの干草ベッドならぬイチョウベッドみたいにたっぷり積み上げて
その上に乗って遊んだという秋の楽しみと子供たちに情緒を与えて
くれる2本の大木。

それを、近隣住民に対し市教委が戸別訪問で建設説明をして回って
きたときに、私からそれらの大木はどうなるのか質問して初めて
答えてもらい伐採されてしまうことが発覚しました。
聞かなければ説明もなく勝手に切られてしまう運命にあったんです。

でもそれらの木は敷地の際(きわ)に立っていて、決してすごく邪魔な
位置ではない上に、子供たちのためにも住民のためにもひいては岐阜の
まちづくりのためにもかけがえのない存在だということを切に伝えました。

また、施工業者もまだ決まっていないということだったので、入札要件に
保全を前提とする旨を盛り込んで、民間業者の経験や智慧を活かして
いただくように要望しました。

でも、すでに2年前から地元代表者が集まって何回も検討して決まった
計画なので、検討済みということで今からの変更は難しいということと
その担当者も
「持ち帰るけど、何しろ下っ端なんで何とも・・・」と心もとない
返事でした。
(後ほど、このイチョウの件に関してはもともと何も検討されず更地の
駐車場にするという案がそのまま通ってていただけでした)

それからどうしていいか分からず、まずは地元新聞に連絡して記事に
してもらったり、一人で署名活動を始めて提出したりしましたが、
実態は駐車場確保を主張する地元有力者の声が強く、その要望どおりに
進めようとされています。

ただ、ここでわかってもらえないのが、私は駐車場反対とも建設反対とも
一言も言っていなくて、イチョウを残しても駐車場を確保できる策がある、
そのために大きく計画を変更しなければならない場所ではないので、
共存する形で智慧を働かせてほしいということを一生懸命伝えている
のですが「更地にして駐車場」以外の案は全て「反対者」とみなされて
しまっているのです。

実際に知り合いの一級建築士の方にお願いし測定してもらい、
イチョウの木2本を残したままの設計図をお願いしたら、その木が
あっても駐車場の確保には問題がなく、逆に残したほうがコストも
安く済むとのことでした。

また、樹木医さんにも診ていただいても、イチョウというのはとても
強いし、ここは平地に植えられているので駐車場にするために表面の
土を平らにするよう根を損ねてもこのイチョウは全く問題ないという
診断だったのです。

そのほか、市側が問題としている点も全て解決できる方法を示して
提案してきました。

さらに、新しく見せていただいた市側の設計計画では、イチョウの木
2本のうち1本は駐車場にもかからない敷地内にあるので何の邪魔にも
ならないこともわかり、伐る必要がないことも伝えました。

しかし、やはり2本とも伐採するという計画のままなのです。

市も地元有力者側も計画を変えたくないという思いが強く、ここに来て
一住民が木の保全を、と騒がれるのも面倒くさい、何を今更、といった
ないがしろにされたままの状態なのです。
イチョウの代わりに小さい木の植栽とか花壇は作るから・・・という
取引的な説明もされたりします。


どこを視点にして考えているかが全く違うんです。もっといのちの
世界を見た、大きな視点から考えたとき、何が大切なのかを
これからのために考えないといけないんじゃあないかって。

自然の少ない市街中心部に長い間根付いて大きくなってくれた
大切な木々と私たちは共存していくために、人間の英知が使われる
ものなのではないのかって。

この辺りの近隣住民宅を一軒一軒回ると、皆の木に対する親しみの
思いは強く、公に声にはしないけれど、出来るものなら残して欲しいと
いう声がやはり多いと実感しながら署名をいただきました。
だけれども署名の効力はないも同然でした。

現状は基本計画決定後(工事は10月からの予定)に、いち小娘がやれ
署名だ、やれ新聞記事だと騒ぎ始めて疎ましい、と思われているに
すぎません。

でも、私達一住民は一方的に決められてからしか知らされなかったので
今から動くしかないんです。

たかが2本の木かもしれません。されど、非力な一市民は、
無力のままそういった声の大きい力の強い方々の前でたった2本の
大木のいのちさえまもることができないままなのでしょうか。

そんな大きな計画変更もいらない、反対もしていない、よりよい
施設づくりを、と伝えているだけなのに、共に生きていくことが
出来る木を「検討済みだから」と簡単にいのちを失くされてしまうしか
ないのでしょうか。

あまりの自分の無力さを、伝えきれない非力さをひしひし感じる毎日です。

南アフリカでは一軒一軒に小さな苗木を植えてきました。
でも、ここ日本のど真ん中の岐阜のまちなかは緑被率が4%しかないのに、
こうやって大きな木が簡単に切られようとしている現実に、動いても
伝えてもまだなかなか変わらない現実があるんです・・・!

どんな方法があるか、どうしたらいいか、ぜひ教えてほしい・・・!!

文章では伝わりにくい点も多いかと思いますが、長文になって
しまってごめんなさい。

是非、何かご教示やご協力を、何でも、どんなことでも聞かせて
いただけたら本当に有り難いです。

どうぞ宜しくお願いいたします。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

コメント(11)

はじめまして、わーい(嬉しい顔)

保存樹木という考えが岐阜県にはないのかもしれませんが、県の環境保全関連部署にお尋ねされましたか?

*岐阜県の環境保全に取り組むには、生物多様性の確保と言う文言があり環境方針にも、明確にあるISO14001における環境破壊に繋がるため保全を目的とした保存樹木に指定できませんか?と質問するしかないようです。

勿論、伐採して費用対効果に占める伐採しない効果を説明する必要があります。要するに、第三者である物が人の所有物に口を挟むこと自体が無謀であり木を残したからといって、その後の木に対する保全を誰が見るのか?と言われれば、持ち主の意見が優先されるようです。

ただ、行政にも色々な考えがあって大阪市や東京、杉並区などは保存樹木指定と言う保存保全を優先させた取り組みをしています。

文化的な意義や環境面で県指定の保存樹木であれば、そう簡単には切れないばかりか保存に対しても県の予算が充てられるようですからそういったところで納得させられるかですが、金持ちケンカせずの諺どうりで放って置けば伐採は間違いないでしょう。

ただ、木の維持管理という問題で、安くつくと言う理由だけで持ち主は考えるのですから無理もないようです。

やはり、文化的な意義や将来的なビジョンを持っていれば、CO2排出を抑えることが出来る巨樹を容易く切ることは許されませんが、県の教育委員会などにも訴えて市の行政に歯止めをかけることが出来ればいいのですが・・・・・・

岐阜県に保存樹木指定の規定が無い限り難しいでしょうね、補助金などが交付される場合が多く行政によっては、無視しているところも間々ありますから・・・・・・

基本的に地主の誠意に頼るしかないのですが、利益優先で環境は破壊の限りを許してしまう傾向にありますから・・・げっそり

岐阜県のISO14001の取り組みに木の保全を優先させる文言があればいいのですが、抜け目無く曖昧な記述ですが、そこを突くしかないようですが・・・・

木を切ることは簡単ですが、大きくなるまでに環境を豊かにしてくれたことは無視され続け、おまけにゴミにされて朽ちて往きます、物を言わない尊い生き物なのですが・・・・・

畏敬の念さえ亡くした日本人は何処へ向かうのでしょう?
>dilvar さん

ありがとうございます!

専門的なご意見、参考になりました。

今回は岐阜市立の学校となるため、とりあえず県とは限定せず 
「岐阜 保存樹木」で検索したところ、

「財)岐阜市みどりのまち推進財団」というところがヒットし、
そこが岐阜市の保存樹木申請先だということがわかりました。

どんな財団かHPだけではわかりかねたので、また情報をいただきに
訪問してみようかと思います。

あとは、以前調べた内容として岐阜市には既に「岐阜市景観計画」
「岐阜市緑の基本計画」なるものが存在し、そこには具体的に

・保存樹、既存樹木等を保全する
・高木で樹冠幅のあるものを道路から見やすい位置に配置する
・推奨種を用いる(イチョウは推奨種のひとつに指定)
・公共施設敷地の高木主体による緑化を推進

等が明記されているので、そのコピーと共に市側に訴えても
力のない一庶民では剣もほろろの対応でした。

要はそれに効力も罰則もない限りは「絵に描いた餅」状態
でしかないんでしょうか・・・。

上手なアプローチの仕方があれば是非また何でもご教示ください。

どうぞ宜しくお願いします!


> みーくん/あろは美香 さん

得てして役人とは良いも悪いも自分たちの意見を持っていません。
決められたことを事務的に処理するだけの機械と何ら変わらずストレスを避けたがります。

ただ、一点、政治家が介在することで対応が180度転換することもあります。
所詮、椅子取りゲームのように椅子からはみ出さないことだけを必死に守ろうと
している情け無い人種なのですから仕方がありませんが・・・・・・

言えることは、そのような行政にしたのも、私たちの責任なのですから痛し痒しです。が、
政治家に陳情、改善と言う図式は、この国の行政が、建前だけで動いている証拠なので
上手く利用するしかないのでしょう。

役人は、殆ど(ごく一部の勇気ある人を除いて)機械的にしか動きません、いくら民主党
に変わっても官僚組織の悪巧みは、無駄を無駄と思わない経済観念ゼロの特権階級と
いう意識で動いていた税金ドロボウたちは未だに、改善させようなどとは思っていないの
が実態なのですから始末が悪く、仕分けを10年程かけなければ炙り出せませんが、政権
がまともに機能するかも鍵で問題は山積です。

地方の行政は、文化的な価値よりも実務的な条件を好みますから、その2本のイチョウを高名
な人が植えたとかの、ゆわくがあればいいのですが皇后妃殿下の生家でさえ取り壊してしまう
物を大切にしない国民性が、今の国体を表しているようでもありますね。

戦後65年自民党がまともな行政をしていなかったツケは、どんな行政庁にも浸透していて変な
癒着構造だけが肥大化した金権政治の脱却は20〜30年後の話でしょう。

一朝一夕では解決しませんし、又、政権が変われば元の木阿弥ですが・・・・・

未来を担う今の子供たちやその子たちの子供の代になんと言っていいのかが見当たらない
のが正直なところです。

法を改正して、個人情報保護法を、行政に携わる公人には適用されないなどしないと本気で
働かないでしょう、それと、過去の無駄な財団などを創出した政務次官なども遡って罪として
認識させない限り、税金ドロボウたちは大手を振って闊歩しているだけです。

「悔しかったら成ってみろ!」と言わんばかりの情け無い指導者が、この国を、ぶち壊し、その
ことに気づいていない異常さが将来的にギリシャ以上の事態を招かないことを祈るばかりです。
>dilvar さん

ありがとうございます。

まず最初の
「得てして役人とは良いも悪いも自分たちの意見を持っていません。
決められたことを事務的に処理するだけの機械と何ら変わらず
ストレスを避けたがります。」
というところから、なるほど〜・・・と思ってしまったのが
悲しいかな実感です。

政治家が介在すると確かに対応の態度が変わるというのも実感しましたが
それも政党とか派閥とかの力関係があるんだなぁと垣間見た思いです。

来週末に住民に向けて説明会を開くという案内が今日ポストインされて
いましたので、説明会=木を切る通達会になりそうな流れです。

何も力のない庶民としては、保全を要望する方々になるべく多く
参加していただいてその声を上げ、顔を見せて、地域の声は
伐採の方向ではない!ということを主張するしかないのかと
思っています。どうでしょうか・・・
何かそういう場での有効なアプローチ方法はありますでしょうか。

本当に非力な自分をひしひし感じます・・・が、やはり動きます。

また是非ご教示ください!

宜しくお願いします。ありがとうございます!



> みーくん/あろは美香さん

いつも気がつけば環境破壊が推し進められて、その土壌の上で物言わぬ生き物たちが犠牲になっていきます。

人間は万能ではないのに、今やこの星を自分の所有物のように扱い、自然に対する畏怖の念や自然の尊厳さえ収奪し尽しています。

クマトラさんが、
>そのイチョウの木にも意識があるとおもっています。だれにかえりみられることなしに切られてしまった多くの木のことを思う時、みーくん/あろは美香さんに気にしてもらったことは、イチョウの木や生き物の意識はきっとおぼえていてくれるとおもっています。

まったく同感です、石でさえ意識を持っています、ですから時計と言う機械は動くのですから。木や植物は動物を保護するために存在してくれています。
酸素は紛れも無く植物が長年にかかって創り上げた奇跡の技のようです。その保護者である物言わぬ木々は、本当にいとも簡単に伐採されつづけています。

アマゾンでさえ経済的な理由で伐採が急速に進んでいますが誰もそのことに目を向けません。

気がつけば、何時もそこにある悪意に心打ちひしがれます、私たち人間と言う生き物は、救える物でさえ救おうとしないで最終的には自滅に向かうと言う簡単な論理さえ働かない畜生にも劣る生き物なのかと・・・・

本当に未来の子供たちになんと言えばいいのだろう、あまりにも多くの負の遺産だけを押し付けて逝こうとしているのだから情けなさだけが脳裏をよぎります。

だからこそ木々や草花の大切さを子供たちに伝えていけたらと奮闘しています、よく雑草と言う人がいますが私は、子供たちに野草と呼ぶように説明しています、自然が創り出すすべての物は何一つ無駄な物はないと言うのが持論です、夏のうるさい蚊やハエでさえ独自の美しさを持っています。
>クマトラ さん

ありがとうございます。
無力感を感じる自分の心が慰められる思いです。

行政から切れと言われても植木屋さんも切ることが出来ずにそのまま
残ってしまった木というのも、おっしゃるようにその木の意識と
いうかエネルギーが強かったのかもしれませんね・・・

イチョウの木たちには毎日話しかけて謝ったり励ましたりしつつ
切られそうな原因となっている自分の潜在意識をクリーニングすべく
ホ・オポノポノを行っています。


>dilvar さん

いつもありがとうございます。

本当に、本当に仰るとおりですね。

打ちひしがれて、情けなさを感じますが、だからこそdilvarさんが
子供たちに木々や草花の大切さを伝えていくよう奮闘されていると
いう姿勢は嬉しく思いました。

何か自分で出来ることをやる、それを続けてみる、その姿勢自体が
どんなことより伝わるのではないかと感じています。

私も川口由一さんの自然農の田畑を実践してもう10数年になります。
そこでも雑草という言い方はしません。
耕さず、草や虫を敵とせず、持ち込まず、持ち出さず、という農法で
豊かな学びを得つつ、お母さんとその子供たちにそのやり方を少し
教える機会もいただいています。

イチョウの保全活動も、動かない現実に無力感を感じつつ、もうちょっと
自分で動けること、出来ることをやってみようと今日も動いています。

また是非お話聞かせてください。ありがとうございます。
> みーくん/あろは美香 さん

イチョウは人間より歴史の古い生き物です。恐らく、杉や松などと同じ古生代からの記憶を
受け継いでいる現生物群の最長老に当たる存在のようですが・・・・・

一時期、屋久島に滞在していた時、山尾三省さんの「聖老人」に出てくる屋久杉に出会い
その樹齢や立ち姿に畏敬の念を抱きました。

木々が、若し言葉を発していたら人間の無知は改善されていたでしょう。!

なぜなら、木々や植物は生物を育む為のあらゆる要素を提供して、尚且つ敵対せずに存在
しています。

話が飛んでしまいますが宮沢賢治の雨ニモ負ケズの一説にデクノボウという行がありますが
ソウイウモノニ、ワタシハナリタイという言葉の通り、賢治はあの詩のような人生を送りました。

自然と共鳴して生きていくことが、きっと、そう遠くない未来に多くの「心ある人々」の気づきに
根付いて自然との付き合い方が最終的に私たちの本当の生きる意義に繋がるように感じます。

漠然とした思考の嵐の中で、特に最近感じるのは、自然が教えてくれる生存の連鎖で木々や
草花が風雪に耐えて「春が来れば、草はひとりでに生える」と言う奇跡を見せ付けてくれている
ことに、これって、・・・・・本当に凄いことなんだよっ!と子供たちに話していますが・・・・・・・

子供たちは、直ぐに忘れてしまうようですが、記憶のどこかでこの奇跡を感じ取って貰いたいと
思い続けています。

話が混乱して申し訳ありません、書き続ければ際限なく書き込みそうですから無駄話はこれぐらい
で、イチョウと言う木は、古生代の記憶を保つ数少ない生き物です、今の私たちにはこの木と話す
ことが出来ませんが、昔の人々にはこの木から教えを得て、数々の奇跡を体現したとあります、寺
社などで神木扱いされていますが、本当に神聖な古代の歴史をDNAに刻んだ貴重さを知ることな
しに伐採などすべきではありません。わーい(嬉しい顔)

最後に、面白い都市伝説ですが、鎌倉のご神木が倒壊したのは、イチョウと言う木が、何かが起こ
る前兆を知らせるために倒壊したということなのですが?・・・・・

良きにつけ、悪しきにつけ自然は、奇跡を見せ続けていますが私たちは、識るスベを無くしてしまったようです。

長文、失礼しました。exclamation ×2わーい(嬉しい顔)
>みーくん/あろは美香さん、クマトラさん、dilvarさん

意見交換、ありがとうございます!このコミュ、始まって以来のコメントの多さにびっくり(!)

守ろうと奮闘してくれているみーくん/あろは美香さんの気持ち、銀杏の木も、ひしひしと感じて、感謝していると思います。

ありがとう☆

木は、一瞬でコミュニケーションできるそうです。

南アフリカに行った時、ジュネスさんが、「アカシアの木はスプリングバックが食べに来るとすぐに苦い汁を出し、他の木に知らせるので、スプリングバックは苦くて二本目以降は食べられない」って言ってました。

銀杏の木もきっとすべて知っていて、コミュニケーションしていると思います。

みーくん/あろは美香さんがこれまでに銀杏の木を守るためにしたこと、その思い、すべてが地球にとって大切なことだと思います。

思いと行動。それは、すべて波紋のように広がっていきます。

直接、つながっている人にも、つながっていない人にも、ポジティブな思いが広がって、今、ここでしていることとは、全く関係ないように見える何かが、どこかで起こったりします。

宇宙って不思議な場所です。

多くの人が本当のことに気づいて、銀杏の木が守られることを祈っています。


>dilvar さん

長文ありがとうございます!!

そうです、イチョウは植物の化石と言われているくらい、2億年前から
存在していたと言われているんだそうです。

そして、近所のおじいちゃんが教えてくれましたが、イチョウは
「公孫樹(こうそんじゅ)」と言って、神が宿る木と言われているから
神社仏閣にも多いそうです。

俳句の季語にも「黄落(こうらく)」という言葉があり、黄葉した落葉と
いう意味ですが、秋の訪れを教えてくれるイチョウの葉のことを意味する
そうです。

そういった日本人の感性を感じ伝えていきたいものだと改めて聞き入りました。

私も屋久島は二年に渡って訪れ、様々な屋久杉に会いに行きました。

福岡正信さんの「わら一本の革命」や川口由一さんの「妙なる畑に立ちて」
を読み、自然農を十数年続けています。

私たち大人の行いを、後ろ姿をただ見せるだけで子供たちには自然と
伝わるものがあり、その姿のほうが言葉よりも物語ったりするのではと
思います。

行政の姿勢は相変わらず社会の力関係や一時の利便性を反映させたまま
伐採の方向を変える動きはありません。

それでもまだ動き続けています。コメントをくださるだけでも励まされます。

ありがとうございます!


>菊池木乃実 さん

ご無沙汰してます!忙しい中、コメントをありがとうございます!

そうですね、木のコミュニケーションや鳥、風、虫などなどからの
情報量や記憶は素晴らしいそうです。

90歳の作家の「神」シリーズでは実際に木と対話して木から聞いた情報を
確かめたら正しかったという実証をされていてとても興味深かったのを
思い出しました。

「本当のこと」に気づくこと、それに気づいたら動き続けること、
木乃実さんたちのように実践していきたいと思っています。

身近なたった2本の木さえ守れない自分の無力さにどこか潰されそうな
思いですが、まだ動き続けています。

ありがとうございます。

Please say Hello and LOVE to Paul!!
17日に、今回の木の保全で問題提起した京町小跡地の中学校建設説明会が
行われました。

今回のイチョウの木のより近くの自治会長、自治連合副会長、地域住民、
京町OBの方、親子の方などなど、10人以上から入れ替わり立ち代わり
様々な人たちからの木の保全の要望が強く出され、その都度拍手も沸き
全体的に皆木を残してほしいという声ばかりが高まった雰囲気でした。

子供と一緒に木と駐車場が共存している「木といっしょにくらそう」と
いう絵まで示された場面もありました。

逆に、木の伐採賛成の声は一言もありませんでした。

しかしながら、市教育委員会はその要望を受けて検討をするという姿勢は
全くなく、「公民館利用者から切ってほしいという希望があるので切る」
という一方的で理解できない理由で伐採するということを説明するのみでした。

結局全体の意見としてどれだけ要望しても何も変わらないという、納得の
いかないしこりの残る結果と感じました。

こんな決め方で行政は進められていくのか、と市民の声を公平に吸い上げて
いないやり方を露呈しているようで本当に失望しました。

これでまた私たちを昔から見守ってきてくれた京町の大きな木々が、いとも
簡単に失われていくことは本当に忍びないことです。

そんなことってこの世の中でいろいろ形を変え内容を変え
起きているんでしょうね。

このままでいいんでしょうか。

何かがおかしいです。

とてもおかしいです。

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