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地球を歩きながら、木を植えるコミュのグリーン・オリンピック・ウォーク、天津でやむなく中止

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7月30日、私たちはなんとか暑い中、歩き続けて、天津まで到着しました。
ゴールの北京まで、あと140キロ。
8月8日の開幕式まであと8日。

天津のオリンピック体育館の前に到着して、地元の新聞のインタビューも受け、意気揚々としていました。

次の日、31日、日本から歩きに来てくれた、中渓宏一さんと、明石隆史くんと合流しました。北京での取材の件など、いろいろ手配してくれていた芸術家の岩間賢さんファミリーとも合流しました。みんなで、もうすぐ北京だね、と。
暑いけど、8日あるから、毎日20キロずつ歩けば余裕で開会式に間に合うね、と話していました。

8日に北京にゴールしたら、中国の国営ラジオが記者会見を開いてくれる予定でした。そこで、植樹もできたらいいね、と話していました。

ひとつ、心配なのはビザでした。
8月1日に、ポールと私のビザが切れ、3日に祐次くんのビザが切れる予定だったのです。
それで、7月31日に天津の公安局へビザの延長の申請に行きました。

今までだったら、そこで申請したら問題なく、あと30日分は取れるはずでした。
でも、10日前に山東省でポールが延長を申請したときには、30日のはずが、10日しか取れませんでした。理由はわかりません。とにかく、そこでは10日分しか出せないと言われ、もう一度、延長してくださいとのことでした。

31日に必要書類をそろえて、天津の公安局へ行きました。
そこで、ちょうど地元の新聞に「緑色五輪、北京へ向かって一路、木を植えながら歩く」と大きく記事が載ったので、それも見せて「8月8日に北京に歩いて到着しなければならないので、性急にビザがほしい」とお願いしました。すると、通常1週間かかるところを1日で出してくれるという好意的な返事でした。

ほっとして、ホテルへ戻り、「ビザ取れそうだよ!」とみんなに報告しました。

翌日(8月1日)、2時半に公安局へビザを取りに行きました。すると1時間後にもう一度来てくれと言われたので、遅いお昼を食べに行くと、ちょうど一時間後に携帯に電話がありました。
「ビザ用意できましたよ」
それで、お昼を食べ終え、食堂から公安局へ歩いて戻りました。
すると、公安局のシャッターが閉まっているではないですか!

ええ????

よく見ると、金曜日は午後4時まで、と書いてあります。

そんな!!!

すると、携帯がまた鳴りました。
「どこにいますか?ビザ、用意できてますよ」
「外です!今、目の前でシャッターが閉まりました!」
「わかりました。じゃあ、迎えに行きますよ」
親切そうな警察官が迎えに来てくれ、裏口から公安局へ入りました。すると、警察官の方たちが「あなたたちのしていることは素晴らしい!」と言ってくれ、笑顔で迎えてくれました。

ところが、料金を払う段階になって、通常の料金の2倍の320元を請求されました。不思議に思って説明を求めると、しばらくして、「間違いでした。一人160元です」と言われました。そこで、通常通りの料金を支払い(30日の延長で160元)、パスポートを受け取って、公安局を出ました。通常、観光ビザは1回の延長で30日取れますから、てっきり、30日もらえたのだと思っていました。8月8日に北京に到着するのが目的だからと説明したのだし、好意的な警察官の方々の態度からして、当然、8日に北京につけるようにビザを出してくれたんだろうと思っていたのです。

ところが、パスポートを確認してみたら、どういう理由なのか、私たち全員、8月6日までのビザしかもらえていませんでした。

え・・・・・・・・??

全員、絶句。
何も言葉が出ませんでした。

公安局は、もう閉まっています。

あの、笑顔は何だったのか?
あの、親切な人たちは?
あなたたちのしていることは素晴らしいと拍手してくれた人たちは?

どうして、8月6日に出国しなければならないの?
8月8日に北京に着かなくてはならないので、できれば10日ぐらいまで延長してほしいと頼んだのにもかかわらず?

理由はわかりません。

これが、最後のビザ延長のチャンスでした。
中国の法律上、これ以上はビザを延長できないので、8月6日に出国するしかありません。

私の頭の中では、ただ、ひとこと、「なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ????」という言葉が渦巻いていました。

すると、ポールがこう言いました。
「どういうわけだか、わからないけど、こういうことになったということは、そういうことだ。
つまり、6日には中国を出ないといけないということだよね。さて、どうしようか?」

私たちは、ここで重大な決心をしなければなりませんでした。
こうなると、ゴールの北京までは、残りの4日間であと140キロ、歩かなければなりません。
ポールは、こう言いました。
「相当無理すれば、歩けない距離ではない。僕たちならできる。でも、この猛暑の中、1日35キロを歩いて、ただ、北京に到着することだけのために、全員の身体を痛めつける必要があるんだろうか?」
「もう、僕たちはこの国のために十分、身体を痛めつけ、血と汗を流した」
「緑色五輪を助けるために、中国が一生懸命やっている環境保護と環境改善のサポートをしよう、なんとか、地球全体のために、中国の環境を良くしようと頑張ってきたけど、こういう状況になったということは、もう、これ以上、身体を痛めつける必要はないということなんじゃないか?」
「8月8日の開幕式に北京にいてはいけないと、誰がどういう理由で判断したのか、わからないけど、そういう判断が下されたのなら、ここで終わりにしよう」
全員、同じ意見でした。

私たちは、十分、やった。
やれるだけのことは、やった。

大切なのは、北京に到着することが目的なのではない。私たちが今まで歩いてきた、この10ヶ月に体験したこと、出会った人々、できるだけ多くの人に環境保護のメッセージを広めようと努力したこと、それこそが大切なのだという結論に達しました。

それで、とても残念なことだけれども、本当に寝耳に水というか、驚いたけれども、みんなで納得して、グリーン・オリンピック・ウォークは、天津でゴール&終了とすることにしました。

ビザを申請に行った日、奇しくも産経新聞の福島さんが、天津まで取材に来てくださっていました。それで、翌日、ビザが6日までしか取れなかったことと、なぜなのか、わからないけれども、ともかく、8日に歩いて北京にゴールすることはできなくなりました、とメールをしました。
そのことが、今日、インターネットのニュースに掲載されました。
明日の朝刊にも、このニュースが出るそうです。
http://sankei.jp.msn.com/beijing2008/news/080803/gbh0808031735003-n1.htm

思いがけないことになってしまいましたが、でも、私たちは元気です。
できるだけのことは、精一杯、やりました。
楽しかった思い出も、たくさんあるし、助けてくれた人たちも、たくさんいたし、林業局の人たちとも、たくさん木を植えることもできました。

オリンピックの厳重な警戒態勢のせいで、オリンピックの入場券を持っている人さえ、ビザが取れずに、中国に来れないという話も聞いていました。
オリンピック期間中、ビジネスビザは、一切、下りないとも聞きました。

中国国内の環境保護NGOは、活動を一切停止するように言われたとも聞きました。
中国の主席が、「オリンピック期間中は、スポーツだけを報道するようにしてください」と、世界のメディアに伝えたとも聞きました。

私たちのビザが6日までしか下りなかった本当の理由は、わかりません。

去年の9月に歩き始めてから、7月半ばまでの10ヶ月、どこへ行って、何をしても、誰にも何も言われず、人々の笑顔ばかりだったチャイナ。

とっても、自由だったチャイナ。

工事現場を歩いても、建設中のトンネルや高速道路を歩いても、人の家の裏庭を歩いても、畑や田んぼを歩いても、誰にも、何も言われなかったチャイナ。

警察官に会っても、「ハロー!」と笑顔で手を振ってくれたチャイナ。警察署で休んでいきなさいと言われ、お茶をもらったこともありました。公安局でビザを延長したときは、警察官のみなさんと仲良く写真を撮ったりもしました。

だから、ここ2週間の出来事は、本当に驚きの連続だったし、北京の一歩手前でストップしなければならなかったことは、とても残念です。

でも、後悔は一切ありません。やるだけやったと、今はすがすがしい思いです。香港から天津まで、3140キロ、10ヶ月間、中国の隅々まで歩いて、あらゆる人々と出会って、本当に、中国を歩けてよかったと思っています。

私たちは、あと2日間、北京でいろいろな取材を受けてから、次は韓国へ行きます。
ポールの書いた本が韓国語で出版されるので、そのプロモーションと、祐次君が次は韓国を歩いて木を植える旅をすることになったので、その応援をしに行きます。

私たちは、いつでも、これまでも、これからも、ずっと、ずっと、地球のためにできることをし続けます。

VIVA EARTH!!

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