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トルコ井戸端会議。コミュの山田寅次郎

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御存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
明治時代に当時オスマン帝国のトルコに渡った日本人、
「山田寅次郎。」

*********************
何をした人かって? そりゃ名前だけじゃわかりませんね。← 飛んだの突っ込みw
なのでこちらをどうぞ。。
http://www.turkey.jp/2003/info03_4.html より 引用


旧沼田藩の家老の子として1866年(慶応2年)に江戸で生まれた山田は、小学校をおえると英語、ドイツ語、フランス語などを学び、16歳で茶道「宗偏流」の家元、山田家の嫡子になった。文才にも恵まれていた山田は、当時一流のジャーナリストたちと親交を結び、新聞に才筆をふるっていた。「エ号」の遭難事故の発生は、彼が24歳のとき。熱血漢の山田は、
「近い将来に日本と修好条約を結ぶべく、アジア大陸の西端よりはるばる、1年もかけて来日してよしみを結びながら、不運にも熊野灘の暴風雨にのまれし心情を思えば、胸張り裂ける思いなり。同じアジアの民として、犠牲者たりし人々の心情、いかばかりなりや」
とのキャンペーン活動を展開。全国各地で演説会を開いて、1年でほぼ5000円(現在の約1億円)の寄付金を集めると、外務大臣青木周蔵のもとを訪ね、「これをトルコに送り、遭難者遺族への慰霊金にしてほしい」と依頼した。
山田も偉いが、青木も偉い。
「これは君個人が集めた天下の浄財。君自身が届けに行き、国交樹立の日のため、国情をよく見聞してほしい。たまたま、わが国がフランスに発注した軍艦を引き取りに、海軍の仕官たちがヨーロッパへ発つ。便乗して行くといい」
青木のすすめで、山田は単身イスタンブールへ旅立ち、会見したアブドゥル・ハミド二世にまず、山田家伝来の鎧兜と太刀を献上した。オスマン帝国の高官は山田に、思いがけない要望をした。
*************************

エルトゥールル号沈没の際の日本人の行為をトルコの人はとっても感謝して
トルコは親日国家なんだよって昔叔父に聞いたことを思い出しました。
あと確かアタチュルクは明治維新をお手本にしてトルコ近代化を果たしたとか。。

コメント(41)

その話は聞いた事がありますけど、詳しくは知らないのです。
是非みたいなぁ、その番組…
なぜ親日家なのかって聞かれた時に 〜らしいよ。とかじゃなく
ちゃんと説明できたらな、って。

↑そのくるくる回る、ってのはメブラーナの旋回舞踊ですね?
昔TVでみてその幻想的な様に魅入られいつか本物を見たい!と
思ってたのですが去年の9月にイスタンブールで見れました。
…でも横に座ってた現地人が
‘こんなのはは観光客用ので全然ダメ!本場のはもっとすごいよ’と…
そんなんでも見られて感激してたんですけどね(苦笑
山田寅次郎ってフ〜テンの寅さんかと一瞬思ったわ〜。失敬失敬。

3月21日、NHKハイビジョン放送、山田寅次郎。
・・・・らしい。
日本の皆さん、ご興味のある方はぜひご覧下さい。

>クラリスカ(悦)さん、

ツボ大発見よ。ブラボー

日本での、での!、トルコ情報。
 『テレビ番組編』
こちらのトピにて受付今開始。

その双子の兄弟として、
日本での、での!、トルコ情報。
 『書籍、映画、芸術編』を別トピ、山田寅三郎にて受け付けま〜す。


>エルトゥールル号遭難事件。
これは1890年、日本との初の修好の使命を果たして帰国途上のトルコ軍艦が熊野灘で遭難。581名が死亡した事件。和歌山県串本町に遭難碑があります。

もともと歴史的対ロシアとの関係上、日本に親近感を持つトルコ人。この事件での日本の協力をトルコ人は忘れない。


>NOIRさん、YUMMYさん、

クルクル回るメヴラーナ。
私もあれ見ると目が回る。

でもね、白いドレスでみんなでクルクルしてる所はそれはそれは幻想的でしょうよ。

本物が見れたYUMMYさん、ちゃちゃが入ったっていいじゃん。
実物には変わりなし。
自分的には全然OKでした!
本当にずーっと見たかったし、よかったとおもってます。

その後カッパドキアでもディナーショウについてたので
また見れたけどこっちの方がよっぽどしょぼかったww
>YUMMYさん
お食事付でメヴラーナ。
私、しょぼくてもそっちの方が良い!
一度は見てみたいものだわ。
寅次郎、ハイビジョン放送、観た方はいるのかな?
そういえばそうだね。
どなたか見たのでしょうか。
>らむマンマさん
ありがとう。
トプカプの鎧兜。見たんだった。
これが山田寅次郎さんからのプレゼントだったのかぁ。
つながった。
うわー!見逃してしまった!
トルコでの放送に期待することとします。。。

寅次郎さん、「イスタンブールを愛した人々」だと外交官的役割を担ったとの書かれていますね。
前出
>エルトゥールル号遭難事件。
これは1890年、日本との初の修好の使命を果たして帰国途上のトルコ軍艦が熊野灘で遭難。
581名が死亡した事件。
和歌山県串本町に遭難碑があります。

もともと歴史的対ロシアとの関係上、日本に親近感を持つトルコ人。
この事件での日本の協力をトルコ人は忘れない。



本当に忘れなかったんだ。
このトルコと日本の友好関係が解り易くご覧いただけます。
クルソワンさんからのご紹介サイトです。

http://www.eflash.jp/k/k0006.htm
日本とトルコ
「日本とトルコ」の関係、ちょいといい話。
(クルソワンさんからご紹介のサイトは見れなくなっておりましたので
改めてこちらからどうぞ。)
http://www.kokueki.com/swf/toruko.htm

湾岸戦争勃発当時、トルコから日本への恩返しが空を飛んで。


さて、今度は日本がその2機の飛行機への恩返し?かなぁ。
だといいなぁ。



エルトゥールル号での遭難者587名の魂、桜と共に安らかに眠れ。
日本さくら交流協会からイスタンブールに587本。 (581名?587名?どっちが公式か?←飛んだの疑問)

イスタンブールはアジア側、第2大橋からウムラニエをすぎて
クチュックバッカルキョイ(うちのすぐ横!)にあるTEMA VAKFI(テマ ヴァクフ)所有
NEZAHAT GOKYIGIT Botanik bahcesi(ネザハット ギョクイイット 植物庭園)に
その記念すべき桜が植樹されます。

イスタンブルのどこかにこの桜からなる桜並木が育ったら
飛んだ・・・は心から嬉しいです。


以下参照
「日本さくら交流協会」での検索より
「お知らせ」から

エルトゥールル号遭難者追悼さくらの記念植樹の旅

 日本とトルコの人々が共有する「思いやりの精神」を風化させない為に日本から「桜の木」を贈ります。
115年前、紀州沖にてトルコ軍艦が台風で遭難、587人の尊い命が海に消え、生存者わずか69人・・・。
その時地元民は、総出でトルコ人救出に尽力した。
 遠く異国の地に眠る彼らの思いを「桜の木」に託して、母国トルコへ・・・。
 時は流れ20年前、イラン・イラク戦争の最中、イランから脱出する為にテヘラン空港で脱出できず途方にくれる日本人215人のもとに、トルコ航空が救出に飛来した。
 私達は、同じ日本人として感謝の心を忘れてはならない。

交流企画主催:日本さくら交流協会
       トルコ テマ財団
協 力   :日本・トルコ協会 (予定)
       日本フィランソロピー協会
       在日トルコ大使館 
       在トルコ日本大使館
       トルコ航空
       寒河江市(サクランボで姉妹都市)
       串本町(トルコ軍艦遭難の地)
       下関市(イスタンブールと姉妹都市)
       松山市(秋山真之も軍艦比叡で69人を送り届けた)

後援     遠赤青汁・伯方の塩・・・・・・
              
旅行主催  :日本通運 旅行事業部

植樹記念式典
 ・トルコ政府代表挨拶
・日本さくら交流協会挨拶
 ・テマ財団挨拶
・ 在トルコ日本大使挨拶
式典日程  2005/10/23
式典会場  
植樹場所:トルコ・イスタンブール?
桜の品種:陽光
植樹本数:587本


文化交流祭
 トルコ オーケストラ
 ・民踊・民謡 
 ・茶道・武道
トルコ在住者の方々〜!
中村獅童さんのこの噂の紀行番組がやっと我々も観れそうよ。
明日10月23日21時からTRT2にて放映。(110分)
トルコ語だけど観てみよう!
今夜、TRT2で観ました〜!
山田寅次郎がトルコへ渡った時、ラマザン中だったのですね。
今放送するのもタイムリーだなと思いました。
(獅童さんもイフタール食べてましたね)

しかしウチの旦那、エルトゥールル号の逸話を知らなかった
ことが発覚…。えぇーー。
私も20分程遅れながらも思い出し、
チャンネルTRT2が消えてるのをチューニングし直して
30分見逃しながらも、やっと!(笑)

結構トルコ人俳優を大勢使っての番組構成に「へぇ〜。」
あちこちにちりばめられたメッセージに「なかなかやるじゃん
!」
誰にでも解りやすい番組でしたね。


獅童さんお土産に買ったチャイバルダック。2個だけって。
ここら辺日本人的。(笑)
トルコ人なら最低6個から買うんだけどなぁ。半ダースからワンセットよ。
すぐに割れちゃうしね。←(飛んだ・・・の場合はこっちの理由。)(^_^.)
コメントNO.14つながり
トルコ救出クルーに日本の勲章!!
ささっつさん、ナイスなニュースをありがとう〜!

2006年05月01日
15:49
243: ささっつ

春の叙勲の季節ですが、トルコ人が外国人枠としては国別最多の13人だそうです。(イラン・イラク戦争中の1985年にテヘランから日本人200人以上を救出したトルコ航空特別機の当時の乗務員)
テロが頻発するトルコにとって、ちょっと嬉しいニュースかな?

旭日重綬賞  イスメット・ビルセル(トルコ、元駐イラン大使 72)
旭日中綬章  ユルマズ・オラル(元トルコ航空総裁 71)
旭日小綬章  アリ・オズデミル(元トルコ航空パイロット 75)
         オルハン・スヨルジュ(   〃      80)
旭日双光章  コライ・ギョクベルク(元トルコ航空機関士 63)
旭日単光章  アイシェ・オザルプ(元トルコ航空客室乗務員 53)
         エミネ・キョプルル(トルコ航空客室サービス長 45)
         セヴィル・アトゥジュ(元トルコ航空客室乗務員 50)
         デニズ・ジャンスズ(   〃         47)
         ナーザン・アキュンレル(   〃       51)
         ヌライ・シャルズ(  〃           46)
         マノルヤ・サカ(   〃           51)
         ミュゲ・チェレビ(  〃           45)


トルコの勇士たちに改めて、ありがとうございました。
昨日コメントしたはずが・・・・

トルコにはいい話ですね〜

でもひねくれ者の私。
どうして今頃になってなの?

1985年にテヘランから・・・・

もう20年以上前の話ってことでしょ?
>ジャスミンさん
チャイハネからコピペしたのさ。
あっちはこれから消しますわ。

ささっつさんコメントもこっちに持ってきたよ。


2006年05月01日
22:19
246: ささっつ

小泉首相が来土した際に面会したから、その影響だと思います。
平たく言えば「思い出した」!?
恒常的に「遠くて近い国」になればいいですね。
何故今なのか。
そりゃ解らないけど トルコクルーがみんな健在中でよかった、よかった。

こう勝手に思い込むのはどう?
ここ数年インターネット情報が充実してきて
皇室にもトルコ井戸端会議のいい話が届いた。(* ̄m ̄)プッ
04 January 2007
Ertuğrul Fırkateyni su yüzüne çıkarılacak

A.A

1890 yılında II. Abdülhamit tarafından Japon imparatoruna iyi niyet elçisi olarak gönderilen ve dönüş yolunda Japonya'da batan Ertuğrul Fırkateyni'nin batığı su yüzüne çıkarılacak.


Bodrum Sualtı Arkeoloji Enstitüsü ve Yapı Kredi Emeklilik, Türkiye Sualtı Arkeoloji Vakfının (TINA) katkılarıyla 550 Türk denizcisinin anısını canlandırmak amacıyla bir proje hazırladı.

3 yıl sürmesi planlanan ve “Ertuğrul” adı verilen proje çerçevesinde, 1890 yılında Japonya'da sulara gömülen Ertuğrul Fırkateyni'nin kalıntılarının tespiti ve su üstüne çıkarılması, şehit olan 550 denizcinin anısının hem Türkiye'de hem de Japonya'da canlandırılması amaçlanıyor.

Bu kapsamda ilk araştırma çalışmaları Türkiye'den ve dünyadan su altı arkeolojisinin en önemli isimlerinden oluşan bir ekip tarafından 8-27 Ocak arasında Japonya'nın Kushimoto kentinde yapılacak dalışlarla başlatılacak.

Bodrum Sualtı Arkeoloji Enstitüsü Başkanı Tufan Turanlı, projenin tanıtımı dolayısıyla düzenlenen basın toplantısında yaptığı konuşmada, Ertuğrul ve denizcilerinin zaman içinde unutulduğunu kaydetti.

Turanlı, projenin amacının memleketlerinden 10 bin kilometre uzakta yatan bu kahraman denizcilerin hatıralarını canlandırmak, aynı zamanda iki ülke arasında bu acı olayla başlayan dostluğun büyüyerek sürmesine aracı olmak olduğunu ifade etti.

Ertuğrul Fırkateyni'nin hüzünlü hikayesini aktaran Turanlı, “Projenin en önemli ayağı bugün faaliyete geçen http://www.ertugrul.jp/ internet sitesidir. Projeyle ilgili her türlü detaya ve Ertuğrul Fırkateyni'nin hüzünlü hikayesine bu adresten ulaşılabilir. Adresin 'jp' uzantılı olması Ertuğrul'un Japonya'da bir Türk gemisi olduğunu hatırlatmak açısındandır” dedi.

Yapı Kredi Emeklilik Genel Müdür Yardımcısı Dr. Bülent Eriş de amaçlarının öncelikle Ertuğrul Fırkateyni'nin batığının tespiti ve bulunabilen kalıntılarının çıkarılması olduğunu belirterek, şöyle konuştu:

“Ancak bu, doğal olarak su altı ekibinin yapacağı dalışlar ve değerlendirmeler sonucu netleşecektir. Tüm bunların yanı sıra bu çalışmayla yıllar önce şehit olmuş 550 denizcinin hatıraları canlandırılacak, özellikle bir belgesel film ve kitapla bu yeni kuşaklara aktarılacaktır. Projeyi Türk halkının tarihle bir buluşması olarak da adlandırabiliriz.”

Bu arada, Türk Hava Yollarının (THY) ulaşım desteği, uluslararası Reson firmasının ise teknik destek sağladığı projeyle ilgili araştırma çalışmalarının detayları, her gün TRT 2'de saat 17:00 haberlerinde yayınlanacak.

ERTUĞRUL FIRKATEYNİ

Ertuğrul Fırkateyni, 1890 yılında II. Abdülhamit tarafından bir iyi niyet elçisi olarak Japonya'ya gönderilmişti. Bin bir zorlukla Japonya'ya varan denizcilerimiz dönüş yolunda Kushimoto açıklarında bir fırtınaya yakalanmışlar, Ertuğrul kayalıklara çarparak parçalanmıştı.

Görevinden çok batışıyla iki halkı yakınlaştıran Ertuğrul Fırkateyni, bugün Türk ve Japon halklarını yakınlaştıracak yeni bir projenin çıkış noktasını oluşturuyor.

630 denizcisiyle 11 ay süren seferin ardından Japonya'ya varan Ertuğrul Fırkateyni, Japonya'da İmparator Meici karşılanmış, İmparator'un isteği üzerine gemi komutanı Osman Paşa, konuşmasını Türkçe olarak yapmıştı.

Zorluklarla tamamladıkları bu önemli görevden sonra denizcilerimiz tayfun mevsimi olduğu halde dönüş yolculuğuna çıkmışlar, Ertuğrul, Japonya'nın güneyinde Oshima adası açıklarında kayalıklara çarparak parçalanmış, Osman Paşa dahil 550 gemici şehit olmuştu.

Oshima köylüleri 69 denizcinin kurtarılması ve şehitlerimizin gömülmesinde çok büyük emek vermişlerdi. Öte yandan, Ertuğrul Fırkateyni'yle ilgili bilgilerin yer aldığı internet sitesinde, kazada şehit olanların ve kurtulanların yakınlarının bilgileri yayınlanacak.

Bilgilerini aktarmak isteyenlen, 0 252 316 22 48 numaralı telefondan Bodrum Sualtı Arkeoloji Enstitüsü yetkililerine ulaşabilecek.
こんな感じでチェーン日記したことあります。

<トルコのエルトゥール号と日本>

和歌山県の南端に大島という島があります。
1890年(明治23年)9月16日の夜、台風が大島を襲いました。
トルコのエルトゥール号が自国への帰路、その台風で和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難するという事故が起きました。
この事故で、トルコ人518名は死亡。

村人たちは遭難者の遺体を引き上げると丁重に葬り、死を免れた69名は地元民の手厚い救護により、一命を取り留めました。
村人たちは台風で漁ができず、自分たちの食料も底つく中、非常食用に最後に残ったニワトリさえもトルコ人に食べさせたのです。
その後遭難者たちは、話を聞いた明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられました。

それから100年近くたったイラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事。イラクのサダム・フセインが、「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と世界に向けて発信しました。

イランに住んでいた日本の民間企業職員やその家族が、難を逃れるため急いでテヘラン空港に向かいましたが、どの飛行機も満席で乗ることができません。世界各国は自国の救援機を出して救出していましたが、日本政府は素早い決定ができずにいました。空港にいた日本人はパニック状態に陥りました。

そこに、二機の飛行機が到着しました。それはトルコ航空の飛行機で、日本人215名全員を乗せると、成田に向けて無事に飛び立ちました。タイムリミットまで1時間15分の出来事でした。

なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかったそうです。そのことを前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は、のちに次のように語りました。

「エルトゥール号の事故に関して、大島の人たちや日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今でもトルコ国民たちは忘れていません。私も小学生のころ歴史の教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえエルトゥール号のことを知っています。現在の日本人が知らないだけです。だからこそ、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」



エルトゥールル号遭難の事 前出のサイトがどちらも無効になってしまって
わけ解らん?? と いう方のために。

こちらをどうぞ。
知られざる日本トルコ交流史
http://www.youtube.com/watch?v=kRTrhXCQ3RAhttp://www.youtube.com/watch?v=kRTrhXCQ3RA

和歌山県串本町と トルコMERSIN市は現在 両国友好姉妹都市でございます。
昨年、問題になっていた「アタチュルク像を救おう」の嬉しい結末をニュースで見つけましたので、このトピがふさわしいかどうかわかりませんが、皆さまにもお知らせしようと思います。

以下、毎日新聞より。2010年5月20日の記事です(写真とも)。

「トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像が20日、トルコ軍艦「エルトゥールル号」が遭難した際の救助活動が縁で友好関係にある和歌山県串本町の樫野埼灯台前の広場に設置された。灯台近くの海域で遭難してから今年120年を迎え、日ト友好記念事業として6月3日に開催するエ号殉難将士追悼式典で除幕式が行われる。

 銅像は高さ4.2メートル、重さ約4トン。馬上のアタチュルクが右手で前を指さす。平成8年、新潟県柏崎市のテーマパーク「柏崎トルコ文化村」の開園を祝いトルコ政府から寄贈されたが経営破綻(はたん)で閉園となり、新潟県中越沖地震の際に倒壊の恐れがあるとして台座から外され倉庫に保管されていた。

 「親日国であるトルコの建国の父に非礼」として日本財団が所有企業と交渉し昨年12月、串本町への移設が決まった。銅像は今年3月に柏崎市から東京・台場の「船の科学館」に運ばれ、さびを落とし従来の色に戻す修復作業が行われ一般公開されていた。

 銅像は17日夜に船の科学館を出発し20日午前4時ごろ串本町に到着。設置作業は8時半ごろ始まり、クレーンなどを使って像が遭難海域に向いて立つよう台座に据え付けられた。

 遭難事故は明治23年、同町の紀伊大島沖で起き、救助された乗組員らを島民が献身的に世話した。」

トルコにおける日本年の今年、アタチュルク像がもっともふさわしい場所に移転されたことに私もホッとしました。
もうひとつ、こんなニュースも見つけましたので、連投失礼致します。

産経・関西より。2010年4月19日の記事です(写真とも)。

『トルコに築く友好の心 巨大日本庭園7月完成』

大阪芸大教授が設計
 親日国として知られるトルコで、巨大日本庭園の建設が急ピッチで進んでいる。草の根の「日本トルコ民間交流協会」(東京)が橋渡し役となり、世界各地で庭園を手掛ける第一人者の福原成雄・大阪芸術大教授(59)=造園学=が設計を担当、7月の完成を目指す。今年は両国交流史の原点となる「エルトゥールル号事件」から120年。節目の記念プロジェクトで、関係者は「両国友好のシンボルに」と期待を膨らませている。

市長の夢
 建設地は首都・アンカラの西約200キ?にあるエスキシェヒル。紀元前千年ごろに築かれ、トルコ語で「古い町」を意味するが、20世紀前期のトルコ革命後に再建され、現在は主要な産業都市となっている。
 庭園整備は、ユルマズ・ブユックエルシェン市長(73)が発案した。市長はこれまで何度も来日した親日家で、京都の庭園などを訪れるうちに美しさに魅せられ、学長を務めた地元大学の学内にも日本庭園を建設したほどだ。
 市長は、かねて構想していた夢の実現のため、郊外に甲子園球場の役半分に当たる約2ヘクタールの敷地を確保し、昨年6月、同協会の石本寛治会長(71)に設計者探しを依頼。石本会長は、日本国内で日本庭園の専門家を探す中で、福原教授の存在を知った。

第一人者が快諾
 福原教授は、これまで米国やドイツなど、海外20カ所以上で日本庭園の設計を手掛けてきた権威。2001年には世界有数の園芸展とされる英国の「チェルシーフラワーショー」で金賞と最優秀賞を同時受賞し、06年には雑誌「ニューズウィーク」の「世界が尊敬する日本人100」にも選ばれている。
 「海外にも日本庭園は数多くあるが、現代芸術風にアレンジしたり現地の文化と混ぜ合わせたりして本来の姿とはかけ離れている」。かねて一つの不満を抱いていた福原教授は、石本会長の依頼を快諾した。
 昨年8月に市長が来日した際、福原教授は自身が設計を手掛けた大阪府堺市にある大仙公園内の日本庭園を案内。大きな池を中心に、築山や小島などを配する「築山林泉回遊式」という手法を用い、ところどころに景勝を織り交ぜながらやがて水流が大海に注ぐ景観を、伝統的手法を駆使して表現していた。
 感動した市長は、その場で「こんな日本庭園を造ってほしい」と発注。福原教授は翌9月に現地入りし、さっそく簡単な設計図を市側に渡した。

深山幽谷を再現
 設計では、高さ2〜7メートルの築山を造成、落差2メートルの大滝を設けて「深山幽谷の景色」を再現する。滝つぼから分かれた2本の水流が流れ込む池には木橋や浮御堂を配置。半島状に伸びた岬も表現する。福原教授は「エルトゥールル号事件にちなみ、和歌山県串本町の海岸も表現したい」と構想を膨らませた。
 使用する石材は、福原教授自らがトルコ国内で選んだ。先月末から今月上旬にかけて現場入りし、現地職員と協力して石組み作業を行い、荒々しい大滝部分の外観が姿をみせた。園内にはサクラなども植える計画で、茶室などの建設構想も浮上している。
 現地を見た石本会長は「トルコの数ある日本庭園の中でも、これほど本格的で大規模な庭園は例がない」と絶賛。「本物の日本庭園の姿を通じて、日本人の心も伝わるはず。トルコ国民に日常的に利用してもらい、日本文化に触れてほしい」と願っている。

2ヘクタールの日本庭園!完成したらぜひ行ってみたいですね目
AYAぱむっくさん
良いニュースをありがとう!クローバー

せっかく贈られたアタトゥルク像 ふさわしい場所に設置されて 喜ばしい限りです。
倉庫にしまいっぱなしよりも ずっとずっと理にかなってます。
放置状態の像に気づいてこの運動を起こしてくれた方や
「アタトゥルク像を救おう」の運動にご協力くださった皆々様方に感謝します。ハート


そしてこのエスキシェヒール・キュルトゥル・パーク内の日本庭園。
完成はもうすぐexclamation ×2

6月5日17:30〜18:30 日本庭園オープニングセレモニー
    19:30〜21:30 キュルトゥル・パークステージで日本音楽コンサート

エスキシェヒールの方は お誘いあわせの上どうぞ。。
> AYA←ぱむっくさん
嬉しい情報をありがとうございましたわーい(嬉しい顔)柏崎のトルコ村大好きで、東北に住んでたころよく行ってたのですが、つぶれてしまって以来あの立派なアタチュルク像がひどいことになってるときいてずっとずっと心を痛めてました。
一番望ましい所へきれいに修復されて行ったときいてすごく嬉しいです。ずっと気にかかってたのでスッキリしました。情報本当にありがとうございましたわーい(嬉しい顔)
K.KONさん

ちょっとおたずねします。

>>”トルコで散々問題を起こした揚句、追放された”
>>すっかり有頂天となり遊蕩三昧の末、北小路男爵家を巻き込む詐欺事件を起こしている。

というのはコメント31の下記ホームページ等に載っていますか?
私の読みが浅いのかそういった記述が見当たらなかったので、教えて頂ければ幸いです。
>ちちぇっきさん

>>”トルコで散々問題を起こした揚句、追放された”
のソースは、トルコ記念館の館員の方にお伺いした話が元で

>>すっかり有頂天となり遊蕩三昧の末、北小路男爵家を巻き込む詐欺事件を起こしている。
は、2ちゃんねるのトルコ関係のスレのログでした。
*****************************************************************
226 :時事新報記者:2005/09/22(木) 22:28:58 ID:g3/ZglYBO
当時義援金を全国から集めた時事新報は、これを届けるため
記者の野田正太郎をトルコに派遣した。
野田記者は国賓待遇を受けた上に多額の月手当てまで処遇され、すっかり有頂天となり遊蕩三昧の末、
北小路男爵家を巻き込む詐欺事件を起こしている。

マスゴミ人の鑑ですな☆
*****************************************************************

ご指摘を頂き、
「どちらもソースとしては信憑性には欠けるなぁ…」
と、再度調べなおしてみたところ、大変な勘違いに気がつきました。

北小路男爵家を巻き込む詐欺事件は、日本帰国後に起こした事件であり、
トルコ在住中の事件ではありませんでした。

※詐欺事件・晩年に関して詳しくはこちら
http://www.soc.toyo.ac.jp/bulletin/41-2misawa.pdf
http://homepage3.nifty.com/kosi/wien/up85/up85.html

トルコ在住中は、(私が調べた限りでは)特に問題があったわけではなく
帰国後に詐欺事件など刑事事件を起こしたため
名声を失い、若くして亡くなられたそうです。

野田氏の名誉を傷付けてしまい、大変申し訳なく思い
安易に人を貶める文章を書いてしまった事を、反省してます。

この文章を目にした方に、故人の名誉を傷つける誤った情報を
広める事になっていたかもしれないと思うと、ゾッとします。

一旦、31、32の記事を削除させていただき、
後日改めて修正した情報を投稿させて頂きたいとおもいます。

情報を調べなおすきっかけを与えてくださった、
ちちぇっきさんに感謝します。
また今思えば、トルコ記念館の館員の方は
「病気により…と資料にはなっているけど、実は問題を起こしたらしいらしいですよ」
「詐欺事件を起こしたみたいです」
程度にしかおっしゃっていなかった事を、
帰宅後に知った詐欺事件とごっちゃにしてしまい
私が盛大に勘違いして拡大解釈してしまったようです。
…野田さん、ごめんなさい……。

野田氏がトルコで他に問題を起こしていた可能性もありますが、
この館員さんももひょっとしたら、帰国後の詐欺事件を中途半端に知って、
勘違いされていたかのかもしれません。

誤った故人を貶める情報を流してしまい、本当に申し訳なく思ってます。

今後野田氏のトルコでの足跡を知る機会がありましたら、
こちらで報告させていただきます。
…今度はちゃんと、確認した正しい情報を!
追加小話
たまたま串本旅行に持っていった小説「坂の上の雲」司馬遼太郎に
偶然エルトゥールル号の話も載っていて驚きました。
(文庫版1巻・334〜340ページ)

昨年末NHKでもドラマ化されたこの作品の主人公・秋山真之も比叡に乗り込み、
トルコまでエルトゥールル号船員を送り届けたそうです。
その中で興味深いエピソードがありました。

11月1日、シンガポールにつくと、この地にいるトルコ人の有志や回教の僧侶たちが艦にやってきて、同国人からあつめた寄付金をかれらに渡した。
金は、相当の金額であった。奇妙であったのは、かれらトルコの下仕官・兵の代表はそれをとりまとめ、比叡の1番分隊長坂本大尉のもとにやってきて、
「これを日本側においてあずかってもらいたい」
と、懇願したことである。坂本大尉は、
「それはすじちがいではないか」
と、ことわった。金はトルコ仕官にあずかってもらうべきであり、わざわざ日本仕官にあずけることはあるまい、というのがその理由であった。
が、かれらはかぶりをふった。
「あなたはトルコの実情を知らない。トルコでは士官をはじめ支配階級はすべて腐敗しきっていた、これほど信用できぬものはない。かれらに金をあずけることは盗賊に金をあずけるようなものだ」
といった。
坂本大尉はやむなくそれをあずかることになり、帳面をつくり、金額を書き入れ、あずかった。
この挿話ひとつをみてもトルコ帝国の秩序が相当腐敗していることを一同は知った。


(T_T)切ない……。

自国の恥をさらす事を覚悟の上で、
同胞からの寄付金を日本人に預けなくてはならなかった彼らが悲しいです。
そもそも国が無茶をさせなかったら
エルトゥールル号の悲劇は起こりませんでしたからね…。

日本からの義捐金を直接スルタンに届けに行った
野田正太郎氏や山田寅次郎氏の行動は正解だったと思います。
9月4日に お台場の船の科学館で 企画展「海が結んだ日本とトルコ」
の記念講演会があります。

1。演題:「日本とトルコ交流140年の歩み」
  講師: 高橋 忠久(たかはし・ただひさ)氏
       本企画展の総合監修者
       東洋大学アジア文化研究所 客員研究員
  内容:明治初期に始まり長きにわたり育まれてきた日土交流の歴史を
     “エルトゥールル”遭難事件を中心に振り返る。

2.演題:「日本とトルコ〜国家間の友情はあるか〜」
  講師:福本  出(ふくもと・いずる) 氏
       海将補、海上自衛隊幹部学校副校長
       元在トルコ大使館防衛駐在官
   内容:「人道支援」が主要な国家戦略ともなった未来の国際社会を
      先取りするようなエルトゥールル号 を巡る
      歴史の糸車を、今日の自衛隊活動まで振り返る。

主 催: 船の科学館
定 員: 100人(事前申し込み、先着順)
参加費: 無 料(企画展観覧には入館券が別途必要)

 
応募先
〒135-8587 東京都品川区東八潮3−1
船の科学館 学芸課「企画展記念講演会」係
FAX: 03−5500−1190
TEL: 03−5500−1113
http://www.funenokagakukan.or.jp/news/?p=544

船の科学館のサイトには申し込み締め切り8月30日なって居ますけど
あまり大勢が押し寄せている風でもないので、興味ある方は電話してみては
いかがでしょうか。

ちなみに、ゆりかもめの一日乗車券持っていると、入館料が450円に
なります。
また、船の科学館のWebサイトに100円割引券があります。

船の科学館3Fではエルトゥールル号の企画展で、遺物ほか
資料が展示されています。

写真は今年4月に船の科学館で撮影したアタチュルク銅像です
テレビ番組からですが 
トルコと日本の友好関係が解りやすくまとめられているので 削除しないで頂きたいです。

そしてこのトピックのコメント14にあります 日本さくら交流協会から5年前にトルコ TEMAバクフを通して贈られた 578本の桜は 
アジア側にある ネザハット・ギョクイイット・ボタニック公園で 
こんなに大きくなってます。
39の桜の木って、最近のですか?
先週末、初めてアジア側に行って来たんですが、
知っていればお花見に行きたかったですー桜
2011年4月上旬の写真です。
この数日の雨と風で 桜の様子は分からないですけど
他にもいろんな種類のお花が綺麗です。
今のさかりは チューリップ。チューリップ

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