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独りよがり史跡巡りコミュの浅井長政公の像

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インターネットでとある駅(名鉄小牧線間内駅)に浅井長政の像があることを知りました。なぜ小谷城主の長政がこんなところにいるのか?ということで早速行って確認してきました。

由来書には以下の内容が書かれていました。

---ここから由来書の内容---
江州(滋賀県)小谷城主浅井長政公(二十六万五千石)は朝倉義景との盟約により織田信長との戦いて天正元年(1573)八月二十八日これに敗れに二十九才で自害した公の側室八重の方は七郎君を連れ美濃(岐阜県)に遁れた
文禄元年(1592)七郎君二十才のとき此の地に移り慶安三年(1650)に没した
爾来子孫此処に居住 九代新七は大正二年(1913)故あって神奈川県藤沢市に転居し今日に至る。元屋敷一四四七坪
--ここから裏--
浅井家々系
長政−七郎−七蔵−弥蔵−新四郎−常右門−新左エ門−新四郎−新左エ門−新七−十代嗣−武雄
浅井長政公逝って三百九十年
代々の祖先の霊を慰め末永く後世に此の地を残すため旧宅地内に公の像を建立整備する。
昭和五十七年(1982)一月吉日 浅井武雄 秀嗣 則親
---ここまで---

ということです。なるほどぅ、新しい発見でした。

<以下参考です>
小谷城、陥落のとき長政と父久政は自刃。お市も長政と共に死のうとしましたが、長政はこれをとどめ、お茶々、お初、お江の3人の娘と共に信長の陣に送りとどけました。
長男万福丸と万寿丸(幾丸)も落城の前日、ひそかに城を後にしましたが、長男万福丸は見つかって処刑、幾丸は近江国坂田郡の福田寺にかくまわれ、成長すると出家して生涯を送ったそうです。

コメント(2)

像も好きなんですよね〜
浅井長政像すごい惚れ惚れしますよね・・・。
マジ行く気満々です。
詳しい場所が解ったら是非教えて下さい!!
小牧駅?でいいのかな?

安土に行ったとき、あまりに信長らしくない信長の像には驚かされました・・・。
ゲームに洗脳されすぎなのかな・・・
信長にはシャープなイメージを持ってたから。
どっぷりした短足のおじさんが・・・信長!?
って失礼ながらに思ってしまった。
でもよくよく見ると格好いいな〜と思ったのも事実でありますが。
皆さんも安土に行ったらよくよく見て下さいね!!
長政の像は、名鉄小牧線(上飯田線と言う人もいます)の間内駅(まないえき)の東側にあります。ホームから見えます。駅前になにもない駅です。(>_<) 詳細はYahoo!路線情報などで検索してみてください。

安土の信長は後年なのでおじさんでも仕方ないでしょう。大目に見てやってください(笑
清洲の信長は若く凛々しいですよ。濃姫とsetでどうぞ♪♪

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