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高崎経済大学コミュの学友本田君のこと

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 大学入学式の日、最初に知り合ったのは同じ高校出身だった本田君だ。その日、じゃあ、どっかのクラブに入ろうと二人で学生生協の壁に張られたそのチラシをみた。

 チラシには「お金持ちになる方法を教えます」と出ていた。これは面白い、よし、入ろうと部室に行った。相手に出たのは小太りのおじさん風(とっても1年先輩だけ)の人。まあ、いいやと入会手続きをした

 これが、もう大分前に廃部となってしまった「経営学研究部」であった。
 当時(1966年)は学部は経済学部と経営学部があった。私はあまり考えずに経営学部に入った。学部と同じだし、都合がいいと思った。経営学がどんなものであるかはよくわからなかった。

 私たち2名は入学式の日に入部したが、あとから4名が入部。私を含めて6名がその年の新入部員だった。

 経営学研究部は廃部となったが、同期の人とは今も交流がある。しかし、本田君とはない。彼は15年前に亡くなった。

 本田君が心臓の病気で亡くなったのはまだ50代、現役のサラリーマンだった。本田君の実家は群馬県の万場町。30年前に日航機が墜落した上野村に隣接していた。大学2年の夏休みにその万場町の本田君の実家に泊まりがけで遊びにいった。

 万場町に行くとき、私の母親はこういった「万場町は群馬のチベットといわれて、私らが若い時は分かれ杯をかわしたもんだ」

 もちろん、冗談である。自家用車が普及しておらず、道路も整備されていない時代は、万場町や倉渕村への交通の便は極めて悪かったのは事実。私は原付バイクでいった。

 私の祖母は倉渕村出身だった。私が子供のころ、明治20年代生まれの祖母はぼそりといった。「小さい時に聞いた話、幕末に榛名山にたくさんの村人が連れていかれて帰ってこなかった」

 有名な小栗上野介の埋蔵金のことだろう。昔からうわさはあった。倉渕村は小栗上野介の領地だった。歴史的に見ると幕府勘定奉行小栗上野介は清廉潔白な人物で、埋蔵金などあり得ないというのが定説。

 何年か前、三扇会にいきました。クラブの後輩に先輩づらしてやろうと思った。でも、そのクラブがない。さみしいです。

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